王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記- 作:ボルメテウスさん
朝の光が、薄いカーテン越しに部屋へ差し込んでいた。
昨夜の空気は、まだ少しだけ残っている。
ジャンヌさんはすでに目を覚ましていたが、すぐには言葉を交わさなかった。
ベッドの端に腰を下ろしたまま、窓の外を見ている。背筋はいつも通り伸びているのに、昨日までの張り詰めた感じは薄い。
聖女候補でも、ヨルムン兄さんの婚約者でもない。
ただ、静かな朝を迎えている一人の女性。
そう思ったところで、扉が遠慮なく叩かれた。
「よう、ヤマタ。生きてるか」
この声で朝が台無しになった。
俺は思わず額を押さえる。
「……朝から嫌な予感しかしない」
ジャンヌさんが少しだけ首を傾げる。
「ヨルムン様、でしょうか」
「でしょうね。あの人、こういう時だけ妙に勘がいいんですよ」
仕方なく扉を開けると、そこには案の定、ヨルムン兄さんが立っていた。
朝だというのに、無駄に元気そうだ。こちらの顔を見るなり、兄さんは歯を見せて豪快に笑う。
「よう、ヤマタ。勝ったらしいな」
「朝一番に来て、第一声がそれなのかよ」
「違うのか?」
「何をもって勝ちって言ってるんだよ」
俺が言い返すより早く、兄さんは部屋の中へ視線を向けた。
ジャンヌさんの姿を見た瞬間、さらに笑みが深くなる。
「ははっ! やったじゃねぇか。聖女まで惚れさせるとはな!」
「だから言い方を考えろって!」
肩を叩かれた。
しかも本気で痛い。
「痛い痛い痛い! 兄さん、力加減!」
「祝いだ、祝い。細けぇこと言うな」
「祝いで骨が軋むのはおかしいだろ」
俺が抗議すると、ジャンヌさんが少し困ったように笑った。
その顔を見て、ヨルムン兄さんは一瞬だけ表情を和らげる。
「ジャンヌ」
「はい」
「お前が選んだなら、俺は止めねぇ。言った通りだ」
ジャンヌさんは静かに頭を下げた。
「ありがとうございます、ヨルムン様」
「礼はいらん。お前が戦士として、自分で選んだならそれでいい」
その言葉に、ジャンヌさんの目が少しだけ揺れた。
ヨルムン兄さんは豪快で雑な人だけど、こういうところで嘘は言わない。
俺は部屋の外へ出て、扉を半分だけ閉めた。
ジャンヌさんを巻き込まずに話した方がよさそうだった。
「それで、わざわざ朝から何の用だよ」
「お前に言っておくことがあってな」
ヨルムン兄さんの笑みが、少しだけ薄くなる。
その目が、戦場を見る時の冷静なものに変わった。
「ズヌイは降りた。ココもお前のところへ行った。今度はジャンヌだ」
「ジャンヌさんは物じゃないぞ」
「分かってる。だから、お前の勝ちだって言ってるんだ」
俺は言葉に詰まった。
「力で奪ったわけじゃねぇ。金で買ったわけでもねぇ。あいつが自分でお前の方へ歩いた」
「……そう言われると、重いな」
「重いもんだろ。人に選ばれるってのはよ」
ヨルムン兄さんは回廊の窓から王城の中心を見た。
朝の光に照らされた塔が、やけに遠く感じる。
「だがな、ヤマタ。ここからは笑ってばかりもいられねぇぞ」
「急に真面目な顔するなよ。怖いだろ」
「お前は今、兄弟の中で二人を実質的に抜いた」
「二人?」
「ズヌイと俺だ」
俺は黙った。
ズヌイ兄さんは王位を諦め、商売へ切り替えた。
ヨルムン兄さんは最初から玉座より戦場を見ている。
そしてジャンヌさんがこちらへ心を寄せたことで、ヨルムン陣営の象徴も揺れている。
つもりがなくても、盤面は動いた。
そういうことなのだろう。
「このままなら、お前は独走する」
「俺が?」
「ああ。本人が一番分かってねぇのが厄介だがな」
ヨルムン兄さんは、そこで低く笑った。
「だが、アイダとクルが黙ってるとは思うな」
その二つの名前に、自然と背筋が伸びる。
「アイダは正面から来る。あいつは王としての器を持ってるし、人も正面から従わせる」
「それは分かる」
「問題はクルだ。あいつは表で怒鳴ったりしねぇ。笑いもしねぇ。ただ、お前がどこを見て、何に弱いかを測る」
「……それ、一番嫌なタイプだな」
「ああ。頭脳戦なら、あいつが一番面倒だ」
ヨルムン兄さんはもう一度、俺の肩を叩いた。
今度は少しだけ力が抑えられている。
「気を抜くな。ズヌイと俺を抜いたからって、勝った気になるには早い」
「だから、俺は勝った気なんてないって」
「なら、そのままでいろ。お前は変に勝った顔をしねぇ方が強い」
「褒めてるのか、それ」
「褒めてる。俺なりにな」
ヨルムン兄さんは背を向けた。
立ち去る前に、少しだけこちらを振り返る。
「見せてみろ、ヤマタ。お前がアイダとクルをどう相手取るのかを」
「また観客気分かよ」
「当然だ。俺はもう、お前の戦いを見る側に回る」
「本当に自由だな、兄さんは」
「自由じゃなきゃ、王なんぞ向かねぇよ」
そう言って、ヨルムン兄さんは豪快に笑いながら回廊の向こうへ歩いていった。
俺はしばらく、その背中を見送る。
部屋の奥で、ジャンヌさんが静かに立ち上がる気配がした。
振り返れば、彼女は何も言わずにこちらを見ている。
その目には、不安と、少しの覚悟が混じっていた。
「……また面倒なことになってきましたね」
そう呟くと、ジャンヌさんは柔らかく微笑んだ。
「それでも、あなたは進むのでしょう」
「進まないと、もっと面倒になりそうなので」
自分で言って、苦笑する。
王位争奪戦は、もう俺が思っていたよりずっと大きく動いている。
ズヌイ兄さんとヨルムン兄さんを越えた先にいるのは、アイダ兄さんとクル兄さん。
ここから先は、たぶん本当の意味で兄弟同士の戦いになる。