王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記- 作:ボルメテウスさん
モモ・サイガから呼び出された時点で、嫌な予感はしていた。
朝の空気は澄んでいる。王城の演習場へ向かう道には、まだ昨日の熱も残っていない。けれど、隣を歩くアーサーがやけに楽しそうだったので、俺の胃は早くも重くなっていた。
「ヤマタ君、そんな顔をしなくてもいいのに」
「アーサーが楽しそうな時点で、だいたい俺にとっては良くないことが起きるんだよ」
「信用がないなぁ」
「あるから警戒してるんだ」
そう返すと、アーサーは愉快そうに笑った。
少し後ろではリンカが無言でついてくる。護衛としてはありがたいが、時々その沈黙が「今回は本当に危険」と言っているようで、余計に落ち着かない。
演習場には、すでに帝国兵が並んでいた。
動きが違う。
槍を構える角度、踏み込みの幅、命令を受けた時の反応。素人の俺でも分かるくらい、鍛えられた兵たちだった。
その前に立つモモさんは、昨日の応接室とはまるで違って見えた。
美しい人、という印象は消えない。けれど、ここではそれ以上に「人を率いる者」の顔をしている。背筋を伸ばし、兵の動きを一つも見逃さない目で追っていた。
「ヤマタ殿下。少し、付き合ってもらいたい」
「内容を聞いてからでもいいですか」
「私の兵の演習を見てもらう。君がどう見るか、確かめたい」
「俺、軍事の専門家じゃないですよ」
「だからこそだ」
短い返答だった。
言い切られると、逃げ道がなくなる。
演習が始まる。
兵たちが一斉に動いた。剣と盾がぶつかり、砂が跳ねる。鋭い掛け声が朝の空気を裂いていく。
その中で、一人だけ遅れている兵がいた。
若い。まだ顔に幼さが残っている。必死に周囲へ合わせようとしているのは分かるが、踏み込みが浅い。足を引きずるほどではない。けれど、何かをかばっている。
嫌な引っかかりが胸に残った。
「あの兵、足をかばってないか?」
俺が呟くと、リンカが目を細める。
「確かに、踏み込みが浅い」
モモさんは何も言わない。
こちらを見ている。兵ではなく、俺を。
試されているのだと分かった。
若い兵が転んだ。
周囲の動きが止まり、上官らしき男が怒声を飛ばす。
「立て。遅れた者が隊全体を殺す」
「申し訳、ありません……」
若い兵は歯を食いしばって立ち上がろうとした。
その顔を見た瞬間、胸の奥がざらついた。
ここで口を出すのは、多分おかしい。
俺は帝国兵の訓練に関わる立場じゃない。軍のことも分からない。戦場の理屈も知らない。
けれど、黙って見ている方が後で嫌になる気がした。
「すみません。少し、いいですか」
声を出した瞬間、演習場の視線がこちらへ集まった。
背中に汗が滲む。
上官が戸惑う。
「ヤマタ殿下?」
モモさんは静かに言った。
「続けろ」
その一言で、余計に逃げられなくなった。
「その人を責める前に、足を診た方がいいと思います」
「しかし、これは訓練であり」
「怪我を隠して無理をする兵がいたら、本番で隊全体が危なくなるんじゃないですか」
上官の顔が強張る。
若い兵は驚いたようにこちらを見ていた。
「弱いから切るんじゃなくて、なぜ動けないのかを見た方がいいと思います」
言ったあとで、喉が乾いた。
自分が正しいかどうかなんて分からない。戦場では違うのかもしれない。けれど、今ここは戦場ではない。訓練なら、まだ止まれるはずだ。
モモさんは、しばらく俺を見ていた。
それから短く命じる。
「診せろ」
若い兵の足を確認すると、軽い負傷が見つかった。隠していたらしい。部隊から外されたくなかった。役に立たないと思われたくなかった。そう言って、彼は唇を噛んだ。
その言葉は、思っていたより胸に刺さった。
役に立ちたいから、無理をする。
捨てられたくないから、痛みを隠す。
それは兵だけの話ではない。どこにでもある。リアスにも、リンカにも、ジャンヌさんにも、似たものがあった。
演習が終わった後、モモさんに呼ばれた。
アーサーとリンカは少し離れて見ている。
アーサーは満足そうで、リンカは相変わらず静かだ。たぶん、俺がまた面倒な方向へ進んだと思っている。
「君は、戦場を知らない」
「はい」
「軍を率いた経験もない」
「はい」
「だが、今の判断は間違いではなかった」
息が少しだけ抜けた。
怒られる覚悟もしていたから、その言葉は素直にありがたかった。
「そう言ってもらえると、少し安心します」
「私は、弱い兵を甘やかす王子なら切るつもりだった」
「物騒ですね」
「だが君は、甘やかしたのではない。理由を見た」
モモさんの声は厳しいままだった。
けれど、そこに昨日のような冷たい警戒はない。
「失敗した者を切るのは簡単だ。だが、失敗の原因を見ない指揮官は、同じ失敗を繰り返す」
「……そういうものですか」
「そういうものだ」
彼女ははっきりと言い切った。
「君は弱く見える」
「そこは否定しづらいです」
「だが、弱い者を見る目は持っている」
褒められているのか、判断に迷った。
ただ、その言葉を軽く流す気にはなれなかった。
「褒めている。私なりに」
「ありがとうございます」
そう返すと、モモさんは少しだけ視線を外した。
ほんのわずかな間だったが、さっきまでの将軍の顔とは違って見えた。
アーサーが近づいてくる。
「ほら、モモ。少し気に入ったでしょ?」
「黙れ、アーサー」
「照れなくてもいいのに」
「斬るぞ」
「物騒すぎるだろ、この二人」
俺が呟くと、リンカが淡々と答えた。
「相性は悪くない」
「悪くないの基準がおかしい」
モモさんは改めて俺を見た。
その目はまだ厳しい。けれど、最初に会った時とは違う。
「ヤマタ殿下。もう少し、君を見極める」
「まだ続くんですね」
「ああ。だが、今日は少しだけ分かった」
「何がですか」
「アーサーが君を手放さない理由だ」
その言葉に、なぜか返事が詰まった。
隣でアーサーが嬉しそうに笑っているのが分かる。
俺は空を見上げた。
朝の光は、演習場の砂を白く照らしている。
また一人、面倒な人が増えた。
そう思ったのに、不思議と嫌ではなかった。