王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記- 作:ボルメテウスさん
王城西棟は、同じ城の中とは思えないほど静かだった。
東側の居住区には、いつも誰かの足音がある。侍女が行き交い、騎士が巡回し、どこかの部屋から話し声が漏れてくる。
けれど西棟へ続く廊下には、そのどれもなかった。
細い窓から差し込む昼の光が、石床の上で途中まで伸びている。光の届かない先には、積み上げられた木箱と古い家具の影が重なり、奥へ進むほど道そのものが細くなっていた。
「本当にこっちで合ってるんですか?」
俺は足元を走る黒い小型機械へ問いかけた。
通称、虫ちゃん。
ララさんが勝手につけた名前である。
虫ちゃんは俺の問いに答えず、赤い単眼をこちらへ向けた。
『携行食料を要求』
「捜査中ですよ」
『携行食料を要求』
「さっき焼き菓子をあげたでしょう」
『不足』
「事件の証拠って、こんなに食い意地が張ってるものなんですか?」
「燃費が悪いのかも」
隣を歩くララさんが、ポケットから小さな菓子を取り出した。
虫ちゃんの脚が止まる。
赤い単眼が、菓子を追う。
「ララさん、甘やかさないでください」
「でも、頑張って案内してるよ?」
「途中で二回、厨房へ戻ろうとしましたよね」
「お腹が空いてたんだよ」
「機械に空腹という概念を持たせないでください」
「私が持たせたんじゃないよ?」
それはそれで怖い。
ララさんが菓子を差し出すと、虫ちゃんは素早く咥えた。そのまま六本の脚を動かし、再び廊下の奥へ進んでいく。
後ろから、アーサーの笑い声が聞こえた。
「すっかり飼い主だね、ヤマタ君」
「違います」
「名前を呼んで、餌の量を管理してる」
「証拠品の保全です」
「昨夜、部屋の前まで来た時も?」
俺の足が止まった。
「どうして知ってるんですか」
「朝、使用人から聞いたよ。第五王子の部屋の前で、黒い虫が菓子を要求してたって」
百さんの視線が、俺の背中へ刺さった。
「扉には鍵をかけたのか」
「かけました」
「窓は?」
「閉めました」
「なら、なぜ部屋の前まで来た」
「知りませんよ!」
ララさんが目を逸らす。
俺はその横顔を見た。
「ララさん」
「なに?」
「本当に何もしてませんか?」
「ちょっとだけ、帰巣先を安全な場所に変更しただけ」
「どこに?」
「ヤマタの部屋」
「勝手に俺の部屋を巣にしないでください!」
「だって、なくしたら困るでしょ?」
「保管庫があります!」
「保管庫よりヤマタの方が安全そうだったから」
「その評価は嬉しくないです!」
アーサーが肩を震わせる。
リンカは無表情のまま、虫ちゃんと俺を見比べた。
「飼い主」
「リンカまで」
「懐かれてる」
「命令を書き換えられただけだよ!」
「それを一般に飼育と言う」
「言いません!」
西棟の静けさに、俺の声だけがよく響いた。
「騒ぐな」
先頭を歩いていたズヌイ兄さんが振り返る。
「犯人がまだ残っていたら、こっちから居場所を教えることになる」
「すみません」
「まあ、これだけ騒いでも誰も出てこねぇなら、もう逃げた後かもしれねぇがな」
ズヌイ兄さんの視線が、廊下の壁に並ぶ荷札へ流れる。
王家の紋章。
複数の商会名。
各地の工房を示す印。
西棟は、王城へ搬入された物資を一時的に保管する共同倉庫として使われている。
王族の備品も、商会の商品も、式典用の装飾も、すべて同じ場所を通る。
誰が出入りしていても、不自然ではない。
だからこそ、何かを隠すには都合が良すぎる。
「止まったよ」
ララさんの声で、俺は足元へ視線を落とした。
虫ちゃんが、一つの木箱の前で動きを止めていた。
他の箱より少し小さい。表面にはズヌイ兄さんの商会を示す荷札が貼られている。
赤い単眼が、一定の間隔で点滅した。
『通信中継地点へ到着』
「ここか」
ズヌイ兄さんが木箱へ近づく。
荷札へ指をかけ、端を軽く持ち上げた。
「おかしいな」
「何がですか?」
「この荷札は俺の商会のものだ。だが、貼り方が違う」
「貼り方?」
「うちでは荷札の右上へ、管理番号が見えるように封蝋を置く。これは番号の上に封蝋が被ってる」
アーサーが横から手を伸ばし、荷札をゆっくり剥がした。
紙の下から、別の印が現れる。
「別の搬入業者だね」
アーサーは笑った。
「本物の荷札の下に偽物を隠すんじゃなくて、偽物の下に本物を隠してる。自分の名前を消したかったみたい」
「素直すぎる隠し方だ」
ズヌイ兄さんが鼻で笑う。
「商人の真似をした素人だな」
百さんが周囲を見回した。
「箱を開ける前に警戒しろ」
「昨日から、何かを調べるたびに機械が襲ってきますからね」
「分かっているなら下がれ」
「俺も調査に参加してるんですけど」
「参加と最前列に立つことは違う」
百さんは俺の肩を掴み、一歩後ろへ下げた。
代わりに自分が前へ出る。
その動作があまりにも自然だったので、言い返す言葉が一瞬遅れた。
「百さん」
「何だ」
「俺を守るの、少し慣れてませんか」
「君が危険へ近づくのに慣れたせいだ」
「反省します」
「口だけで終わらせるな」
ズヌイ兄さんが木箱の留め金へ手をかけた。
「開けるぞ」
金具が外れる。
蓋が、わずかに持ち上がる。
倉庫の奥で、重い駆動音が鳴った。
低い音だった。
一つではない。
右。
左。
背後。
木箱の影で眠っていた運搬機械が、一斉に目を覚ます。
四角い本体に太い脚。荷物を掴むための大型アーム。赤く点灯した認識灯が、俺たちへ向けられた。
『未登録者による荷物への接触を確認』
「来ましたね!」
『排除を開始します』
「毎回、確認から排除までが早すぎませんか!」
最も近くにいた運搬機械が、木箱を持ち上げる。
持ち上げたのは、問題の箱ではない。
隣に積まれていた、人間一人ほどの大きさの箱だった。
「避けろ!」
投げられた。
俺は床を蹴る。
巨大な木箱が、つい先ほどまで立っていた場所へ落下した。床が震え、砕けた木片が足元を滑っていく。
一枚の荷札が空中を舞い、俺の顔に張りついた。
「前が見えない!」
「似合ってるよ、ヤマタ君!」
「笑ってないで取ってください!」
「『割れ物注意』だって!」
「俺は割れ物じゃありません!」
荷札を引き剥がす。
目の前では、別の運搬機械が棚へアームをかけていた。
棚全体が傾く。
積み上げられた荷物が、俺たちの頭上へ雪崩れ落ちてくる。
「百さん!」
「動くな!」
百さんが片手を掲げる。
空気が、石のように重くなった。
落下していた棚と木箱が、頭上で止まる。
細かな埃だけが重力の隙間を抜け、ゆっくり降ってきた。
百さんの足元で、石床に細い亀裂が走る。
「長くは保たん!」
「十分です!」
リンカが柱を蹴り、機械の側面へ飛ぶ。
短剣が閃いた。
一本目は脚部の接続部。
二本目は背中を走る通信線。
金属の巨体が大きく揺れ、その場へ膝をついた。
「一体停止」
「あと三体います!」
「二体」
「いつの間に!?」
反対側を見ると、別の運搬機械の脚にも短剣が刺さっていた。
リンカはすでに次の機体へ走っている。
「機械の本体は壊すな!」
ララさんが叫ぶ。
「記録が残ってるかもしれない!」
「分かってる」
リンカは短く返し、今度は通信線だけを切り落とした。
残る運搬機械が、問題の木箱の前へ移動する。
アームを広げ、箱を守るように立ちはだかった。
アーサーの笑い声が、少しだけ低くなる。
「やっぱりね」
「何が分かったんですか」
「あの子たち、私たちを倉庫から追い出そうとしてるんじゃない」
アーサーが運搬機械の動きを指で追う。
「木箱から遠ざけようとしてる」
「つまり、箱の中身を守っている」
ズヌイ兄さんが言った。
「逆に言えば、あそこに証拠がある」
俺は木箱を見る。
運搬機械が正面を塞いでいる。
その横には細い隙間があるが、人一人が通れるかどうか。
「ララさん、箱へ近づけますか」
「右側からなら。でも、あの機械が動いたら挟まれる」
「だったら、動かします」
百さんがこちらを見る。
「何をする気だ」
「囮です」
「却下する」
「まだ説明してません」
「聞かなくても分かる」
「俺が箱へ近づくふりをすれば、機械は俺を止めに来る。その間にララさんが反対側から入れます」
「君が掴まれた場合は?」
「頑張って避けます」
「作戦と呼べる内容ではない」
「でも、前にも似たことをやりました」
「それが問題だと言っている!」
百さんの声が倉庫に響いた。
運搬機械の認識灯がこちらへ向く。
アーサーが肩を揺らした。
「夫婦喧嘩は後にした方がいいんじゃない?」
「夫婦ではない!」
百さんの声がさらに大きくなる。
俺は反射的に耳を押さえた。
「アーサー、余計なことを言わないでください!」
「でも息ぴったりだよ?」
「どこがですか!」
「君が無茶を言って、モモちゃんが怒るところ」
「日常になってませんか、それ」
「否定はしない」
リンカが淡々と言った。
百さんの視線がリンカへ移る。
俺はその隙に、木箱へ向かって走った。
「ヤマタ!」
「後で謝ります!」
「今止まれ!」
予想通り、運搬機械が反応する。
『保護対象への接近を確認』
太いアームが俺へ伸びた。
正面から掴もうとしてくる。
俺は右へ跳んだ。
アームが壁へ激突し、石と埃が弾ける。
「ララさん、今です!」
「うん!」
ララさんが機械の背後を走る。
その小柄な身体が木箱と機械の隙間へ滑り込んだ。
運搬機械が振り返ろうとする。
「させるか!」
百さんが手を向ける。
局所的な重力が運搬機械の脚へ落ちた。
金属の巨体が床へ沈み込む。
「ヤマタ、私の視界から出るな!」
「見えてますか!?」
「ぎりぎりだ!」
「それは見えてるって言うんですか!」
俺の横を、別のアームが薙ぎ払う。
身を屈めて避ける。
そのまま床を転がり、積まれた袋の山へ突っ込んだ。
柔らかい。
中身は羽毛らしい。
顔を上げると、リンカが運搬機械の上へ着地していた。
「囮。上手くなった」
「褒められたくない技術が増えていく……」
「才能」
「違うと思う」
ララさんが木箱の蓋を開けた。
「見つけた!」
箱の中から、金属製の装置を持ち上げる。
板状の本体。複数の通信端子。中央には、虫ちゃんと同じ赤い単眼が埋め込まれていた。
ララさんが装置を抱えて箱から飛び出す。
それを確認した瞬間、運搬機械の動きが変わった。
『保護対象の移動を確認』
すべての機体の認識灯が、ララさんへ向く。
「ララさん!」
「分かってる!」
ララさんは腰の装置を展開した。
虫ちゃんへ接続していた制御板を通信装置へ向ける。
「停止命令、上書き!」
青い光が走った。
だが運搬機械は止まらない。
「反応が遅い!」
「旧型だからな!」
ズヌイ兄さんがララさんの前へ出る。
飛んできたアームを杖で受け、軌道を逸らした。
「ララ、早くしろ!」
「あと三秒!」
「長ぇ!」
リンカの短剣が通信装置の端子へ刺さる。
「補助」
流れていた赤い光が一瞬途切れた。
「今!」
ララさんが停止命令を叩き込む。
運搬機械の認識灯が、赤から青へ変わった。
『命令系統の変更を確認』
太いアームが、俺の目の前で止まる。
風だけが頬を撫でた。
『待機状態へ移行します』
重い機体が、一体ずつその場へ座り込む。
倉庫に静けさが戻った。
百さんが止めていた棚を、ゆっくり元の位置へ戻す。
最後の木箱が床へ下りた瞬間、全員の息が同時に抜けた。
「終わりました?」
「たぶん!」
ララさんが答える。
百さんの眉が動く。
「“たぶん”を禁止しろ」
「でも、今回は止まったよ?」
「次に動いたら、君ごと重力で固定する」
「それ、ちょっと面白そう!」
「試すな」
俺は羽毛袋から身体を起こした。
衣服と髪に白い羽が大量についている。
アーサーが俺を見るなり、口元を押さえた。
「ヤマタ君、羽が……」
「笑わないでください」
「王子というより、孵化したばかりの鳥だね」
「全部取ってから話を進めませんか」
リンカが俺の頭へ手を伸ばした。
羽を一枚取る。
じっと見て、また頭へ戻した。
「戻さないで」
「似合う」
「似合わなくていい」
ララさんは通信装置を床へ置き、青い画面を広げた。
立体的な地図と、数字の羅列が空中に浮かぶ。
ズヌイ兄さんも帳簿を開き、商会の搬入記録と照らし合わせ始めた。
「発表会の前日に、この倉庫へ設備が搬入されている」
「担当者は?」
アーサーが聞く。
「記録では五人。そのうち四人は搬入後すぐに退出。最後の一人も、同じ時刻に退城したことになってる」
「なっている?」
「筆跡が違う」
ズヌイ兄さんが帳簿を指で叩く。
「こいつの退出時刻だけ、後から書き足されてる」
ララさんが通信装置の記録を拡大する。
「中継装置が動き始めたのは、その時刻より後だよ」
「つまり記録では帰っているのに、実際には王城に残っていた」
百さんの言葉に、俺は発表会の景色を思い出した。
暴走する前の会場。
忙しく動き回る使用人。
装置の確認をする技術者。
舞台袖に並ぶ搬入業者。
その中に、一人だけ妙な男がいた。
「俺、その人を見たかもしれません」
全員の視線が集まる。
「どこで?」
ズヌイ兄さんが問う。
「発表会が始まった後です。舞台の裏から客席を見ていた人がいました。服装は搬入業者と同じで……」
「顔は?」
「はっきりとは。でも、ララさんが近くを通った時、隠れるように柱の裏へ移動したんです」
あの時は、ただ邪魔にならないよう避けたのだと思った。
けれど、普通の作業員なら、発表会が始まった後まで舞台裏に残る理由はない。
「ララさんを避けたんじゃない」
俺は空中の記録を見る。
「発明品を調べられるのを恐れていたんだ」
ララさんの指が止まる。
通信装置の画面を切り替える。
発表会場の立体図が浮かび上がった。
客席。
舞台。
自動お手伝いくんが設置されていた位置。
そして、一つだけ赤く表示された場所があった。
「ここ……」
俺が座っていた位置だった。
周囲の空気が変わる。
アーサーの笑みが消えた。
「暴走範囲の中心じゃないね」
ララさんが複数の線を表示する。
「機械の初期攻撃優先位置。最初に“整理対象”として指定されてた」
「俺を?」
「うん」
ララさんの声が少し低くなる。
「最初から、ヤマタを狙うように書かれてる」
俺は赤い表示を見つめた。
自分が狙われていた。
そのことより、先に別のものが引っかかった。
「そのために、ララさんの発明を使ったんですか」
誰に聞くでもなく、言葉が落ちた。
ララさんが作ったものを壊し、大勢を巻き込み、彼女自身に失敗したと思わせた。
全部、俺一人を狙うために。
手の中で、拳が閉じていた。
「ヤマタ」
百さんの声がする。
「手を開け」
言われて、初めて爪が掌へ食い込んでいることに気づいた。
ゆっくり指を開く。
百さんは何も言わず、俺の隣へ立った。
ララさんも画面を消さなかった。
赤く示された俺の位置を、真っ直ぐ見ている。
「居場所を調べる」
リンカが短剣を収めた。
「担当者の部屋」
「案内する」
ズヌイ兄さんが帳簿を閉じる。
共同倉庫の奥には、管理担当者用の小さな居室があるらしい。
リンカが先頭に立ち、木箱の間を進む。
しばらくすると、壁際で足を止めた。
「風」
「風?」
俺が近づく。
一見すると、ただの石壁だった。
けれど、隙間から細い風が流れている。
リンカが壁の一部を押す。
音もなく石板がずれ、細い通路が現れた。
「隠し通路」
「王城にこんな場所があるんですか」
「古い搬入口だ」
百さんが壁の傷へ触れる。
「最近使われている」
通路の床には、新しい靴跡が残っていた。
俺たちは薄暗い道を進む。
先には、管理担当者の居室へ繋がる扉があった。
リンカが手で合図する。
三。
二。
一。
扉を蹴り開けた。
部屋には、誰もいなかった。
開け放たれた窓から風が入り、机の上の紙を巻き上げている。
寝台は乱れ、棚の引き出しは開いたまま。急いで荷物をまとめた跡がある。
「逃げた後ですね」
「ついさっきだな」
ズヌイ兄さんが窓枠の傷を調べる。
「荷物を下ろす時に金具をぶつけてる。傷の粉がまだ落ちてねぇ」
リンカは床へ膝をつき、靴跡を追う。
「一人。大荷物なし」
「何も持たずに逃げた?」
「必要なものは別の場所」
アーサーが机の上へ残された紙を拾う。
「それとも、次の場所にもう用意してあるのかも」
紙を広げる。
王城で予定されている次の式典の配置図だった。
複数の王族が参列する、民衆向けの公開式典。
中央舞台。
護衛配置。
観客の出入口。
そして、俺の立ち位置だけが赤い印で囲まれている。
窓から入った風が、紙の端を揺らした。
誰も声を出さなかった。
アーサーは図面を見つめたまま、指先で一度だけ机を叩いた。
「罠だね」
「分かりやすすぎますね」
「分かりやすくする必要があるんだよ」
「どういうことですか」
「私たちに来てほしいから」
ララさんが虫ちゃんを床へ置いた。
「この子に音声が残ってるかもしれない」
通信記録を開く。
雑音が流れる。
金属音。
足音。
遠くで扉が閉じる音。
やがて、男の声が聞こえた。
『発表会で失敗しても構わない。第五王子を排除できれば、それでいい』
短い記録だった。
声の主は、たぶん搬入担当者だ。
けれど、その後に別の声が混じる。
小さく、聞き取りづらい。
『次の式典で終わらせろ』
その声には、妙な響きがあった。
顔を隠すための音声加工。
実行犯の背後に、別の誰かがいる。
「実行犯だけ捕まえても終わらない」
ズヌイ兄さんが言った。
「そいつを逃がせば、命令した奴まで辿れる」
「だったら」
俺は配置図を見る。
赤く塗られた自分の位置。
あそこへ立てば、犯人は必ず動く。
「次の罠に、こちらから入ります」
百さんが俺を見る。
止められると思った。
また無茶をするなと、怒鳴られるかもしれない。
けれど、百さんは何も言わなかった。
一歩前へ出て、俺の隣に立つ。
「一人では行かせない」
「百さん」
「君が罠へ入るなら、私も入る」
ララさんが配置図の反対側へ立った。
「私も」
「ララさんは狙われた発明品を――」
「私の発明を使ってヤマタを狙ったんだよ」
ララさんは配置図の赤い印へ指を置いた。
「だったら、今度は私の発明で捕まえる」
アーサーがいつもの笑みを取り戻す。
「面白くなってきたね」
「アーサーは少し真面目にしてください」
「真面目だよ。最高に盛り上がる解決編を考えてる」
「その言い方が真面目じゃないんです」
リンカが開いた窓の外を見る。
「逃走経路。追える」
「今すぐ追うのか?」
ズヌイ兄さんが問う。
「追わない」
リンカは首を振った。
「気づいていないと思わせる」
ココさんが図面を覗き込む。
「式典までに、逃げ道と金の流れを押さえる。実行犯を捕まえて、黒幕へ連絡させる。商売で言えば、まとめ買いだね」
「犯人を商品扱いしないでください」
「ズヌイ君と同じこと言ってるね」
「嫌な指摘をしないでください」
ズヌイ兄さんが配置図を畳む。
「役割を決めるぞ。俺は商会と警備の内部を洗う。アーサーは式典の配置を組み直せ」
「了解」
「ララは罠を逆利用する装置を作れ」
「任せて!」
「安全確認は?」
百さんが即座に聞く。
ララさんの笑顔が一瞬止まった。
「……ヤマタに見てもらう」
「俺、機械のことは分かりませんよ」
「危険そうかどうかは分かるでしょ?」
「最近、嫌でも分かるようになりましたけど」
「なら決まり!」
虫ちゃんが俺の足元へ近づく。
『携行食料を要求』
「今ですか?」
『作戦会議には糖分が必要』
「誰に教わったんですか、その言葉」
ララさんが目を逸らす。
アーサーが笑う。
百さんがため息をつく。
開いた窓から入る風が、部屋の紙を揺らしていた。
犯人は逃げた。
けれど、次にどこへ来るのかは分かっている。
罠が置かれているなら、避けるだけでは終わらない。
こちらから踏み込んで、仕掛けた相手の手を掴む。
配置図に残された赤い印は、今も俺の立つ場所を示していた。
俺はその印から目を逸らさなかった。
次は、追いかけるだけではない。
終わらせる番だ。