※この作品はR-18です。

王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記-   作:ボルメテウスさん

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王になりたいのか、兄さん

 アイダ兄上から呼び出されたのは、日付が変わる少し前だった。

 

 場所は王城の北側にある古い城壁。

 

 護衛はいらない。

 

 アーサーも連れてこなくていい。

 

 手紙には、それだけ書かれていた。

 

「……逆に怖いな」

 

 夜風に吹かれながら階段を上る。

 

 この時間の王城は静かだった。

 

 昼間なら兵士や役人が絶えず行き交う廊下にも、人影はほとんどない。

 

 階段を上り切ると、アイダ兄上はすでに城壁の端に立っていた。

 

「来たね、ヤマタ」

 

「兄上が一人で待っているの、珍しいですね」

 

「たまには兄弟だけで話したくなってね」

 

「王位争奪戦の相手同士ではなく?」

 

「今日はやめよう」

 

 兄上が笑う。

 

 その笑い方はいつもより少しだけ軽かった。

 

 城壁からは、王都全体が見渡せる。

 

 灯りの消えた住宅。

 

 まだ営業している酒場。

 

 夜警の持つ魔導灯。

 

 遠くでは水路が月を細く反射していた。

 

「綺麗ですね」

 

「ああ」

 

 兄上が石壁へ両肘を乗せる。

 

 珍しい。

 

 普段なら、人前でこんな姿勢は取らない。

 

「ヤマタ」

 

「はい」

 

「もし王位争奪戦がなかったら、君は何をしていた?」

 

「急ですね」

 

「ずっと聞いてみたかった」

 

 少し考える。

 

 けれど、答えは昔から変わっていない。

 

「静かに暮らしていたと思います」

 

「静かに?」

 

「適当な領地をもらって、面倒な政治にはなるべく関わらず」

 

「王族なのに?」

 

「王族でも休みたいんです」

 

 兄上が喉を鳴らして笑った。

 

「それから?」

 

「美味しいものを食べて、本を読んで……時々旅ができれば十分ですね」

 

「ずいぶん小さな夢だ」

 

「平和でいいでしょう?」

 

「悪くない」

 

 兄上は城下へ目を戻した。

 

「以前の君なら、本当にそうしていただろうね」

 

「今も可能ならそうしたいです」

 

「でも、もう一人では行けない」

 

 返事が止まる。

 

 左手首へ目を落とした。

 

 銀の腕輪。

 

 青い石は静かに光っている。

 

 ララさんとの通信機能は、今夜も切っていない。

 

「アーサー殿下もいる。百殿も、リンカ殿も、ココ殿もいる」

 

「ウルティマまで数えないでくださいね」

 

「彼女は……どう分類すればいいんだろうね」

 

「俺にも分かりません」

 

 二人で少し笑う。

 

 風が吹いた。

 

 兄上の髪が揺れる。

 

「今度は俺から聞いてもいいですか?」

 

「もちろん」

 

 ずっと聞きたかった。

 

 だけど、これまで聞く理由がなかった問い。

 

「兄上は、本当に王になりたいんですか?」

 

 アイダ兄上の目がこちらへ向いた。

 

 驚いた様子はない。

 

「なりたいよ」

 

 答えは早かった。

 

「……迷わないんですね」

 

「迷う理由がないからね」

 

 兄上は再び王都を見る。

 

「この国が好きだ」

 

 夜風の中で、その声だけがはっきり聞こえた。

 

「民も、土地も、文化も。問題だらけだけれど、それでも良い国だと思っている」

 

「はい」

 

「そして私は、それを守るための能力を与えられた」

 

 剣。

 

 魔法。

 

 知識。

 

 判断力。

 

 統治能力。

 

 あの日、兄上の領地で見たものを思い出す。

 

 豪雨。

 

 魔獣。

 

 崩れかけた堤防。

 

 その全部を前にしても、兄上は迷わなかった。

 

「だから王になりたい?」

 

「そうだ」

 

「自分ならできるから?」

 

「そうだね」

 

 兄上は少しだけ間を置いた。

 

「それに」

 

 石壁の上で、指がゆっくり組まれる。

 

「私が背負えば、多くの者が背負わなくて済む」

 

 その言葉が、妙に引っかかった。

 

「兄上」

 

「何だい?」

 

「それ」

 

「それ?」

 

「やっぱり、そうなんですね」

 

「何が?」

 

 俺は兄上を見る。

 

「何でも一人で背負いますよね」

 

 兄上の目が少しだけ開いた。

 

 初めて。

 

 今夜初めて、返事がすぐには来なかった。

 

「私が?」

 

「はい」

 

「そんなつもりはないけど」

 

「あります」

 

 今度は俺が即答する。

 

「危険な場所には自分が立つ。失敗したら自分が責任を取る。誰かが困れば、自分が何とかする」

 

「王族なら当然だ」

 

「そういうところです」

 

 兄上の眉がわずかに動く。

 

「民を守るのも、責任を取るのも正しいと思います」

 

「なら」

 

「でも兄上、自分が倒れた時のことを考えていますか?」

 

 夜風が一瞬止まったように感じた。

 

「兄上は何でもできます」

 

 言葉を選ぶ。

 

「だから、何でも自分でできます」

 

「褒められているようには聞こえないね」

 

「褒めています」

 

「君もウルティマみたいな言い方をするようになったな」

 

「それは嫌です」

 

 兄上が笑う。

 

 でも、すぐにその笑みは小さくなった。

 

「それで?」

 

「何でもできるから、頼らないんじゃないですか」

 

「頼っているよ。騎士にも、役人にも」

 

「仕事は」

 

「仕事?」

 

「兄上は仕事を任せています。でも、最後の責任だけは全部自分で持っていく」

 

 あの水車小屋。

 

 兄上は避難確認の失敗を自分の責任だと言った。

 

 誰かを責めず。

 

 自分が正すと言った。

 

 正しい。

 

 あまりにも正しい。

 

「兄上は、それで平気なんですか?」

 

「平気かどうかで決めることではないよ」

 

「それもです」

 

 思わず笑ってしまった。

 

「何がおかしい?」

 

「本当に兄上らしいなと思って」

 

 アイダ兄上は王都を見下ろしている。

 

 無数の灯り。

 

 その全てを、自分の肩へ載せようとしているように見えた。

 

「ヤマタなら、どうする?」

 

 不意に聞かれる。

 

「俺ですか?」

 

「もし君が王なら」

 

 兄上がこちらを見る。

 

「全部を背負わないと言うなら、どうする?」

 

 すぐには答えられなかった。

 

 視線を落とす。

 

 腕輪が月明かりを返す。

 

 アーサー。

 

 百さん。

 

 リンカ。

 

 ココさん。

 

 ララさん。

 

 顔が次々浮かぶ。

 

 俺は一人では何もできない。

 

 兄上のように、剣一本で戦況を変えられない。

 

 政治も。

 

 軍事も。

 

 商売も。

 

 全部、俺より詳しい人がいる。

 

「探します」

 

「何を?」

 

「一緒に背負ってくれる人を」

 

 兄上が黙る。

 

「全部任せるという意味ではありません」

 

 石壁へ手を置く。

 

「俺が責任を取るところは取ります。でも俺が分からないなら、分かる人に聞きます」

 

「その人が間違えたら?」

 

「一緒に直します」

 

「裏切ったら?」

 

「……それは困りますね」

 

 兄上が笑う。

 

「そこは即答できないんだ」

 

「裏切られた経験が少ないので」

 

「良いことだよ」

 

「でも」

 

 続ける。

 

「俺一人だけが国を背負う形にはしたくないです」

 

 口にしてから、自分で少し驚いた。

 

 今まで考えていたことが、初めて言葉になった気がした。

 

「百さんには百さんにできることがあります。ココさんにはココさんのやり方がある。アーサーなんて、俺よりよっぽど王様みたいなこと考えてますし」

 

「本人に言うと喜びそうだ」

 

「絶対言いません」

 

「ララ殿は?」

 

「危険な機械を作らないように見張ります」

 

「そこ?」

 

「重要です」

 

 二人で笑う。

 

 少しして、兄上が息を吐いた。

 

「君らしいな」

 

「兄上に比べたら、随分頼りない王ですけど」

 

「そうでもない」

 

「え?」

 

「王が一人で全てをできる必要はない」

 

「兄上が言うんですか」

 

「だからこそ言える」

 

 アイダ兄上は自分の手を見る。

 

 剣を握る手。

 

 何度も国を守ってきた手。

 

「私は、自分にできることが多い」

 

「はい」

 

「だから、できるなら自分がやればいいと思ってきた」

 

 指がゆっくり閉じる。

 

「君に言われるまで、それを疑ったことはなかったな」

 

 ほんの少しだけ。

 

 兄上の肩が下がった。

 

 第一王子ではなく。

 

 完璧な王候補でもなく。

 

 ただの兄に見えた。

 

「やめた方がいいとは言ってませんよ」

 

「分かっている」

 

「兄上のやり方は正しいと思います」

 

「なら、君は?」

 

「俺は」

 

 王都を見る。

 

 夜は終わり始めていた。

 

 東の空が薄く青くなっている。

 

「違うやり方を探します」

 

「私より良い?」

 

「分かりません」

 

「正直だね」

 

「でも」

 

 一度息を吸う。

 

「俺を選んで残ってくれた人たちに、全部任せろとは言いたくないです」

 

 灯りが一つ消える。

 

 代わりに、空が明るくなっていく。

 

「一緒に背負ってくれって言います」

 

 アイダ兄上は何も言わなかった。

 

 しばらく、二人で朝を見た。

 

 やがて。

 

「その続きは」

 

 兄上が石壁から身体を起こす。

 

「父上の前で聞こう」

 

「最終問答ですね」

 

「ああ」

 

 こちらへ手が差し出される。

 

「手加減はしない」

 

「知っています」

 

「君もするなよ」

 

「兄上相手にできる余裕ありませんよ」

 

「それでいい」

 

 手を握る。

 

 兄上の掌は、やはり硬かった。

 

 俺の手とは違う。

 

 歩いてきた道も違う。

 

 たぶん、目指す王の姿も。

 

 朝日が昇る。

 

 城壁へ二人の影が伸びた。

 

 昨日までは並んでいた影が、少しずつ別の方向へ離れていく。

 

 それでも根元は、同じ城壁の上にあった。

 

「ヤマタ」

 

「はい?」

 

「一つだけ訂正しよう」

 

「何をです?」

 

「君が王位争奪戦に参加した時、私はすぐ脱落すると思っていた」

 

「酷いですね!」

 

「事実だ」

 

 兄上が笑う。

 

「でも今は」

 

 朝日に照らされた顔が、真っ直ぐこちらを向く。

 

「最後に君と話せることを、楽しみにしている」

 

 返事をするまで、少し時間がかかった。

 

「……俺もです」

 

 風が吹く。

 

 夜の冷たさは、もう残っていなかった。

 

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