※この作品はR-18です。

王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記-   作:ボルメテウスさん

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解決の兆し

 事件が終わる時というのは、もっと分かりやすいものだと思っていた。

 

 犯人を捕まえる。

 

 悪事を暴く。

 

 壊れたものを直す。

 

 最後に全員で笑って、めでたしめでたし。

 

 物語なら、そこで頁を閉じればいい。

 

 けれど現実では、捕まえた犯人は黙秘し、壊れた舞台には撤去費用が発生し、商会からは厚さだけで人を殴れそうな帳簿が次々に届く。

 

 そして何より、悪事というものは証拠がなければ終わらない。

 

「つまり、まだ終わってないんですね」

 

 俺の言葉に、ズヌイ兄さんは鼻を鳴らした。

 

「終わらせるために来たんだろうが」

 

 目の前には、分厚い鉄扉がある。

 

 場所はズヌイ兄さんの商会本部。その地下四階。

 

 表向きの倉庫よりさらに深く、一般の商会員には存在すら知らされていない秘密記録庫だった。

 

 壁に並ぶ魔導灯は青白い。冷たい光が石壁を這い、通路の奥をぼんやり浮かび上がらせている。

 

 天井は低く、空気には古い紙と油、それから金属の匂いが混じっていた。

 

「この奥に、ガルドが残した記録がある」

 

 ズヌイ兄さんが、鉄扉の中央に刻まれた商印へ手を触れる。

 

「裏帳簿、通信履歴、協力者への支払い。発表会で使われた改竄命令もな」

 

「それがあれば、ララさんの発明に問題がなかったと証明できる」

 

「正確には、最初から仕込まれていたことを証明できる」

 

 隣に立つララさんが、左手首を持ち上げた。

 

「だから、絶対に残さなきゃね」

 

 細い手首には、銀色の腕輪がある。

 

 中央に埋め込まれている石は桃色だった。

 

 俺の左手首にある青い石と、形は同じだ。

 

 昨日の夜、ララさんが完成させた。

 

 本人は「お揃い!」と両手を上げて喜び、俺はアーサーに十五分ほど笑われた。

 

 今朝になっても、まだ少し恥ずかしい。

 

 袖を下ろして腕輪を隠す。

 

 その動きを見ていたララさんが、俺の袖をつまんだ。

 

「どうして隠すの?」

 

「目立つので」

 

「お揃いなのが?」

 

「その言い方を大声でしないでください」

 

 通路の後ろから、抑えきれない笑い声が聞こえた。

 

「ヤマタ君、地下まで来ても照れてる」

 

「アーサー、事件の調査中です」

 

「分かってるよ。だから静かに笑ってる」

 

「聞こえています」

 

「それはごめん」

 

 まったく悪いと思っていない声だった。

 

 アーサーは薄暗い地下だというのに、いつも通り涼しい顔をしている。

 

 その横では百さんが天井や壁の継ぎ目を確認し、リンカは床に残る足跡を追っていた。

 

 虫ちゃんは鉄扉の前で六本の脚を動かし、接続口を探している。

 

『非公開領域への侵入を確認』

 

「侵入ではありません。正式な調査です」

 

『証明を要求』

 

「ズヌイ兄さん」

 

「俺の商印を使え」

 

 ズヌイ兄さんが指輪を外し、虫ちゃんの背中へ当てる。

 

 赤い単眼が商印を読み取った。

 

『最高管理権限を確認』

 

「最初からそれで開ければよかったのでは?」

 

「俺の権限だけで開けられるなら、秘密記録庫とは呼ばねぇ」

 

『補助認証を要求』

 

 虫ちゃんの前脚が小さく開く。

 

 手のように見えた。

 

『携行食料を要求』

 

「それは認証ではありません!」

 

『糖分不足により処理速度低下』

 

「機械でしょう!」

 

「昨日、性能調整でお菓子を使ったら覚えちゃった」

 

 ララさんがポケットから焼き菓子を出す。

 

「覚えさせないでください!」

 

「でも開かないよ?」

 

 虫ちゃんの赤い目が、焼き菓子を見つめている。

 

 鉄扉は固く閉じたままだ。

 

 俺は額を押さえた。

 

「一個だけですよ」

 

『契約成立』

 

 焼き菓子を受け取った虫ちゃんが、背中の端子を鉄扉へ差し込む。

 

 低い駆動音が響いた。

 

 錠が一つずつ外れていく。

 

 重い鉄扉が左右へ開くと、冷たい空気が流れ出した。

 

 その奥には、壁一面の記録棚が並んでいた。

 

 紙の帳簿ではない。

 

 透明な板状の記録媒体が、何千枚も収納されている。

 

 中央には円柱型の大型端末。無数の光の線が床と天井へ伸び、地下全体の記録を管理しているらしい。

 

「すごい……」

 

 ララさんが記録庫へ入る。

 

 腕輪の桃色の石が、青白い魔導灯の下で淡く光る。

 

「全部、ここに保存されてる」

 

「触るなよ」

 

 ズヌイ兄さんが言った。

 

「罠が残っている可能性がある」

 

「分かってる」

 

 そう答えながらも、ララさんの歩幅は大きい。

 

 俺は自然と、その半歩後ろについた。

 

 百さんがこちらを見る。

 

「ヤマタ」

 

「前へ出ていません」

 

「ララ王女と一緒に進んでいる」

 

「一人で行かせるよりいいでしょう」

 

 百さんは数秒黙った。

 

「私の視界から出るな」

 

「はい」

 

「二人ともだ」

 

「うん!」

 

 ララさんの返事は明るい。

 

 俺の腕輪が小さく震えた。

 

 見ると、青い石の上に桃色の光が一度だけ走っている。

 

「今のは?」

 

「私からの確認信号」

 

「何を確認したんですか」

 

「近くにいること」

 

「見れば分かりますよね」

 

「腕輪でも分かると嬉しいから」

 

「機能を私的に使わないでください」

 

「嫌?」

 

「……嫌ではありませんけど」

 

 アーサーの笑い声がまた聞こえた。

 

「早く調査を始めましょう!」

 

 俺は中央端末へ向かった。

 

 ララさんも隣へ並び、腕から細い端子を伸ばす。

 

「接続するよ」

 

「安全ですか?」

 

「確認した」

 

「何回?」

 

「十回」

 

 百さんが少し離れた場所から声を上げた。

 

「十一回目は?」

 

「今やってる!」

 

「実地確認を安全確認に含めるな」

 

「大丈夫だよ。危なくなったらすぐ切るから」

 

 ララさんは端子を中央端末へ接続した。

 

 低い音が鳴る。

 

 空中に、無数の文字列が浮かんだ。

 

 取引記録。

 倉庫への搬入履歴。

 魔導結晶の購入記録。

 通信端末の使用時間。

 

 ララさんの指が、光の文字を次々に送っていく。

 

「見つけた」

 

 一つの記録が大きく表示された。

 

 自動お手伝いくんに送られた命令。

 

 本来の安全命令の上に、別の命令が追加されている。

 

 整理対象の強制指定。

 

 警告機能の停止。

 

 そして――第五王子ヤマタ・ドラグウェルの排除。

 

 自分の名前が赤い文字で浮かぶ。

 

 もう驚きはしなかった。

 

 けれど、隣でララさんの指が止まった。

 

「ララさん?」

 

「これを残せば」

 

 彼女は画面を見たまま言った。

 

「私の発明が悪かったんじゃないって、誰にでも証明できる」

 

「証明がなくても、俺は疑っていませんよ」

 

 ララさんがこちらを見る。

 

 俺は画面の赤い文字を指した。

 

「でも、ララさんが次に発明を見せる時、これを理由に俯かなくて済むなら」

 

 表示された記録を保存領域へ送る。

 

「絶対に残しましょう」

 

 ララさんの唇が少し動く。

 

 返事の代わりに、俺の腕輪が一度震えた。

 

 桃色の光が、青い石の中へ流れ込む。

 

「今のも確認信号ですか?」

 

「ううん」

 

「では?」

 

「ありがとうの代わり」

 

「普通に言えばいいのでは?」

 

「腕輪でも伝えたかったの」

 

 ララさんが笑う。

 

 その瞬間。

 

 中央端末の光が赤へ変わった。

 

『最高管理者ガルド・ベルクの拘束を確認』

 

 機械音声が記録庫に響く。

 

『機密保全手順を開始』

 

「何ですか、それ」

 

 ズヌイ兄さんの表情が変わった。

 

「全員、端末から離れろ!」

 

『全記録の消去を実行します』

 

 床が揺れた。

 

 記録棚の奥で、巨大な炉が起動する。

 

 赤い炎が細い隙間から吹き上がり、収納されていた記録板が自動的に運び出され始めた。

 

「証拠消去装置!」

 

 ララさんが端末へ指を走らせる。

 

「止める!」

 

『外部操作を拒否』

 

 端末から衝撃波が放たれた。

 

「ララさん!」

 

 俺は彼女の肩を抱き、横へ飛ぶ。

 

 直後、立っていた場所を赤い光が薙ぎ払った。

 

 床が焼け、黒い線が走る。

 

「大丈夫ですか?」

 

「うん。ヤマタは?」

 

「俺も――」

 

 言い終わる前に、壁が開いた。

 

 収納棚の一部が回転し、内部から人型の警備兵が現れる。

 

 黒い装甲。

 太い四肢。

 胸部に埋め込まれた赤い認識灯。

 

 両腕が変形し、右腕には刃、左腕には盾が展開された。

 

「最後まで機械兵ですか!」

 

「事件の後始末まで自動化されてるね」

 

 アーサーの声が弾む。

 

「面白がってる場合ですか!」

 

「面白いものは仕方ないよ」

 

「右から来るぞ!」

 

 百さんの声。

 

 警備兵が剣を振り下ろす。

 

 百さんが片手を掲げた。

 

 空気が沈む。

 

 警備兵の腕が途中で落下し、刃が床へ突き刺さった。

 

「天井も崩れ始めている!」

 

 頭上を見る。

 

 機械兵が出現したことで壁の支柱が外れ、石の天井に亀裂が走っていた。

 

 百さんはもう片方の手も上げる。

 

 複数の重力点が空中に生まれ、落下する石材と傾いた記録棚を止めた。

 

「二人とも急げ!」

 

「百さんは?」

 

「私はここを支える!」

 

「でも――」

 

「ヤマタ!」

 

 低い声が飛ぶ。

 

「今、自分がするべきことを見ろ!」

 

 天井を支える百さんの腕が震えている。

 

 それでも膝は曲がっていない。

 

 視線だけが俺へ向いていた。

 

「……はい!」

 

 前を見る。

 

 記録板が次々に炉へ運ばれている。

 

 リンカが警備兵の前へ滑り込んだ。

 

 短剣が脚部の関節へ刺さる。

 

 一体目が傾く。

 

 回転した身体の影から二体目が現れ、盾を突き出した。

 

 リンカは床へ手をつき、低い姿勢でかわす。

 

 すれ違いざまに通信線を切った。

 

 赤い認識灯が消え、警備兵が壁へ激突する。

 

「端末は壊さないでください!」

 

「分かってる」

 

 リンカは次の短剣を抜く。

 

「壊すのは邪魔な部分だけ」

 

 警備兵の腕が飛んだ。

 

 アーサーは戦場の中央で、機械兵の動きを見ている。

 

 剣を抜くでもなく、攻撃を避けながら視線だけを動かしていた。

 

「ララちゃん!」

 

「なに!」

 

「警備兵は記録炉を守ってない!」

 

「え?」

 

「中央端末を壊そうとしてる!」

 

 一体の警備兵が、俺たちではなく大型端末へ向けて腕を振り上げる。

 

 ララさんが息を呑んだ。

 

「記録を消すだけじゃない。操作できなくするつもりだ!」

 

「なら、制御核は端末の中じゃない」

 

 アーサーが床を指す。

 

「左右の通路。機械兵は私たちを中央へ集めようとしてる」

 

「守る場所から遠ざけているのか」

 

 ズヌイ兄さんが壁の設計図を開く。

 

「確かに左右に補助制御室がある!」

 

 ララさんが端末へ接続し直す。

 

 赤い文字列の中から経路を抜き出す。

 

「二つの制御核が同時に動いてる。片方だけ止めても、もう片方が再起動させる」

 

「同時に解除が必要なんですね」

 

「うん」

 

「俺が片方へ行きます」

 

 言った瞬間、ララさんがこちらを見た。

 

「ヤマタが?」

 

「二人必要なんでしょう」

 

「でも、機械の操作は――」

 

「教えてください」

 

 俺は左手首を上げる。

 

「これがあるでしょう」

 

 青い腕輪。

 

 その中央で、石が淡く光っている。

 

「姿が見えなくても、声は聞こえます」

 

 ララさんの桃色の石へ視線を移す。

 

「ララさんの合図で動きます」

 

 返事はすぐには来なかった。

 

 記録炉の炎が彼女の頬を赤く照らしている。

 

 やがてララさんは、自分の腕輪へ触れた。

 

「分かった」

 

 桃色の光が強くなる。

 

「ヤマタは右。私は左」

 

「逆では?」

 

「どうして?」

 

「右側の方が警備兵が多いので」

 

「だからヤマタを行かせるの?」

 

「俺の方が機械を直せないので、時間を稼ぐ役に向いてます」

 

「それ、前にも聞いた理屈だよ」

 

「実績があります」

 

「囮の?」

 

「今回は制御核の解除です!」

 

 ララさんが小さく笑った。

 

「じゃあ、絶対に腕輪を切らないでね」

 

「ララさんも」

 

 左右の通路へ分かれる。

 

 右側の通路には赤い警告灯が並び、奥で機械兵の足音が響いている。

 

 俺が走り出すと、背後から百さんの声が追ってきた。

 

「ヤマタ!」

 

「はい!」

 

「危険だと判断したら戻れ!」

 

「努力します!」

 

「努力ではなく戻れ!」

 

 返事をする前に、壁から刃が突き出した。

 

「うわっ!」

 

 身体を反らす。

 

 刃が胸元を掠め、上着の布を切った。

 

 腕輪が強く振動する。

 

『生体反応上昇』

 

「今は報告しなくていいです!」

 

『危険状態を検知』

 

 今度は虫ちゃんではない。

 

 腕輪そのものの音声だ。

 

 直後、ララさんの声が聞こえた。

 

『ヤマタ、大丈夫!?』

 

「声が大きいです!」

 

『危険って出たから!』

 

「壁から刃が出ただけです!」

 

『それを危険って言うんだよ!』

 

 通路の奥から警備兵が現れる。

 

 狭い場所では、横を抜ける隙間がない。

 

「ララさん、制御核までどのくらいですか!」

 

『私はもうすぐ! ヤマタは右の壁に保守用の溝があるはず!』

 

 壁を見る。

 

 細い溝が縦に走っている。

 

「ありました!」

 

『そこへ腕輪を近づけて!』

 

「腕輪を?」

 

『一時的に保守端末として使えるようにしたの!』

 

「いつそんな機能を!」

 

『昨日の夜!』

 

「寝てください!」

 

 警備兵の剣が振り下ろされる。

 

 横へ跳ぶ。

 

 刃が床を砕く。

 

 俺は転がりながら壁へ手首を押し当てた。

 

 青い光が溝へ流れ込む。

 

『保守経路へ接続』

 

 警備兵の動きが一瞬止まった。

 

「止まりました!」

 

『十秒だけ!』

 

「短い!」

 

『走って!』

 

 警備兵の横を抜ける。

 

 九秒。

 

 八秒。

 

 背後で駆動音が再開する。

 

 振り向かない。

 

 突き当たりの扉へ飛び込み、閉鎖レバーを下ろした。

 

 直後、扉の向こうから衝撃が響いた。

 

 金属が歪む。

 

「長くは保ちませんね」

 

『私も着いたよ』

 

 腕輪からララさんの息遣いが聞こえる。

 

 姿は見えない。

 

 けれど、すぐ隣にいるように近い。

 

 目の前には円形の制御核があった。

 

 複数の輪が高速で回転し、その中心で赤い結晶が輝いている。

 

「これをどうすれば?」

 

『外側の輪を止めて、青い端子を引き抜く』

 

「青い端子が三つあります」

 

『一番細いもの』

 

「全部同じに見えます!」

 

『触ったら腕輪に表示が出るよ』

 

 一つ目へ触れる。

 

『不正解』

 

「話すんですね、この腕輪」

 

『分かりやすいでしょ?』

 

 二つ目。

 

『不正解』

 

「最後しか残っていません!」

 

『じゃあ、それ!』

 

「最初からそう言ってください!」

 

 背後の扉が大きくへこむ。

 

 警備兵の腕が隙間から入ってきた。

 

「急ぎます!」

 

 外輪へ手をかける。

 

 回転が速い。

 

 指を挟まれれば、骨ごと持っていかれる。

 

『ヤマタ』

 

「はい」

 

『腕輪から停止信号を送る。三秒だけ回転が遅くなるから、その間に掴んで』

 

「分かりました」

 

『脈、速いよ』

 

「走ったので」

 

『嘘』

 

「何がです?」

 

『さっきより速い』

 

 腕輪は便利すぎる。

 

「ララさんも速いですよ」

 

 少し間が空いた。

 

『……分かる?』

 

「お揃いですから」

 

 桃色の光が、腕輪の青い石へ混じる。

 

『事件が終わったら』

 

 ララさんの声が小さくなる。

 

『私、ここにいる理由がなくなるのかな』

 

 扉がもう一度揺れた。

 

 警告灯が赤く点滅する。

 

 そんな場所で話す内容ではない。

 

 けれど、機械音と警報に囲まれているからこそ、声だけは嘘をつけないように聞こえた。

 

「発明の調査は終わりますね」

 

『うん』

 

「虫ちゃんの確認も」

 

『うん』

 

「婚約問題は、まだ残っています」

 

『それが終わったら?』

 

 扉の隙間が広がる。

 

 警備兵の赤い目が覗いた。

 

 俺は制御核へ手を置く。

 

「理由がなければ、会いに来てはいけないんですか?」

 

 腕輪の向こうが静かになる。

 

「昨日、俺の部屋へ来た時も言ったでしょう」

 

『何を?』

 

「話をするのに、理由はいりません」

 

 赤い結晶が脈打つ。

 

「デビルークへ帰っても、通信してください」

 

『毎日?』

 

「毎日は多くないですか?」

 

『今、間があった』

 

「検討しただけです!」

 

『じゃあ毎日』

 

「ララさんの予定もあるでしょう」

 

『ヤマタの予定に合わせる』

 

「俺にもあります!」

 

『夜なら大丈夫?』

 

「話が進んでいますね!」

 

 ララさんの笑い声が腕輪から聞こえる。

 

 いつもの声に戻っていた。

 

『回転を止めるよ』

 

「お願いします」

 

『三、二、一――今!』

 

 制御核の回転が遅くなる。

 

 俺は外輪へ手をかけた。

 

 金属が掌へ食い込む。

 

 押し戻されそうになる腕を、両手で押さえる。

 

「止めました!」

 

『青い端子を抜いて!』

 

 片手を離す。

 

 輪が動き出す。

 

 腕が巻き込まれる前に、細い端子を掴んだ。

 

「抜きます!」

 

『まだ! 二つ同時じゃないと再起動する!』

 

「では、いつですか!」

 

『三つ数える!』

 

 背後で扉が破れた。

 

 警備兵が室内へ踏み込む。

 

 赤い目が俺を捉える。

 

 刃が振り上げられる。

 

『三!』

 

 腕輪の青い光が強くなる。

 

『二!』

 

 警備兵が踏み込む。

 

『一!』

 

 刃が頭上へ落ちてくる。

 

『今!』

 

 端子を引き抜いた。

 

 同時に、腕輪の向こうから金属の外れる音が聞こえる。

 

 制御核の赤い光が消えた。

 

 警備兵の刃が、俺の額の手前で止まる。

 

 風だけが髪を揺らした。

 

『証拠消去手順を停止』

 

 機械音声が響く。

 

 警告灯が赤から青へ変わる。

 

 記録炉の炎が小さくなり、運ばれていた記録板が直前で止まった。

 

「止まりました?」

 

『こっちは止まったよ! ヤマタは!?』

 

「目の前に刃があります」

 

『ええっ!?』

 

「止まっているので大丈夫です」

 

『大丈夫じゃないよ!』

 

 警備兵の横を慎重に抜ける。

 

 腕輪が激しく震え続けている。

 

『高脈拍を確認』

 

「だから走ったんです!」

 

『今すぐ戻って!』

 

「戻りますから落ち着いてください」

 

『ヤマタの方が落ち着いて!』

 

「十分落ち着いてます!」

 

『腕輪が違うって言ってる!』

 

 機械は正直すぎる。

 

 中央記録庫へ戻ると、天井と棚はまだ百さんの重力で固定されていた。

 

 リンカの足元には停止した警備兵が積まれている。

 

 アーサーは炉の前で、燃える寸前だった記録板を拾い上げていた。

 

「最後の一枚、間に合ったよ」

 

「中身は?」

 

 ズヌイ兄さんが受け取る。

 

 記録板を端末へ差し込むと、空中に取引の一覧が表示された。

 

 ガルド。

 

 協力者。

 

 複数の倉庫責任者。

 

 発明品の危険性を喧伝する予定だった記者。

 

 技術導入の停止で利益を得る商会。

 

 細い線が、すべて一つへ繋がっていた。

 

 ズヌイ兄さんの指が、一覧の上で止まる。

 

「これで全部だ」

 

 声は低かった。

 

 喜びも、達成感もない。

 

 ただ、帳簿の最後の数字を確認した商人のような声だった。

 

「もう俺の商会の影には隠れられねぇ」

 

 百さんが両腕を下ろす。

 

 固定されていた棚と天井が、ゆっくり元の位置へ戻った。

 

 最後の石片が床へ落ちる。

 

「百さん、大丈夫ですか?」

 

「ああ」

 

 そう答えた直後、百さんの肩がわずかに下がる。

 

 俺が近づこうとすると、先に彼女の手が俺の額へ伸びた。

 

「怪我は」

 

「ありません」

 

「本当に?」

 

「刃は止まりました」

 

「どの位置で」

 

「額の少し前です」

 

 百さんの指が止まる。

 

「ヤマタ」

 

「はい」

 

「後で話がある」

 

「どうしてですか!」

 

「分からないなら、長くなる」

 

「分かりました。短い方でお願いします」

 

 ララさんが走ってくる。

 

「ヤマタ!」

 

 俺の左腕を掴み、手首の腕輪を確認する。

 

 次に額。

 

 肩。

 

 胸元の切れた上着。

 

「切れてる!」

 

「服だけです」

 

「本当に?」

 

「百さんにも同じことを聞かれました」

 

「私も確認する!」

 

「二人とも確認が長いです!」

 

「危ない目に遭ったヤマタが悪い」

 

「今回は証拠を守るためです!」

 

「私も証拠を守ったけど、刃の前には立ってないよ」

 

「正論ですね……」

 

 ララさんの指が、切れた布をつまむ。

 

 そのまましばらく離さなかった。

 

「事件、終わるね」

 

「はい」

 

 記録庫の赤い警告灯は、すべて消えている。

 

 青い魔導灯だけが静かに点いていた。

 

 長く続いていた騒音が止まり、地下には機械が冷えていく小さな音だけが残る。

 

「これで、ララさんの発明に細工をした人間も、資金を出した人間も分かりました」

 

「うん」

 

「ズヌイ兄さんの商会も、正式に公表してくれるそうです」

 

「うん」

 

 ララさんは同じ返事を繰り返す。

 

 俺の上着をつまんだ指は、そのままだ。

 

「どうしました?」

 

「何でもない」

 

「何でもない顔には見えません」

 

「ヤマタがそれ言うの?」

 

「最近、百さんに教わって少し分かるようになりました」

 

「じゃあ、分かって」

 

「難しい注文ですね」

 

 ララさんが小さく笑った。

 

 それから、俺の腕輪へ自分の腕輪を重ねる。

 

 青と桃色の石が触れ、淡い光が二人の手首を包んだ。

 

「事件が終わっても、外さないでね」

 

「危険検知に必要ですから」

 

「それだけ?」

 

「通信にも使えます」

 

「それだけ?」

 

 顔を上げる。

 

 ララさんがこちらを見ている。

 

 逃げ道のない目だった。

 

「……お揃いですから」

 

 桃色の石が一度だけ強く光る。

 

 ララさんの口元がゆっくり持ち上がった。

 

「よろしい!」

 

「誰の真似ですか」

 

「私」

 

「そうでしたね」

 

 ズヌイ兄さんが記録板を箱へ収める。

 

「地上へ戻るぞ。ここでやることは終わりだ」

 

 俺たちは地下記録庫を後にした。

 

 長い階段を上る。

 

 一段ごとに空気が変わっていく。

 

 地下の油と金属の匂いが薄れ、代わりに地上の風が流れ込んでくる。

 

 最後の扉を開くと、夕日が目へ差し込んだ。

 

 空は赤く、王都の屋根が一面に染まっている。

 

 背後で地下への扉が閉じた。

 

 赤い警告灯も、機械兵の音も、その向こうへ消える。

 

「終わったね!」

 

 ララさんが両腕を伸ばす。

 

 夕日の中で桃色の髪が明るく揺れた。

 

 その時、一羽の小さな通信鳥が空から降りてきた。

 

 金属製の翼。

 

 胸にはデビルーク王家の紋章。

 

 通信鳥はララさんの前へ着地し、嘴から細い巻物を差し出した。

 

「お父様から?」

 

 ララさんが巻物を受け取る。

 

 封蝋を外し、紙を開く。

 

 さっきまで上がっていた口元が、そのまま止まった。

 

「何と書いてあるんですか」

 

「婚約のこと」

 

 紙を持つ指が少し曲がる。

 

「ズヌイとの婚約解消について、原則認めるって」

 

「良かったじゃないですか」

 

「うん」

 

「では正式に――」

 

「でも、その前に帰ってこいって」

 

 夕日が少しずつ沈む。

 

 建物の影が長くなり、ララさんの足元まで伸びてきた。

 

「お父様と直接話して、私の意思を説明しなきゃいけないみたい」

 

「当然だと思います」

 

「明日の朝、出発しろって」

 

「早いですね」

 

「うん」

 

 ララさんは巻物を畳む。

 

 一度、俺を見る。

 

 すぐに視線を落とし、腕輪へ触れた。

 

「ヤマタは、どう思う?」

 

「どう、とは?」

 

「私が帰ること」

 

 言葉が喉へ引っかかった。

 

 帰国は必要だ。

 

 ララさんが自分で選んだことを、父親へ伝える。

 

 婚約を正式に終わらせる。

 

 それをしなければ、前には進めない。

 

 分かっている。

 

 だから笑おうとした。

 

「帰って、自分の言葉で伝えてきてください」

 

 腕輪が震えた。

 

『脈拍上昇を確認』

 

「今は黙ってください」

 

 機械音声へ小声で言う。

 

 ララさんの目が、俺の腕輪へ落ちる。

 

「上がってるよ」

 

「階段を上ったからです」

 

「さっきより高い」

 

「夕日が暑いので」

 

「地下より涼しいよ?」

 

「……便利すぎませんか、この腕輪」

 

「ヤマタが嘘をつけないようにしたの」

 

「そんな機能は聞いていません!」

 

 ララさんが一歩近づく。

 

 自分の腕輪を、俺の青い石へ重ねた。

 

「寂しい?」

 

「その聞き方はずるくないですか」

 

「答えて」

 

 夕日が彼女の髪を赤く染めている。

 

 風が吹く。

 

 手の中の帰国通知が小さく鳴った。

 

「少しは」

 

「少し?」

 

「かなり」

 

 言い直すと、ララさんの肩から力が抜けた。

 

「でも、行ってきてください」

 

「うん」

 

「俺が決めることではないですけど」

 

「うん」

 

「ララさんが戻りたいと思った場所へ、戻ってきてください」

 

 桃色の石が、青い光の中で瞬いた。

 

「じゃあ、すぐ戻る」

 

「会談には時間がかかるかもしれませんよ」

 

「急ぐ」

 

「急いで失敗しないでください」

 

「毎日連絡する」

 

「それはさっき決まりましたね」

 

「朝と夜」

 

「増えてませんか?」

 

「お昼も」

 

「さらに増えました!」

 

「ヤマタが寂しくならないように」

 

「仕事ができなくなります!」

 

「じゃあ、夜だけ?」

 

「……それなら」

 

「朝も」

 

「交渉術を覚えましたね」

 

「ヤマタに教わった」

 

「教えた覚えがありません」

 

 ララさんは笑った。

 

 その笑顔はいつも通りだった。

 

 けれど、重ねた腕輪は離れない。

 

「外さないでね」

 

「ララさんも」

 

「うん」

 

「途中で改造しないでください」

 

「どうして?」

 

「急に機能が増えるからです」

 

「ヤマタの声をいつでも聞ける機能とか?」

 

「事前に相談してください!」

 

「じゃあ、帰ってる間に考えるね」

 

「考えないでください!」

 

 俺の抗議を聞きながら、ララさんはさらに一歩近づいた。

 

 肩が触れる。

 

 腕輪の光が、夕日の中ではっきり見えなくなる。

 

「ヤマタ」

 

「はい」

 

「帰ってくるから」

 

 さっきも聞いた言葉だった。

 

 今度は返事を急がなかった。

 

 ララさんの腕輪へ、自分の手首を軽く押し返す。

 

「待っています」

 

 西の空へ太陽が沈む。

 

 長く続いた事件の最後の光が、王都の屋根からゆっくり消えていく。

 

 それでも手首には、青と桃色の光が残っていた。

 

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