※この作品はR-18です。

王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記-   作:ボルメテウスさん

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商談

 商談の部屋は、妙に静かだった。

 

 王城の一角にある応接室。窓からは庭園が見える。朝から晴れているはずなのに、空は薄い雲を一枚かぶったようで、差し込む光は柔らかいというより、どこか冷めていた。

 

 机の上には、紅茶のカップが人数分。

 触れてもいないのに、湯気だけが少しずつ細くなっていく。

 

 俺は椅子に座り、膝の上で手を開いたり閉じたりしていた。

 

 背筋。

 顎。

 呼吸。

 

 百さんに言われたことを、頭の中で一つずつなぞる。

 

「ヤマタ君」

 

 隣に座るアーサーが、口元だけで笑った。

 

「胃薬いる?」

 

「商談前にその確認をされるの、かなり嫌なんですけど」

 

「リンカちゃんが予備を持ってるよ」

 

 壁際のリンカが、小さな包みを指で挟んで見せた。

 

「即効性」

 

「本当に用意してる……」

 

「必要になる」

 

「断言しないで」

 

 俺が小さく息を吐くと、向かいのココさんが書類を整えながら笑った。

 

「まあまあ。今日は商談だよ。剣も魔法も飛ばない。安全安全」

 

「ココさんがそう言うと逆に信用できないです」

 

「鋭くなったねぇ、ヤマタ君」

 

「日々鍛えられてますから」

 

 軽口を叩いても、指先の冷たさは残っていた。

 

 その時、扉が叩かれた。

 

 こん、こん、と二回。

 

 大きな音ではない。

 なのに、机の上のカップが一瞬だけ重くなった気がした。

 

 扉が開く。

 

 ズヌイ兄さんが入ってきた。

 

 派手な服装ではない。けれど、布地の質も、指輪の光り方も、歩き方も、どれも安くなかった。後ろには商会員が一人。必要最低限の人数。それだけで、この場が戦場ではなく市場だと言われているようだった。

 

「待たせたな、ヤマタ」

 

「いえ。こちらこそ、お時間をいただきありがとうございます」

 

 立ち上がって頭を下げる。

 

 顔を上げた時、ズヌイ兄さんの目と合った。

 

 笑っている。

 でも、その目は笑っていない。棚に並んだ品物の傷を探す商人の目だった。

 

「第五王子殿下と、こうして落ち着いて話すのは初めてだな」

 

「そうですね」

 

「ずいぶん背筋がいいじゃねぇか」

 

 言われた瞬間、肩がわずかに強張った。

 

 けれど、視線は逸らさなかった。

 

「最近、姿勢を直されることが多いので」

 

 横で百さんが小さく咳払いをした。

 

 ズヌイ兄さんの視線が、百さんへ流れる。

 

「帝国将軍に姿勢を直される末弟王子、か。ずいぶん豪華な教育係だ」

 

「誰かの教育係になった覚えはない」

 

 百さんの返答は短い。

 

 ズヌイ兄さんは楽しそうに口角を上げた。

 

「そうかい」

 

 席につく。

 

 それだけで、部屋の空気が一段低くなった。

 

 最初に口を開いたのはココさんだった。

 

「では、まずはデビルークとの交易に関する確認から始めようか。今回の議題は、発明素材、魔導鉱石、加工品の流通経路について。合ってるかな?」

 

「ああ。特に、ララが興味を示す素材については、今後も需要が見込める」

 

「発明家としての需要? それとも第一王女としての需要?」

 

「どっちもだ。価値のあるものは、使い道が多いほど高い」

 

「いいねぇ。商人らしい答えだ」

 

 ココさんとズヌイ兄さんの会話は、穏やかだった。

 

 穏やかすぎて、逆に怖い。

 

 紙をめくる音。

 カップの縁を指先が叩く音。

 ココさんの笑い声。

 その全部が、刃物を布で包んで机に置いているように聞こえた。

 

「ララ様の発明には、魔導結晶の安定供給が必要になる。ただし、デビルーク側へ直接流すとなると、ドラグウェル国内の鉱山利権にも触れる」

 

「そこを調整するのが商人の仕事だろ」

 

「もちろん。だからこそ、誰の名義で流すかが大事になる」

 

「ココ・ヘクマティアの名義か?」

 

「それも一案だね」

 

「ヤマタの名義では?」

 

 急にこちらへ話が向いた。

 

 俺は、一拍だけ遅れた。

 

 商業の話は、正直なところ全部を理解できていたわけではない。けれど、今の問いがただの確認ではないことくらいは分かる。

 

 ココさんが俺を見る。

 アーサーは何も言わない。

 百さんも口を挟まない。

 

 俺は、膝の上で握りかけた手を開いた。

 

「俺の名義で動かすには、まだ分からないことが多すぎます」

 

「正直だな」

 

「嘘をついたら、すぐ見抜かれそうなので」

 

「見抜くさ」

 

 ズヌイ兄さんは笑った。

 

「商売が分からない王子が、商人を抱えている。面白い形だ」

 

「抱えている、というより、助けられてます」

 

「同じことだろ」

 

「たぶん、違います」

 

 ズヌイ兄さんの指が、カップの取っ手に触れたまま止まった。

 

 ほんの一瞬。

 

 それでも、見えた。

 

「違う、ねぇ」

 

 その声は軽い。

 けれど、目がこちらを測り直している。

 

 ココさんが笑顔で書類を一枚差し出した。

 

「名義の話なら、今すぐ結論を出す必要はないよ。ヤマタ君は商売人じゃない。だから私がいる」

 

「お前は、自分が利用されているとは思わないのか?」

 

 ズヌイ兄さんがココさんに言う。

 

「利用される価値があるうちは、商人として悪くないよ」

 

「相変わらずだな」

 

「褒め言葉として受け取っておくよ」

 

 その会話の間も、ズヌイ兄さんの視線は何度も俺へ戻ってきた。

 

 どこで反応するか。

 どこで口を挟むか。

 どこで黙るか。

 

 値札を貼る場所を探している。

 

 俺は紅茶に手を伸ばした。

 カップは少し冷めていた。指先の冷たさと、よく似ていた。

 

「それで」

 

 ズヌイ兄さんが、カップを置いた。

 

 かちん、と小さな音。

 

「ララの話だ」

 

 部屋の空気が変わった。

 

 ココさんが書類を閉じる。

 リンカの視線が扉へ向く。

 アーサーは笑わない。

 百さんの靴先が、俺の視界の端に入った。

 

 背筋。

 顎。

 呼吸。

 

「ララは俺の婚約者だ」

 

 ズヌイ兄さんの声は穏やかだった。

 

「お前は、あれをどうする気だ?」

 

 あれ。

 

 その一語が、机の上に落ちた。

 

 俺は思わず視線を落としかけた。

 その時、百さんの靴先が半歩だけ動いた。

 

 逃げるな。

 

 声はしなかった。

 でも、聞こえた気がした。

 

 俺は顔を上げる。

 

「ララさんをどう扱うか、という聞き方は嫌です」

 

 言ってから、自分でも驚いた。

 

 思ったより、声がまっすぐ出た。

 

 ズヌイ兄さんは、すぐには返さなかった。

 カップを持つ指だけが止まっている。

 

「あれは俺の婚約者だと言った」

 

「はい」

 

「デビルーク第一王女でもある」

 

「はい」

 

「価値の分からないものに触れると、火傷じゃ済まねぇぞ」

 

「そうだと思います」

 

「なら、引くか?」

 

 俺は紅茶の水面を見た。

 

 湯気はもうほとんどない。

 なのに、水面だけが小さく揺れていた。

 

「ララさんが来たいと言うなら、話は聞きます」

 

「それだけか?」

 

「それだけです。帰りたいなら見送ります。困っているなら、手を伸ばします」

 

「得にならなくても?」

 

「得かどうかは、俺には分かりません」

 

「分からないのに手を出すのか」

 

「本人を置いて話を進める方が、俺にはもっと分かりません」

 

 静かだった。

 

 静かすぎて、自分の呼吸の音が耳につく。

 

 ズヌイ兄さんは俺を見ていた。

 

 俺も、見返した。

 

 どれくらいそうしていたのか分からない。

 たぶん数秒。けれど、剣を向けられているより長く感じた。

 

 やがて、ズヌイ兄さんが口元を歪めた。

 

「……安くは買えねぇわけだ」

 

「俺、売り物じゃないです」

 

「そこも含めて面倒なんだよ」

 

 アーサーが小さく笑った。

 

「ね?」

 

「ね、じゃないです」

 

 俺が小声で返した時だった。

 

 扉の向こうから、ぱたぱたと軽い足音が近づいてきた。

 

 嫌な予感がした。

 

 というより、最近の俺はこの足音に覚えがありすぎる。

 

 扉が勢いよく開いた。

 

「発明素材の話してるって聞いた!」

 

 ララさんだった。

 

 桃色の髪を揺らし、目を輝かせ、手には何やら設計図らしき紙束を抱えている。

 

 部屋の中の空気を一切読まずに、ララさんは真っ直ぐこちらへ来た。

 

「ヤマタ! この前の安全確認メモ、すっごく役に立ったよ! 見て見て、改良案!」

 

「ララさん、今、商談中です」

 

「うん! だから来た!」

 

「だから?」

 

「素材の話なら私も聞きたいもん!」

 

 百さんが額に手を当てた。

 

「事前連絡を入れろと言ったはずだ」

 

「入れたよ?」

 

「いつ」

 

「扉の前で、今から入るねーって」

 

「それは連絡ではなく宣言だ」

 

 リンカが短く言う。

 

「突入予告」

 

「余計に悪く聞こえるんだけど」

 

 俺が小声で突っ込むと、ララさんは楽しそうに笑った。

 

「ねぇねぇ、ヤマタ。この素材、前の自動お手伝いくんの動力に使ったら安定すると思わない?」

 

 ララさんは何のためらいもなく俺の隣に来て、設計図を広げた。

 

 近い。

 相変わらず距離が近い。

 

 俺は慌てて身を引こうとしたが、椅子の背に当たって止まった。

 

「えっと、俺に見せられても専門的なことは分からないんですけど」

 

「でもヤマタ、安全確認は見てくれるでしょ?」

 

「それは、まあ……」

 

「ほら、ここ! 前に剣とか短剣を勝手に片付けようとしたから、武器識別機能をつけようと思って!」

 

「それはぜひお願いします」

 

 百さんが即答した。

 

「モモ、本当に剣を持っていかれたの気にしてるね」

 

「当然だ」

 

 ララさんは笑っている。

 

 自然に。

 いつも通りに。

 ズヌイ兄さんの前で、俺の側に立って。

 

 ズヌイ兄さんは何も言わなかった。

 

 ただ、見ていた。

 

 ララさんが俺に設計図を見せる手。

 俺が慌てながらも紙を押さえる手。

 百さんが距離を測るように少しだけ立ち位置を変える動き。

 アーサーが口元だけで笑う顔。

 

 全部を、見ていた。

 

「随分懐いてるな」

 

 ズヌイ兄さんが言った。

 

 ララさんはきょとんとした顔をする。

 

「懐く? 私?」

 

「違うのか?」

 

「うーん……ヤマタのところ、楽しいよ?」

 

 それは、何の飾りもない言葉だった。

 

 ズヌイ兄さんの指が、またカップの取っ手で止まる。

 

 俺は設計図の端を押さえたまま、顔を上げた。

 

「ララさんが来たいと言うなら、話は聞きます」

 

「さっきも聞いたな」

 

「何度聞かれても、たぶん同じことを言います」

 

「頑固だな」

 

「よく言われるようになりました」

 

「誰に」

 

 俺は横を見る。

 

 百さんとリンカとアーサーとココさんが、ほぼ同時に視線を逸らした。

 

「……周りにです」

 

「だろうな」

 

 ズヌイ兄さんは短く笑った。

 

 その笑いは、さっきより少しだけ温度が違った。

 侮っているわけでもない。認めていると言うには遠い。けれど、最初に部屋へ入ってきた時の、棚の商品を見るような目ではなかった。

 

 商談は、その後も続いた。

 

 デビルークとの交易。魔導結晶の流通。ララさんの発明品に関する安全確認。百さんの「発明品の事前検査義務化」要求。ココさんの利益計算。アーサーの楽しげな横槍。

 

 そして俺は、時々胃を押さえながら、それでも椅子から逃げ出さなかった。

 

 商談が終わり、ズヌイ兄さんが立ち上がる。

 

「ヤマタ」

 

「はい」

 

「お前、商売には向いてねぇな」

 

「自覚はあります」

 

「駆け引きも下手だ」

 

「それも自覚してます」

 

「だが」

 

 ズヌイ兄さんは、机の上に置かれたララさんの設計図を一瞥した。

 

 そこには、俺が書いた安全確認のメモが貼られていた。

 字は不格好だ。専門的でもない。ただ、危ないと思ったことを箇条書きにしただけの紙。

 

「値段がつけにくい」

 

「それ、褒めてます?」

 

「商人にとっては、かなり面倒な評価だ」

 

「……褒めてないですね」

 

「褒めてねぇ」

 

 ズヌイ兄さんはそう言って、部屋を出ていった。

 

 扉が閉まる。

 

 その音が、ようやく商談の終わりを告げた。

 

 俺は椅子の背にもたれた。

 

「胃薬……」

 

「いる?」

 

 リンカが即座に包みを出す。

 

「お願いします」

 

「よく立ってた」

 

 その一言に、俺は瞬きをした。

 

 リンカはもうこちらを見ていなかった。

 壁際に戻り、いつものように無表情で立っている。

 

 百さんが俺の隣に来る。

 

「目は逸らさなかったな」

 

「何度か逸らしかけました」

 

「戻したならいい」

 

 短い言葉だった。

 

 それだけで、さっきまで硬かった肩が少し落ちた。

 

 ララさんは設計図を抱えたまま、不思議そうに首を傾げている。

 

「ねぇ、商談っていつもこんなに疲れるの?」

 

「ララさんが途中で入ってこなければ、もう少し違ったかもしれません」

 

「えー、でも楽しかったよ?」

 

「でしょうね」

 

 アーサーが笑う。

 

「よかったね、ヤマタ君。初商談、無事生還」

 

「その言い方やめてください」

 

「でも、逃げなかった」

 

 アーサーの声が、少しだけ柔らかくなった。

 

 俺は設計図の端に貼られた自分のメモを見る。

 

 不格好な字。

 安全確認。

 発明品を起動する前に周囲を見ること。

 武器を勝手に片付けないこと。

 人の話を聞くこと。

 

 どれも、商談の武器には見えない。

 

 けれど、ララさんはそれを貼って持ってきた。

 

 ズヌイ兄さんは、それを見た。

 

 そして俺に、値段がつけにくいと言った。

 

 窓の外では、雲の切れ間から光が差し始めていた。

 机の上の冷めた紅茶に、その光が細く落ちる。

 

 俺は胃薬の包みを握りながら、百さんに直された背筋を、もう一度だけ伸ばした。

 

 商談は終わった。

 

 けれど、たぶん本当の話は、ここから始まる。

 

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