王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記- 作:ボルメテウスさん
アイダ兄上の領地から戻った、その日の夕方。
俺はようやく自室へ戻れる――はずだった。
「アーサー」
「なに?」
「どうして庭園へ向かってるんですか?」
「友達が来てるから」
「俺は休みたいんですが」
「顔を見るだけだよ」
「その言い方で短時間だったこと、一度もありませんよね?」
隣を歩くアーサーは笑うだけだった。
夕暮れの庭園には、紫色の小さな花が咲いている。
風が吹き抜け、花びらを揺らす。
そのはずなのに。
庭園中央の東屋へ近づくにつれ、風が止まった。
鳥の声もない。
噴水の水音だけが、不自然なほど大きく聞こえる。
「……アーサー」
「うん?」
「友達って、人間ですか?」
「いい質問だね」
「帰ります」
踵を返した。
「あれ? もう帰っちゃうの?」
背後から少女の声がした。
足が止まる。
軽い声だ。
無邪気な子供が遊び相手を見つけたような。
それなのに背筋を、冷たい指でなぞられたような感覚が走った。
振り返る。
東屋の柱にもたれ、一人の少女が立っていた。
紫を基調とした服。
幼さを残す顔立ち。
口元には柔らかな笑み。
見た目だけなら、王城へ遊びに来た貴族令嬢にしか見えない。
「紹介するよ」
アーサーが隣へ並ぶ。
「私の親友、ウルティマ」
「よろしくね、ヤマタ君」
少女――ウルティマが手を振る。
「アーサー」
「なに?」
「どういう交友関係をしてるんですか?」
「あははっ」
「笑って誤魔化さないでください!」
ウルティマが口元へ手を添える。
「酷いなぁ。ボク、いい悪魔だよ?」
「自分で悪魔と言いましたよね?」
「悪魔基準ではかなりいい方だと思うよ?」
「比較対象が怖いです!」
「大丈夫、大丈夫」
アーサーが俺の肩を叩く。
「ウルティマは理由もなく人を殺したりしないから」
「理由があったらするんですか?」
「するよ?」
ウルティマが笑顔で答えた。
「帰らせてください!」
「もうちょっとだけ」
アーサーが俺の上着を掴む。
親友同士という説明だけは、本当らしい。
ウルティマは楽しそうにこちらへ近づいてくると、俺の顔を覗き込んだ。
「へえ……」
一歩右へ動く。
俺も一歩下がる。
左へ回る。
さらに下がる。
「これがヤマタ君かぁ」
「何を聞いて来たんです?」
「色々」
「具体的には?」
「弱い」
「最初から悪口ですね」
「王子なのに王様になりたくなかった」
「事実です」
「戦う時は強い人に頼る」
「否定できません」
「女の子がいっぱい寄ってくるのに、自分から口説かない」
「そこは今関係あります?」
「あるよ?」
ウルティマは俺の周囲を一周した。
品物を確認する商人より遠慮がない。
「思ったより普通だね」
「普通で悪かったですね」
「悪くないよ。むしろ面白い」
「どの辺りが?」
「全部」
ウルティマが指先を上げた。
その先に、紫色の小さな蝶が止まる。
「アイダって人にも会ったんでしょ?」
「兄上を知っているんですか」
「話だけね」
蝶が指先から飛び立つ。
「強くて、頭が良くて、優しくて、責任感もある。部下にも民にも信頼されてる」
「その通りです」
「すごいよね」
ウルティマは素直に頷いた。
「王様としては、ほとんど完成品」
「……はい」
「でも、ボクにはつまらない」
「はい?」
思わず顔を上げる。
「どうしてですか?」
「だって、正しい答えを選ぶんでしょ?」
ウルティマは笑っている。
「災害が起きたら最善の指示。敵が出たら最善の戦い方。誰かを助ける時も一番正しい方法を選ぶ」
「それは長所でしょう」
「うん。だからすごい」
否定はしない。
「でも、次に何をするか想像できちゃう」
紫色の瞳が俺へ向いた。
「君は違う」
「俺は正しい答えを出せないから?」
「そう」
「即答ですね!」
「弱いし、迷うし、間違える」
「褒める気あります?」
「あるよ」
ウルティマが一歩近づく。
「なのに、君が何か選ぶと周りが勝手に動く」
指が俺の胸元へ向けられる。
「君一人じゃできないことを、強い人たちが代わりにやる」
「俺が頼んでいるだけです」
「そこが面白いんだよ」
分からない。
アイダ兄上とは正反対だ。
兄上なら、一人でも最善へ近づける。
俺は最初から他人を当てにする。
普通に考えれば、欠点のはずだ。
「ねえ、アーサー」
「なに?」
「ちょっと遊んでいい?」
「壊さないなら」
「何の許可を出してるんですか!?」
嫌な言葉しか聞こえなかった。
ウルティマが俺へ向き直る。
「ヤマタ君」
「嫌です」
「まだ何も言ってないよ?」
「絶対ろくな内容ではありません」
「三分だけ遊ぼう」
指が三本立つ。
「ちなみに、戦わないという選択肢は?」
「ないよ?」
「でしょうね!」
足元へ紫色の光が走った。
庭園全体を囲むように、半透明の膜が広がる。
噴水も、木々も、東屋も紫色の光へ包まれた。
「ルールは簡単」
ウルティマが笑う。
「三分間、ボクから逃げ切れたら君の勝ち」
「アーサー」
「頑張って」
「助けてください!」
「これはヤマタ君へのテストだから」
「親友を止めるのも婚約者の仕事でしょう!」
「殺さないようには言ったよ」
「基準が低い!」
振り向く。
走る。
とにかく距離を取る。
「右へ行くね」
声がした。
「え?」
次の瞬間、目の前にウルティマがいた。
「ほら、当たり」
「どうして!?」
急停止する。
左へ跳ぶ。
紫色の光弾が頬の横を抜け、背後の地面へ突き刺さった。
「当たったら?」
「ちょっと痺れるだけ」
「ちょっとの基準を教えてください!」
「十分くらい動けなくなるかな」
「十分は長い!」
東屋の裏へ走る。
角を曲がる。
「待ってたよ」
「だから、どうして先にいるんですか!」
ウルティマが楽しそうに手を振っていた。
「呼吸。視線。身体の向き」
紫色の光が指先へ集まる。
「君って分かりやすいね」
光弾が飛ぶ。
屈む。
髪を掠めていった。
「アーサー!」
「なにー?」
「親友なら弱点くらい知ってるでしょう!」
遠くの椅子に座り、アーサーは完全に見物人になっている。
「知ってるよ」
「教えてください!」
「飽きっぽい」
「戦闘の弱点じゃない!」
「でも一番大きな弱点だよ」
飽きる。
俺は走りながら考える。
ウルティマは俺の動きを読んでいる。
逃げ道を考える。
安全な場所を探す。
そこへ先回りする。
なら。
「やめた」
足を止めた。
ウルティマが目を丸くした。
「ん?」
そのままベンチへ座る。
「何してるの?」
「休憩です」
「逃げないの?」
「どうせ読まれるので」
「三分経ってないよ?」
「知っています」
ウルティマが近づく。
「降参?」
「いいえ」
「じゃあ?」
「そのうち飽きるのを待ちます」
一秒。
二秒。
沈黙。
「ぷっ」
ウルティマが笑った。
「それ、逃げてないじゃん」
「ルールは三分間捕まらなければ勝ちでしょう」
「そんなこと言ったっけ?」
「逃げ切れば、とは言いました」
「じゃあ逃げなきゃ」
「定義の問題ですね」
「面白いね、それ」
笑っている。
なら、この方向だ。
俺は急に立ち上がった。
「やっぱり走ります!」
「え?」
今度は正面へ走る。
ウルティマに向かって。
「こっち!?」
初めて声が少し上擦った。
直前で横へ曲がる。
噴水へ飛び乗り、そのまま反対側へ落ちる。
「冷たっ!」
水に濡れた。
だが、ウルティマの笑い声が聞こえる。
「あははっ! 何それ!」
「アーサー、あと何秒!」
「二十秒!」
「まだそんなに!?」
走る。
止まる。
逆走する。
木の周りを一周して、同じ方向へ戻る。
戦術も何もない。
強いて言うなら、俺自身にも次の行動が分からない。
「それ、ずるいよ!」
「読めないでしょう!」
「本人も考えてないだけじゃん!」
「その通りです!」
紫色の光弾が飛ぶ。
足元へ着弾。
跳ぶ。
「十秒!」
「長い!」
「五!」
ウルティマが一瞬で目の前へ現れた。
「捕まえた」
手が伸びる。
「三!」
逃げられない。
「二!」
指先が服へ触れる。
「一!」
紫色の光が消えた。
結界が砕け、蝶のような光となって夕空へ散っていく。
「三分」
アーサーが告げた。
俺はその場へ座り込んだ。
「……勝ちました?」
ウルティマは答えない。
肩が震えている。
「あは……」
顔を上げた。
「あははははっ!」
腹を抱えて笑い始めた。
「何なの、君! 最後なんて何も考えてなかったでしょ!」
「必死だったんです!」
「自分一人じゃ無理だと思ったら、すぐアーサーに聞くし!」
「使えるものは使います!」
「そこ!」
ウルティマが俺を指す。
「そこが面白い!」
何がそんなに刺さったのか、まったく分からない。
「アイダなら自分で答えを作る」
ウルティマが笑いながら言う。
「君は答えがなかったら、隣の人に聞く」
「悪いですか?」
「全然」
少女の笑顔が、ほんの少しだけ深くなる。
「強い人間なんて、いくらでもいるんだよ」
夕日が沈み始める。
紫色だった空が、少しずつ夜へ変わっていく。
「でも弱いのに、強い奴が勝手についてくる人間は珍しい」
「勝手ではないと思います」
「じゃあ、どうして?」
「知りませんよ」
「本人も分かってないんだ」
また笑われた。
ウルティマはアーサーの隣へ座る。
「決めた」
「何を?」
「王位争奪戦、最後まで見る」
「観戦ですか?」
「うん」
頬杖をつき、俺を眺める。
「君が王になったら、一番面白そうだから」
「面白さで国王を選ばないでください」
「でも、まだ応援はしないよ」
「しないんですか」
「だって、アイダも見てみたいし」
アーサーが横から口を挟む。
「お願いだから、国が滅びるような試し方はしないでね」
「しないよ」
「本当に?」
「たぶん」
「今の間が怖いんだけど」
「親友でしょう?」
「親友だから警戒してるんだよ」
二人が笑う。
俺は濡れた服を絞りながら、その光景を見た。
似ている。
間違いなく似ている。
面白いことを見つけた時の目が、特に。
「本当にどういう交友関係なんですか……」
呟くと、二人が同時にこちらを見た。
「秘密」
声まで重なった。
嫌な予感しかしない。
それでも。
アイダ兄上のように完成された人間を見た直後に、こんな悪魔から「未完成だから面白い」と言われるとは思わなかった。
完璧ではない。
強くもない。
一人ではできないことばかりだ。
けれど。
それなら、それでいいのかもしれない。
一人で答えを出せないなら、誰かに聞けばいい。
自分だけで届かないなら、届く人の手を借りればいい。
「ねえ、ヤマタ君」
「何です?」
「次は五分やろうか」
「前言撤回します」
「何を?」
「あなたとは距離を置きます!」
ウルティマの笑い声とアーサーの笑い声が重なり、夕暮れの庭園へ響いた。