王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記- 作:ボルメテウスさん
演習場の木陰に、風がゆっくり流れていた。
兵たちはすでに引き上げ、砂地に残った足跡だけが、さっきまでの熱を薄く残している。剣の音も、号令も、今は遠い。そんな静けさの中で、モモさんは一人、木陰の下に立っていた。
呼び出された俺は、少しだけ足を止める。
いつも腰にあった剣が、今日は近くの椅子へ置かれていた。たったそれだけなのに、目の前の人が帝国の将軍ではなく、モモ・サイガという一人の女性としてそこにいる気がした。
「ヤマタ殿下。少し、時間をもらいたい」
「はい。何かありましたか?」
「演習のことではない。私自身の話だ」
言葉は落ち着いている。けれど、視線だけはわずかに揺れていた。
少し離れた回廊では、アーサーが柱にもたれている。こちらに気づくと、悪戯を仕掛ける前のように笑った。
「モモちゃん、頑張ってねぇ」
「黙っていろ、アーサー」
「はいはい。親友の晴れ舞台だもの、静かにしてるよ」
「その顔で言われても信用できん」
いつもの調子に見えるのに、モモさんの声は普段より少し柔らかい。アーサーも茶化しながら、踏み込みすぎない場所に留まっていた。
俺が木陰へ入ると、モモさんは置かれた剣へ一度だけ視線を落とした。
「私は、強いと言われることに慣れている」
「はい」
「美しいと言われることも、欲しいと言われることも、利用価値があると言われることも、もう珍しくはない」
その声は淡々としていた。
けれど、淡々としているからこそ、長く積もったものが見える気がした。
「だが、休めと言われたのは初めてだった」
俺はすぐに返せなかった。
モモさんは木陰の下で、小さく息を吐く。戦場なら絶対に見せないだろう間が、そこにはあった。
「君は、私を将軍として見た。公爵家の当主代理としても見た。だが、それだけで終わらせなかった」
「俺は、そんな大したことはしてませんよ」
「そう言うところも、君らしい」
少しだけ笑う。
その笑みは、応接室で見た鋭いものではなかった。
「私は、君の隣でなら休める」
「えっ」
「そして、休めるだけではない。君の隣に立ちたいと思った」
胸の奥が跳ねた。
モモさんは逃げなかった。言い切ったあとも、こちらから目を逸らさない。けれど、頬に差した薄い赤みが、彼女自身も平静ではないことを教えていた。
「妃として利用されるためではない。家のためでも、帝国のためでも、アーサーの盤面のためでもない」
剣を持たない手が、胸元へ寄せられる。
「私が、君の隣にいたい」
風が木の葉を揺らした。
すぐに何かを言わなければいけないのに、言葉が喉の奥で止まる。
「俺で、いいんですか」
やっと出たのは、そんな頼りない一言だった。
「俺、たぶんかなり頼りないですよ。戦えないし、すぐ胃が痛くなるし、アーサーにも振り回されますし」
「知っている」
「そこは少し否定してほしかったです」
「だが、頼りないのに目を離せない」
モモさんは一歩近づいた。
近い。肩が触れるほどではないのに、さっきよりずっと近い。
「君がいい」
静かな告白だった。
剣を掲げることも、号令をかけることもない。ただ、その言葉だけで、彼女がどれだけ真剣なのかは十分に伝わってきた。
俺は深く息を吸う。
「……俺でよければ、隣は空けておきます」
「曖昧だな」
「すみません。でも、軽く返したくなかったので」
「なら、それでいい」
モモさんは俺の隣に腰を下ろした。
将軍としてではなく、強い女としてでもなく、少しだけ休むように。
遠くでアーサーが小さく呟く。
「よかったね、モモちゃん」
モモさんは聞こえていないのか、聞こえていて無視したのか、何も返さなかった。
ただ、木陰の下で並んだ距離だけが、前より確かに近くなっていた。