※この作品はR-18です。

王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記-   作:ボルメテウスさん

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笑顔の値踏み、届かない贈り物

 その日の空は、妙に白かった。

 

 晴れているのに、陽射しだけが薄い。雲はないのに、どこか膜を張ったような光が王城の回廊に落ちていた。庭園の葉も、石畳も、いつもより色を失って見える。

 

 こういう日は、だいたい何かが起きる。

 

 俺の経験則は、残念ながらよく当たる。

 

「ヤマタ君、顔がもう胃痛だよ」

 

 談話室に戻ってきたアーサーが、開口一番そんなことを言った。

 

「まだ何も聞いてません」

 

「じゃあ、今から聞いたらもっと痛くなるね」

 

「聞きたくないです」

 

「でも聞くでしょ?」

 

「聞きますけど」

 

 俺が椅子の背もたれに沈むと、アーサーは向かいに腰を下ろした。百さんは俺の隣に立ったまま、腕を組んでいる。ココさんはソファで脚を組み、リンカは壁際でいつものように影のように佇んでいた。

 

 アーサーの手には、まだ外の冷たさが残っているように見えた。指先がカップに触れる前、ほんの少しだけ止まる。

 

「ズヌイ君に会ったよ」

 

 思わず、背筋が伸びた。

 

「向こうからですか?」

 

「うん。偶然を装ってね。王城の渡り廊下で、ちょうど私が通る時間に、ちょうどズヌイ君がいた」

 

「それは偶然じゃないですね」

 

「もちろん」

 

 アーサーは紅茶を一口飲む。何でもない顔をしているのに、唇の端だけがわずかに上がっていた。

 

「何を話したんですか」

 

「ララちゃんのこと」

 

 百さんの目が細くなる。

 

「早いな」

 

「早いよ。さすが商人。自分の帳簿に見覚えのない数字が一つ混ざっただけで気づく」

 

 アーサーは楽しそうに言う。

 それから、まるで芝居の台詞をなぞるみたいに、その時の会話を再現してくれた。

 

 ズヌイ兄さんは、まずこう言ったらしい。

 

「よう、アーサー。最近、ずいぶん楽しそうじゃねぇか」

 

 アーサーは笑って返した。

 

「私はいつも楽しいよ。ズヌイ君こそ、少し顔が商談中みたいだね」

 

「商談中じゃねぇ。損益確認中だ」

 

「へぇ。何か損でもした?」

 

「まだ損とは決まってねぇ。ただ、俺の持ち物が少しばかり妙な動きをしてる」

 

 その言い方で、俺は思わず眉を寄せた。

 

 持ち物。

 

 たった一言なのに、胸の奥に砂を噛んだような感触が広がる。

 

 アーサーはそこで、少しだけ声を低くして続けた。

 

「持ち物?」

 

「婚約者、と言い換えた方が綺麗か?」

 

「ララちゃんは物じゃないよ?」

 

「お前がそれを言うのか」

 

「私だから言うんだよ」

 

 そこでズヌイ兄さんは、少し黙ったらしい。

 

 その沈黙が、妙に想像できた。笑っている顔のまま、目だけで値段を測るような沈黙。あの人は、怒鳴るより先に計算する。相手の言葉がどこから来たのか、どこへ向かうのか、頭の中で線を引く。

 

「ズヌイ君、かなり引っかかってたよ」

 

 アーサーは指先でカップの縁をなぞる。

 

「ララちゃんを物じゃないって言ったことに、ですか?」

 

「うん。あれで、私がララちゃん本人の意思に触れてるかもしれないって気づいた」

 

「……わざとですよね」

 

「もちろん」

 

 軽い声だった。

 

 けれど、その軽さが余計に怖い。

 

 百さんが静かに言う。

 

「ズヌイは、君がララ王女を動かしたと見たか」

 

「半分正解。半分不正解。だから面白い」

 

「面白がらないでください」

 

 俺が言うと、アーサーは笑った。

 

「ごめんね。でも、ズヌイ君も楽しそうだったよ」

 

「楽しそう?」

 

「商人が、見えない相手の値札を探す顔」

 

 ココさんがくすりと笑う。

 

「いい顔だねぇ、それ」

 

「ココさんもそっち側なんですね」

 

「私は基本、商人側だよ」

 

「知ってました」

 

 アーサーは続ける。

 

 ズヌイ兄さんは、ララさんが最近妙に楽しそうだと言ったらしい。退屈していた女が、急に玩具を見つけた顔をしている、と。

 

「誰が遊び相手になった?」

 

「さあ?」

 

「とぼけるなよ。お前の侍女筋が動いたのは掴んでる」

 

「さすがズヌイ君。鼻がいいね」

 

「商人は匂いで損を避ける」

 

「じゃあ、今回は避けられるといいね」

 

「……挑発か?」

 

「助言だよ」

 

「どっちにしても性格が悪い」

 

「ありがとう」

 

「褒めてねぇ」

 

 そこまで聞いて、リンカが短く呟いた。

 

「似た者同士」

 

「リンカ、さすがにそれは失礼じゃない?」

 

「どちらに?」

 

 俺は答えられなかった。

 

 百さんも答えなかった。

 

 アーサーだけが、楽しそうに肩を揺らす。

 

「それで、ヤマタ君の名前は?」

 

「出してないよ。まだ」

 

「まだ、が怖いんですけど」

 

「正確には、ズヌイ君の方がまだ辿り着いてない。私が見せたのは、私が関わっていることだけ。ヤマタ君は奥に置いてある」

 

「俺を物みたいに言わないでください」

 

「ごめんごめん。奥に隠してある」

 

「言い直してもあんまり変わってません」

 

 すると、百さんがアーサーを見た。

 

「自分を囮にしているのか」

 

「うん」

 

 あまりにもあっさりした返事だった。

 

 俺は反射的に声を上げる。

 

「それ、危なくないですか?」

 

「私は危なくていいんだよ」

 

「よくないです」

 

「ヤマタ君が前に出る方がよくないよ」

 

 アーサーの声から、笑いが少しだけ消えた。

 

 窓の外の白い光が、いつの間にか薄くなっている。雲はない。けれど、影だけが濃くなっていた。

 

「ズヌイ君は、ララちゃんを損益で見る。デビルーク第一王女。婚約者。逃げ道。保険。使えるカード。だから、ヤマタ君がいきなり前に出ると、君自身も値踏みされる」

 

「……」

 

「君はララちゃんを見る。私は盤面を見る。モモちゃんは危険を見る。役割を分けよう」

 

 言っていることは分かる。

 

 分かるのに、喉の奥が少し詰まった。

 

「ララさんの気持ちを、戦略材料みたいに扱いたくないです」

 

 アーサーはすぐに返さなかった。

 

 カップを置く音が、小さく響く。

 

「扱ってるんじゃない。守るために、置き場所を選んでる」

 

「置き場所って言い方がもう嫌です」

 

「じゃあ、舞台」

 

「それも嫌です」

 

「選択の瞬間」

 

 その言葉だけ、少し違って聞こえた。

 

 アーサーの目が、まっすぐこちらを見る。

 

「ララちゃんが自分で選ぶ。その瞬間を、ズヌイに潰されない場所へ置く。ついでに、一番効く場所ならなお良し」

 

「最後の一言で台無しです」

 

「私らしさも大事でしょ?」

 

「大事じゃないです」

 

 軽口で返したのに、胸の奥の引っかかりは消えなかった。

 

 ララさんは、失敗した発明品を抱えて少しだけ肩を落とした。

 でも、次の話をしたら、すぐに目を輝かせた。

 

 あの顔を、盤面の一部として見たくない。

 

 俺が黙っていると、百さんが横から口を開いた。

 

「ヤマタ。君がララ王女本人を見るなら、誰かが盤面を見なければならない」

 

「……分かってます」

 

「分かっていても、飲み込みにくいのだろう」

 

「はい」

 

 百さんは少しだけ視線を下げた。腰の剣の柄に指が触れる。触れただけで、握りはしない。

 

「なら、飲み込めない部分は残しておけ。無理にアーサーと同じ顔をする必要はない」

 

 アーサーが笑った。

 

「モモちゃん、優しいねぇ」

 

「茶化すな」

 

「照れてる?」

 

「斬るぞ」

 

「はいはい」

 

 そのやり取りに、少しだけ息が抜けた。

 

 全部を飲み込めなくてもいい。

 そう言われた気がした。

 

 俺は、アーサーと同じようには笑えない。ズヌイ兄さんのように損益では測れない。ココさんみたいに商売として割り切れない。リンカみたいに即座に刃の位置を決めることもできない。

 

 でも、ララさんがまた来た時、たぶん俺は窓の鍵を確認してしまう。百さんに怒られると分かっていても。

 

 その日の夜、ズヌイ兄さんはララさんへ贈り物をしたらしい。

 

 これも後でアーサーの筋から聞いた話だ。

 ただ、その場面は妙にはっきり想像できた。

 

 ズヌイ兄さんの客間。窓の外には夜の庭園。机の上には、黒い箱。中に収められていたのは、北方鉱山から出た魔導結晶だった。

 

 透明な石の中心に、青白い光が脈のように走る希少素材。加工すれば、発明品の動力核にも使えるらしい。

 

「ララ。これをやる」

 

「なになに?」

 

「北方鉱山から出た魔導結晶だ。加工すれば、発明品の動力核に使える」

 

「わぁ、すごい! これ、なかなか手に入らないやつだよね?」

 

「お前なら使えるだろ」

 

「うん! ありがとう、ズヌイ!」

 

 ララさんはきっと、目を輝かせただろう。

 彼女は発明が好きだ。珍しい素材を渡されれば、素直に喜ぶ。

 

 ズヌイ兄さんも、それを分かっていたはずだ。

 

「気に入ったか」

 

「うん! これなら、もっと安全な自動お手伝いくんを作れるかも!」

 

「自動……何だ?」

 

「あっ」

 

 たぶん、そこで空気が止まった。

 

 ララさんは隠し事が下手だ。

 顔に出る。声に出る。楽しいことが、全部そのまま外へ跳ねる。

 

 ズヌイ兄さんは、カップに触れていた指を止めたらしい。

 

 そしてララさんは、魔導結晶を両手で持ったまま、ぽろりとこぼした。

 

「これ、ヤマタに見せたらどんな顔するかな?」

 

 その名前が、夜の部屋に落ちた。

 

 ヤマタ。

 

 ただの一語。

 

 けれど、商人にとっては十分だったのだと思う。

 

「……ヤマタ?」

 

「あ」

 

「今、何と言った?」

 

「えっと……何でもない!」

 

「何でもない顔じゃねぇな」

 

「ズヌイ、そういうところ本当に鋭いよね」

 

「商売人だからな」

 

「でも、怒らないの?」

 

「怒るには、まだ情報が足りねぇ」

 

「そこなんだ」

 

「そこだ」

 

 ララさんは、きっと困ったように笑っただろう。

 ズヌイ兄さんは、きっと表情を大きく変えなかっただろう。

 

 でも、カップの取っ手に添えた指だけは、しばらく動かなかったはずだ。

 

 贈り物は、ララさんの手元には届いた。

 けれど、その光はズヌイ兄さんの方へ返らず、別の名前の方へ跳ねた。

 

 俺の名前へ。

 

 翌朝、その話を聞いた時、俺はしばらく言葉が出なかった。

 

「……それ、もう隠せてないですよね」

 

 やっと絞り出すと、アーサーは紅茶を飲みながら微笑んだ。

 

「ララちゃんだからね」

 

「想定内ですか?」

 

「半分くらい」

 

「残り半分は?」

 

「可愛い誤算」

 

「可愛くないです」

 

 百さんが窓の外を見た。

 

 朝の光は昨日と違って、少しだけ輪郭が濃かった。庭園の葉先に露が残り、陽を受けて小さく光っている。綺麗なのに、踏めばすぐに消えてしまいそうな光だった。

 

「ズヌイは動くぞ」

 

「でしょうね」

 

 アーサーの声は静かだった。

 

「ヤマタ君」

 

「はい」

 

「そろそろ、奥に隠れているだけじゃ済まないかも」

 

「……そうですね」

 

 俺は自分の手を見る。

 

 剣を持つ手ではない。商談の書類を捌く手でもない。誰かを盤上へ置くことに慣れた手でもない。

 

 でも、ララさんがまた発明品を抱えて来たら、その重さくらいは受け取れるかもしれない。

 

 ズヌイ兄さんは、俺の名前を拾った。

 アーサーが隠していた盤面の奥に、薄い線が一本引かれた。

 

 その線の先に、俺がいる。

 

 胃の辺りがきりきりと痛む。

 けれど、不思議と椅子から立てないほどではなかった。

 

 窓の鍵は、昨夜のままだ。

 閉まっている。けれど、開け方は分かっている。

 

 ララさんが次に来る時、扉から来るとは限らない。

 

 その時、俺はきっとまた文句を言う。

 百さんは眉をひそめる。リンカは窓を警戒する。アーサーは笑う。

 

 そして俺は、たぶん言ってしまうのだ。

 

 次は、安全確認をしましょう、と。

 

 それが俺にできる、今のところ一番小さくて、一番譲れない戦い方だった。

 

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