王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記- 作:ボルメテウスさん
発表会の会場は、まるで夜空を切り取って王城の中へ運び込んだようだった。
天井近くを漂う青白い光球。壁際に浮かぶ半透明の映像。床を走る細い光の線は、来賓席から中央舞台へ向かって、いくつもの星座を描いている。
デビルークの技術と、この国の魔導具を組み合わせた演出らしい。
綺麗だ。
綺麗なのだが、落ち着かない。
光が一つ瞬くたび、俺を見ている目が増えていくような気がする。
「背筋」
隣から百さんの声が飛んできた。
「伸ばしてます」
「肩に力が入っている」
「入りますよ、これは」
ちらりと周囲を見る。
王族、貴族、商人、技術者。衣装も身分も違う人たちが、同じ方向を見ている。
舞台ではない。
俺だ。
正確には、俺とララさんの間に何があるのかを見ている。
ひそひそと交わされる声は聞き取れない。それでも、時折こちらへ向けられる視線だけで、話題が誰なのかは分かった。
「口を動かしてないで、息を整える」
「はい」
息を吸う。
肺に入ってくる空気は、会場の熱気に温められていた。前に訓練場で吸った朝の空気とは違う。乾いていて、人の気配と香水と、魔導機械の金属臭が混ざっている。
吐く。
もう一度、吸う。
肩の力が少し抜けた。
「それでいい」
百さんは前を向いたまま言った。
俺も視線を舞台へ戻す。
中央には、銀色の布を被せられた大きな装置が置かれている。その周囲には細身の作業用アームが折り畳まれ、花びらのように並んでいた。
改良型・自動お手伝いくん。
名前だけなら、ずいぶん可愛らしい。
前回は百さんの剣とリンカの短剣を勝手に片付けようとし、書類まで根こそぎ持っていこうとした。
今回は安全確認を入れたらしい。
俺が書いた、あの素人丸出しのメモを参考にして。
「緊張してる?」
アーサーが俺の反対側から覗き込んできた。
「してます」
「素直だね」
「隠せる段階を越えました」
「大丈夫。今のところ、胃は外から見えてないよ」
「見えてたら大事件です」
アーサーは楽しそうに笑った。
その横で、ココさんは来賓席の配置表を眺めている。
「商会関係者が多いねぇ。素材の売り込みだけじゃなく、ララちゃん本人の価値まで品定めしに来てる」
「言い方」
「事実だよ」
「分かってますけど」
俺が舞台脇へ視線を送ると、ズヌイ兄さんが主催者席に座っていた。
脚を組み、片手でカップを持っている。
こちらを見ているのか、舞台を見ているのか。一見しただけでは分からない。
けれど、俺が視線を向けた瞬間、カップの縁から目だけが持ち上がった。
目が合う。
前の商談と同じ目だった。
ただ、あの時よりも少し遠い。
商品棚を間近で覗き込むのではなく、店全体の売れ行きを眺めているような目。
俺は顔を背けそうになった。
百さんの靴先が視界に入る。
逸らさない。
そのまま一拍だけ見返す。
ズヌイ兄さんの口元が、ほんの少し上がった。
「試されてるね」
アーサーが小声で言った。
「実況しないでください」
「でも、前より上手」
「何がですか」
「立つのが」
答える前に、会場の光が落ちた。
ざわめきが広がる。
天井を漂っていた光球が一つずつ消え、最後に舞台だけが青白く照らされた。
軽快な音楽が流れ始める。
「みんなー! 今日は来てくれてありがとう!」
舞台袖からララさんが飛び出してきた。
桃色の髪が光を弾き、観客へ向かって両手を大きく振る。
その動きには迷いがない。
王女として見られていることも。ズヌイ兄さんの婚約者として見られていることも。俺との関係を探られていることも。
少なくとも、今は全部どうでもいいのだろう。
自分の作ったものを見てもらえる。
その一点だけで、彼女は舞台の中央に立っている。
「今回発表するのは、前よりもっと安全に、もっと便利になった改良型自動お手伝いくんです!」
会場から拍手が上がる。
ララさんは銀色の布を掴んだ。
「じゃーん!」
布が宙へ舞う。
下から現れた機械は、前回よりずっと洗練されていた。
丸みを帯びた白い本体。側面には青い発光板。折り畳まれた作業用アームの先端には、それぞれ掃除、運搬、分類、簡易修復用の器具が取り付けられている。
中心部には、青白く輝く魔導結晶。
ズヌイ兄さんが渡したものだ。
光は鼓動のように、一定の間隔で強くなっていた。
「ヤマター!」
突然名前を呼ばれた。
肩が跳ねる。
舞台上のララさんが、満面の笑みでこちらに手を振っている。
「前に教えてくれた安全確認、全部入れたよ!」
一斉に視線が集まった。
今まで遠慮がちにこちらを見ていた人まで、堂々と顔を向けてくる。
「ララさん、今ここで言います?」
もちろん舞台までは届かない。
ララさんは俺の困惑など気づかず、さらに大きく手を振った。
返さないわけにもいかない。
俺は胸元まで手を上げ、小さく振り返した。
会場のどこかで、ざわめきが少し大きくなる。
ズヌイ兄さんがカップを置いた。
アーサーは手で口元を隠している。
「笑わないでください」
「笑ってないよ」
「目が笑ってます」
「よく見てるね」
舞台へ戻ったララさんは、胸を張って操作台の前に立った。
「それじゃあ、起動します!」
細い指が、中央のスイッチを押し込む。
軽やかな電子音。
装置の発光板が青く灯り、折り畳まれていたアームが静かに開いていく。
拍手が起こった。
最初の動きは完璧だった。
床に置かれた紙くずを拾い、種類ごとに分別する。
倒された空のカップを持ち上げ、専用の回収箱へ運ぶ。
刃物を模した展示品へ近づくと、安全識別機能が働き、赤い光で輪郭を囲んだ後、手を出さずに迂回する。
「おお……」
百さんが小さく声を漏らした。
「今度は剣を奪われなさそうですね」
「当然だ」
口ではそう言ったが、百さんの目は機械の動きを真剣に追っている。
ララさんはこちらを見て、得意そうに笑った。
俺も思わず笑い返す。
前に肩を落としていた姿が頭をよぎった。
あの時から、きちんと直したのだ。
俺のメモなんかより、彼女自身が考えて、試して、作り直した結果だ。
装置が散らばった展示物を順に整理していく。
観客席から感嘆の声が上がる。商人たちは隣同士で何かを囁き、技術者たちは食い入るように動作を見ていた。
舞台の上で、ララさんの笑顔が光に照らされている。
それを見ていると、周囲の視線も、ズヌイ兄さんの計算も、少し遠ざかった。
その時だった。
装置の中心で、魔導結晶が強く瞬いた。
一度。
二度。
鼓動の間隔が早くなる。
「……ララさん?」
舞台の上で、ララさんも光の変化に気づいたらしい。
操作盤へ視線を落とす。
青く点灯していた文字列の中に、赤い記号が一つ混ざった。
装置の駆動音が、一段高くなる。
甲高い警告音が鳴った。
会場の拍手が止まる。
「え?」
ララさんの口元から笑みが消えた。
作業用アームが一斉に持ち上がる。
青かった発光板が、赤く染まった。
『整理対象を確認』
機械音声が会場へ響く。
『障害物を除去します』
「障害物?」
次の瞬間、一基のアームが来賓席へ伸びた。
先端の回収器具が、貴族の胸元にある勲章を掴もうとする。
「うわっ!」
貴族が椅子ごと後ろへ倒れた。
別のアームが、壁に飾られていた儀礼用の剣を引き抜く。
「安全識別は!?」
百さんが立ち上がった。
装置の赤い光が、今度は百さんの腰の剣を囲む。
『危険物を確認。回収します』
「改善されていないではないか!」
「今は怒ってる場合じゃないです!」
複数のアームがこちらへ飛んでくる。
百さんが剣を抜いた。
閃いた刃が、最初のアームの側面を打つ。斬り落とさず、軌道だけを逸らす。アームは火花を散らしながら床へ突き刺さった。
同時にリンカが動く。
俺の横を影が抜けた。
投げられた短剣が、別のアームの関節へ突き刺さる。伸びきっていた機械腕が止まり、空中で震えた。
「避難」
リンカの声が飛ぶ。
「右側通路は使えない。左から」
「聞いたね! 走らない、押さない! 商談より高くつく怪我はしないでよ!」
ココさんが椅子の上へ立ち、観客を誘導し始める。
「護衛は前へ! 商会員は出口を開ける! 貴族の皆さん、今だけ身分の順番はなし!」
悲鳴と足音が重なる。
ホログラムが乱れ、会場の青い夜空が赤い線で引き裂かれた。
展示装置のアームが次々に動く。
カップ。装飾品。剣。椅子。書類。
目についたものすべてを回収し、分類しようとしている。
整理という言葉が、暴力に変わっていく。
「ララさん!」
舞台を見る。
ララさんは操作盤の前に立ち尽くしていた。
指が宙に浮いたまま動かない。
赤い光が、その顔を下から照らしている。
「違う……」
唇が動く。
「こんな命令、入れてない」
観客の悲鳴が響く。
アームが舞台袖の飾りを掴み、引き倒す。金属板が床へ落ち、鋭い音を立てた。
ララさんの肩が、音に合わせて震えた。
前にも見た。
発明品が失敗した時。
笑っていた顔から、急に光が抜けた瞬間。
でも今回は、見ている人の数が違う。
王族も、貴族も、商人もいる。
たくさんの目の前で、彼女の作ったものが暴れている。
俺は椅子を蹴って立ち上がった。
「ヤマタ君」
アーサーの声が飛ぶ。
何を言われるか分かっていた。
危険だ。
任せた方がいい。
舞台へ出れば、もっと目立つ。
けれど、足は止まらなかった。
飛んできたアームが進路を塞ぐ。
その先端には、回収用の大きな籠が開いていた。
「ヤマタ!」
百さんが叫ぶ。
直後、重力が床を揺らした。
アームが見えない力に押し潰され、石床へ叩きつけられる。
「走れ!」
「ありがとうございます!」
俺は舞台へ駆け上がった。
赤い警告灯が目を焼く。
床が振動している。暴走した装置の駆動音が、獣の唸り声のように足元から響いてくる。
「ララさん!」
肩を掴む。
ララさんが振り返る。
瞳の中で、赤い光が揺れていた。
「ヤマタ……」
「止められますか」
「分からない。安全機能は全部確認したのに。結晶の出力が勝手に上がってて、命令を……」
言葉が途切れる。
操作盤へ伸ばした手が、途中で止まる。
「私、また――」
「まだです」
「え?」
「失敗したかどうかは、止めてから一緒に考えましょう」
ララさんの目が大きくなる。
装置が警告音を鳴らす。
近くのアームが、俺たちを障害物として認識した。
『作業妨害を確認。排除します』
「排除まで仕事に入れないでほしいんですけど!」
アームが振り下ろされる。
俺はララさんの腕を引いた。
二人で操作台の横へ転がり込む。
直後、金属の先端が床を叩き割った。細かな破片が頬を掠める。
「ヤマタ、大丈夫!?」
「大丈夫です。たぶん」
「たぶんじゃ困るよ!」
「今は機械の方を!」
ララさんが操作盤へ飛びつく。
指が動き始めた。
さっきまで止まっていた手が、光の文字列を次々と滑っていく。
「通常停止が効かない。動力核と制御系の接続を切らないと」
「どこですか」
「あそこ!」
ララさんが装置の中心を指す。
赤く脈打つ魔導結晶。その下に、細い光の管が何本も集まっている。
「でも、保護装甲が閉じてる。外からじゃ開けられない」
「どうすれば?」
「緊急解除用の端子を同時に二つ押すの。一つは操作台。もう一つは本体の裏!」
「離れてるじゃないですか!」
「だから本来は二人で安全確認するようにしたの!」
俺は一瞬、言葉を失った。
「そこはちゃんと改良したんですね」
「したよ!」
「なら使いましょう!」
またアームが迫る。
今度はリンカの短剣が飛び、先端を弾いた。
「早く」
舞台下からリンカが言う。
「長くは止められない」
百さんは複数のアームを相手にしている。刃を振るうたび、火花が赤い照明の中へ散っていく。
ココさんは避難を続けている。
アーサーは舞台全体を見渡し、警備へ指示を飛ばしていた。
誰も、こちらへ来られない。
「ララさん」
「うん」
「合図をお願いします」
「ヤマタ、本体の裏は危ないよ」
「ここも十分危ないです」
「でも――」
「一人で止めようとしないでください」
ララさんの唇が閉じる。
赤い光の中で、俺たちは目を合わせた。
ほんの一瞬だけ。
それから、ララさんが頷く。
「分かった」
俺は装置の横へ走った。
伸びてきたアームを避ける。床へ落ちていた装飾を飛び越える。靴底が滑り、身体が傾く。
倒れかけたところで、背後から声が飛んだ。
「右!」
百さんだ。
反射的に右へ跳ぶ。
直前までいた場所を、機械腕が薙ぎ払った。
「ありがとうございます!」
「前を見ろ!」
「はい!」
本体の裏へ回り込む。
外装の下に、小さな赤い端子があった。
俺はそこへ手を伸ばす。
熱い。
指先が焼けるようだった。
「ヤマタ! 準備できた?」
「できました!」
「三つ数えるよ!」
ララさんの声が、警告音の中を通ってくる。
「三!」
魔導結晶が強く光る。
「二!」
アームが俺へ向きを変える。
「一!」
巨大な影が迫る。
「今!」
端子を押し込んだ。
同時に、ララさんが操作台へ手を叩きつける。
青白い光が一度、会場全体を塗り潰した。
音が消えた。
迫っていたアームが、俺の顔のすぐ横で止まる。
赤い発光板が明滅し、やがて暗くなった。
折り畳まれていた機械腕が、力を失って床へ落ちていく。
魔導結晶の光も弱まり、細い鼓動へ戻った。
静かだった。
あれほど響いていた警告音も、悲鳴も、駆動音もない。
聞こえるのは、誰かの荒い呼吸と、故障したホログラムが小さく弾ける音だけ。
俺は端子から手を離した。
指先が赤くなっている。
「ヤマタ!」
ララさんが駆けてきた。
「手!」
「ちょっと熱かっただけです」
「ちょっとじゃないよ!」
両手で手首を掴まれる。
その指も震えていた。
「ごめん。私がちゃんと確認してたら――」
「だから、それは後です」
「でも」
「今は止まりました」
俺は動かなくなった装置を見る。
舞台はひどい有り様だった。倒れた飾り。散らばった書類。床へ突き刺さったアーム。
それでも、誰かが大きな怪我をした様子はない。
百さんが剣を収める。
リンカが観客席を確認している。
ココさんは商会員から負傷者の報告を受けている。
ララさんは唇を噛んだまま、装置を見つめていた。
「ララさん」
呼ぶと、こちらを見る。
「一緒に調べましょう」
しばらく返事はなかった。
会場の天井では、消えていた光球が一つだけ復旧し、弱い青色を灯した。
その光が、ララさんの髪へ落ちる。
「……うん」
声は小さかった。
けれど、今度は操作盤へ目を戻した。
舞台下から拍手が一つ鳴った。
アーサーだった。
「いい発表だった、とはまだ言えないけど」
「アーサー!」
「最後まで止めたのは立派だったよ」
百さんが呆れたように息を吐く。
「今は拍手をする場面ではない」
「そうかな?」
アーサーは舞台へ視線を向けたまま、静かに手を叩いた。
その隣で、リンカも一度だけ手を合わせる。
ぱちん。
ココさんが肩をすくめ、続いた。
観客席から、戸惑うような拍手が少しずつ広がっていく。
ララさんは目を丸くしていた。
「これ、拍手されるところなの?」
「俺にも分かりません」
「ヤマタも分からないの?」
「今日は分からないことばっかりです」
そう言うと、ララさんの口元が少しだけ持ち上がった。
その向こうで、ズヌイ兄さんがこちらを見ていた。
立ち上がることもなく。
拍手をすることもなく。
ただ、止まった機械と、ララさんと、俺の赤くなった指を順に見ている。
目が合った。
今度は逸らさなかった。
ズヌイ兄さんの指が、カップの縁を一度だけ叩いた。
かすかな音だった。
けれど、それが次の何かを数え始める合図のように聞こえた。