王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記- 作:ボルメテウスさん
朝靄が薄く漂う中庭に面した窓際のテラスで、俺とアーサーは朝食を摂っていた。朝日が昇るにつれ暖炉の火が必要なくなる季節だが、この時間帯の空気はまだひんやりとしている。俺はカップを両手で包み込むように握りながら温かい紅茶を啜った。一方アーサーはというとパンケーキにメープルシロップを豪快に注ぎながら俺を眺めている。
「ねえヤマタ」
フォークの先で柔らかい生地を一口サイズに切り取りつつ彼女が問いかけてきた。
「なんだ?」
「妃争奪戦だけどさ……最初の標的はリアス・グレモリーにしようと思う」
予想していた名前だったからかあまり驚かずに済んだ。しかし改めて口にされるとやはり厄介そうな案件だと感じざるを得なかった。
「……第三王子クルの婚約者か」
リアス・グレモリーの顔を思い浮かべる。美しい深紅の髪に凛とした瞳の令嬢だ。確か若くして貴族社会では名が通っているほどの才媛でありながら社交界デビュー以来クルと公認の恋人関係にあったはずだ。
「そう。クル本人があんまり乗り気じゃなくて放置しているから実質宙ぶらりん。しかも彼女自身もクルに恋愛感情を持っていないらしい」
「へえ……だったら普通に縁談を白紙に戻せばいいんじゃないのか?」
アーサーはシロップまみれになったパンケーキを器用に口に運びながら首を横に振った。
「そこが難しいところなのよ」
咀嚼して飲み込むと彼女はティーカップを片手に掲げてみせた。
「リアスは典型的なロマンス脳なんだよねぇ~。簡単に言えば恋愛小説中毒みたいなもの。『運命』やら『永遠の愛』なんて妄想するのが生き甲斐ってタイプ」
少し呆れたような口調ではあったが心底蔑む様子はない。むしろ微笑ましいといった風情すら醸し出しているところを見る限り彼女自身そういった夢見る少女的な部分にも共感性を持っているのだろうと思った。実際自分にとってアーサーは理想化された姉のような存在でもあり彼女特有の少女趣味的嗜好を非難するのは間違いだと感じた。
「で? まさかとは思うけどその子を僕に落とせと?」
「正解♪」
パチパチパチ! 小気味良い拍手と共に飛び出したのは期待以上の回答だった。
「そもそも何故僕が選ばれなければならないんだよ? クルのほうが見た目も性格も女性受けするし頭もいいし地位もあるはずだし何より皇位継承権第二位というアドバンテージまであるじゃないか」
ここまで一気にまくし立ててやれば流石に多少なりとも反論してくるかと思いきや予想に反して涼しい顔だ。むしろどこか愉しげですらある。おかしいな……普通ならここで焦ったり怒ったりする場面だと思うんだけど。
「君こそ勘違いしていないかい? 彼女の求める『王子様像』というのが分からないようでは到底勝ち目はないと思うけどね♪」
そう言ってウインクしてきた瞬間背筋が凍るような錯覚に襲われた。これは冗談ではなく本気で言っているのだと思い知らされた。つまりこの人は本気で自分を利用して遊び道具にするつもりなのだということを理解した時恐怖よりも苛立ちの方が勝った。
「それで? どうやって落とすつもりなんだ?」
投げやりに問い掛けると彼女は口元に手を添えて考える素振りを見せてから答えた。「それは秘密☆」とだけ言って微笑まれてしまったので追求できなくなった。
俺が疑念に眉を寄せるのを見て、アーサーは小さく微笑んだ。
「考えてみてほしいんだけど」
食後のコーヒーを置きながら、アーサーは肘をついてこちらを見据える。
その青い瞳が、まるで獲物を絡め取るように細くなった。
「あのリアスって子は、プライドが高い。自分より劣るものには見向きもしないタイプ」
「……まあ、確かに」
ヤマタもリアスのことは噂で聞き及んでいる。
常に澄ました表情を崩さず、周囲の男性たちを一瞥すれば萎縮させるような威厳のある美貌。
高位貴族出身ということもあり、並の男ではまず太刀打ちできないだろう。
「逆に言えばさ」
アーサーは唇の端を吊り上げる。狡猾な獣が牙を見せるときのような笑み。
「自分より“高く”もないけど“低く”もない……ちょうど良い距離感の男の方が警戒しなくて済むわけ」
「……その“ちょうど良い男”っていうのが俺?」
思わず苦笑してしまうヤマタに、アーサーは迷うことなく頷いた。
「そう。君が理想的」
「おいおい、買い被りすぎじゃないか?」
「そんなことない。そもそも」
アーサーの指が机の上の小さなグラスに伸ばされた。氷が溶けて薄くなっていた酒を一口飲むと、彼女は艶めかしく息をつく。
「彼女は多分……表向きは冷静で完璧な仮面を被っているけど、本当は寂しさを埋めたいタイプ」
「寂しさ?」
「そう。孤独な子ほど……甘い夢を見るものだよ」
囁くような声でアーサーが言った瞬間、ヤマタは背筋に寒気を感じた。
「だからこそ」
「クルみたいな完璧超人が嫌い。自分で自分を殺してしまいそうだから」
「逆に言えば」
「中途半端で弱い部分を見せてくれる……だけど誠実な人間を求めるはず」
言いながら、アーサーは椅子から立ち上がって窓際に歩み寄った。
差し込む日の光が彼女のドレスを黄金色に染める。
「そんな相手を見つけて堕とすことができたら」
「最高にドラマティックでしょう?」
「……随分と他人事のように言うんだな」
「ええ?」
彼女は振り返ると、悪戯っぽく片目を瞑った。
「だって実際に私には関係ないことだし。私はただ舞台をセッティングして、観客席で楽しむだけ」
「……怖い女だよ、本当」
俺は思わず嘆息する。
大理石の廊下に足音が響く。
冷たいタイルを踏みしめながら進む俺の背中には重い空気がのしかかっていた。
「ほんとに大丈夫なのかよ……」
ぽつりとこぼした声に応えたのは、後ろから追いかけてくる軽快な足取り。
「心配なら今すぐ逃げてもいいけど?」
そう囁くのはもちろんアーサーだ。華奢な肩に外套をかけながら飄々とした笑みを湛えている。
「冗談だろ」
「冗談かどうかはやってみるまではわからないよ」
意味深に笑う彼女の言葉に悪寒が走る。アーサーの策謀はいつだって常軌を逸している。今回もきっとそうに違いない。
それでも振り返る勇気が出ないまま角を曲がると――目の前には巨大な木製の扉が立ち塞がっていた。金の装飾が施された門扉のような造りで、中央には龍の紋章が彫られている。
「ここだよ」
アーサーが短く告げると同時に侍従たちが静かに扉を開いた。蝶番が軋む音が耳障りなほど大きく響く。暗がりの中から漏れ出るのは淡い燭台の灯りと芳醇な薔薇の香り。そして――。
「よくいらっしゃいましたね。ヤマタ様」
凛とした声とともに姿を現したのは絶世の美女だった。
リアス・グレモリー。
鮮やかなワインレッドの髪が肩口で緩く巻かれている。瞳は深紅の宝石のように輝きを放ち、睫毛は長い影を顔に落としている。細い鼻梁と紅く染まった唇が完璧な比率で配置されていることに息を呑んだ。白磁のような肌は透き通りそうなほど滑らかで、どこか近寄り難い気品さえ漂わせていた。
しかし最も目を引いたのはその肢体だ。漆黒のドレスに包まれた肉体は起伏に富んでいて蠱惑的でありながら一切下品さを感じさせない清潔感があった。特に胸元から腰にかけて流れるようなラインには目を見張るものがある。
彼女が一歩前に踏み出すだけで周囲の温度が変わるような錯覚さえ起こるほどだった。
「はじめまして。リアスと申しますわ」
深々と腰を折る仕草すら洗練されていて思わず見惚れてしまう。
その完璧過ぎるまでの容姿に圧倒されながらも、俺はなんとか礼儀正しく挨拶を返した。けれど正直なところ、視線は彼女の魅力的な肢体に釘付けだった。
リアスは軽く微笑むと、椅子を勧めてきた。
「どうぞ、お座りになってください。長旅でお疲れでしょう?」
柔らかなソファに腰掛けながらも、彼女の香水の香りが鼻孔をくすぐって意識がふらつく。
「ありがとうございます。いやしかし……美しいですね、とても」
俺が素直に褒めると彼女は少し眉をひそめた。
「まあ。お世辞にもほどがありますわ」
「いえいえ本当に。まるで女神みたいです」
「もう……」
リアスが困ったように頬を染める姿が可愛らしい。普段冷静で大人びた表情が多いだけにギャップ萌えというか何というか。
そんなやりとりをしているうちに自然と距離感が縮まっていった。彼女は意外にも親しみやすく話題も豊富だった。貴族社会のことや領地経営について語る姿からは知性と品格が溢れていたし、逆に家庭菜園で育てているハーブ類の話を聞くときはまるで少女のような無邪気さを見せた。
そして何より驚いたのは―――。
「実はわたしもお兄さま方とはあまり上手くいっていないのです」
ある時ふと漏らした言葉には深い悲しみが籠もっていたことだった。第三王子のクル様はもちろん第一王子のアイダ様とも不和らしい。理由は分からないがおそらく家督争いに関係しているのかもしれないとのこと。
「そうなんですか……?」
「えぇ。皆さん野心家ですからどうしても意見がぶつかってしまうことが多いようで」
「・・・まぁ、そうですね、まぁ、俺の場合はクル兄様とズヌイ兄様とはあまり仲は良くないですが、アイダ兄さんとヨルムン兄さんとは結構話をしているんですよ」
リアス様が目を輝かせるのがわかる。
「・・・ふふっ」
リアスは小さく笑ってから顔を伏せる。肩が微かに震えているようだった。
「申し訳ありません。少々失礼でしたでしょうか?」
ヤマタの言葉に慌てるリアスだがすぐに表情を戻して咳払いをする。
「いえ……ただ……」
言いかけて口籠ると俯く彼女の耳朶が朱に染まるのが見えた。
「お気を悪くされないで欲しいのですが……正直言うと今までこのような機会が無かったもので……」
「と言うと?」
「男性の方とこうしてお話するというのはほとんどありませんでした。ですので少し新鮮で……楽しく感じてしまっておりました」
リアスはそう言うなり上目遣いで俺を見つめてきた。その潤んだ瞳と上気した頬に胸が高鳴ってしまう。
(おいおい落ち着けって俺)
心臓の高鳴りを抑えながら平静を取り繕う。
「そうですか……」
なんとか返事をするものの内心かなり動揺していた。こんな美人と密室で二人っきりになっているというだけで興奮ものなのにまさか向こうも俺に対して好感を持ってくれているとは嬉しい誤算だった。
「あの……もしよろしければこれからも定期的にお時間をいただけませんか?」
「もちろんですとも!」
即答してしまうくらい舞い上がってしまった。それほど衝撃的な出来事であったと言えるだろう。
「良かったぁ……断られたらどうしようと思っていましたので助かりました」
安堵のため息を吐く彼女を見て罪悪感を覚えたが今は喜びの方が勝っていた。
その後しばらく会話を続けて別れたあと屋敷に戻った俺は何故だか妙な疲労感を抱いていた。原因を考えるとやはりリアスの存在だろうと結論づけるしかない。
彼女の纏う独特な空気感というべきものか。
「ヤーマーター君、君ってば、純粋なのは良いけど、ペースに乗せられすぎだよ」
「あっアーサー!?」
そして、背後からアーサーの声。完全に気を抜いていた。
「ヤマターくん。ちょっとお話しましょうかぁ」
振り返るとアーサーが満面の笑みで佇んでいた。ただし目は笑っていなかった。
「あ……アーサー?」
「ふふっ。私ね、君が女の子と仲良くなってくれるのは全然かまわないのよ?」
一歩ずつ近付いてくる彼女の靴音が石畳に響くたび心臓が跳ねる。
「だけどねぇ~」
トンッと指先が俺の胸板を押した。 バランスを崩しそうになり咄嗟に腕を伸ばすと逆に手首を掴まれてしまった。
そのままグイッと引き寄せられて至近距離で対面することになる。彼女の吐息が唇に触れる距離だ。
「……リアスちゃんみたいに強引な手段を使ってまで君を誘惑する娘を見逃すほど優しくはないんだよぉ~?」
耳元で囁かれる悪魔の囁き。ゾクリとした戦慄が背筋を駆け上る。
「ち、違いますって!!決してそういうつもりじゃなくてですね!!!」
慌てて否定するものの全く信用されないどころかギリィッと更に力を込められてしまい痛みに顔を歪める羽目になった。
「……ねぇ?聞こえてなかったフリしてもダメだからね?」
天使のような微笑みを湛えているはずなのに瞳孔が完全に開ききってしまっていることから容易に分かるように明らかに激昂状態にある模様。どうやら相当お怒りのご様子でいらっしゃるようです。
「……とりあえず座りましょうか♪」
ガシリ。
抵抗する間もなく引きずられる形で隣の席へと連行される俺であった。
「さてさて」
ポカンとした表情で成り行きを見守るしかない状況下において突然口火を切ったのは当然のごとく我が婚約者殿だったのであるが何やら雲行きが怪しいぞコレェ!?
「リアスちゃ~ん♡今日はわざわざ来てくれてありがと~う!」
キャピッ☆っと擬音が付きそうなほどのテンションの高さと軽やかさで挨拶をしてみせるものの次の瞬間に飛んできた言葉がもうすでに尋常じゃなかった。
「さて、私のヤマタ君を気に入ってくれて、ありがとうね、彼、素敵でしょ」
そうして、腕を組んで、笑みを浮かべる。
「・・・えぇ、そうね、とても素敵な殿方ね、貴方はどんな方を想定されていたのですか?」
リアスが口元を手で隠しながらそう訊ねた。
その仕種もどこか上品で艶めかしさすら感じるのだが今はそれどころではないのだよなぁまったくもうホント困りますよねハイ。
「うーん・・・そうだねぇ。彼みたいなタイプかな?」
アーサーがニヤリと笑みを浮かべながら答えたことで場の空気が一変する。
リアスはキョトンとした後にフッと吹き出して笑う。
「えぇ、その通りね。私もそう思うわ」
一瞬だけ間を置いてから続ける。
「あなたのいう通りよ。彼はとても優秀な人材だと思う。私としても是非とも手に入れたいと思わせるくらいにね」
そこで一旦区切ると再び視線を合わせてきた。
今度は少し挑発するような目つきだった。
「さてとそれじゃあ早速始めようかしら。私たち二人の戦いを」
その宣言と共に両者の間に電流が走るような錯覚に陥る程の緊迫感が漂った気がした。
この二人が何を始めたのか?それは誰にも分からないだろう。
ただ一つ言えることがあるとすればこれから先の未来永劫この三人の関係性が変わることは無いだろうということぐらいである。
なぜならばこの世界において彼らほど互いを理解しあった存在など他にいなかったからである。