※この作品はR-18です。

王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記-   作:ボルメテウスさん

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遠慮のない直球

 翌朝。

 

 扉を開けた瞬間、俺は静かに閉め直した。

 

「ヤマタ?」

 

 扉の向こうから声がする。

 

 聞き間違いではない。

 

 もう一度、ほんの少しだけ開ける。

 

 廊下には朝日が差し込んでいた。高い窓から入った光が床へ長い四角を作り、その真ん中にララさんが立っている。

 

 両手には大きな籠。

 

 桃色の髪は朝の光を受け、いつもより柔らかく見えた。

 

「どうして閉めたの?」

 

「夢かと思いまして」

 

「もう起きてるよ?」

 

「俺の方です」

 

 昨夜、ララさんが客室へ戻ったのはかなり遅い時間だった。

 

 眠くなるまで話すと言い、本当に眠くなるまで居座った。最後には長椅子へ凭れたまま目を閉じかけ、俺が隣の客室まで送った。

 

 それなのに。

 

「何時からここにいたんですか?」

 

「ちょっと前」

 

「具体的には?」

 

「空が明るくなったくらい」

 

「早すぎませんか!?」

 

 ララさんは首を傾げる。

 

「でも、好きな人には朝一番に会うといいんだって」

 

「誰がそんなことを」

 

「アーサー」

 

 納得しかなかった。

 

「あの人の助言を素直に実行しないでください」

 

「どうして?」

 

「面白がって教えてます」

 

「でも、ヤマタに早く会えたよ?」

 

 籠を抱えたまま、ララさんが笑う。

 

 返す言葉がなくなった。

 

 こういう時、何か裏があるなら助かる。

 

 外交的な意図。

 婚約問題を有利に進めるための演出。

 俺の陣営へ入ることを周囲へ示すための行動。

 

 理由があれば、それについて考えればいい。

 

 けれど。

 

「早く会いたかっただけですか?」

 

「うん」

 

「本当に?」

 

「うん」

 

 ララさんは二度頷いた。

 

 疑いようのない顔だった。

 

 考えるために用意していた逃げ道が、一つずつ塞がっていく。

 

「それ、朝ご飯ですか?」

 

「作ってきたの!」

 

 籠に掛けられていた布が取られる。

 

 中には、複数のサンドイッチが並んでいた。

 

 並んでいる、と表現していいのかは分からない。

 

 大きさが違う。

 

 パンの切り口も揃っていない。

 

 一つは中身が端からはみ出し、別の一つは上下のパンがずれている。

 

「自分で?」

 

「うん!」

 

「城の料理人に止められませんでした?」

 

「最初は止められたよ」

 

「でしょうね」

 

「でも、好きな人へ作るって言ったら、色々教えてくれた」

 

 料理人たちの顔が浮かぶ。

 

 おそらく止めるより、監視しながら作らせた方が安全だと判断したのだろう。

 

「これ、ヤマタが好きそうな具を選んだの」

 

「俺の好物を知ってるんですか?」

 

「まだ知らないから、色々入れたよ!」

 

「選んだというより、全部試しただけでは?」

 

「どれが好きか分かるでしょ?」

 

 合理的ではある。

 

 少なくとも、ララさんの中では。

 

「食べてみて」

 

 籠が目の前へ差し出される。

 

 ララさんの目が、サンドイッチと俺の口元を往復している。

 

 断れる空気ではない。

 

 一つ手に取る。

 

 形は少し崩れている。中には卵と葉野菜、それから薄切りの肉が挟まれていた。

 

「いただきます」

 

 一口食べる。

 

 味は普通だった。

 

 少しだけ塩が強い。パンの片側に具が寄っているせいで、二口目はほとんど葉野菜だけになりそうだ。

 

 けれど、食べられない味ではない。

 

「どう?」

 

 ララさんが身を乗り出す。

 

「美味しいです」

 

「本当に?」

 

「はい」

 

「どこが?」

 

「卵の味がちゃんとします」

 

「卵だからね」

 

「肉も入ってます」

 

「入れたからね」

 

「パンも柔らかいです」

 

「それは料理人さんが焼いたよ」

 

「俺の感想、必要ですか?」

 

 ララさんが声を立てて笑う。

 

 その後、俺が小さく頷いたのを見て、籠を持ったまま両手を上げようとした。

 

「やった!」

 

「危ない!」

 

 籠が傾く。

 

 慌てて下から支える。

 

 中のサンドイッチが少し滑ったが、どうにか落ちずに済んだ。

 

「気をつけてください」

 

「ヤマタが取ってくれたから大丈夫」

 

「最初から落とさないでください」

 

「じゃあ、次はもっと上手に作るね」

 

「次も?」

 

「うん。明日は別の味にする」

 

「毎朝作るつもりですか?」

 

「ヤマタの好きな味が分かるまで」

 

 俺の手はまだ籠の底を支えていた。

 

 ララさんの手も持ち手を握っている。

 

 近い。

 

 昨日の夜ほどではない。

 

 廊下には朝の光があり、いつ使用人が通ってもおかしくない。

 

 それなのに、距離を意識した瞬間、視線が行き場を失った。

 

「ヤマタ?」

 

「何でもありません」

 

「顔、赤くない?」

 

「朝日です」

 

「ここ、日陰だよ?」

 

「朝なので体温が上がってるんです」

 

「そうなの?」

 

「たぶん」

 

「百に聞いてみようか?」

 

「聞かなくていいです!」

 

 廊下の奥から、足音が聞こえた。

 

 百さんだった。

 

 軍装姿で、朝の巡回から戻ってきたらしい。

 

 俺とララさん。

 

 二人で支えている朝食籠。

 

 俺が食べかけのサンドイッチ。

 

 百さんの視線が順番に止まる。

 

「何をしている」

 

「朝ご飯!」

 

 ララさんが答える。

 

「ララ王女が作ったのか」

 

「うん!」

 

「毒味は?」

 

「してません!」

 

 俺が即座に答える。

 

 百さんの眉が寄る。

 

「ヤマタ」

 

「毒が入っているとは思ってませんよ!」

 

「発明品を料理へ応用していないか確認したのか」

 

 俺はララさんを見る。

 

 ララさんは目を逸らした。

 

「ララさん?」

 

「温度を一定にする小型装置だけ」

 

「どこに使ったんですか」

 

「卵を焼く時」

 

「爆発してませんよね?」

 

「一回だけ煙が出た」

 

「それを先に言ってください!」

 

「料理は無事だったよ?」

 

「調理器具の方が心配です!」

 

 百さんは深く息を吐いた。

 

「厨房の確認は後で私がする」

 

「お願いします」

 

「ヤマタも来い」

 

「俺もですか?」

 

「食べた責任だ」

 

 朝食を口にしただけで、どうして調理事故の確認まで行くことになるのだろう。

 

 ララさんは楽しそうに、残りのサンドイッチを俺へ差し出した。

 

「歩きながら食べる?」

 

「行儀が悪いので後にします」

 

「じゃあ、持っていくね」

 

 当然のように俺の隣へ並ぶ。

 

 百さんが歩き出し、俺たちも後へ続いた。

 

 ララさんの肩が、時々俺の腕へ触れる。

 

 廊下は十分に広い。

 

 反対側にも人二人が並べるほど余裕がある。

 

 少し横へずれた。

 

 ララさんも同じだけずれた。

 

「ララさん」

 

「なに?」

 

「近くないですか?」

 

「昨日、逃げない距離を覚えたから」

 

「覚えなくていいです」

 

「でも今、逃げなかったよ?」

 

「廊下の端まで行くと壁にぶつかるからです」

 

 ララさんが嬉しそうに笑う。

 

 前を歩く百さんの足が一瞬だけ止まり、また動き出した。

 

 厨房の確認を終えた後、午前の会議が始まった。

 

 事件後の交易再編。

 

 ガルドの起こした不正に関する商会内部の調査。

 

 デビルークとの婚約協議。

 

 内容はどれも軽くない。

 

 会議室の長机には、アーサー、百さん、リンカ、ココさん、それからララさんが集まっていた。

 

 俺が席へ着く。

 

 ララさんが隣へ座る。

 

 椅子の間隔が少し狭い。

 

 俺は自分の椅子を半歩分だけ外へ動かした。

 

 ララさんも同じだけ動かした。

 

 もう一度動かす。

 

 ララさんも動く。

 

 さらに動く。

 

 また動いた。

 

「ララさん」

 

「なに?」

 

「どうしてついてくるんですか」

 

「隣に座りたいから」

 

「理由が直接的すぎませんか?」

 

「分かりやすい方がいいんでしょ?」

 

 昨日までなら、何かを企んで笑っているアーサーの方を見ればよかった。

 

 しかし今日のララさんは、表情も言葉も一直線だ。

 

 こちらが深読みしようとするほど、答えが簡単になって返ってくる。

 

 向かい側で、アーサーが口元を押さえていた。

 

「笑ってますよね」

 

「まだ笑ってないよ」

 

「目が笑ってます」

 

「ヤマタ君の椅子、そろそろ壁に当たりそうだね」

 

 振り返る。

 

 あと少しだった。

 

「戻します」

 

 元の位置へ椅子を戻す。

 

 ララさんも戻る。

 

 今度はさっきより少し近い。

 

「近づいてませんか?」

 

「戻しただけだよ?」

 

「元より近いです」

 

「誤差」

 

 リンカが机の下を見た。

 

「十二センチ」

 

「測らなくていいです!」

 

「正確」

 

「そういう問題ではありません!」

 

 ココさんが資料をめくりながら笑う。

 

「第五王子陣営、朝から市場が活発だね」

 

「何の市場ですか」

 

「距離の値動き」

 

「取引しないでください」

 

 会議が始まる。

 

 ズヌイ兄さんの商会から提出された資料を確認し、今後の対応を話し合う。

 

 ララさんも真剣に説明を聞いていた。

 

 少なくとも、最初の十分ほどは。

 

 俺が資料へ目を落としていると、隣から紙が差し出された。

 

 会議資料ではない。

 

 小さな手帳だった。

 

 開かれた頁には、項目が並んでいる。

 

 好きな食べ物。

 好きな色。

 好きな季節。

 休日の過ごし方。

 行ってみたい場所。

 欲しいもの。

 

「これは?」

 

「ヤマタのことを調べる手帳」

 

「会議中ですよ」

 

「後で聞くために項目を作ってるの」

 

「ずいぶん多いですね」

 

「まだ増やすよ」

 

「何のためですか?」

 

「ヤマタに喜んでもらえるものを作るため」

 

 声を潜める様子もない。

 

 会議室の全員に聞こえている。

 

 アーサーが手帳を覗き込んだ。

 

「攻略資料?」

 

「うん。ヤマタ攻略用」

 

「堂々と認めないでください!」

 

 ララさんが不思議そうな顔をする。

 

「嫌?」

 

「嫌というか、そういう言い方をされると困ります」

 

「どうして?」

 

「俺を攻略して、何をするつもりなんですか」

 

「もっと好きになってもらう」

 

 紙をめくる音が止まった。

 

 誰の手が止まったのかは分からない。

 

 たぶん、全員だ。

 

 ララさんだけが、手帳に新しい項目を書き足している。

 

「好きな香りも聞かなきゃ」

 

「ララさん」

 

「なに?」

 

「好意を、そんなに堂々と口に出せるんですか?」

 

「うん」

 

「恥ずかしくないんですか?」

 

 ララさんの筆が止まる。

 

 顔を上げた。

 

「恥ずかしいよ?」

 

「そうは見えません」

 

「でも、言わないと伝わらないでしょ?」

 

「それは、まあ」

 

「ヤマタはすぐ別の意味に考えるし」

 

「慎重に確認してるだけです」

 

「昨日も、好きって言ったのに何が好きなのか聞いたよね」

 

「あれは勘違いを避けるためです!」

 

「だから、今日は勘違いしない言い方をしてるの」

 

 なるほど。

 

 理屈は分かる。

 

 分かるが、受ける側の準備がまったく追いつかない。

 

「ヤマタのことを知りたい」

 

 ララさんは手帳へ視線を落とす。

 

「好きなものも、嫌いなものも。疲れた時に何をしたいかも、どんな時に一人になりたいかも」

 

「王位争奪戦で利用するためではなく?」

 

「違うよ」

 

「外交上の意味も?」

 

「ないよ」

 

「デビルークとの交易に必要とか」

 

「関係ないよ」

 

 ララさんは一つずつ否定する。

 

 最後に手帳を閉じた。

 

「好きだから知りたいだけ」

 

「全部、それで説明しないでください」

 

「どうして?」

 

「俺が考える時間がなくなります」

 

 アーサーがとうとう机へ伏せた。

 

 肩が大きく揺れている。

 

「アーサー」

 

「ごめん……でも、ヤマタ君、悪意にはかなり強くなったのに……」

 

 顔を上げる。

 

 目元には涙が滲んでいた。

 

「善意には防御力が全然ないね」

 

「防御するものではないでしょう」

 

「だから余計に困ってるんでしょ?」

 

「……会議を続けます」

 

「逃げた」

 

「続けます!」

 

 百さんが指先で机を二度叩いた。

 

「私語はそこまでだ」

 

「はい」

 

 俺とララさんの声が重なる。

 

 会議は再開された。

 

 その後も、ララさんは時々手帳へ何かを書き込んでいた。

 

 俺が茶を飲めば、飲み方を見る。

 

 菓子へ手を伸ばせば、種類を確認する。

 

 資料の端へ無意識に印をつければ、その印の形まで覗き込む。

 

 視線を感じるたび、背中がむず痒くなった。

 

 昼を過ぎ、会議が終わった頃には、朝から続いた緊張とは別の疲れが肩へ積もっていた。

 

「ヤマタ」

 

 会議室を出たところで、ララさんに呼び止められた。

 

 振り返る。

 

 彼女は両手を背中へ隠している。

 

「どうしました?」

 

「渡したいものがあるの」

 

「発明品ですか?」

 

「うん」

 

 ララさんが手を前へ出す。

 

 掌に載っていたのは、細い銀色の腕輪だった。

 

 華美な装飾はない。

 

 表面には細かな線が走り、中央に小さな石が埋め込まれている。

 

 光を受けた石は、深い青色に輝いた。

 

「綺麗ですね」

 

「ヤマタの目の色に近い石を選んだの」

 

 腕輪へ伸ばしかけた手が止まる。

 

「俺専用ですか?」

 

「うん」

 

 ララさんは腕輪の両端を持ち、俺へ見せる。

 

「危険を感じた時に押すと、私の端末へ場所が送られるの。それから身体の状態も少しだけ分かる」

 

「護衛用の通信具ですね」

 

「それだけじゃないよ」

 

「王位争奪戦で狙われた際、早く援軍を送るためですか?」

 

「違う」

 

「俺の位置を把握して、陣営の行動を調整するため?」

 

「違うよ」

 

「なら、どういう目的で?」

 

 ララさんの指が、腕輪の縁を撫でる。

 

 朝から一度も止まらなかった言葉が、その時だけ途切れた。

 

「ヤマタが危ない目に遭った時、知らないままなのが嫌だから」

 

 廊下の窓から、午後の光が差している。

 

 朝より低くなった陽射しが、銀色の腕輪を淡く染めた。

 

「役に立つから作ったんじゃないよ」

 

 ララさんは腕輪を見たまま続ける。

 

「ヤマタはすぐ自分から危ないところへ行くでしょ?」

 

「自覚はあります」

 

「やめてほしいけど、たぶんやめないし」

 

「努力はします」

 

「だから、せめて分かるようにしたかったの」

 

 腕輪を持つ指が少し動く。

 

「ヤマタには、明日も明後日も元気でいてほしいから」

 

 口を開く。

 

 何を言うつもりだったのか、自分でも分からなかった。

 

 性能の確認。

 

 通信距離。

 

 魔力消費。

 

 外部から操作される可能性。

 

 聞くべきことはいくつもある。

 

 けれど、そのどれも今は違う気がした。

 

 ララさんは、役に立つものを渡そうとしているのではない。

 

 俺を何かへ使うためでもない。

 

 ただ、いなくならないでほしいと言っている。

 

 それだけのために、時間を使って、石を選び、腕輪を作った。

 

 手を差し出す。

 

「貸してください」

 

 ララさんが腕輪を掌へ載せる。

 

 冷たい金属の感触。

 

 中央の石が、触れた瞬間に淡く光った。

 

「自分でつけられます?」

 

「うん。手首に当てれば自動で調整されるよ」

 

 左手首へ近づける。

 

 腕輪が小さく開き、皮膚へ触れたところで輪を閉じた。

 

 細かな光が一周し、俺の手首に合う大きさへ縮まる。

 

「どう?」

 

「軽いですね」

 

「邪魔じゃない?」

 

「大丈夫です」

 

 手首を動かしてみる。

 

 視界の端で青い石が光る。

 

「ありがとうございます」

 

 ララさんがこちらを見た。

 

「大切に使います」

 

 彼女の顔が一気に明るくなる。

 

「本当!?」

 

「はい」

 

「外さない?」

 

「必要な時以外は」

 

「寝る時も?」

 

「安全なら」

 

「お風呂でも?」

 

「防水なんですか?」

 

「もちろん!」

 

「では、たぶん」

 

「やった!」

 

 次の瞬間、左腕へ柔らかな感触が絡みついた。

 

 ララさんが抱きついていた。

 

「ララさん!?」

 

「嬉しい!」

 

「分かりました! 分かりましたから!」

 

 腕へかかる力が強くなる。

 

 頬が肩へ触れる。

 

 桃色の髪が胸元へ流れ、銀色の腕輪が二人の間で淡く点滅した。

 

 両手の置き場所が分からない。

 

 肩へ手を置けばいいのか。

 

 背中へ回すべきなのか。

 

 それとも何もせず待つべきなのか。

 

 答えを探して周囲を見る。

 

 廊下の向こうに、アーサー、百さん、リンカが立っていた。

 

 アーサーは壁へ手をついている。

 

 笑いを堪えるためだろう。

 

 百さんは腕を組み、腕輪を見ている。

 

 リンカは無表情だった。

 

「助けてください」

 

「何から?」

 

 リンカが問う。

 

「この状況からです」

 

「攻撃ではない」

 

「分かってます!」

 

「なら、自力」

 

「そこを何とか!」

 

 アーサーが顔を背けた。

 

「駄目……ヤマタ君の顔……」

 

「笑わないでください!」

 

「だって、純粋な好意には防御力ゼロだね」

 

「防御したら失礼でしょう!」

 

「だから動けないんだ」

 

「実況しなくていいです!」

 

 ララさんは俺の腕を抱いたまま、アーサーへ顔を向ける。

 

「これ、効果ある?」

 

「すごくあるよ」

 

「何の話ですか!」

 

「ヤマタ攻略」

 

「会議で終わった話では!?」

 

「続いてるよ」

 

「終わらせてください!」

 

 百さんが一歩近づく。

 

「ララ王女」

 

「なに?」

 

「その腕輪を確認させてもらう」

 

「いいよ!」

 

「外部からの遠隔操作は?」

 

「できないようにした」

 

「位置情報の閲覧権限は?」

 

「私だけ」

 

「魔力経路への干渉は?」

 

「しないよ。体温と脈拍と、危険信号だけ」

 

 百さんの視線が、腕輪の青い石へ止まる。

 

「安全確認は何回した」

 

「七回!」

 

「なら、八回目を私が行う」

 

「うん!」

 

 ララさんは元気よく答えた。

 

 それでも腕を離さない。

 

「まず離れて話しませんか」

 

「このままでも話せるよ?」

 

「俺が話しにくいんです」

 

「嫌?」

 

 見上げられる。

 

 昼間の真っ直ぐな光が、そのまま目の中にある。

 

 嫌だとは思わなかった。

 

 近い。

 

 恥ずかしい。

 

 周囲の視線も痛い。

 

 けれど、腕を引いて離れようとは思わなかった。

 

「嫌ではありませんけど」

 

「じゃあ、もう少し」

 

「どうして時間制なんですか」

 

「嬉しいから」

 

「全部、それで通さないでください」

 

「嫌じゃないんでしょ?」

 

「……はい」

 

「よろしい!」

 

 ララさんはさらに頬を寄せた。

 

 腕輪がまた一度光る。

 

『生体反応の上昇を確認』

 

 聞き覚えのある機械音声が響いた。

 

 足元を見る。

 

 いつの間にか虫ちゃんがいた。

 

「どうしてここに!?」

 

『腕輪との連動確認』

 

「何を連動させたんですか!」

 

「危険検知の補助」

 

 ララさんが答える。

 

『対象ヤマタの脈拍上昇』

 

「報告しなくていいです!」

 

『体温上昇』

 

「止めてください!」

 

『呼吸速度――』

 

「強制停止!」

 

 ララさんが足で虫ちゃんの背中を軽く押す。

 

 赤い単眼が消えた。

 

「ごめん。調整が必要みたい」

 

「腕輪も八回どころか十回は確認してください!」

 

「じゃあ、今夜一緒にやろう」

 

「今夜?」

 

「ヤマタの部屋で」

 

「客室でやりませんか?」

 

「でも、腕輪を使うのはヤマタだよ?」

 

「会議室でもできます!」

 

「ヤマタの部屋の方が近い」

 

「何にですか!」

 

「ヤマタに」

 

 アーサーがとうとう声を立てて笑った。

 

 百さんは眉間へ指を当てている。

 

 リンカが虫ちゃんを持ち上げた。

 

「回収」

 

「お願いします」

 

「報酬」

 

「焼き菓子を渡してください」

 

『契約成立』

 

「どうして皆、虫ちゃんの扱いに慣れてるんですか」

 

 ララさんがようやく腕を少し緩めた。

 

 離れるのかと思った。

 

 けれど、その手は俺の手首へ移り、贈った腕輪の上へ重なった。

 

「ヤマタ」

 

「はい」

 

「明日も朝、会いに行くね」

 

「もう決定ですか」

 

「朝ご飯も作る」

 

「厨房で煙を出さないでください」

 

「今度はもっと上手に作るよ」

 

「安全第一でお願いします」

 

「あと、次はお揃いのものを作りたい」

 

「お揃い?」

 

「うん。私も同じ腕輪をつけるの」

 

 ララさんは自分の手首を俺の手首の隣へ並べた。

 

 今は何もない細い手首。

 

 その位置へ、見えない腕輪を想像するように指で輪を作る。

 

「そうしたら、離れていてもお互いのことが分かるでしょ?」

 

「俺の方からもララさんの危険が分かるように?」

 

「うん」

 

「それなら必要ですね」

 

 答えると、ララさんが瞬きをした。

 

「必要?」

 

「ララさんも危ないところへ行きますから」

 

「心配してくれるの?」

 

「当然でしょう」

 

「役に立つからじゃなくて?」

 

 同じ問いを返された。

 

 俺は腕輪へ視線を落とす。

 

 青い石が、夕日に近づいた光を受けて輝いている。

 

「知らないままなのは、嫌ですから」

 

 ララさんの指が止まった。

 

 さっきまであれほど勢いよく言葉を返していたのに、今は何も言わない。

 

「ララさん?」

 

「……うん」

 

 小さく頷く。

 

 それから、腕輪の上へ置いた手を少しだけ握った。

 

「絶対作る」

 

「安全確認もしてくださいね」

 

「十回する」

 

「それなら」

 

「十一回目は百に頼む」

 

 百さんがこちらを見る。

 

「最初から私も設計段階へ入れろ」

 

「分かった!」

 

「勝手に話が進んでますね」

 

 窓の外では、陽が傾き始めていた。

 

 長い廊下が茜色に染まり、俺とララさんの影が床へ伸びている。

 

 腕を抱かれていた時とは違う。

 

 今は手首へ触れているだけだ。

 

 それでも二つの影は、途中で重なっていた。

 

「ヤマタ」

 

「何ですか」

 

「明日の朝、何が食べたい?」

 

「今日の卵のサンドイッチでいいですよ」

 

「同じでいいの?」

 

「美味しかったので」

 

 ララさんの目が大きくなる。

 

 次の瞬間、また腕へ抱きつかれた。

 

「ララさん!?」

 

「今の、嬉しかった!」

 

「分かりましたから!」

 

「明日はもっといっぱい作るね!」

 

「量を増やす必要はありません!」

 

「好きな人にはいっぱい食べてもらうといいんだって!」

 

「またアーサーですか!?」

 

「今のは料理人さん」

 

「城内全体が協力し始めてる……!」

 

 アーサーの笑い声が廊下へ響く。

 

 百さんは腕輪を確認するため、俺たちの後ろを歩き始める。

 

 リンカは虫ちゃんを抱え、その単眼が再び点灯しないよう上から布をかけた。

 

 俺はララさんに腕を取られたまま、夕日の中を歩いた。

 

 昨夜までは、ララさんが俺の近くにいる理由を探していた。

 

 発明の修理。

 虫ちゃんの確認。

 婚約問題の相談。

 

 今日、そのどれも必要なくなった。

 

 会いたかったから。

 喜んでほしかったから。

 無事でいてほしかったから。

 

 理由はどれも、驚くほど短い。

 

 短いのに、どんな長い説明より逃げ道がなかった。

 

 左手首の石が、もう一度淡く光る。

 

『生体反応――』

 

「虫ちゃん!」

 

 リンカが布の上から本体を叩く。

 

 単眼が消えた。

 

 ララさんは俺の腕を抱いたまま笑った。

 

 俺は何も言えず、赤く染まった窓の外へ顔を向けた。

 

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