王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記- 作:ボルメテウスさん
ララが再び来る。
その事実だけで、談話室の空気はどこか落ち着かなかった。
いや、正確には落ち着いていないのは主に俺だけで、アーサーは楽しそうにしているし、ココさんは面白い商談でも待つような顔をしている。リンカは壁際で無表情。百さんは俺の隣に立ち、いつものように背筋を伸ばしていた。
「今日は、普通に来てくれるんですよね?」
俺が確認すると、アーサーは紅茶のカップを傾けながら笑った。
「ララちゃんに普通を期待するのは、少し酷じゃないかな」
「来る前から胃が痛いんですけど」
「デビルーク第一王女が再訪する以上、気を抜くべきではない。彼女は明るいが、政治的には極めて危険な存在だ」
百さんの声は冷静だった。
確かにララさんは明るい。けれど、その肩書きはデビルーク王国の第一王女であり、ズヌイ兄さんの婚約者でもある。軽い気持ちで受け入れていい相手ではない。
「でも、危険な子ほど面白いよねぇ」
ココさんが笑う。
「面倒な予感」
リンカが短く言った。
「せめて会ってから判断しよう?」
俺がそう言った直後、庭園側から奇妙な羽音のようなものが聞こえた。
次の瞬間、窓の外に小型の飛行装置に乗ったララさんが現れる。桃色の髪を揺らしながら、彼女は満面の笑みで手を振っていた。
「ヤマター! 遊びに来たよー!」
「やっぱり普通じゃなかった!」
「ほら、期待通り」
「期待してません」
百さんが低く返す。
「窓から来る王女」
リンカが呟くと、ココさんが肩を揺らして笑った。
「肩書きだけでもう面白いね」
ララさんは飛行装置から軽やかに降り、窓を開けて入ってくる。警備の人たちが遠くで慌てているのが見えたので、俺はあとで謝ろうと心に決めた。
「今日はね、ヤマタに見せたいものがあるの!」
「見せたいもの?」
「これ! 自動お手伝いくん!」
ララさんが取り出したのは、丸い胴体に細いアームが何本もついた小型の機械だった。目のような部分が光り、ぴこぴこと動いている。
「書類とかお茶とか荷物とか、何でも運んでくれるんだよ!」
「それは普通に便利そうですね」
「待て」
百さんが一歩前に出た。
「安全性は確認済みか?」
「もちろん! たぶん!」
「たぶんと言ったな」
その一言で、談話室の全員が身構えた。
「モモちゃん、構えて」
「言われずとも」
「これは荒れるねぇ」
「いや、まだ動かす前から決めつけるのは……」
俺が最後まで言う前に、ララさんは楽しそうに発明品のスイッチを押した。
「起動!」
小型機械は軽快な音を立てて動き始めた。
最初は順調だった。机の上のカップを持ち上げ、こぼさないように運ぶ。散らばっていた紙を一枚ずつ重ねる。俺は少しだけ感心した。
「おお、ちゃんと動いてる」
「でしょでしょ!」
「珍しく平和に終わるかな?」
アーサーがそう言った瞬間、リンカが低く呟く。
「フラグ」
その言葉通りだった。
「オテツダイ、オテツダイ」
機械の目が急に強く光り、机の上の書類をまとめて持ち上げようとした。
「あれ、何か机の書類を全部持っていこうとしてません?」
「あ、それ私の契約書」
ココさんがすぐに手を伸ばす。
「私の短剣を持っていった」
リンカが無表情のまま機械を追う。
さらに機械のアームが、百さんの腰の剣へ伸びた。
「待て。私の剣に触れるな」
次の瞬間、百さんの動きが消えた。
いや、消えたように見えた。
剣へ伸びたアームを手首で押さえ、機械の動きを止める。リンカは横から短剣を取り戻し、ココさんは契約書を確保していた。アーサーだけは、笑いながら紅茶を飲んでいる。
「あれ? もしかして、片付けモードが強すぎた?」
「もしかしなくても強いです!」
百さんは機械を押さえたまま、ララさんを見る。
「ララ王女。これは便利道具ではなく、小規模な略奪兵器だ」
「そんなつもりじゃなかったんだけどなぁ」
「危険物」
「でも、商売に使えそうではあるね」
「ココさん、今そこを見ないでください」
なんとか機械は停止した。
大きな被害はない。書類が散り、カップが少し揺れ、リンカの短剣と百さんの剣が狙われただけだ。いや、それだけでも十分問題なのだが。
ララさんは停止した機械を見下ろし、少しだけ肩を落とした。
「ごめんね、ヤマタ。手伝おうと思ったんだけど、失敗しちゃった」
さっきまでの明るさが、ほんの少しだけ薄くなる。
それを見て、俺はすぐに首を振った。
「怪我人がいなくてよかったです」
「怒らないの?」
「怒るより、次にどう直すか考えた方がいいと思います」
「次?」
「はい。発想は便利だと思いました。だから次は、安全確認をもう少し丁寧にしましょう」
ララさんは目を瞬かせた。
「……ヤマタ、変だね」
「また変って言われた」
「失敗したのに、次の話をしてくれるんだ」
「失敗したから次の話をするんじゃないですか?」
ララさんはしばらく黙っていた。
その顔からは、さっきまでの無邪気な勢いが少し消えている。代わりに、何かを確かめるような静けさがあった。
やがて、彼女はぱっと笑った。
「やっぱり、ここ楽しい」
「今ので楽しいんですか?」
「うん。失敗しても、つまんなくならないから」
百さんが小さく息を吐く。
「……なるほどな」
「モモちゃん、分かった?」
アーサーが楽しげに尋ねる。
「ああ。彼女は遊びに来ているのではない。退屈しない場所を探している」
「そして見つけた」
リンカが短く続けた。
「俺の胃には優しくない発見ですね」
俺がそう言うと、ララさんはすっかり元気を取り戻したように、停止した発明品を抱え上げた。
「じゃあ、次はもっと安全な改良版を作ってくるね!」
「次も来る前提なんですね」
「もちろん! だってここ、楽しいもん!」
百さんが即座に口を開く。
「来訪前には連絡を入れろ。窓から入るな。発明品は起動前に確認させろ」
「モモってお母さんみたい!」
「誰が母だ」
「保護者」
リンカの追撃に、ココさんまで乗る。
「向いてるよ、モモちゃん」
「貴様らまで……」
百さんが額を押さえる。
けれど、完全に拒絶しているわけではなさそうだった。
やがて、ララさんが帰る時間になった。
彼女は今も、表面上はズヌイ兄さんの婚約者だ。
その事実を思い出すと、少しだけ胸が重くなる。
「ララさん。無理はしないでくださいね」
「うん! でも大丈夫。ヤマタのところに来る楽しみができたから!」
「……それなら、よかったです」
「また来るね!」
ララさんは発明品を抱えたまま、来た時と同じように明るく去っていった。
その背中を見送りながら、アーサーが満足そうに笑っている。
百さんは何かを考えるように黙っていた。リンカは「次は窓を閉める」と呟き、ココさんは発明品の商業利用について本気で考えている顔をしていた。
そして、その日の夕方。
ズヌイ兄さんの客間へ戻ったララさんは、隠しきれないほど楽しそうだった。
「……随分と楽しそうだな、ララ」
ズヌイ兄さんがそう言うと、ララさんは反射的に笑顔で答えた。
「うん! 今日はすっごく面白かったよ!」
「どこで、だ?」
「あっ」
ララさんの表情が固まる。
誤魔化そうとしているのは明らかだった。
ズヌイ兄さんは、そんな彼女をじっと見た。
「……アーサーか」
「えっ、何のこと?」
「いや。何でもない」
ズヌイ兄さんは笑った。
だが、その笑みは楽しげなものではない。
商人が不利な契約の匂いを嗅ぎ取った時のような、薄く鋭い笑みだった。
ララさんの変化。
アーサーの影。
そして、まだ見えていない誰かの存在。
ズヌイ兄さんはようやく、自分の保険が、別の誰かの手で動き始めていることに気づきかけていた。