王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記- 作:ボルメテウスさん
翌朝。
俺が執務室へ入ると、窓際にウルティマがいた。
「……何してるんですか?」
「観察」
「帰ってください」
「まだ何もしてないよ?」
「観察すると宣言してる時点で嫌です」
ウルティマは窓枠へ腰を掛けたまま、菓子を一つ口へ放り込む。
昨日、アイダ兄上は言った。
俺の周りには、本来なら同じ場所に立たない者たちが集まっている、と。
そしてウルティマは、それを聞いた瞬間から妙に静かだった。
静かな悪魔というのは、騒がしい悪魔より怖い。
「アイダが言ってたこと、本当なのかなって」
「何がです?」
「君が人を引き寄せるって話」
「兄上が買い被っているだけです」
「だから確かめるの」
「どうやって?」
ウルティマが笑う。
「普通に見る」
「それなら何もしないでくださいね」
「善処する」
「今の返事、一番信用できません」
そんな会話をしている間にも、公務は始まった。
最初に飛び込んできたのは、若い役人だった。
「殿下! 申し訳ありません!」
両手いっぱいの書類を抱え、そのうち半分を床へ落とす。
「あ」
「あ……」
二人で床を見る。
役人の顔から色が消えた。
「昨日提出予定だった倉庫改修の見積書を、別の部署へ送ってしまって……」
「それで?」
「工事の開始が二日遅れます」
俺は落ちた書類を一枚拾う。
「取り戻せます?」
「今日中に再提出すれば、三日目には工程を戻せます」
「なら、そうしましょう」
「……処分は?」
「必要ですか?」
役人が目を瞬く。
「同じ間違いを繰り返すなら考えます。でも今回は、原因が分かってるんでしょう?」
「確認欄を一人で処理していました」
「じゃあ次は?」
「二重確認にします」
「それでお願いします」
書類を渡す。
「あと、全部拾ってから行ってください」
「はい!」
役人は慌てて床へ膝をついた。
俺も残りの紙を拾う。
その横から、ウルティマが覗き込んできた。
「怒らないんだ」
「怒って工事が早くなるなら怒ります」
「王子なのに一緒に拾うんだ」
「俺が踏んだら余計に面倒でしょう」
「ふうん」
ウルティマはそれ以上言わなかった。
ただ、食べようとしていた菓子を持った手が止まっていた。
昼前には市場へ出た。
今度は商店街の店主たちから、税率ではなく荷車の通行時間について相談された。
「朝の荷車が増えすぎて、店を開けられないんです」
「時間をずらせば?」
「運送業者は夜明け前から動きたいと」
俺は隣の役人を見る。
「どう思います?」
「午前を二つに分けるのが良いかと。食品と日用品を先、建材を後へ」
「店主さんは?」
「それなら助かります」
「運送組合にも聞いてみましょう」
店主が笑った。
「殿下が決めてくだされば早いのに」
「俺が荷車を引くわけじゃありませんから」
ウルティマが横で吹き出した。
「なに?」
「いえ」
「絶対笑いましたよね」
「ちょっとだけ」
夕方には訓練場へ回った。
百さんが兵士たちの訓練を見ている。
「ヤマタ」
「お疲れさまです」
百さんの視線が俺の後ろへ移る。
「なぜ悪魔がいる」
「観察だそうです」
「追い出すか?」
「聞こえてるよ?」
ウルティマが手を振る。
百さんは無言で剣の柄へ手を置いた。
「大丈夫です!」
慌てて間に入る。
「今日は何もしてません!」
「今日は、か」
「そこを拾わないでください」
訓練を見終え、日が沈みかけた頃。
ウルティマが庭園のベンチへ腰を下ろした。
「ねえ、ヤマタ君」
「何です?」
「君って、誰かを従わせようとしないんだね」
「従わせる必要があります?」
ウルティマの口が止まった。
「必要なら頼みますけど」
「命令できるじゃん」
「王子なのでできますね」
「じゃあ、なんでしないの?」
「自分より詳しい人がいるなら、その人に聞いた方が早いでしょう」
風が庭園を抜ける。
紫色の蝶が一匹、ウルティマの指先へ止まった。
「……へえ」
「何です?」
「別に」
それで終わると思った。
翌日までは。
昼食の後、リンカが俺の部屋へ入ってきた。
「ヤマタ」
「はい」
「悪魔を止めて」
「何をしたんです?」
「引き抜き」
「……はい?」
嫌な予感しかしない。
庭園へ走る。
そこには、ウルティマ。
百さん。
リンカ。
ココさん。
そしてアーサーがいた。
「何してるんですか!」
「実験」
「やっぱり何かした!」
ウルティマは机の上に紙を並べている。
「百には帝国より高い地位」
「断った」
「リンカには今の三倍の報酬」
「断った」
「ココには税制優遇と独占交易権」
「条件としては魅力的ね」
ココさんが笑う。
「でも断ったわ」
「アーサーには――」
「言わなくていいよ」
アーサーが先に遮った。
「どうせ『ヤマタ君より優秀な王子はいくらでもいる』でしょ」
「うん」
「それで?」
「笑われた」
「当然です」
俺は机を叩いた。
「勝手に人を試さないでください!」
「でも面白かったよ?」
「面白いかどうかの話ではありません!」
百さんが腕を組む。
「私は地位でここにいるわけではない」
リンカも淡々と続ける。
「報酬なら、もっと高い仕事はある」
ココさんは紙を一枚摘まむ。
「私は利益も見るけど、利益だけならヤマタ君を選ばないわね」
「そこは少し傷つきます」
「褒めてるのよ」
「どう聞けば?」
アーサーが笑う。
「私は最初から条件の話じゃないしね」
ウルティマは机へ頬杖をつく。
「だから困ってる」
「何がです?」
「理由が全部違う」
紙を一枚ずつ指す。
「百は責任。リンカは恩と居心地。ココは将来性。アーサーは……まあ色々」
「色々でまとめないでよ」
「でも全員残る」
ウルティマは紙から俺へ視線を移した。
「君が強いからじゃない」
「はい」
「頭が一番いいからでもない」
「はい」
「一番お金をくれるからでもない」
「分かっていますから、続けないでください」
「なのに残るんだよね」
夕日が庭園を赤く染める。
風が吹き、机の上の紙が一枚飛んだ。
続いて二枚、三枚。
そこに書かれた理由は全部違う。
同じ言葉は一つもない。
ウルティマがそれを目で追う。
「アイダの言ってた意味、ちょっと分かったかも」
「何がです?」
「君は人を集めてない」
「ずっとそう言ってます」
「うん。勝手に残ってる」
「その言い方もどうなんですか」
「でもさ」
ウルティマが笑う。
「君、誰かが離れようとしたら止める?」
考える。
「理由によります」
「自分のためなら?」
「本人が行きたいなら、止めません」
「自分が困っても?」
「困りますけど」
「それでも?」
「俺が困るから残れとは言えません」
ウルティマの目が細くなる。
紫の蝶が、夕日の中を横切った。
「そこかもね」
「何がです?」
「まだ秘密」
「ここまで勝手に調べて秘密なんですか!」
「もうちょっと見たいから」
「見なくていいです!」
俺が怒鳴ると、ウルティマは一瞬だけ黙った。
それから。
「あはっ」
楽しそうに笑う。
「そうやって怒れるところも答えかも」
「人を勝手に試したから怒ってるんです!」
「自分が試された時より怒ってる」
言葉が止まった。
昨日。
ウルティマに追い回された時、俺はここまで声を荒げていない。
今は。
百さんも。
リンカも。
ココさんも。
アーサーも。
本人たちは平然としているのに、俺だけが腹を立てている。
「……もうやらないでください」
「善処する」
「禁止です」
「分かった」
今回は、返事が早かった。
ウルティマは散らばった紙を拾い始める。
アーサーも一枚拾い、彼女へ渡した。
「少し分かった?」
「うん」
「何が?」
「アーサーがここにいる理由」
アーサーの笑みが僅かに深くなる。
「それは教えない」
「知ってるけどね」
「なら聞かないでよ」
二人が笑う。
俺は空を見上げた。
夕日はもう半分、城壁の向こうへ沈んでいる。
違う理由で集まった人たち。
違う場所から来た人たち。
俺には、その全部を一つの言葉へまとめることはできない。
たぶん、まとめなくてもいい。
「ヤマタ君」
「何です?」
「明日も観察していい?」
「駄目です」
「即答だ」
「今日は十分でしょう!」
ウルティマの笑い声が、夕暮れの庭園へ広がった。
その少し向こうで、百さんが飛んだ紙を拾い。
リンカが無言で一枚踏み止め。
ココさんが内容を読んで笑い。
アーサーが俺の隣へ戻ってくる。
誰も同じ理由ではない。
それでも。
帰ろうとする人は、一人もいなかった。