王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記- 作:ボルメテウスさん
第一王子アイダ・ドラグウェル。
その名前を出して、悪く言う者はほとんどいない。
貴族も、兵士も、商人も、次の王はアイダ兄上だろうと口を揃える。
俺は、それを長男という立場が作った評価だと思っていた。
少しくらいの失敗なら家臣が隠し、足りない部分は周囲が補っている。完璧な第一王子という姿も、王位継承のために整えられた看板なのではないか。
「難しい顔だね、ヤマタ君」
馬車の向かいで、アーサーが頬杖をついた。
「いつも通りです」
「アイダ殿下から招待状が届いてから、ずっと眉間に線があるよ」
「俺が兄上の競争相手だなんて、実感がないんです」
ズヌイ兄さんが王位継承を事実上諦めたことで、争いはアイダ兄上と俺の一騎打ちになった。
その直後、兄上から領地視察の招待が届いた。
到着した俺たちを待っていたのは、豪華な宮殿ではない。住民へ開放された行政庁舎だった。
広間の奥で、兄上は年老いた女性の相談を聞いていた。
「南の水路が止まれば、うちの畑が駄目になります」
「閉じるのは三日だけです、ミラさん。東の貯水池から臨時水路を繋ぎます」
兄上は地図を広げ、役人へ作業員の手配を命じる。
「息子さんは腰を痛めていましたね。作業は領政府で行います。無理をさせないでください」
女性が目を丸くした。
「覚えておられたのですか?」
「昨年の収穫祭で聞きました」
相談を終えた兄上は、俺たちへ穏やかに笑いかけた。
「久しぶりだね、ヤマタ」
「お忙しいところ、申し訳ありません」
「民の話を聞くことも、君と話すことも私の仕事だよ」
兄上は俺たちを会議室へ案内し、領内の予算、食料備蓄、河川工事の資料を差し出した。
「俺に見せていいんですか?」
「君は正式な競争相手だ。情報を隠したまま意見を求めることはできない」
「手加減はしないということですか」
「ああ」
兄上の目は穏やかなままだった。
「それは君を末の弟ではなく、一人の王子として認めるということだ」
優しい。
しかし、王位を譲る気はない。
敵ならば、もっと嫌な人であってほしかった。
そうすれば戦う理由を作れたのに、兄上は俺が考えていた逃げ道を、会うたびに塞いでいった。
視察に出ると、その評価が立場だけではないことも分かった。
兄上は農民の作物を知り、商人の家族を覚え、工事の進み具合まで把握していた。人々は兄上を恐れて頭を下げるのではない。自然に声をかけ、相談し、最後には笑って仕事へ戻っていく。
「困ったね、ヤマタ君」
アーサーが小声で言う。
「何がです?」
「能力だけじゃなく、人柄まで完璧だ」
否定しようとした時、空で雷が鳴った。
上流から豪雨による増水の報告が届く。さらに森から、巣を追われた魔獣の群れが現れた。
「第二避難鐘を鳴らせ。川沿いの住民を高台へ」
兄上は一度も言葉を詰まらせなかった。
「工兵隊は堤防へ。石を積むな。土嚢と木材で水圧を分散させる。騎士隊は魔獣を討伐せず、採石場へ誘導。治癒術師は西門と診療所に分かれろ」
役人と騎士が一斉に走り出す。
「兄上は?」
「私が堤防に立つ」
雨が降り始めた。
兄上が剣を抜くと、巨大な光の竜翼が堤防を覆った。
光竜障壁。
濁流を押し返しながら、兄上は魔獣の群れへ向かう。
剣は首を落とさない。脚の関節だけを斬り、騎士たちが安全に誘導できる状態へ変えていく。
さらに金色の光が味方へ流れ、疲労した騎士と治癒術師の動きを支えた。
自分が前線に立ちながら、戦場全体を見失っていない。
「本当に全部できるね」
アーサーの声から、いつもの冗談が消えていた。
兄上へ近づこうとするほど、差だけが鮮明になる。
俺たちは西地区の避難を手伝った。
役人から全員避難済みだと報告を受けた時、道端の荷車が目に入った。
大人用の外套が一枚。
子供用の毛布が二枚。
「水車小屋に住む家族は三人ですよね」
「名簿では夫婦と娘一人です」
毛布には別々の名前が刺繍されていた。
荷車の泥は、川の方角から続いている。
「もう一人いる」
俺が呟くと、アーサーはすでに水車小屋の方角を見ていた。
「行こうか」
理由は聞かなかった。
水車小屋は濁流に取り囲まれていた。
二階には足を怪我した男と妻、二人の子供が残されている。
役人へ預けた荷物だけで避難済みと判断されていたのだ。
「橋は流されました!」
女性の声に、俺は屋根へ繋がれた綱を外した。
「なら、別の道を作ります」
アーサーが魔法で流れを逸らし、その隙に俺が小屋へ渡る。
子供を一人ずつ背負い、綱を伝って岸へ運ぶ。
最後に怪我人を背負った時、上流から巨大な流木が迫った。
金色の光が視界を覆う。
光竜障壁が流木を砕いた。
「ヤマタ、そのまま進め!」
川岸にアイダ兄上が立っていた。
王族服は泥に汚れ、肩から血が滲んでいる。それでも障壁は揺らがない。
全員を救助した後、兄上は家族の前で頭を下げた。
「避難確認が不十分だった。申し訳ない」
「殿下は大勢を助けてくださったではありませんか」
「大勢を守れば、見落とした者へ謝らなくてよい理由にはなりません」
兄上は俺へ向き直る。
「ありがとう、ヤマタ。私が見つけられなかった命だ」
「兄上が大勢を守っていたから、俺はここへ来られたんです」
「それでも、君が見つけたことは変わらない」
功績を奪わない。
自分の失敗も隠さない。
欠点らしいものを見つけても、兄上はそれを認め、次の失敗を防ぐ方法へ変えてしまう。
「困りましたね」
「何がだい?」
「いえ、何でもありません」
雨が上がった翌朝、被害報告が届いた。
死者は一人もいなかった。
兄上は負傷者への補償を命じ、水車小屋の件についても、俺とアーサーが異変を見つけたと正式に記録させた。
「私の行動だけを残せば、次も同じ見落としが起きる」
最後まで、王として正しかった。
堤防の上で、兄上が俺へ尋ねた。
「私に勝とうとしているかい?」
「昨日までは、勝てる部分を探していました」
「見つかった?」
「いいえ」
兄上は責めず、静かに川を見た。
「私を超える必要はない」
「それでは王位争奪戦になりません」
「前の王より優れていることが、王の条件ではない。その時代の国を、より幸福にできる者が王になるべきだ」
「兄上より幸福にできると証明しろ、と?」
「そうだ」
人柄も、実力も、王としての在り方も完璧だった。
嫌われれば反発できる。
見下されれば、意地で立ち向かえる。
だが兄上は俺を認め、同じ競争相手として扱った上で、正面から国の未来を問うてくる。
「兄上とは違う答えを探します」
「それでいい」
差し出された手を握る。
剣を握り続けた硬い掌だった。
兄上は一人で最も危険な場所に立ち、全体を守ることができる。
俺にはできない。
だから百さんに頼る。
リンカに頼る。
アーサーやララさんに頼る。
誰かが全体を守っている間に、その光の端から零れかけた足跡を探す。
兄上と同じ王になる必要はない。
完璧な兄を倒すのではなく、兄とは違う未来を示さなければならない。
帰路へ向かおうとした時、左手首の腕輪が震えた。
『ヤマタ! 危険通知が何回も来たけど、何があったの!?』
ララさんの声が朝の堤防へ響く。
「次の戦いが始まりそうです」
兄上が首を傾げた。
「王位争奪戦かい?」
「いえ。こちらは勝てる可能性がありません」
『聞こえてるよ、ヤマタ!』
アーサーの笑い声が朝空へ広がった。
兄上は事情が分からないまま、それでも穏やかに笑っていた。
最後まで隙のない兄の姿を見ながら、俺は歩き出す。
勝てる場所を探すのではない。
俺たちにしか進めない道を探すために。