王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記- 作:ボルメテウスさん
翌朝の演習場には、昨日より柔らかい風が吹いていた。
砂地にはまだ足跡が残っている。帝国兵たちの踏み込み、転んだ若い兵の膝の跡、俺が思わず口を出した場所。その全部が、昨日の出来事をまだ薄く抱えているように見えた。
「ヤマタ君、また難しい顔をしてるねぇ」
隣でアーサーが笑う。
その声は軽いのに、こちらの胸の奥まで覗いているようで、少し落ち着かない。
「昨日のことを思い出してただけだよ」
「後悔?」
「半分くらい」
「残り半分は?」
「口を出してよかったのか、まだ考えてる」
アーサーは返事をしなかった。
ただ、面白そうに目を細める。少し後ろではリンカが無言で歩いていた。あいつの沈黙は、ときどき言葉より正確に空気を読む。
演習場の脇に差しかかった時、一人の若い兵がこちらへ駆け寄ってきた。昨日、足をかばっていた兵だった。包帯を巻いた足で無理をしないよう、慎重に歩いている。
「ヤマタ殿下。昨日は、ありがとうございました」
「足は大丈夫ですか?」
「軽い捻挫でした。ですが、あのまま続けていれば悪化していたと医師に言われました」
「それなら、止めてよかったです」
言いながら、少し胸が軽くなる。
正しかった、と言い切るほど偉くはない。けれど、少なくとも間違いだけではなかったらしい。
若い兵は、視線を落として拳を握った。
「私は、部隊から外されるのが怖かったのです。役に立たないと思われるのが、怖かった」
その声に、昨日の砂の匂いが戻ってくる。
無理をした理由は、痛みへの我慢ではなかった。置いていかれることへの恐れだった。
「……分かります」
気づけば、そう答えていた。
「俺も、自分が役に立てているのか分からない時がありますし」
若い兵が驚いたように顔を上げる。
「殿下が、そのようなことを?」
「ありますよ。むしろ、しょっちゅうです」
情けない返事だと思った。
王子らしい威厳なんて、少しもない。けれど、兵の肩から力が抜けたのを見て、これでよかったのかもしれないとも思った。
若い兵が去った後、少し離れた柱の陰からモモさんが姿を見せた。
最初から見ていたのだろう。静かな目で、こちらを測っている。
「ヤマタ殿下。少し聞きたい」
「はい。今度は何を試されるんですか」
「試すというより、疑問だ」
モモさんはまっすぐ俺を見た。
「君は弱い」
「いきなりですね」
「戦えない。軍を率いた経験もない。政治の駆け引きも、アーサーほど得意ではない」
「否定できる部分がないのがつらいです」
「なのに、人が君の周りへ来る」
風が止まった気がした。
演習場の音だけが遠くなる。
「なぜだ」
すぐには答えられなかった。
俺自身、それを分かっていない。リアスも、リンカも、ココも、ジャンヌさんも、俺が引き寄せたなんて思っていない。ただ、目の前で苦しそうにしていたから、放っておけなかっただけだ。
「たぶん、俺が強いからじゃないと思います」
「それは分かっている」
「そこは少し遠慮してほしかったです」
「続けろ」
モモさんの声は厳しい。
けれど、不思議と怖くはなかった。
「俺は強くないから、強い人が無理をしている時に気づきたいんだと思います」
「強い人が無理をしている時?」
「リアスも、リンカも、ココさんも、ジャンヌさんも。みんな強い人でした。でも、強いから苦しくないわけじゃない」
言葉にしながら、胸の中で何かが少しずつ形を持つ。
「昨日の兵もそうです。帝国兵だから、強くなきゃいけない。役に立たなきゃいけない。そう思って痛みを隠してた」
俺は手元に視線を落とした。
何かを握れるほど強い手ではない。誰かを守り切れる自信も、まだない。
「俺は、そういうのを見ると後で嫌になるんです。見なかったことにした方が楽なのは分かってるんですけど」
「……」
「でも、俺が弱いからこそ、弱さを隠そうとする人を放っておけないのかもしれません」
モモさんは黙っていた。
怒られるかと思った。
王として危うい、と切り捨てられるかもしれないとも思った。
けれど、返ってきた声は、思ったより静かだった。
「君は、王としては危うい」
「はい」
「だが、危ういからこそ見えるものがある」
「そうなんですかね」
「少なくとも、私はそう見た」
モモさんは演習場へ目を向ける。
兵たちがまた隊列を組み直している。誰もが強くあろうとしている。その中で、壊れる寸前の揺れを見ることが、どれほど難しいのか。たぶん、彼女は知っている。
「私は強い者を見てきた。強い者を率いてきた。だが、強さを隠れ蓑にして壊れる者も見てきた」
その横顔は、将軍のものだった。
けれど、一瞬だけ疲れた人の顔にも見えた。
「君は、その壊れる前の揺れを見る」
「褒められてますか?」
「褒めている。かなり」
「かなりなんですね」
思わず苦笑すると、アーサーが横から嬉しそうに顔を出した。
「ね、モモ。だから言ったでしょ。ヤマタ君は面白いって」
「黙れ。今は君に言っていない」
「ひどいなぁ」
リンカがぽつりと言う。
「仲が良い」
「違う」
「照れなくてもいいのに」
「アーサー。斬るぞ」
「最後にいつもの空気に戻すのやめてくれ」
俺が頭を抱えると、モモさんは小さく息を吐いた。
それから、改めてこちらを見る。
「ヤマタ殿下。私はまだ、君を認めきったわけではない」
「はい」
「だが、君の隣がなぜ人を引き寄せるのか、少し分かってきた」
「……それ、俺が一番分かってないんですけど」
「だからこそ、もう少し見極める」
「やっぱり続くんですね」
アーサーが満足そうに笑う。
「もちろん。モモは気になるものを途中で放り出さないよ」
「アーサー。余計なことを言うな」
モモさんの声は鋭い。
けれど、そこに最初のような拒絶はなかった。
警戒から疑問へ。
疑問から、理解したいという視線へ。
その変化に気づいて、俺はまた面倒なことになりそうだと思った。
けれど、不思議と足を引きたいとは思わなかった。