王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記- 作:ボルメテウスさん
談話室へ戻った時、真っ先に反応したのはココだった。
彼女はいつもの笑みを浮かべたまま、俺と百さんを交互に見る。視線が妙に細かい。距離、立ち位置、目の向け方、そういうものを全部拾っている顔だった。
「へぇ。モモちゃん、昨日よりずいぶん雰囲気が変わったねぇ」
「何のことだ」
百さんはすぐに返した。
ただ、返すまでの間がほんの少しだけ遅い。
「隣に立つ位置とか、目線とか、いろいろ?」
「余計な観察だ」
「否定が遅い」
リンカが淡々と追撃する。
「リンカ、そこは見逃してくれないかな」
「無理」
「即答か……」
俺が軽く頭を抱えると、アーサーは楽しそうに笑った。
「無理だよ、ヤマタ君。うちの子たちはみんな観察眼が鋭いから」
「その筆頭が君だろう、アーサー」
「褒められた」
「褒めていない」
百さんの声はいつも通りに聞こえる。
背筋も伸びているし、腰には剣も戻っている。けれど、昨日までとは違っていた。俺の少し後ろではなく、隣に近い場所へ自然に立っている。
その変化を、たぶん全員が気づいている。
気づいていないふりをしてくれる者は、残念ながらこの部屋にはいなかった。
ココが机に肘をつき、面白そうに笑う。
「で、今日は新しい奥方の顔見せ?」
「ココさん、その言い方はやめませんか」
「事実確認だよ」
「確認の仕方が悪いです」
俺の胃が早くも痛くなり始めたところで、アーサーがぱんと手を叩いた。
「さて。モモちゃんが正式にこっち側に寄ってくれたところで、次の面白い話をしようか」
「その言い方、だいたい良くない話ですよね」
「うん。ズヌイの逃げ道を一つ潰そうかと思って」
場の空気が少し変わった。
百さんの目つきが将軍のものに戻る。
ココの笑みも、商人のそれへ変わった。リンカは無言で壁際に立ち、警戒するようにアーサーを見る。
「ズヌイ兄さんの逃げ道?」
「正確には、婚約者の話かな」
「婚約者?」
ズヌイ兄さんには、確かに複数の女の影がある。利益、快楽、交渉、保険。あの人にとって人間関係の多くは、使えるかどうかで分けられる。だから婚約者と聞いても、素直な恋愛の話だとは思えなかった。
百さんが先に口を開く。
「第四王子ズヌイの婚約者となれば、商業勢力か、国外の有力者か」
「正解。しかもかなり大物だよ」
アーサーは笑いながら、まるで切り札を見せるように名前を告げた。
「ララ・サタリン・デビルーク。デビルーク王国の第一王女。今のところ、ズヌイの婚約者ってことになってる子」
「第一王女……」
リンカが短く呟く。
百さんの眉がわずかに動いた。
「魔族国家の一つ、デビルーク王国の王女か。国を一つ背負う婚約だな」
「そう。ズヌイにとっては、王位継承に失敗した時にデビルークへ婿入りするための保険」
「……保険って」
言葉が思わず口からこぼれた。
婚約者を、保険。
人を、逃げ道の一つとして扱う。
ズヌイ兄さんらしいと言えば、らしい。けれど、それで納得できるかは別だった。
ココは笑みを崩さずに言う。
「保険としては優秀だね。王族の肩書き、魔族国家の後ろ盾、外交カード。ズヌイ君らしい選び方だよ」
「デビルーク側にも利はある。ズヌイの人脈と商才を利用できるなら、王の判断としては理解できる」
百さんの声は冷静だった。
将軍として、貴族として、国と国の関係を見ているのが分かる。
けれど、俺が最初に気になったのはそこではなかった。
「それで、ララさん本人はどう思ってるんですか」
部屋が一瞬だけ静かになる。
ココが目を細めた。
「そこを最初に聞くんだ」
「ヤマタ様らしい」
リンカが短く言う。
アーサーは、予想通りだと言いたげに笑っていた。
「だから面白いんだよねぇ」
「だって、婚約者ってことは、その人の人生も関わってるんですよね。ズヌイ兄さんの保険扱いされてるなら、本人は納得してるんですか」
「してないよ」
「やっぱり」
アーサーは椅子に腰を下ろし、机の上で指を組む。
「ララちゃんは馬鹿じゃないからね。自分がどう見られてるかくらい、ちゃんと分かってる。明るくて自由で、楽しいことが好きな子だけど、王女としての自分がどう使われているかは理解してる」
「ならば、ズヌイとの関係は良好ではないのだな」
「表面上は婚約者。中身は冷え冷え。ララちゃんはズヌイのところにいても退屈してるし、ズヌイはズヌイで、ララちゃんを“明るくて扱いづらい保険”くらいに思ってる」
「言い方がひどい」
「でも、だいたい合ってる」
アーサーは悪びれない。
俺は思わず息を吐いた。
まだ会ってもいない相手なのに、少し胸の奥が重くなる。明るい王女が、誰かの逃げ道として置かれている。その状況が、どうにも気持ち悪かった。
「それなら、ちゃんとズヌイ兄さんと話した方がいいんじゃないですか」
「ララちゃんもそう言ってたよ。ズヌイに別れを告げるって」
「なら、もう決着はついているのではないか」
百さんが当然のように言う。
だが、アーサーはそこで笑った。
「ううん。まだ言わせてない」
「……はい?」
嫌な予感がした。
ココが楽しそうに目を細める。
「あ、嫌な予感」
「同じく」
リンカも淡々と続ける。
アーサーは満面の笑みを浮かべた。
「だって、それを伝えるのは最高に盛り上がるいいタイミングがあるから」
「アーサー」
百さんの声が低くなる。
「だから私、ララちゃんにお願いしたんだ。今は表面上、今まで通りズヌイの婚約者として過ごしてねって」
「何してるんですか!?」
「仕込み」
「悪びれずに言わないでください!」
俺の声に、アーサーは楽しそうに肩を揺らす。
「大丈夫だよ。ララちゃんも楽しそうだったし」
「楽しそうならいいって話じゃないです」
「でも、ヤマタ君といる方が楽しいからこっちに来るって言ったの、ララちゃん本人だよ?」
「……それを俺に黙って進めないでほしい」
「ヤマタ君に先に言ったら、止めるでしょ?」
「止めますよ」
「だから言わなかった」
「堂々と言わないでください」
百さんが静かに額へ手を当てた。
「敵に回したくないという評価を、今さらに更新した」
「同感」
リンカが即答する。
ココは笑っていたが、その目はアーサーの盤面を読もうとしていた。
「いやぁ、これは悪い女だね」
「ココちゃんに言われると褒め言葉に聞こえるなぁ」
「褒めてるよ。半分くらい」
「残り半分は?」
「警戒」
「正しいね」
アーサーは楽しげに返す。
この人は、本当に悪びれない。ララさんを助ける気があるのは分かる。けれど、同時にズヌイ兄さんへ最大効率で打撃を入れることまで考えている。
善意と悪意が、同じ笑顔の中に並んでいる。
「デビルーク第一王女がヤマタ側へ傾くとなれば、ズヌイ一人の問題では済まない」
百さんが言う。
「下手をすれば、デビルーク王国そのものを盤上に乗せることになる」
「商売として見てもかなり大きいよ。ズヌイ君の逃げ道を潰すだけじゃない。外交カードを奪うことになる」
ココも続けた。
国。商売。外交。
どれも無視できない話だ。
だけど、俺の中で一番大きかったのは、やはりそこではない。
「まずは、ララさん本人と話します」
アーサーがにやりと笑う。
「そう言うと思った」
「分かってて言わせましたね」
「だってヤマタ君なら、国とか価値とかより先に、ララちゃん本人を見るでしょ?」
否定できなかった。
百さんがこちらを見る。
その目は少し呆れていて、それでも柔らかい。
「そこが君の危うさであり、強みでもある」
「また面倒な人が来る」
リンカが言った。
「その言い方やめてくれない?」
「事実」
「味方がいない」
俺が肩を落とすと、アーサーは楽しそうに立ち上がった。
「じゃあ、次はララちゃんと正式にお茶会だね」
「普通のお茶会でお願いします」
「普通に始まるかは保証しないけど」
「保証してください」
「ふふっ。ズヌイが一番嫌がるタイミングまで、ララちゃんの本音は取っておくよ」
百さんが低く呟く。
「本当に悪い女だ」
「ありがとう、モモちゃん」
「褒めていない」
談話室に軽い笑いが落ちる。
俺はまた胃が痛くなる予感を覚えた。
百さんは隣で静かに立っている。さっきまで俺の隣で休める場所を知った人は、今はもう将軍として次の盤面を見ていた。
そしてアーサーは、そのさらに先を見ている。
まだ姿を見せていないデビルーク第一王女。
ズヌイ兄さんの保険として置かれ、けれどすでにそこから抜け出そうとしている少女。
その名前が、俺たちの盤面に置かれた。
ララ・サタリン・デビルーク。
次に俺が会うことになる、明るくて面倒で、きっと放っておけない人の名前だった。