※この作品はR-18です。

王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記-   作:ボルメテウスさん

37 / 71
弱さへの寄り添い方

 演習場の空気は、朝から重かった。

 

 兵たちの声は揃っている。足音も乱れていない。剣の軌道も、盾を構える角度も、俺みたいな素人から見てもよく鍛えられているのが分かった。

 

 その中心に、モモさんがいた。

 

 昨日までの応接室で見た静かな貴婦人ではない。

 剣を構え、重力魔法で兵たちへ負荷をかけながら、淡々と指示を飛ばす将軍の姿だった。

 

「相変わらず無茶するねぇ、モモちゃんは」

 

 隣でアーサーが、紅茶でも飲むような気軽さで言った。

 

「無茶?」

 

「昨日からほとんど休んでいないはずだよ。それでも平気な顔をするから、周りも止めない」

 

 俺は演習場へ目を戻す。

 モモさんの声は少しも乱れていない。剣を振るう動きにも迷いはない。

 

 けれど、剣を下ろした一瞬、指先がわずかに震えた。

 

「手が震えている。魔法の反動か、疲労」

 

 リンカが低く呟く。

 

「……あれ、大丈夫なのか?」

 

「本人は大丈夫って言うだろうね。モモちゃんはそういう子だから」

 

「強い人ほど、そう言う」

 

 リンカの言葉に、昨日の兵の顔が浮かんだ。

 役に立たないと思われるのが怖くて、怪我を隠していた若い兵。痛みを飲み込んで、平気なふりをしていた姿。

 

 その姿が、今のモモさんと重なった。

 

 重力の圧がさらに強まる。

 兵たちの膝が沈み、砂が深く踏み込まれる。モモさん自身も額に薄く汗を滲ませていた。

 

 気づけば、俺は前へ出ていた。

 

「モモさん。少し、休みませんか」

 

 演習場の空気が止まる。

 

 モモさんがこちらを見る。

 その目は鋭い。邪魔をされた将軍の目だった。

 

「必要ない」

 

「でも、手が震えています」

 

「この程度、問題ではない」

 

「昨日の兵も、同じように言ってました」

 

 モモさんの表情が、ほんの一瞬だけ止まった。

 

「私は兵ではない。将軍だ」

 

「将軍なら、なおさら倒れたら困るんじゃないですか」

 

「兵の前で弱さは見せられない」

 

「弱さを見せろって言ってるんじゃないです」

 

 言葉を選びながら、俺は一歩だけ近づいた。

 

「ただ、痛いのに痛くないふりをし続けるのは、違うと思います」

 

 モモさんは黙った。

 

 怒られるかもしれない。

 帝国の将軍に対して何を言っているんだと、周りに咎められるかもしれない。

 

 それでも、ここで黙る方が嫌だった。

 

 しばらくして、モモさんは短く息を吐いた。

 

「演習を一時中断する」

 

 兵たちが動きを止める。

 モモさんはそのまま演習場脇の木陰へ向かった。俺も少し遅れてついていく。

 

 アーサーとリンカは離れた場所に残った。

 アーサーは笑っていたが、茶化すような顔ではなかった。

 

「君は、随分と嫌なところを見る」

 

 木陰に入るなり、モモさんが言った。

 

「すみません。でも、見なかったことにする方が嫌なので」

 

「私は将軍だ。公爵家の当主代理だ。私が立っているから、兵も家も揺れずに済む」

 

「だから、休めない?」

 

「休めば、周囲は不安になる」

 

 その言葉は、あまりにも自然に出た。

 きっと、何度も自分に言い聞かせてきた言葉なのだと思う。

 

「モモさんは、ずっと強い側にいなきゃいけなかったんですね」

 

 モモさんの目が、わずかに揺れた。

 

「でも、強い側にいる人だって、疲れますよ」

 

「……私を憐れんでいるのか」

 

「違います。すごい人だと思っています。でも、すごい人だから壊れていいとは思いません」

 

 モモさんは、何も言わなかった。

 

 その沈黙が、さっきまでの鋭さとは違う。

 怒りでも、不快でもない。胸の奥にしまっていた箱を、急に開けられた人みたいだった。

 

「君は、私を将軍としてではなく見ているのか」

 

「将軍なのは分かっています。でも、将軍だから休まなくていいとは思いません」

 

 風が木陰を抜ける。

 演習場の砂の匂いが少し薄れ、葉の擦れる音だけが残った。

 

 モモさんはゆっくりと腰を下ろした。

 普段の彼女なら、兵たちの前で決して見せない姿なのだろう。背筋はまだ伸びていたが、肩の力だけが少し抜けている。

 

「君は、本当に妙な男だ」

 

「それも最近よく言われます」

 

「私は、強いと言われることには慣れている」

 

「はい」

 

「美しいと言われることも、欲しいと言われることも、利用価値があると言われることも」

 

 その声には、感情の色がほとんどなかった。

 だからこそ、少しだけ痛く聞こえた。

 

「だが、休めと言われたのは初めてだ」

 

「言われないんですか?」

 

「言われない。皆、私が立っていることを望む」

 

「じゃあ、今くらいは座っていていいと思います」

 

 モモさんが静かにこちらを見た。

 

 その目は、将軍が王子を測るものではなかった。

 公爵家の当主代理が利害を読む目でもない。

 

 もっと近くて、もっと困ったような視線だった。

 

「ヤマタ殿下」

 

「はい」

 

「君の隣は、思っていたより危険だな」

 

「えっ、危険なんですか?」

 

「ああ。剣よりも、魔法よりも、ずっと厄介だ」

 

「何もしてないんですけど」

 

「だから厄介なのだ」

 

 遠くでアーサーが笑った。

 

「ね、モモちゃん。言ったでしょ。ヤマタ君は面白いって」

 

「黙れ、アーサー」

 

「ふふっ。照れてるモモちゃん、久しぶりに見たなぁ」

 

「斬るぞ」

 

「親友同士の会話が毎回物騒すぎる」

 

 俺が思わず呟くと、リンカが淡々と返す。

 

「慣れた方がいい」

 

「慣れたくない」

 

 モモさんは小さく息を吐いた。

 それでも立ち上がろうとはしなかった。

 

 木陰に腰を下ろしたまま、少しだけ目を伏せている。

 その横顔は、強い将軍ではなく、ようやく休む場所を見つけた人のように見えた。

 

 本人はまだ、その感情に名前をつけていないのだと思う。

 

 けれど、俺を見る目は変わっていた。

 

 鋭い警戒ではない。

 価値を測る視線でもない。

 

 何かを見つけてしまった人の、静かな戸惑いがそこにあった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。