王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記- 作:ボルメテウスさん
事件の証拠というものは、普通、机の上でおとなしくしているものだと思っていた。
少なくとも、自分で菓子を盗んで逃げるとは思わない。
「それじゃあ、起動するよ!」
翌朝。
俺たちは談話室の大机を囲み、ララさんが修復した小型機械を見下ろしていた。
昨日、自動お手伝いくんの内部から飛び出してきた、証拠隠滅用の黒い機械。掌ほどの胴体に六本の細い脚。中央にある赤い単眼は消えており、今はひっくり返された虫のように机へ転がっている。
その周囲を、用途の分からない工具と細い配線が囲んでいた。
「本当に起動して大丈夫なんですか?」
「大丈夫! 逃走機能も攻撃機能も全部切ったから!」
ララさんは胸を張った。
その発言を聞いた瞬間、百さんの眉間に一本の皺が刻まれた。
「前回も、安全機能は完璧だと言っていなかったか」
「今回はもっと完璧!」
「不安が増した」
「どうして!?」
リンカが壁際から小さく手を挙げる。
「窓。閉めた?」
全員の視線が窓へ向いた。
開いている。
朝の風が、白いカーテンを気持ちよさそうに揺らしていた。
「閉めます」
俺が立ち上がろうとすると、アーサーが手で制した。
「まあまあ。逃走機能は切ってあるんでしょ?」
「うん!」
「じゃあ大丈夫だよ」
アーサーの笑顔を見て、嫌な予感がした。
この人は大丈夫だと思っているのではない。
何か起きた方が面白いと思っている。
「念のため閉めませんか」
「ヤマタ君、慎重になったねぇ」
「誰のせいですか」
「ララちゃん?」
「半分くらいは」
「残り半分は?」
「アーサーです」
「光栄だよ」
まったく光栄ではない。
ララさんが小型機械の背中にある端子へ工具を差し込んだ。
「この子に残っている通信記録を逆方向に辿れば、命令を送った場所が分かるかもしれないの」
「完全に特定できるのか?」
百さんが問う。
「途中で別の中継地点を使ってたら、そこまで。でも王城の中なら、かなり絞れると思う」
ララさんの指が、起動用の光板へ触れた。
「いくよ。三、二、一!」
かちり。
小型機械の赤い単眼が点灯した。
脚が一本動く。
二本。
六本すべてが机の上へ立ち、機械は小さく身体を揺らした。
「成功?」
俺が覗き込む。
赤い単眼がこちらを向いた。
『通信経路解析――』
「ほら、動いた!」
『機密保持命令を確認』
ララさんの笑顔が固まった。
「え?」
『情報漏洩を防止します』
六本の脚が、甲高い音を立てて回転を始めた。
「ララさん」
「待って。こんな機能、残してないよ?」
「それ、昨日も聞きました」
小型機械は俺たちの間を駆け抜けた。
机の中央に置かれていた菓子皿へ飛び乗り、焼き菓子を一つ口のような器官で挟む。
「どうして菓子を!?」
『携行食料を確保』
「逃げる気満々じゃないですか!」
機械は菓子を咥えたまま、窓へ突進した。
「窓!」
リンカが叫ぶ。
俺は手を伸ばした。
あと少し。
指先が機械の脚に触れ――つるりと滑る。
黒い身体は窓枠を蹴り、朝の光へ飛び出した。
「逃走機能、切ったんじゃなかったんですか!?」
「切ったよ! 切ったはずなのに!」
「“はず”が追加されましたね!」
「追いかけて!」
ララさんが工具を放り出す。
俺たちは一斉に談話室を飛び出した。
朝の王城は静かなはずだった。
使用人が廊下を掃除し、侍女たちが朝食の準備をし、貴族はまだ寝室で優雅に目を覚ます時間。
その静けさを、証拠虫と呼ぶべき小型機械が全力で破壊していた。
『進路確保』
機械が廊下を走り、清掃用の籠を蹴り倒す。
「待ってください!」
「証拠に待てと言って止まると思う?」
隣を走るアーサーが笑う。
「思いませんけど、何か言わないと!」
「じゃあ、もっと心に響く言葉を」
「止まらないと分解しますよ!」
機械の速度が上がった。
「逆効果じゃない?」
「知ってます!」
小型機械は廊下の角を曲がり、開け放たれていた扉の隙間へ飛び込む。
その向こうから、料理人の怒鳴り声が聞こえた。
「厨房です!」
「最悪だな」
百さんが速度を上げる。
俺たちが厨房へ飛び込んだ瞬間、皿が目の前を横切った。
「うわっ!」
身を屈める。
白い皿が頭上を飛び、背後の扉へぶつかって砕けた。
広い厨房では、小型機械が調理台の上を走り回っていた。料理人たちが鍋や包丁を手に追いかけているが、機械は食器や野菜を次々と蹴り飛ばし、盾にして逃げている。
「殿下、どうにかしてください!」
「俺も追いかけてる途中です!」
『障害物を排除』
機械が籠へ飛び込む。
次の瞬間、リンゴ、玉葱、芋が一斉に宙を舞った。
「百さん!」
「分かっている!」
百さんが片手を上げる。
空気が重く沈んだ。
飛んでいた野菜が、見えない力に掴まれたように空中で止まる。
同時に、棚の鍋も、皿も、焼き上がったパンも浮かび上がった。
「百さん、全部浮いてます!」
「局所的にかけたはずだ!」
「厨房全体が局所になってます!」
小型機械も空中で動きを止めていた。
六本の脚をばたつかせ、逃げようとしている。
「捕まえられる!」
ララさんが手を伸ばした。
その直前、浮かんでいた大鍋がゆっくり傾いた。
中から、湯気を立てたスープが見える。
「百さん」
「分かっている」
「本当に?」
「動くな」
百さんのこめかみに汗が浮かぶ。
鍋を元へ戻そうとした瞬間、小型機械が身体の一部を切り離した。
外れた部品が床へ落ちる。
機体が軽くなったことで、重力の範囲から弾かれるように飛び出した。
「そんな脱出方法ありですか!?」
機械は壁へ着地し、走り出す。
百さんが反射的に手を動かした。
重力から解放された鍋、皿、野菜、パンが一斉に落ちた。
厨房に金属音と悲鳴が響く。
丸いパンが一つ、ものすごい勢いで壁へ飛び――めり込んだ。
全員が止まった。
壁から、パンの半分だけが突き出している。
百さんも見ていた。
「……」
「百さん」
「見るな」
「でも」
「見るな」
アーサーが口元を押さえた。
「ふっ……」
「笑うな、アーサー」
「だって、パンが……壁に……!」
「追え!」
「あはははっ! 待って、走れない!」
「置いていきますよ!」
俺たちは厨房を飛び出した。
背後では、アーサーの笑い声と百さんの怒鳴り声が重なっていた。
機械の赤い光は、廊下の先で点滅している。
「西へ向かってる」
リンカが俺たちを追い越す。
音もなく壁を蹴り、柱の上へ飛び乗った。
「先回りする」
「お願いします!」
小型機械は渡り廊下から洗濯場へ飛び込んだ。
王城中のシーツや衣装が干された中庭。白い布が朝の風に揺れ、視界を何度も遮る。
機械の赤い光が、布の向こうで点滅する。
「どこへ行った?」
百さんが周囲を見回す。
「右です!」
白いシーツの下を、黒い影が走る。
俺は追いかけて布の間へ飛び込んだ。
柔らかい布が顔へ張りつく。
「前が見えない!」
「ヤマタ、左!」
ララさんの声に従って左へ曲がる。
洗濯籠へ足を取られ、転びかける。どうにか踏みとどまった直後、頭上から何かが落ちてきた。
白い布の塊。
「うわっ!」
反射的に受け止める。
中からリンカの顔が出てきた。
「リンカ?」
「……」
身体中にシーツと下着らしき布を絡ませている。
どうやら先回りしようとして、洗濯物の山へ落ちたらしい。
「大丈夫?」
「見なかったことにして」
「でも、今」
「見てない」
「はい」
リンカは布の中から腕を抜き、何事もなかったように短剣を構えた。
耳が少し赤かった。
「そこ」
短剣が飛ぶ。
白いシーツを貫かず、端だけを壁へ縫い止める。布が一気に張られ、小型機械の進路を塞いだ。
『進路変更』
機械が方向を変える。
こちらへ走ってきた。
「来ます!」
「好都合!」
ララさんが腰の装置を展開した。
筒状の機械が開き、中から粘着ネットの発射口が現れる。
「そんなもの、いつ用意したんですか?」
「散らかった荷物をまとめるための発明品!」
「人に使って大丈夫ですか?」
「たぶん!」
「また“たぶん”!」
ララさんが照準を合わせる。
だが小型機械は急角度で方向を変え、干された布の下へ潜った。
「速すぎる!」
「追い込めばいいよ」
いつの間にか追いついたアーサーが、偽造商印の複製品を指で挟んでいた。
「さっき確認したけど、この虫さんはこれを回収しようとする」
「危なくないですか?」
「危ないよ?」
アーサーは笑って、商印を頭上へ掲げた。
「ほら、欲しいんでしょ?」
白い布の奥で、赤い単眼が点灯した。
『機密情報を確認』
「来た来た!」
機械がアーサーへ突進する。
彼女は笑いながら走り出した。
「アーサー、真っ直ぐ中庭へ!」
百さんが叫ぶ。
「分かってる!」
「右へ曲がるな!」
「そっちは近道だよ!」
「浴場だ!」
アーサーの足が止まった。
開きかけた扉の奥から、女性たちの声が聞こえる。
「危なかった」
「本当に危なかったです!」
アーサーは直角に方向を変えた。
小型機械も追従する。
百さんが腕を振り、廊下の左右へ重力の壁を作った。機械は逃げ道を失い、中庭へ向かう一本道を走る。
「リンカ!」
「準備済み」
先回りしたリンカが短剣を投げる。
地面へ突き刺さった刃が、機械の退路を塞いだ。
俺たちは中庭へ飛び出した。
中央には噴水。
朝日を受けた水が、細かな光になって散っている。
その美しい景色の中を、証拠虫とアーサーが全力で走っていた。
「あはははっ! 追ってくる! 本当に追ってくるよ!」
「楽しんでませんか!?」
「かなり!」
アーサーが俺の横を通り過ぎる。
その直後、小型機械が迫った。
「ヤマタ君、交代!」
「何を!?」
アーサーが偽造商印を俺へ投げる。
反射的に受け取った。
機械の赤い単眼が、こちらへ向く。
「勝手に囮を交代しないでください!」
「ヤマタ君、何となく追いかけたくなる顔してるから!」
「どういう顔ですか!」
小型機械が飛びかかってきた。
俺は走る。
「ララさん、準備は!?」
「できてる! あと三歩右!」
「三歩!」
一歩。
二歩。
三歩。
「そこから全力でこっち!」
「結局走るんですね!」
方向を変える。
小型機械が追ってくる。
赤い単眼が近い。
口元の刃が細かく開閉している。
「ララさん!」
「もう少し!」
「十分近いです!」
「もう一歩!」
「無理です!」
俺は足を止めた。
小型機械も地面を蹴り、こちらへ跳ぶ。
「今!」
ララさんが引き金を引いた。
筒から粘着ネットが射出される。
白い網が大きく広がり、空中の小型機械を包み込んだ。
同時に、俺も包み込んだ。
「えっ」
視界が白くなる。
粘着質な網が身体へ絡みつき、俺は小型機械と一緒に地面を転がった。
噴水の縁へぶつかって止まる。
「捕まえた!」
ララさんの明るい声。
俺は網の中で小型機械と向かい合っていた。
赤い単眼が目の前にある。
『捕獲状態を確認』
「俺もです」
『自爆――』
「させないよ!」
ララさんが網の上から停止装置を押しつけた。
小型機械の単眼が消える。
完全に動かなくなった。
静けさが訪れた。
一瞬だけ。
「あはははははっ!」
アーサーが地面を叩いて笑い始めた。
「ヤマタ君まで捕まってる! 証拠と王子を同時捕獲!」
「笑ってないで助けてください!」
「待って、今は無理……お腹痛い……!」
百さんが深いため息をつく。
「だから、人に使って安全なのか確認しろと言っただろう」
「言われたのは今です!」
「前にも似たことを言った」
「そうでしたっけ?」
ララさんが首を傾げる。
「ララさんも早く!」
「今外すね!」
粘着ネットを切ろうとするが、刃が張りついて動かない。
「あれ?」
「まさか」
「粘着力を上げすぎたかも」
「今回も失敗じゃないですか!」
ララさんの肩が少し下がった。
俺は網の中で身動きが取れないまま、息を吐いた。
「でも、機械は捕まえられました」
「え?」
「今回は成功ということにしましょう。俺も一緒に捕まりましたけど」
ララさんが瞬きをする。
それから、ゆっくり笑った。
「うん。大成功!」
「大成功ではない」
百さんが即座に否定する。
「中成功くらい」
ココさんが、遅れて中庭へやって来た。
その後ろには、厨房の料理人と洗濯場の使用人たちが並んでいる。
全員、表情が怖い。
「ヤマタ君」
ココさんが笑顔で言った。
「追跡の被害報告。聞く?」
「後にしてください」
「厨房の皿、十五枚」
「後で」
「鍋が三つへこんで、パンが一個壁に埋まった」
百さんが視線を逸らした。
「洗濯物は?」
リンカが小声で問う。
「ほとんど無事。ただし、誰かが下着を頭に載せて走ってたって証言が」
リンカの短剣が、ココさんの足元へ刺さった。
「忘れて」
「はいはい」
しばらくして、ようやくネットから救出された。
ララさんは動かなくなった小型機械を操作盤へ接続する。赤い単眼の奥に残っていた通信記録が、青い光となって空中へ広がった。
「発信先、分かりそう?」
俺が覗き込む。
「最初の命令地点は消されてる。でも、最後に使った中継地点が残ってるよ」
王城の簡易地図が表示される。
光の線が中央棟から西へ伸び、古い建物の一角で止まった。
「西棟」
百さんが目を細める。
「今は共同倉庫として使われている場所だ」
ココさんの笑みが少し薄くなる。
「商会の荷物も、王族の備品も置かれてる。誰が入っても不自然じゃない場所だね」
ララさんがさらに記録を展開する。
「この子、王城内部の通行許可情報も持ってる」
「つまり、犯人は警備経路を知っている」
リンカが短く言う。
さっきまで笑い転げていたアーサーも、地図を覗き込んだ。
「西棟かぁ。楽しくなってきたね」
「アーサーがそう言うと嫌な予感しかしません」
「大丈夫。今度は窓を閉めてから調べよう」
「最初からそうしてください」
ララさんは小型機械を両手で持ち上げた。
「この子、修理したら使えるかな?」
「使いません」
「でも、可愛いよ?」
「どこがですか」
「脚とか」
六本ある。
「名前、虫ちゃんでいいかな?」
「飼いませんよ」
「通信経路を探せるし、王城の中も走れるし、お菓子も食べるよ?」
「最後の機能はいらないです!」
「じゃあ、ヤマタの部屋で飼おう」
「話を聞いてください!」
ララさんは笑いながら、機械を胸元へ抱えた。
百さんがその機械と俺を交互に見る。
「ヤマタ」
「はい」
「今夜は部屋の窓を閉めておけ」
「もちろんです」
「扉にも鍵をかけろ」
「そこまでします?」
百さんはララさんを見る。
ララさんは機械を抱えたまま、目を逸らした。
「……かけます」
中庭には、追跡の名残が散らばっていた。
白いシーツ。割れた皿。短剣。偽造商印。そして、噴水の水面には、どこから飛んできたのか丸いパンが一つ浮いている。
朝日に照らされたパンは、妙に平和そうだった。
俺たちの前には、西棟へ続く光の線が伸びている。
事件は、まだ終わっていない。
それでも今は、まず王城中へ謝って回る必要がありそうだ。
「ヤマタ君」
アーサーが肩を叩く。
「王子なんだから、代表して謝罪よろしく」
「皆さんも一緒ですよ」
「私は囮として活躍したから」
「俺は囮になった上に捕まりましたよ!」
「じゃあ、一番適任だね」
「何がですか!」
俺の声とアーサーの笑い声が、朝の中庭に響いた。