※この作品はR-18です。

王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記-   作:ボルメテウスさん

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聖女の気持ち

礼拝堂の奥にある小さな応接室は、訓練場とはまるで別の世界みたいに静かだった。

 

窓辺には白い薄布が下がり、昼の光が柔らかく床に落ちている。

けれど、その場にいる人たちの顔は、外の光ほど穏やかではなかった。

 

俺の向かいには、元々の聖女候補だった女性が座っている。

名前はエレナ。

薄い金色の髪を肩の上で揃えた、物腰の静かな人だった。

隣にはジャンヌさんが立っている。

礼儀正しい姿勢なのに、膝の横で握られた指だけが固い。

 

「ジャンヌ様が選ばれるなら、それが国のためなのでしょう」

 

エレナさんは、微笑んでそう言った。

 

とても綺麗な笑みだった。

けれど、笑っているのに、目元だけが少し疲れて見える。

 

「そのような言い方は、おやめください」

 

ジャンヌさんの声が、思ったより鋭く響いた。

 

「私は、あなたの場所を奪いたいわけではありません」

 

「ですが、兵たちはあなたを望んでいます。神殿も、軍も、ヨルムン殿下も」

 

その言葉を聞いた瞬間、ジャンヌさんの肩がわずかに揺れた。

 

エレナさんは責めていない。

むしろ、自分を納得させるために言っているようだった。

それが余計に痛かった。

 

俺は二人を見比べてから、少しだけ息を吸った。

 

「少しだけ、いいですか」

 

ジャンヌさんがこちらを見る。

 

「ヤマタ様?」

 

「エレナさんは、本当に納得しているんですか?」

 

部屋の空気が止まった。

エレナさんはすぐには答えない。

膝の上で重ねられた手が、布地を小さく押していた。

 

「……それは」

 

「ジャンヌさんも、エレナさんも、誰かの都合で黙っているように見えます」

 

言ったあとで、少し踏み込みすぎたと思った。

でも、ここで遠慮したら、二人ともこのまま綺麗な言葉で押し流される気がした。

 

その時、扉が開いた。

 

入ってきたのは、神官と軍部の代表らしき男だった。

神官は穏やかな顔をしていたが、その声は最初から決定事項を告げる響きを持っていた。

 

「民は分かりやすい奇跡を求めています。戦場に立つ聖女、それこそ今の王国に必要な象徴でしょう」

 

軍部の男も頷く。

 

「ジャンヌ殿が聖女となれば、兵の士気はさらに高まります。ヨルムン殿下の王位にも近づく」

 

ジャンヌさんは唇を引き結んだ。

 

「ですが、私は……」

 

「あなた個人の迷いで、兵の希望を止めるおつもりですか?」

 

その一言で、ジャンヌさんの声が途切れた。

まるで、見えない鎖を胸に巻かれたみたいに。

 

俺は椅子から立ち上がった。

 

「それは違うと思います」

 

神官と軍部の男が、同時にこちらを見る。

 

「ジャンヌさんが迷っているのは、兵を見捨てたいからじゃない。誰かを押しのけて、自分だけが選ばれるのが苦しいからです」

 

「ですが、それもまた神の導きであれば」

 

「神の導きなら、誰かを黙らせる必要はないんじゃないですか」

 

今度こそ、部屋は完全に静まり返った。

 

俺はエレナさんを見て、それからジャンヌさんへ視線を戻す。

 

「エレナさんは、民の祈りを受け止めてきた人です。ジャンヌさんは、兵の前に立ってきた人です」

 

「何を仰りたいのですか」

 

神官が眉をひそめる。

 

「役割が違うなら、一つに押し込めなくていいと思います」

 

自分でも、ずいぶん乱暴な言い方だとは思う。

でも、他に言い方が見つからなかった。

 

「エレナさんは祈りと民の象徴として残る。ジャンヌさんは戦場で兵と共に立つ守護の旗になる。どちらか一人を選んで、どちらかを降ろす必要が本当にあるんですか」

 

軍部の男が低く唸った。

 

「それでは神殿の格式が崩れます」

 

「格式のために、二人の女性を苦しませる必要がありますか」

 

言った瞬間、自分の背中に汗が滲んだ。

さすがにまずいことを言ったかもしれない。

 

けれど、ジャンヌさんは俺を見ていた。

 

その目は驚いている。

でも、さっきまでのように追い詰められたものではない。

 

エレナさんが、震える声で口を開いた。

 

「私の役割を、まだ残してくださるのですか」

 

「俺が決めることじゃありません」

 

俺は首を横に振る。

 

「でも、あなたが納得しないまま下ろされるのは、おかしいと思います」

 

エレナさんは両手を胸元で重ね、言葉を失ったように俯いた。

神官と軍部の男は納得しきっていない顔だったが、この場で押し切ることはできないと判断したらしい。

 

「この件は、一度持ち帰らせていただきます」

 

そう言い残し、二人は応接室を出ていった。

 

扉が閉まると、ようやく息ができた気がした。

 

エレナさんは深く頭を下げ、静かな声で礼を言った。

ジャンヌさんも何か言おうとしたが、言葉が出ないようだった。

 

しばらくして、俺とジャンヌさんだけが礼拝堂の外に残った。

夕方の光が石畳を赤く染め、遠くから訓練場の音が聞こえている。

 

「あなたは、本当に不思議な方です」

 

ジャンヌさんが、ぽつりと言った。

 

「またそれですか」

 

「はい。ですが、今日は少し違います」

 

「違う?」

 

ジャンヌさんは胸元へ手を当てる。

鎧のないそこに、自分の鼓動を確かめるみたいに。

 

「あなたは、私を救おうとしたのではありませんね」

 

「え?」

 

「私が誰かを傷つけずに済む道を、探してくださった」

 

その言葉に、俺は少し困った。

 

「……それが一番、後味悪くなさそうだったので」

 

ジャンヌさんは小さく笑った。

 

聖女の微笑みではなかった。

戦場で旗を掲げる顔でもない。

今そこにいたのは、少しだけ肩の力を抜いた、一人の女性だった。

 

「その言い方が、あなたらしいのですね」

 

「たぶん、格好つけるのが下手なんです」

 

「いいえ」

 

ジャンヌさんはゆっくり首を横に振った。

 

「今の言葉で、十分です」

 

遠くで誰かが笑う声がした。

たぶんヨルムン兄さんだろう。

何を見ても戦いに変えるあの人なら、今のやり取りさえ面白がるに違いない。

 

「ヤマタ様」

 

「はい」

 

「また、私と話していただけますか」

 

「俺でよければ、いつでも」

 

そう答えると、ジャンヌさんは深く頭を下げた。

顔を上げたあとも、その視線はすぐに離れなかった。

 

その目を見て、俺は少しだけ動けなくなる。

 

ジャンヌさんは何も言わない。

けれど、何かが確かに変わったことだけは分かった。

 

夕日の中で、彼女はもう一度静かに微笑んだ。

 

その笑みは、さっきよりずっと近かった。

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