※この作品はR-18です。

王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記-   作:ボルメテウスさん

59 / 71
発明家乱入

 その日の夜。

 

 俺はようやく、自分の部屋まで戻ってきていた。

 

 王城前の式典会場では、まだ後片付けが続いている。壊れた舞台の撤去。停止した機械兵の回収。捕らえた犯人たちの取り調べ。デビルーク側への説明と、ズヌイ兄さんの商会に対する調査。

 

 本来なら第五王子である俺も、もう少し働くべきなのだろう。

 

 だが、百さんに肩を掴まれた。

 

「今日はもう休め」

 

 逆らえる声ではなかった。

 

 そのまま部屋まで送られ、湯を浴びさせられ、傷がないことを三回確認された後、ようやく一人になった。

 

 窓の外では、王都の灯りが小さく瞬いている。

 

 昼間の青空が嘘だったように、夜は深い。雲の切れ間から差し込む月光が、机の端と寝台の白いシーツだけを薄く照らしていた。

 

 静かだった。

 

 あれほど大勢の声に囲まれていた一日が終わり、部屋には時計の音しか残っていない。

 

 その静けさの中で、俺は自分の右手を見ていた。

 

 何もない。

 

 当然だ。

 

 昼間、ずっと繋がれていたララさんの手は、もうここにはない。

 

「……何をしてるんだ、俺は」

 

 手を裏返す。

 

 傷もない。火傷もない。指の間に、何かが残っているわけでもない。

 

 それでも、ララさんが握り直した時の感触だけが、妙にはっきり思い出せた。

 

『今は、離さない』

 

 頭の中で声が再生される。

 

 俺は両手で顔を覆った。

 

「落ち着け」

 

 誰に言うでもなく呟く。

 

 ララさんは、自分の気持ちを確かめたいと言っただけだ。

 

 俺の近くに来るとも言った。

 

 たぶん好き、とも言った。

 

「全然落ち着ける要素がないな……」

 

 喉が乾いた。

 

 机の上に置かれた水差しへ手を伸ばす。杯へ水を注ぎ、口をつけようとした。

 

 その瞬間。

 

 扉が勢いよく開いた。

 

「ヤマタ、来たよ!」

 

「ぶっ――!」

 

 水が気管へ入った。

 

 咳き込みながら振り返る。

 

 開いた扉の前に、ララさんが立っていた。

 

 昼間の王女としての正装ではない。淡い桃色の寝間着姿で、髪も下ろしている。片腕には工具箱。もう片方の腕には虫ちゃん。

 

 その後ろには、彼女の身体より大きい旅行鞄が置かれていた。

 

「ラ、ララさん!?」

 

「大丈夫?」

 

「誰のせいだと思ってるんですか!」

 

「水、変なところに入った?」

 

「扉が変な勢いで開いたんです!」

 

 ララさんは振り返り、扉を見る。

 

 壁へぶつかったせいで、まだ小さく揺れている。

 

「壊れてないよ?」

 

「壊れていれば問題なのではなく、夜に王子の部屋へ突入したことが問題です!」

 

「でも、鍵は開いてたよ」

 

「部屋の中にいるからです!」

 

「じゃあ、合ってた」

 

「何が!?」

 

 ララさんは当然のように室内へ入ってくる。

 

 腕に抱えていた虫ちゃんを床へ下ろすと、黒い機械は六本の脚を高速で動かし、迷うことなく寝台へ向かった。

 

 毛布を登り、枕の中央へ陣取る。

 

 赤い単眼を一度点滅させた。

 

『帰巣先へ到着』

 

「帰巣先ではありません!」

 

『登録情報と発言に矛盾』

 

「登録情報が間違ってるんです!」

 

「でも、ちゃんと帰ってきたね」

 

 ララさんが嬉しそうに笑う。

 

「俺の枕に帰ってこないでください」

 

『休眠状態へ移行』

 

「寝るのが早い!」

 

 虫ちゃんの単眼が消えた。

 

 機械のくせに、丸くなって眠る姿勢へ入っている。

 

 俺は枕を取り戻そうと手を伸ばしたが、虫ちゃんは薄く単眼を点灯させた。

 

『睡眠妨害を検知』

 

「俺の睡眠が妨害されてるんです!」

 

 ララさんが口元を押さえる。

 

 肩が揺れていた。

 

「笑わないでください」

 

「だって、もう完全にヤマタの部屋を自分の家だと思ってるよ」

 

「誰が登録したんですか」

 

「私」

 

「まずそこを直しましょう!」

 

「そのために来たんだよ」

 

 ララさんが工具箱を持ち上げる。

 

「虫ちゃんの帰巣設定と、今日使った逆探知機能の確認。それから、自動お手伝いくんの修理案も考えたいの」

 

「この時間からですか?」

 

「うん!」

 

「夜ですよ?」

 

「知ってるよ?」

 

「寝間着ですよ?」

 

 言ってから、もう一度ララさんの姿が目に入った。

 

 柔らかそうな布地。昼間よりも飾り気のない髪。足元も、城内用の軽い履物だけ。

 

 視線の置き場所が分からず、机の上の水差しを見る。

 

「どうしたの?」

 

「何でもありません」

 

「顔、赤いよ」

 

「咳き込んだからです」

 

「さっきアーサーも同じこと言ってた」

 

「あの人の観察結果は無視してください」

 

 ララさんは首を傾げたが、それ以上は追及しなかった。

 

 代わりに、廊下に置かれた大きな旅行鞄を両手で引っ張り込む。

 

 床を擦る音が、静かな部屋へ響いた。

 

「その鞄は何ですか」

 

「荷物」

 

「それは見れば分かります」

 

「今日からこっちに泊まるから」

 

 杯を持った手が止まった。

 

「……どこに?」

 

「ここ」

 

「ここ?」

 

「ヤマタのところ」

 

「場所を詳しく!」

 

 ララさんは部屋の中を見回す。

 

 机。椅子。長椅子。寝台。

 

 最後に寝台を見た。

 

「広いね」

 

「駄目です!」

 

「まだ何も言ってないよ?」

 

「今、寝台を見ましたよね!」

 

「虫ちゃんが寝てるから」

 

「ララさんも寝る場所を探してましたよね!?」

 

「一緒じゃ駄目?」

 

「駄目です!」

 

 即答した。

 

 広い部屋に、俺の声が響く。

 

 窓の外で夜鳥が一羽、驚いたように飛び立った。

 

 ララさんが瞬きをする。

 

「どうして?」

 

「どうしてって……」

 

 言葉が続かない。

 

 王女と王子。

 婚約解消を申し出たばかりの女性と、その直後に手を繋いでいた男。

 

 その二人が夜中に同じ部屋で眠ったら、どうなるか。

 

 何が起こるかではない。

 

 何を言われるかだ。

 

「色々と問題があります」

 

「何が?」

 

「周囲から見た時の問題です」

 

「誰も見てないよ?」

 

「今見ていなくても、朝には分かります!」

 

「なんで?」

 

「侍女が起こしに来るからです!」

 

「じゃあ、私が先に起きる」

 

「そういう問題ではありません!」

 

 ララさんは腕を組んだ。

 

 考えているらしい。

 

 俺もどう説明すれば伝わるのか考える。

 

 ララさんは王女だが、こういう部分の距離感が独特だ。

 

 昼間、あれほど人前で手を繋いだのだから、夜に同じ部屋にいる程度は問題ないと思っているのかもしれない。

 

「ララさんの客室は用意されていないんですか?」

 

「あるよ」

 

「あるんですか!」

 

「ヤマタの部屋の隣」

 

「では、そちらで休んでください」

 

「でも、虫ちゃんはここにいるよ?」

 

「連れて帰ってください」

 

『拒否』

 

 枕の上から機械音声が響く。

 

「起きてたんですか!」

 

『帰巣先変更を拒否』

 

「機械に部屋を乗っ取られてる……」

 

 ララさんが寝台へ近づく。

 

 虫ちゃんの横に工具箱を置き、留め具を開いた。内部から細かな工具と部品が次々に現れる。

 

「帰巣設定を直すなら、ここで作業した方が早いよ」

 

「作業だけですよ」

 

「うん」

 

「終わったら客室へ戻ってください」

 

「分かった」

 

 返事が素直すぎて、逆に疑わしい。

 

 ララさんは寝台の上へ部品を広げ始めた。

 

「そこを作業台にしないでください!」

 

「広いよ?」

 

「俺が寝る場所です!」

 

「端は空けておくね」

 

「机を使ってください!」

 

「机だと虫ちゃんが遠いから」

 

「三歩くらいです!」

 

 俺が抗議している間にも、枕の隣には設計図が広げられた。毛布の上には工具。寝台の中央には虫ちゃん。

 

 すでに俺の眠る場所は半分以下になっている。

 

「ヤマタ、これ見て」

 

 ララさんが設計図を持ち上げる。

 

「自動お手伝いくんの安全機能なんだけど、今度は命令を二つ同時に受けても、優先順位を自動で判断できるようにしたいの」

 

「それは良いと思います」

 

「それでね、危険物の判断を――」

 

 話しながら、ララさんが近づいてくる。

 

 設計図を見せるためだろう。

 

 顔が近い。

 

 俺は反射的に半歩下がった。

 

 ララさんも前へ出る。

 

 さらに下がる。

 

 さらに近づいてくる。

 

 背中が机へ当たった。

 

「ヤマタ?」

 

「はい」

 

「設計図、見えてる?」

 

「見えてます」

 

「遠くない?」

 

「十分です」

 

「文字、小さいよ?」

 

 ララさんは俺の隣へ移動した。

 

 肩が触れそうな距離で、設計図を机へ置く。

 

 桃色の髪が腕へかかった。

 

 昼間に繋いだ手とは違う。

 

 今は部屋に二人しかいない。

 

 その事実が、魔導灯の小さな音よりも大きく聞こえてくる。

 

「ヤマタ、やっぱり変だよ」

 

「どこがですか」

 

「昼はもっと近かった」

 

「昼は人が大勢いましたから」

 

「人がいない方が近くてもいいんじゃない?」

 

「普通は逆です!」

 

「そうなの?」

 

「そうです!」

 

 ララさんが俺の顔を覗き込む。

 

 視線が合う。

 

 今度は逃げる場所がなかった。

 

「私が近いと嫌?」

 

 声が少し小さくなった。

 

 さっきまで設計図の上を走っていた指が止まっている。

 

「嫌ではありません」

 

「じゃあ、どうして下がるの?」

 

「意識するからです」

 

 言ってから、口を閉じた。

 

 遅かった。

 

 ララさんの目が丸くなる。

 

「私を?」

 

「……はい」

 

「昼に言ったことを?」

 

「それも含めて」

 

「手を繋いだことも?」

 

「含めてます」

 

「好きって言ったことも?」

 

「確認しなくていいです!」

 

 ララさんの頬が、少しずつ赤くなる。

 

 俺も同じ顔をしている気がした。

 

 魔導灯の明かりが弱いことだけが救いだった。

 

「そっか」

 

 ララさんは設計図へ視線を落とす。

 

 指先で紙の角を折りかけ、慌てて戻した。

 

「ヤマタも意識するんだ」

 

「しますよ」

 

「私ばっかりだと思ってた」

 

「ララさんは昼間、あれだけ堂々としてたじゃないですか」

 

「あの時は、言わなきゃって思ってたから」

 

「今は?」

 

「今は、二人しかいないから」

 

 同じだった。

 

 昼間は大勢の前だったからこそ、やるべきことだけを見ていられた。

 

 静かな部屋では、言葉の後ろにあったものまで聞こえてしまう。

 

 外で枝が揺れた。

 

 月明かりが窓枠を滑り、机の上に並ぶ二人分の影を少しだけ近づける。

 

 ララさんは設計図から手を離した。

 

「ねえ、ヤマタ」

 

「はい」

 

「私が来たの、嫌だった?」

 

「嫌ではありません」

 

「本当に?」

 

「驚きましたけど」

 

「追い出したい?」

 

 返事をする前に、ララさんが少しだけ身体を引いた。

 

 さっきまで近づいてきたのに。

 

 その一歩だけが、部屋を急に広く見せた。

 

「来てくれたのは嬉しいです」

 

 俺は言った。

 

 ララさんが顔を上げる。

 

「今日のことを話したかったですし、ララさんがどう思っているのかも、もう少し聞きたかったので」

 

「じゃあ、ここにいていい?」

 

「作業が終わるまでは」

 

「終わった後は?」

 

「客室へ戻ってください」

 

「そこは変わらないんだ」

 

「変えません」

 

「一緒に寝るだけだよ?」

 

「その“だけ”が問題なんです!」

 

 ララさんが笑った。

 

 今度はいつもの笑い方だった。

 

「分かった。寝るのは隣の部屋にする」

 

「お願いします」

 

「でも、眠くなるまではここにいる」

 

「それなら……まあ」

 

「話していい?」

 

「何をですか」

 

「今日のこと。これからのこと。ヤマタのこと」

 

「最後だけ範囲が広くないですか?」

 

「いっぱい確かめたいから」

 

 ララさんは長椅子へ腰を下ろした。

 

 隣の座面を軽く叩く。

 

「ここなら近すぎない?」

 

「……はい」

 

 俺も隣へ座る。

 

 一人分ほど間を空けたつもりだった。

 

 だが、ララさんが少し横へ動き、その間を半分にした。

 

「ララさん」

 

「近すぎないよ?」

 

「基準が信用できません」

 

「ヤマタが逃げない距離にしたの」

 

 そう言われると、離れづらい。

 

 寝台では、虫ちゃんが設計図の上へ移動していた。

 

『作業中断を確認』

 

「今は話す時間です」

 

『整備を要求』

 

「後でね」

 

『報酬を要求』

 

「明日、焼き菓子をあげる」

 

『契約成立』

 

「ララさん、その癖を悪化させないでください」

 

 小さく笑い合う。

 

 窓の外では、夜の風が庭の木々を揺らしている。

 

 昼間の歓声も、機械兵の駆動音もない。

 

 聞こえるのは、ララさんの声と、時折混じる虫ちゃんの機械音だけだった。

 

「ヤマタ」

 

「はい」

 

「昼に言ったこと、まだ変わってない?」

 

「何のことです?」

 

「私が行きたい場所を選んでいいってこと」

 

「変わってません」

 

「今、ヤマタの近くにいたいって選んでも?」

 

「はい」

 

「明日も?」

 

「明日になっても、同じ答えなら」

 

「その次の日も?」

 

「ララさんが決めることです」

 

 ララさんは膝の上で指を組んだ。

 

 その指が、少しだけこちらへ動く。

 

 俺の手には触れない。

 

 長椅子の上、あと指一本分のところで止まった。

 

「じゃあ、明日も来るね」

 

「扉を開ける前に、ノックしてください」

 

「努力する」

 

「約束してください」

 

「たぶん」

 

「一番信用できない返事です!」

 

 ララさんが声を立てて笑う。

 

 その笑い声が、夜の部屋へ柔らかく広がった。

 

 しばらくして、彼女は昼間の発明品について話し始めた。

 

 次に作りたいもの。

 直さなければならない機能。

 デビルークへ戻った後、父親へどう説明するか。

 

 俺も聞いた。

 

 分からないことは聞き返した。

 

 時々、話が脱線した。

 

 虫ちゃんが菓子の種類を指定し始め、二人で却下した。

 

 やがて、ララさんの声が少しずつ遅くなった。

 

 長椅子の背もたれへ頭を預け、瞬きの間隔が長くなる。

 

「眠いんじゃないですか」

 

「まだ平気」

 

「目が閉じてます」

 

「考えてるだけ」

 

「何を?」

 

「明日も……ここに来る理由」

 

「普通に話をしに来ればいいでしょう」

 

 ララさんの目が、ゆっくり開いた。

 

「理由、いらない?」

 

「はい」

 

「虫ちゃんの様子を見に来たって言わなくても?」

 

「言わなくていいです」

 

「発明の相談がなくても?」

 

「なくても大丈夫です」

 

 ララさんは俺を見たまま、何度か瞬きをした。

 

 眠気のせいか、頬が少し緩む。

 

「そっか」

 

 短い返事だった。

 

 けれど、その後はもう新しい理由を探さなかった。

 

 月が雲から出る。

 

 窓から差し込む光が長椅子まで届き、二人の影を壁へ並べた。

 

 昼間よりも静かなのに。

 

 隣にいることだけは、昼間よりずっとはっきり分かった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。