※この作品はR-18です。

王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記-   作:ボルメテウスさん

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王になるべき者

玉座の間は、嫌になるほど広かった。

 

 昔から何度も入ったことがある。

 

 父上に呼ばれた時。

 

 式典の時。

 

 王位争奪戦が始まった、あの日も。

 

 けれど今日だけは、床に敷かれた赤い絨毯がいつもより長く見える。

 

 その先に父上――ドレイク王が座っている。

 

 俺の右にはアイダ兄上。

 

 左には、誰もいない。

 

 アーサーも。

 

 百さんも。

 

 リンカも。

 

 ここまで一緒に来た皆は、扉の向こうだ。

 

 最後だけは、自分の足で立て。

 

 そう言われているようだった。

 

「揃ったか」

 

 父上の声が響く。

 

「はい」

 

 アイダ兄上が答える。

 

 一拍遅れて、俺も頭を下げた。

 

「はい」

 

 父上の手元には、分厚い書類の束があった。

 

 これまでの成果。

 

 領地の収益。

 

 支持者。

 

 外交。

 

 婚姻。

 

 全部が記された紙。

 

 父上はそれを持ち上げ――。

 

 脇へ置いた。

 

「もう、これはいらん」

 

「……え?」

 

 思わず声が出た。

 

 父上が俺を見る。

 

「何かあるか、ヤマタ」

 

「いえ。ずいぶん簡単に置くんだな、と」

 

「数字はもう見た」

 

 父上は背もたれへ身体を預ける。

 

「誰を集めた。どれだけ金を動かした。どれだけ領地を発展させた。誰と婚約した」

 

 低い声が続く。

 

「その程度なら、書類を読めば分かる」

 

 父上の指が、積まれた資料を軽く叩いた。

 

「だが王になる者は、紙の上では決められん」

 

 玉座の間へ朝日が差し込んでいる。

 

 高い窓から伸びた光が、俺と兄上の間を分けていた。

 

「最初に言っておく」

 

 父上が口を開く。

 

「この争奪戦で、妃の数など初めから重要ではなかった」

 

 俺は顔を上げた。

 

「……は?」

 

「ヤマタ」

 

「すみません」

 

「顔に出すぎだ」

 

「初耳なので!」

 

 隣から、小さく息を吐く音が聞こえた。

 

 兄上だ。

 

「兄上、知ってたんですか?」

 

「確信はなかったよ」

 

「顔が知ってた人なんですよ」

 

「君が分かりやすすぎるんだ」

 

 父上が咳払いする。

 

「続けてよいか?」

 

「お願いします」

 

 睨まれた。

 

「女を何人集めたかなど、王の器には関係ない」

 

 父上の声が戻る。

 

「見ていたのは、その女たちがなぜお前たちを選んだかだ」

 

 胸の奥で、何かが動く。

 

「利益があるからか」

 

 ズヌイ兄上が浮かんだ。

 

「地位があるからか」

 

 百さん。

 

「安全だからか」

 

 リンカ。

 

「未来へ賭けたからか」

 

 ココさん。

 

「それとも――」

 

 父上の目が俺へ向く。

 

「それらが失われても、残るのか」

 

 左手首へ指が触れた。

 

 銀の腕輪。

 

 ララさんから渡されたもの。

 

「妃の数を競わせれば、人間の本性が見える」

 

 父上は笑わなかった。

 

「女を駒として数える者。権力として扱う者。自分の価値を高める商品と考える者。そして、自分を選んだ相手をどう扱うか」

 

 ズヌイ兄上の顔が浮かぶ。

 

 あの人は、それを最後には自分で理解した。

 

「よく分かりましたよ」

 

 俺は思わず呟く。

 

「ずいぶん性格の悪い試験だったということが」

 

「王になるなら、その程度を見抜け」

 

「無茶を言いますね」

 

 父上の口元が僅かに上がった。

 

「では、本題だ」

 

 空気が変わった。

 

 さっきまであった僅かな軽さが消える。

 

「アイダ」

 

「はい」

 

「ヤマタ」

 

「はい」

 

 父上が俺たちを交互に見る。

 

「どちらが王になるべきだ」

 

 短い問いだった。

 

 それだけ。

 

 なのに。

 

 この数年間が、その一言の中へ詰め込まれているように聞こえた。

 

「アイダ」

 

 父上が先に兄上を見る。

 

「答えろ」

 

「私です」

 

 早かった。

 

 迷いもない。

 

 アイダ兄上は真っ直ぐ玉座を見ている。

 

「理由は」

 

「現時点で、私はヤマタより多くの経験を持っています」

 

 兄上の声が響く。

 

「軍事、農政、外交、福祉、交易。領地経営においても、結果を残してきました」

 

 否定できない。

 

「災害時の指揮。軍の統率。諸侯との交渉。私は、この国を守るために必要な能力を身につけてきたつもりです」

 

 胸を張っている。

 

 傲慢には見えなかった。

 

 ただ事実を並べている。

 

「国王には、最後に責任を引き受ける者が必要です」

 

 あの夜の城壁を思い出した。

 

「私は、それを背負えます」

 

 静かだった。

 

 反論する余地がない。

 

 俺より強い。

 

 俺より賢い。

 

 俺より経験がある。

 

 そして何より――この人は逃げない。

 

「ヤマタ」

 

 父上の声。

 

「お前はどう思う」

 

「能力だけで決めるなら」

 

 口の中が少し乾いた。

 

「兄上です」

 

 父上の眉が僅かに動く。

 

 兄上は俺を見ない。

 

「俺では勝てません」

 

 言葉にしてしまえば、妙に楽だった。

 

「政治も、軍事も、判断力も。兄上の方が上です」

 

「ならば」

 

 父上がすぐに続ける。

 

「王位を譲るか?」

 

 左手が腕輪へ触れる。

 

 冷たい金属。

 

 その向こうに、いくつもの顔が浮かぶ。

 

「いいえ」

 

 今度は、すぐ答えられた。

 

「譲りません」

 

 初めて兄上がこちらを見る。

 

「なぜだ」

 

 父上が問う。

 

「アイダが自分より優秀だと認めた。それでも、お前が王になる理由は何だ」

 

 答えを探した。

 

 以前なら。

 

 ここで黙っていたと思う。

 

 王になりたい理由なんてなかった。

 

 静かに暮らせればいいと思っていた。

 

 でも。

 

 今は一人ではない。

 

「俺が一番優秀だからじゃありません」

 

 声が少しだけ玉座の間へ反響する。

 

「俺一人なら、たぶんここまで来てません」

 

 アーサーに引っ張られた。

 

 百さんに教えられた。

 

 リンカに助けられた。

 

 ココさんに交渉を任せた。

 

 ララさんの発明に驚かされて。

 

 ズヌイ兄上から地図を受け取って。

 

 ウルティマに勝手に観察されて。

 

 アイダ兄上に、自分とは違う答えを探せと言われた。

 

「俺を選んだ人がいます」

 

 父上は黙っている。

 

「俺より強い人も。俺より頭がいい人も。俺より商売が上手い人も」

 

 少し笑った。

 

「むしろ俺より上の人ばかりです」

 

 兄上の口元が僅かに緩む。

 

「それでも、残ってくれました」

 

「だから王になると?」

 

「それだけではありません」

 

 一度、息を吸う。

 

「俺がここで『やっぱり兄上の方が優秀だからやめます』と言ったら」

 

 腕輪を握る。

 

「その人たちが俺を選んだことまで、俺一人で無かったことにする気がするんです」

 

 父上の目が少し細くなる。

 

「王位を望んだのは彼らか?」

 

「違います」

 

「ならば、お前自身の理由ではない」

 

「はい」

 

 認める。

 

「最初は」

 

 父上の視線を受け止める。

 

「でも今は違います」

 

 昨夜。

 

 城壁から見た王都を思い出す。

 

「俺は、兄上みたいに全部はできません」

 

 アイダ兄上を見る。

 

「たぶん、これからもできるようにはならないと思います」

 

「随分と弱気だな」

 

 父上が言う。

 

「現実的と言ってください」

 

「続けろ」

 

「だから、頼ります」

 

 言葉が出た。

 

「分からなければ聞きます。できなければ、できる人に任せます」

 

「王が他人任せにすると?」

 

「いいえ」

 

 そこだけは違う。

 

「任せた責任は取ります」

 

 自分でも、声が強くなったのが分かった。

 

「失敗したら一緒に直します。間違えたら止めてもらいます」

 

 百さんなら止めるだろう。

 

 リンカなら呆れながら助ける。

 

 ココさんなら損失を計算する。

 

 アーサーなら笑いながら別案を出す。

 

 ララさんなら――たぶん、ものすごい機械を作る。

 

「俺は、一人で国を背負える王にはなれません」

 

 玉座を見る。

 

「でも」

 

 一歩だけ前へ出た。

 

「国にいる人たちと、一緒に背負う王にはなれます」

 

 声が止まる。

 

 玉座の間が静まり返る。

 

 どこか遠くで、時計の鐘が鳴った。

 

 一度。

 

 二度。

 

「それが」

 

 父上が口を開く。

 

「お前の答えか」

 

「はい」

 

 隣を見る。

 

「兄上の方が優秀です」

 

 アイダ兄上は何も言わない。

 

「兄上のやり方も正しいと思います」

 

「それでも?」

 

「それでも、俺は違う国を作りたい」

 

 兄上の目が僅かに細くなった。

 

「一人の王が全部を背負う国じゃなくて」

 

 朝の光が床を伸びてくる。

 

「皆が自分の得意なものを持ち寄って、それでも最後に困った時は王が逃げない国です」

 

 言い終わった。

 

 足が震えている気がした。

 

 逃げたい。

 

 やっぱり王なんて面倒だ。

 

 今でもそう思う。

 

 それでも足は動かなかった。

 

「アイダ」

 

 父上が兄上を見る。

 

「今の答えを聞いて、どう思う」

 

「私の考えは変わりません」

 

 兄上は即答した。

 

「私は、今でも自分が王に相応しいと思っています」

 

 胸の奥で、何かがほどけた。

 

 その言葉を聞けて良かった。

 

「ただ」

 

 兄上が俺を見る。

 

「ヤマタが王になった国も、見てみたい」

 

「……兄上」

 

「君は私とは違う」

 

 昨夜と同じ言葉。

 

「そして、その違いを今日、自分の言葉で説明した」

 

 兄上が笑う。

 

「競争相手としては、十分だ」

 

「最後まで上からですね」

 

「兄だからね」

 

 思わず笑ってしまった。

 

 父上がゆっくり立ち上がる。

 

 玉座から数段降りてくる。

 

「アイダ」

 

「はい」

 

「お前は、一人でも国を背負える」

 

「はい」

 

「責任を恐れず、決断を他者へ押しつけず、王として必要な能力を既に持っている」

 

 兄上は頭を下げる。

 

「ヤマタ」

 

「はい」

 

「お前は一人では背負えん」

 

「……はい」

 

「そこは否定しないのだな」

 

「できないので」

 

 父上の口元が上がる。

 

「だが」

 

 視線が俺を射抜く。

 

「お前は、自分一人で背負おうとしない」

 

 その言葉が落ちる。

 

「異なる力を持つ者を同じ場所へ立たせる。彼らに選ばせ、それでも最後の責任だけは自分で取ると言った」

 

 父上は俺たちの間へ立った。

 

「次の時代に必要なのは」

 

 朝日が玉座の背後から差し込む。

 

「完成された一人の王ではない」

 

 王冠が光った。

 

「国そのものを、一つの力へ変えられる王だ」

 

 喉が鳴る。

 

「よって」

 

 父上が俺を見る。

 

「次代ドラグウェル国王は――第五王子ヤマタとする」

 

 音が消えた。

 

「…………え?」

 

「ヤマタ」

 

「はい?」

 

「お前だ」

 

「……本当に?」

 

「ここで冗談を言う王がいるか」

 

「父上なら少しありそうで」

 

「取り消すぞ」

 

「すみません!」

 

 反射的に頭を下げる。

 

 その横から、手が差し出された。

 

 アイダ兄上。

 

「おめでとう、ヤマタ」

 

 その顔に笑みはある。

 

 けれど。

 

 握られた拳が、一度だけ強く閉じられていた。

 

 俺はその手を見る。

 

 勝った。

 

 なのに。

 

 そんな感じがしなかった。

 

 兄上が負けたとも思えない。

 

「兄上」

 

「なんだい?」

 

 差し出された手を握る。

 

「一緒に背負ってください」

 

 一瞬。

 

 兄上の目が丸くなる。

 

「もう人を使うつもりか?」

 

「俺、一人じゃ無理なので」

 

「即位前から宣言するな」

 

「でも兄上が必要です」

 

 握った手に少し力を込める。

 

「俺にはできないことが、兄上にはできます」

 

「……そうだね」

 

「だからお願いします」

 

 兄上は小さく息を吐いた。

 

 それから。

 

「仕方ない弟だ」

 

 手を握り返してくる。

 

「ただし」

 

「はい?」

 

「間違えたら、容赦なく止める」

 

「お願いします」

 

「甘やかさない」

 

「それもお願いします」

 

「私より酷い王になったら?」

 

「その時は……」

 

 考える。

 

「引きずり下ろしてください」

 

「そこは頑張ると言え!」

 

 兄上の声が玉座の間へ響く。

 

 父上が笑った。

 

 俺も笑った。

 

 朝日が完全に昇る。

 

 床には二つの影。

 

 昨夜まで別々の方向へ伸びていた影が、今は玉座の前で重なっていた。

 

 そして。

 

 その先には、まだ誰も座っていない王座がある。

 

 俺はそれを見上げた。

 

 重そうだ。

 

 本当に。

 

 とんでもなく。

 

「父上」

 

「なんだ、新王」

 

「今から辞退は」

 

「できん」

 

「ですよね」

 

 兄上が肩を震わせた。

 

 笑い声が、朝の玉座の間へ広がる。

 

 こうして。

 

 長かった王位争奪戦は終わった。

 

 そして俺は――。

 

 人生で一番なりたくなかったはずのものに、なることになった。

 

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