※この作品はR-18です。

王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記-   作:ボルメテウスさん

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公開発表会へ

 商談が終わった日の夕方、雨が降り出した。

 

 窓を叩くほど強くはない。庭園の葉に小さな粒が落ちて、緑の上を滑っていく程度の雨だった。けれど、空の色は朝よりずっと低い。雲が王城の屋根に手をかけて、ゆっくり重さをかけているように見えた。

 

 机の上には、ララさんが置いていった設計図がまだ広がっている。

 

 端には、俺が前に書いた安全確認メモが貼られていた。

 字は相変わらず不格好だ。

 

 発明品を起動する前に周囲を見ること。

 武器を勝手に片付けないこと。

 人の話を聞くこと。

 

 最後の一文を見て、俺は少しだけ唇を引き結んだ。

 

「人の話を聞くこと、か」

 

「ヤマタ君にも必要だね」

 

 向かいからアーサーが言った。

 

「俺、そんなに聞いてませんか?」

 

「聞いてるよ。聞きすぎて、たまに自分の声が遅れて出てくる」

 

「それ、褒めてます?」

 

「半分くらい」

 

「残り半分は?」

 

「観察」

 

 アーサーはそう言って、雨に濡れた窓の外へ視線を向けた。

 

 談話室には、商談後の空気がまだ残っていた。冷めた紅茶。片付けきれていない資料。いつもより静かなリンカ。腕を組んだまま、設計図ではなく俺の姿勢を見ている百さん。

 

 ココさんはソファに座り、片手で紙束をめくっている。紙の端を弾く音が、雨音に混じっていた。

 

「ズヌイ君、さっそく動いたよ」

 

 アーサーが言った。

 

 俺の手が、設計図の端を押さえたまま止まる。

 

「もうですか」

 

「商人は、値段のつかないものを見ると放っておけないからね」

 

 アーサーは一枚の紙を机に置いた。

 

 そこには、簡潔な文字で報告が並んでいた。

 ズヌイ兄さんの執務室に出入りした商会員の名前。交わされた短い言葉。俺の名が出た回数。ララさんの発明素材に関する確認。

 

 そして、端の方に一文だけ、妙に大きな余白を取って書かれていた。

 

 ――弱い。商売も下手。駆け引きも甘い。なのに、買えない。

 

「……これ、ズヌイ兄さんが?」

 

「たぶんね。商会員が聞いた言葉をまとめたものだけど、言い方はかなり本人に近い」

 

 ココさんがくすりと笑った。

 

「いい評価じゃないか」

 

「いい評価なんですか、これ」

 

「商人に“買えない”って言われるのは、なかなか高評価だよ。面倒って意味でもあるけど」

 

「そっちの意味が強そうですね」

 

 俺が紙から目を上げると、百さんが静かに口を開いた。

 

「ズヌイは、君を見直したわけではない」

 

「ですよね」

 

「だが、値段をつけ損ねた」

 

 百さんの言葉は、雨粒のように短く落ちた。

 

 窓の外で、葉先から水滴が一つこぼれる。

 

「それは、相手にとって厄介なことだ」

 

 俺はもう一度、報告書を見る。

 

 弱い。

 商売も下手。

 駆け引きも甘い。

 

 そこまでなら、否定できなかった。むしろ、だいたい合っている。けれど、その後の一文だけが、紙の上で妙に浮いている。

 

 買えない。

 

 売り物になった覚えはない。

 けれど、ズヌイ兄さんの世界では、人も立場も縁も、まず値段をつけられる。値段がつけば、買うか、売るか、捨てるか、抱えるかを決められる。

 

 そこから外れたものは、きっと扱いにくい。

 

「ズヌイ兄さんは、次に何をすると思いますか」

 

 聞くと、アーサーはすぐには答えなかった。

 

 窓の雨を見ている。

 その横顔には笑みがあるのに、目は雨粒の落ちる場所を数えているみたいだった。

 

「ララちゃんを責めない」

 

「……」

 

「ヤマタ君をすぐ潰しにも来ない。ズヌイ君は、怒って殴るより、殴らせる場所を作る方が得意だよ」

 

「嫌な言い方ですね」

 

「正しい言い方だよ」

 

 アーサーは机の上の設計図へ指を伸ばした。

 ララさんが描いた改良版の図面。中心には、ズヌイ兄さんが渡した魔導結晶を組み込む案が書かれている。

 

「これを使う」

 

「発明品を、ですか」

 

「発明品というより、発表の場かな」

 

 ココさんが紙束を閉じた。

 

「交易、素材、デビルーク第一王女、婚約者、第五王子。全部まとめて並べるなら、発明発表会は都合がいいね」

 

 リンカが壁際から短く言う。

 

「公開処刑」

 

「言葉が物騒すぎる」

 

「公開商談」

 

「それも嫌だな……」

 

 俺が額を押さえると、百さんが設計図に目を落とした。

 

「ララ王女は喜ぶだろうな」

 

 その一言で、部屋の空気が少し沈んだ。

 

 たぶん、全員が同じ顔を思い浮かべたのだと思う。魔導結晶を抱えて、目を輝かせるララさん。改良案を見せる相手を探して、真っ先に俺の名前を出すララさん。

 

 その明るさを、ズヌイ兄さんは使う。

 

 俺は設計図の端を押さえる指に、少しだけ力を入れた。

 

「ララさんを試すみたいな真似は、嫌です」

 

 声にすると、雨音が少しだけ大きく聞こえた。

 

 アーサーは笑わなかった。

 ココさんも口を挟まない。

 リンカは壁にもたれたまま、こちらを見ている。

 

 百さんが、俺の隣に立った。

 

「君が嫌がっても、ララ王女はすでに盤上にいる」

 

 淡々とした声だった。

 でも、突き放す響きではなかった。

 

「ならば、彼女が駒としてではなく、一人で立てるように支えろ」

 

 俺は設計図を見る。

 

 ララさんの線は、勢いがある。真っ直ぐではないし、ところどころ書き直しもある。けれど、紙の上で楽しそうに跳ねていた。

 

 この線を、誰かの都合で折りたくない。

 

「ララさんが何を言うのか、俺は聞きます」

 

 アーサーが、そこでようやく口元を緩めた。

 

「うん。そう言うと思った」

 

「また分かってて待ってましたね」

 

「確認は大事だから」

 

 雨が窓を滑る。

 

 庭園の石畳が濡れて、薄く光っていた。

 晴れの日よりも、道の線がはっきり見える。

 

 その日の夜、ララさんはズヌイ兄さんから発表会の話を聞いたらしい。

 

 俺はその場にいなかった。

 けれど、後から届いた報告と、ララさんの性格を合わせれば、だいたいの光景は浮かんでしまう。

 

 ズヌイ兄さんの客間。

 机の上に置かれた魔導結晶。

 青白い光が、雨の夜の窓に反射して揺れる。

 

「ララ。発明品の発表の場を用意する」

 

「えっ、本当!?」

 

「ああ。デビルークとの交易にも関わる。お前の発明素材の有用性を示すには、悪くない」

 

「やるやる! 見せたい! 今度の自動お手伝いくん、ちゃんと安全確認も入れたんだよ!」

 

「そうか」

 

「ヤマタにも見せたいなぁ。あのメモ、すっごく役に立ったんだ!」

 

「なら、呼べばいい」

 

「いいの?」

 

「発表には見物人が必要だろ」

 

「うん! じゃあ呼ぶ!」

 

 たぶん、ララさんはそこで笑った。

 

 何も疑っていない笑顔で。

 自分の発明を見せられることが嬉しくて、俺の反応を想像して、魔導結晶を両手で抱えて。

 

 ズヌイ兄さんは、きっとその笑顔を見ていた。

 

 優しく見える顔で。

 けれど、カップの縁を指先で叩きながら。

 

 翌朝、招待状が届いた。

 

 白い封筒だった。

 黒い文字で、ララ・サタリン・デビルーク第一王女による発明品の発表会と書かれている。名目は、デビルーク交易および魔導素材の有用性確認。

 

 紙は軽い。

 

 なのに、机に置くと、やけに重い音がした。

 

「来たね」

 

 アーサーが言った。

 

 声が少し弾んでいる。

 

「楽しそうですね」

 

「楽しいよ。向こうから舞台を用意してくれたんだから」

 

「アーサー」

 

 百さんの声が低くなる。

 

「分かってるよ、モモちゃん。まだ使うとは言ってない」

 

「まだ、ですか」

 

 俺が聞くと、アーサーは招待状を指で軽く叩いた。

 

「ララちゃんがズヌイに別れを告げるなら、こういう場は効果が大きい。でも、それを決めるのはララちゃん」

 

「本当に?」

 

「本当。私は背中を押す場所を選ぶだけ」

 

「それが一番信用できないんですけど」

 

「ひどいなぁ」

 

 ひどいのはどっちだ、と言いかけてやめた。

 

 招待状の黒い文字を見ていると、昨日の雨に濡れた石畳が頭に浮かんだ。発表会。交易。王族。婚約者。発明素材。

 

 きっと、たくさんの目が集まる。

 

 その真ん中に、ララさんが立つ。

 自分の作ったものを見せたくて、きっと楽しそうに。

 

 その横で、ズヌイ兄さんは値段を測る。

 アーサーは舞台の使い方を考える。

 ココさんは利益を読み、リンカは出口を数える。

 百さんは、俺の背筋を見ている。

 

 俺は、招待状の端を指で押さえた。

 

 前よりは早く、顔を上げられたと思う。

 

「参加します」

 

 百さんが、何も言わずに俺を見た。

 

 ほんの少しだけ、頷いた。

 

「ララさんが何を言うのか、俺は聞きます」

 

 雨はもう止んでいた。

 

 窓の外では、雲の切れ間から朝の光が差している。庭園の葉に残った水滴が、ひとつ、またひとつと光を返していた。

 

 発表会。

 

 それはきっと、ただの発表では終わらない。

 

 でも、ララさんが自分の声で何かを選ぶなら。

 その時、俺はせめて目を逸らさずに聞いていたい。

 

 机の上で、白い招待状が朝日に照らされる。

 

 それは、次の戦場への召集令状みたいだった。

 

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