王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記- 作:ボルメテウスさん
翌朝。
扉を開けた瞬間、俺は静かに閉め直した。
「ヤマタ?」
扉の向こうから声がする。
聞き間違いではない。
もう一度、ほんの少しだけ開ける。
廊下には朝日が差し込んでいた。高い窓から入った光が床へ長い四角を作り、その真ん中にララさんが立っている。
両手には大きな籠。
桃色の髪は朝の光を受け、いつもより柔らかく見えた。
「どうして閉めたの?」
「夢かと思いまして」
「もう起きてるよ?」
「俺の方です」
昨夜、ララさんが客室へ戻ったのはかなり遅い時間だった。
眠くなるまで話すと言い、本当に眠くなるまで居座った。最後には長椅子へ凭れたまま目を閉じかけ、俺が隣の客室まで送った。
それなのに。
「何時からここにいたんですか?」
「ちょっと前」
「具体的には?」
「空が明るくなったくらい」
「早すぎませんか!?」
ララさんは首を傾げる。
「でも、好きな人には朝一番に会うといいんだって」
「誰がそんなことを」
「アーサー」
納得しかなかった。
「あの人の助言を素直に実行しないでください」
「どうして?」
「面白がって教えてます」
「でも、ヤマタに早く会えたよ?」
籠を抱えたまま、ララさんが笑う。
返す言葉がなくなった。
こういう時、何か裏があるなら助かる。
外交的な意図。
婚約問題を有利に進めるための演出。
俺の陣営へ入ることを周囲へ示すための行動。
理由があれば、それについて考えればいい。
けれど。
「早く会いたかっただけですか?」
「うん」
「本当に?」
「うん」
ララさんは二度頷いた。
疑いようのない顔だった。
考えるために用意していた逃げ道が、一つずつ塞がっていく。
「それ、朝ご飯ですか?」
「作ってきたの!」
籠に掛けられていた布が取られる。
中には、複数のサンドイッチが並んでいた。
並んでいる、と表現していいのかは分からない。
大きさが違う。
パンの切り口も揃っていない。
一つは中身が端からはみ出し、別の一つは上下のパンがずれている。
「自分で?」
「うん!」
「城の料理人に止められませんでした?」
「最初は止められたよ」
「でしょうね」
「でも、好きな人へ作るって言ったら、色々教えてくれた」
料理人たちの顔が浮かぶ。
おそらく止めるより、監視しながら作らせた方が安全だと判断したのだろう。
「これ、ヤマタが好きそうな具を選んだの」
「俺の好物を知ってるんですか?」
「まだ知らないから、色々入れたよ!」
「選んだというより、全部試しただけでは?」
「どれが好きか分かるでしょ?」
合理的ではある。
少なくとも、ララさんの中では。
「食べてみて」
籠が目の前へ差し出される。
ララさんの目が、サンドイッチと俺の口元を往復している。
断れる空気ではない。
一つ手に取る。
形は少し崩れている。中には卵と葉野菜、それから薄切りの肉が挟まれていた。
「いただきます」
一口食べる。
味は普通だった。
少しだけ塩が強い。パンの片側に具が寄っているせいで、二口目はほとんど葉野菜だけになりそうだ。
けれど、食べられない味ではない。
「どう?」
ララさんが身を乗り出す。
「美味しいです」
「本当に?」
「はい」
「どこが?」
「卵の味がちゃんとします」
「卵だからね」
「肉も入ってます」
「入れたからね」
「パンも柔らかいです」
「それは料理人さんが焼いたよ」
「俺の感想、必要ですか?」
ララさんが声を立てて笑う。
その後、俺が小さく頷いたのを見て、籠を持ったまま両手を上げようとした。
「やった!」
「危ない!」
籠が傾く。
慌てて下から支える。
中のサンドイッチが少し滑ったが、どうにか落ちずに済んだ。
「気をつけてください」
「ヤマタが取ってくれたから大丈夫」
「最初から落とさないでください」
「じゃあ、次はもっと上手に作るね」
「次も?」
「うん。明日は別の味にする」
「毎朝作るつもりですか?」
「ヤマタの好きな味が分かるまで」
俺の手はまだ籠の底を支えていた。
ララさんの手も持ち手を握っている。
近い。
昨日の夜ほどではない。
廊下には朝の光があり、いつ使用人が通ってもおかしくない。
それなのに、距離を意識した瞬間、視線が行き場を失った。
「ヤマタ?」
「何でもありません」
「顔、赤くない?」
「朝日です」
「ここ、日陰だよ?」
「朝なので体温が上がってるんです」
「そうなの?」
「たぶん」
「百に聞いてみようか?」
「聞かなくていいです!」
廊下の奥から、足音が聞こえた。
百さんだった。
軍装姿で、朝の巡回から戻ってきたらしい。
俺とララさん。
二人で支えている朝食籠。
俺が食べかけのサンドイッチ。
百さんの視線が順番に止まる。
「何をしている」
「朝ご飯!」
ララさんが答える。
「ララ王女が作ったのか」
「うん!」
「毒味は?」
「してません!」
俺が即座に答える。
百さんの眉が寄る。
「ヤマタ」
「毒が入っているとは思ってませんよ!」
「発明品を料理へ応用していないか確認したのか」
俺はララさんを見る。
ララさんは目を逸らした。
「ララさん?」
「温度を一定にする小型装置だけ」
「どこに使ったんですか」
「卵を焼く時」
「爆発してませんよね?」
「一回だけ煙が出た」
「それを先に言ってください!」
「料理は無事だったよ?」
「調理器具の方が心配です!」
百さんは深く息を吐いた。
「厨房の確認は後で私がする」
「お願いします」
「ヤマタも来い」
「俺もですか?」
「食べた責任だ」
朝食を口にしただけで、どうして調理事故の確認まで行くことになるのだろう。
ララさんは楽しそうに、残りのサンドイッチを俺へ差し出した。
「歩きながら食べる?」
「行儀が悪いので後にします」
「じゃあ、持っていくね」
当然のように俺の隣へ並ぶ。
百さんが歩き出し、俺たちも後へ続いた。
ララさんの肩が、時々俺の腕へ触れる。
廊下は十分に広い。
反対側にも人二人が並べるほど余裕がある。
少し横へずれた。
ララさんも同じだけずれた。
「ララさん」
「なに?」
「近くないですか?」
「昨日、逃げない距離を覚えたから」
「覚えなくていいです」
「でも今、逃げなかったよ?」
「廊下の端まで行くと壁にぶつかるからです」
ララさんが嬉しそうに笑う。
前を歩く百さんの足が一瞬だけ止まり、また動き出した。
厨房の確認を終えた後、午前の会議が始まった。
事件後の交易再編。
ガルドの起こした不正に関する商会内部の調査。
デビルークとの婚約協議。
内容はどれも軽くない。
会議室の長机には、アーサー、百さん、リンカ、ココさん、それからララさんが集まっていた。
俺が席へ着く。
ララさんが隣へ座る。
椅子の間隔が少し狭い。
俺は自分の椅子を半歩分だけ外へ動かした。
ララさんも同じだけ動かした。
もう一度動かす。
ララさんも動く。
さらに動く。
また動いた。
「ララさん」
「なに?」
「どうしてついてくるんですか」
「隣に座りたいから」
「理由が直接的すぎませんか?」
「分かりやすい方がいいんでしょ?」
昨日までなら、何かを企んで笑っているアーサーの方を見ればよかった。
しかし今日のララさんは、表情も言葉も一直線だ。
こちらが深読みしようとするほど、答えが簡単になって返ってくる。
向かい側で、アーサーが口元を押さえていた。
「笑ってますよね」
「まだ笑ってないよ」
「目が笑ってます」
「ヤマタ君の椅子、そろそろ壁に当たりそうだね」
振り返る。
あと少しだった。
「戻します」
元の位置へ椅子を戻す。
ララさんも戻る。
今度はさっきより少し近い。
「近づいてませんか?」
「戻しただけだよ?」
「元より近いです」
「誤差」
リンカが机の下を見た。
「十二センチ」
「測らなくていいです!」
「正確」
「そういう問題ではありません!」
ココさんが資料をめくりながら笑う。
「第五王子陣営、朝から市場が活発だね」
「何の市場ですか」
「距離の値動き」
「取引しないでください」
会議が始まる。
ズヌイ兄さんの商会から提出された資料を確認し、今後の対応を話し合う。
ララさんも真剣に説明を聞いていた。
少なくとも、最初の十分ほどは。
俺が資料へ目を落としていると、隣から紙が差し出された。
会議資料ではない。
小さな手帳だった。
開かれた頁には、項目が並んでいる。
好きな食べ物。
好きな色。
好きな季節。
休日の過ごし方。
行ってみたい場所。
欲しいもの。
「これは?」
「ヤマタのことを調べる手帳」
「会議中ですよ」
「後で聞くために項目を作ってるの」
「ずいぶん多いですね」
「まだ増やすよ」
「何のためですか?」
「ヤマタに喜んでもらえるものを作るため」
声を潜める様子もない。
会議室の全員に聞こえている。
アーサーが手帳を覗き込んだ。
「攻略資料?」
「うん。ヤマタ攻略用」
「堂々と認めないでください!」
ララさんが不思議そうな顔をする。
「嫌?」
「嫌というか、そういう言い方をされると困ります」
「どうして?」
「俺を攻略して、何をするつもりなんですか」
「もっと好きになってもらう」
紙をめくる音が止まった。
誰の手が止まったのかは分からない。
たぶん、全員だ。
ララさんだけが、手帳に新しい項目を書き足している。
「好きな香りも聞かなきゃ」
「ララさん」
「なに?」
「好意を、そんなに堂々と口に出せるんですか?」
「うん」
「恥ずかしくないんですか?」
ララさんの筆が止まる。
顔を上げた。
「恥ずかしいよ?」
「そうは見えません」
「でも、言わないと伝わらないでしょ?」
「それは、まあ」
「ヤマタはすぐ別の意味に考えるし」
「慎重に確認してるだけです」
「昨日も、好きって言ったのに何が好きなのか聞いたよね」
「あれは勘違いを避けるためです!」
「だから、今日は勘違いしない言い方をしてるの」
なるほど。
理屈は分かる。
分かるが、受ける側の準備がまったく追いつかない。
「ヤマタのことを知りたい」
ララさんは手帳へ視線を落とす。
「好きなものも、嫌いなものも。疲れた時に何をしたいかも、どんな時に一人になりたいかも」
「王位争奪戦で利用するためではなく?」
「違うよ」
「外交上の意味も?」
「ないよ」
「デビルークとの交易に必要とか」
「関係ないよ」
ララさんは一つずつ否定する。
最後に手帳を閉じた。
「好きだから知りたいだけ」
「全部、それで説明しないでください」
「どうして?」
「俺が考える時間がなくなります」
アーサーがとうとう机へ伏せた。
肩が大きく揺れている。
「アーサー」
「ごめん……でも、ヤマタ君、悪意にはかなり強くなったのに……」
顔を上げる。
目元には涙が滲んでいた。
「善意には防御力が全然ないね」
「防御するものではないでしょう」
「だから余計に困ってるんでしょ?」
「……会議を続けます」
「逃げた」
「続けます!」
百さんが指先で机を二度叩いた。
「私語はそこまでだ」
「はい」
俺とララさんの声が重なる。
会議は再開された。
その後も、ララさんは時々手帳へ何かを書き込んでいた。
俺が茶を飲めば、飲み方を見る。
菓子へ手を伸ばせば、種類を確認する。
資料の端へ無意識に印をつければ、その印の形まで覗き込む。
視線を感じるたび、背中がむず痒くなった。
昼を過ぎ、会議が終わった頃には、朝から続いた緊張とは別の疲れが肩へ積もっていた。
「ヤマタ」
会議室を出たところで、ララさんに呼び止められた。
振り返る。
彼女は両手を背中へ隠している。
「どうしました?」
「渡したいものがあるの」
「発明品ですか?」
「うん」
ララさんが手を前へ出す。
掌に載っていたのは、細い銀色の腕輪だった。
華美な装飾はない。
表面には細かな線が走り、中央に小さな石が埋め込まれている。
光を受けた石は、深い青色に輝いた。
「綺麗ですね」
「ヤマタの目の色に近い石を選んだの」
腕輪へ伸ばしかけた手が止まる。
「俺専用ですか?」
「うん」
ララさんは腕輪の両端を持ち、俺へ見せる。
「危険を感じた時に押すと、私の端末へ場所が送られるの。それから身体の状態も少しだけ分かる」
「護衛用の通信具ですね」
「それだけじゃないよ」
「王位争奪戦で狙われた際、早く援軍を送るためですか?」
「違う」
「俺の位置を把握して、陣営の行動を調整するため?」
「違うよ」
「なら、どういう目的で?」
ララさんの指が、腕輪の縁を撫でる。
朝から一度も止まらなかった言葉が、その時だけ途切れた。
「ヤマタが危ない目に遭った時、知らないままなのが嫌だから」
廊下の窓から、午後の光が差している。
朝より低くなった陽射しが、銀色の腕輪を淡く染めた。
「役に立つから作ったんじゃないよ」
ララさんは腕輪を見たまま続ける。
「ヤマタはすぐ自分から危ないところへ行くでしょ?」
「自覚はあります」
「やめてほしいけど、たぶんやめないし」
「努力はします」
「だから、せめて分かるようにしたかったの」
腕輪を持つ指が少し動く。
「ヤマタには、明日も明後日も元気でいてほしいから」
口を開く。
何を言うつもりだったのか、自分でも分からなかった。
性能の確認。
通信距離。
魔力消費。
外部から操作される可能性。
聞くべきことはいくつもある。
けれど、そのどれも今は違う気がした。
ララさんは、役に立つものを渡そうとしているのではない。
俺を何かへ使うためでもない。
ただ、いなくならないでほしいと言っている。
それだけのために、時間を使って、石を選び、腕輪を作った。
手を差し出す。
「貸してください」
ララさんが腕輪を掌へ載せる。
冷たい金属の感触。
中央の石が、触れた瞬間に淡く光った。
「自分でつけられます?」
「うん。手首に当てれば自動で調整されるよ」
左手首へ近づける。
腕輪が小さく開き、皮膚へ触れたところで輪を閉じた。
細かな光が一周し、俺の手首に合う大きさへ縮まる。
「どう?」
「軽いですね」
「邪魔じゃない?」
「大丈夫です」
手首を動かしてみる。
視界の端で青い石が光る。
「ありがとうございます」
ララさんがこちらを見た。
「大切に使います」
彼女の顔が一気に明るくなる。
「本当!?」
「はい」
「外さない?」
「必要な時以外は」
「寝る時も?」
「安全なら」
「お風呂でも?」
「防水なんですか?」
「もちろん!」
「では、たぶん」
「やった!」
次の瞬間、左腕へ柔らかな感触が絡みついた。
ララさんが抱きついていた。
「ララさん!?」
「嬉しい!」
「分かりました! 分かりましたから!」
腕へかかる力が強くなる。
頬が肩へ触れる。
桃色の髪が胸元へ流れ、銀色の腕輪が二人の間で淡く点滅した。
両手の置き場所が分からない。
肩へ手を置けばいいのか。
背中へ回すべきなのか。
それとも何もせず待つべきなのか。
答えを探して周囲を見る。
廊下の向こうに、アーサー、百さん、リンカが立っていた。
アーサーは壁へ手をついている。
笑いを堪えるためだろう。
百さんは腕を組み、腕輪を見ている。
リンカは無表情だった。
「助けてください」
「何から?」
リンカが問う。
「この状況からです」
「攻撃ではない」
「分かってます!」
「なら、自力」
「そこを何とか!」
アーサーが顔を背けた。
「駄目……ヤマタ君の顔……」
「笑わないでください!」
「だって、純粋な好意には防御力ゼロだね」
「防御したら失礼でしょう!」
「だから動けないんだ」
「実況しなくていいです!」
ララさんは俺の腕を抱いたまま、アーサーへ顔を向ける。
「これ、効果ある?」
「すごくあるよ」
「何の話ですか!」
「ヤマタ攻略」
「会議で終わった話では!?」
「続いてるよ」
「終わらせてください!」
百さんが一歩近づく。
「ララ王女」
「なに?」
「その腕輪を確認させてもらう」
「いいよ!」
「外部からの遠隔操作は?」
「できないようにした」
「位置情報の閲覧権限は?」
「私だけ」
「魔力経路への干渉は?」
「しないよ。体温と脈拍と、危険信号だけ」
百さんの視線が、腕輪の青い石へ止まる。
「安全確認は何回した」
「七回!」
「なら、八回目を私が行う」
「うん!」
ララさんは元気よく答えた。
それでも腕を離さない。
「まず離れて話しませんか」
「このままでも話せるよ?」
「俺が話しにくいんです」
「嫌?」
見上げられる。
昼間の真っ直ぐな光が、そのまま目の中にある。
嫌だとは思わなかった。
近い。
恥ずかしい。
周囲の視線も痛い。
けれど、腕を引いて離れようとは思わなかった。
「嫌ではありませんけど」
「じゃあ、もう少し」
「どうして時間制なんですか」
「嬉しいから」
「全部、それで通さないでください」
「嫌じゃないんでしょ?」
「……はい」
「よろしい!」
ララさんはさらに頬を寄せた。
腕輪がまた一度光る。
『生体反応の上昇を確認』
聞き覚えのある機械音声が響いた。
足元を見る。
いつの間にか虫ちゃんがいた。
「どうしてここに!?」
『腕輪との連動確認』
「何を連動させたんですか!」
「危険検知の補助」
ララさんが答える。
『対象ヤマタの脈拍上昇』
「報告しなくていいです!」
『体温上昇』
「止めてください!」
『呼吸速度――』
「強制停止!」
ララさんが足で虫ちゃんの背中を軽く押す。
赤い単眼が消えた。
「ごめん。調整が必要みたい」
「腕輪も八回どころか十回は確認してください!」
「じゃあ、今夜一緒にやろう」
「今夜?」
「ヤマタの部屋で」
「客室でやりませんか?」
「でも、腕輪を使うのはヤマタだよ?」
「会議室でもできます!」
「ヤマタの部屋の方が近い」
「何にですか!」
「ヤマタに」
アーサーがとうとう声を立てて笑った。
百さんは眉間へ指を当てている。
リンカが虫ちゃんを持ち上げた。
「回収」
「お願いします」
「報酬」
「焼き菓子を渡してください」
『契約成立』
「どうして皆、虫ちゃんの扱いに慣れてるんですか」
ララさんがようやく腕を少し緩めた。
離れるのかと思った。
けれど、その手は俺の手首へ移り、贈った腕輪の上へ重なった。
「ヤマタ」
「はい」
「明日も朝、会いに行くね」
「もう決定ですか」
「朝ご飯も作る」
「厨房で煙を出さないでください」
「今度はもっと上手に作るよ」
「安全第一でお願いします」
「あと、次はお揃いのものを作りたい」
「お揃い?」
「うん。私も同じ腕輪をつけるの」
ララさんは自分の手首を俺の手首の隣へ並べた。
今は何もない細い手首。
その位置へ、見えない腕輪を想像するように指で輪を作る。
「そうしたら、離れていてもお互いのことが分かるでしょ?」
「俺の方からもララさんの危険が分かるように?」
「うん」
「それなら必要ですね」
答えると、ララさんが瞬きをした。
「必要?」
「ララさんも危ないところへ行きますから」
「心配してくれるの?」
「当然でしょう」
「役に立つからじゃなくて?」
同じ問いを返された。
俺は腕輪へ視線を落とす。
青い石が、夕日に近づいた光を受けて輝いている。
「知らないままなのは、嫌ですから」
ララさんの指が止まった。
さっきまであれほど勢いよく言葉を返していたのに、今は何も言わない。
「ララさん?」
「……うん」
小さく頷く。
それから、腕輪の上へ置いた手を少しだけ握った。
「絶対作る」
「安全確認もしてくださいね」
「十回する」
「それなら」
「十一回目は百に頼む」
百さんがこちらを見る。
「最初から私も設計段階へ入れろ」
「分かった!」
「勝手に話が進んでますね」
窓の外では、陽が傾き始めていた。
長い廊下が茜色に染まり、俺とララさんの影が床へ伸びている。
腕を抱かれていた時とは違う。
今は手首へ触れているだけだ。
それでも二つの影は、途中で重なっていた。
「ヤマタ」
「何ですか」
「明日の朝、何が食べたい?」
「今日の卵のサンドイッチでいいですよ」
「同じでいいの?」
「美味しかったので」
ララさんの目が大きくなる。
次の瞬間、また腕へ抱きつかれた。
「ララさん!?」
「今の、嬉しかった!」
「分かりましたから!」
「明日はもっといっぱい作るね!」
「量を増やす必要はありません!」
「好きな人にはいっぱい食べてもらうといいんだって!」
「またアーサーですか!?」
「今のは料理人さん」
「城内全体が協力し始めてる……!」
アーサーの笑い声が廊下へ響く。
百さんは腕輪を確認するため、俺たちの後ろを歩き始める。
リンカは虫ちゃんを抱え、その単眼が再び点灯しないよう上から布をかけた。
俺はララさんに腕を取られたまま、夕日の中を歩いた。
昨夜までは、ララさんが俺の近くにいる理由を探していた。
発明の修理。
虫ちゃんの確認。
婚約問題の相談。
今日、そのどれも必要なくなった。
会いたかったから。
喜んでほしかったから。
無事でいてほしかったから。
理由はどれも、驚くほど短い。
短いのに、どんな長い説明より逃げ道がなかった。
左手首の石が、もう一度淡く光る。
『生体反応――』
「虫ちゃん!」
リンカが布の上から本体を叩く。
単眼が消えた。
ララさんは俺の腕を抱いたまま笑った。
俺は何も言えず、赤く染まった窓の外へ顔を向けた。