王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記- 作:ボルメテウスさん
アイダ兄上が玉座の間を出ていったあとも、俺はその場に残されていた。
いや。
正確には。
「ヤマタ、お前は残れ」
父上にそう言われた。
なので残っている。
次代国王に決まった直後の人間を一人だけ残す。
この状況で考えられる話題なんて、ろくなものではない。
「父上」
「なんだ」
「今から追加試験とかありませんよね?」
「ない」
「再審査も?」
「ない」
「実は王位争奪戦第二部が――」
「始まらん」
「良かった……」
息を吐いた。
「お前は国王になるという意味を理解しているのか?」
「理解したからこそ安心しているんです」
父上は深く息を吐いた。
呆れられた気がする。
玉座の間は先ほどまでと違って、妙に広く感じた。
アイダ兄上がいなくなっただけなのに。
窓から差し込む朝日は高くなり、床を照らす場所も少しずつ変わっている。
机には、使われなかった審査資料がまだ積まれていた。
俺はその紙束を眺める。
「ところで」
父上が言った。
「お前を王として見ろと、最初に俺へ言った者が誰か知っているか?」
「……兄上?」
「違う」
「百さん?」
「違う」
「ココさん?」
「まだお前と会ってすらいない頃だ」
「じゃあ誰です?」
父上が一冊の薄い記録帳を取り出した。
随分と古い。
端が少し擦れている。
「アーサー・ペンシルゴン」
「……アーサー?」
自分でも分かるくらい間の抜けた声が出た。
「いつです?」
「王位争奪戦が始まって間もない頃だ」
「そんな昔から?」
「ああ」
父上が記録帳を開く。
「非公式の会談だった」
「俺、聞いてません」
「当然だ。お前に知らせるなと言ったのは、あの娘本人だ」
「……なんで?」
父上はページをめくる。
「最初に言われた言葉を、まだ覚えている」
その目が記録帳から離れる。
「『ヤマタ君を勝たせてください』ではなかった」
少し間を置く。
「『ヤマタ君が王になれる可能性を、最初から捨てないでください』だ」
言葉が出なかった。
王位争奪戦が始まった頃。
俺はどうしていた?
逃げる方法を考えていた。
王になるなんて冗談じゃないと思っていた。
兄たちの誰かが勝てばいい。
できれば面倒に巻き込まれず、静かに暮らしたい。
そんなことばかり考えていた。
「アーサーが……?」
「ああ」
「でも、あの頃の俺なんて」
「酷かったな」
「父上が言います?」
「事実だ」
否定できない。
「政治経験は浅い。軍事能力も兄たちに劣る。支持基盤も弱い」
「そこまで言わなくても」
「全部、あの娘も認めていた」
「……はい?」
父上の口元が僅かに上がる。
「むしろ自分から言ったぞ」
「何をです?」
「『ヤマタ君は弱いです。政治も未熟です。自分から王になりたいとも言いません』とな」
「悪口では?」
「まだ続きがある」
嫌な予感がする。
「『だから面白いんです』」
「……アーサーらしい」
頭を抱えたくなった。
「『完成した人間を王候補にするのは簡単です。でも、完成していない人間が誰と出会って、どう変わるのか。その過程を見ないで切り捨てるのは早すぎませんか?』」
指先が止まる。
父上は淡々と続ける。
「そしてこう言った」
朝の光が記録帳の上へ落ちる。
「『王になる前から一人で全部できる必要はありません。むしろ、王になるまでに誰を隣へ残せるかを見てください』」
昨日。
ウルティマが調べたこと。
アイダ兄上が言ったこと。
そして今日、俺自身が父上へ答えたこと。
それよりずっと前に。
アーサーは似た場所を見ていた。
「……怖いですね」
「何がだ」
「先を見すぎです」
「俺もそう思った」
「父上でも?」
「あの娘との交渉は疲れる」
「分かります」
妙なところで意見が一致した。
「それで?」
俺は父上を見る。
「父上は何て答えたんです?」
「断った」
「断ったんですか!?」
「当然だ」
父上は平然としている。
「婚約者が推薦したから王候補として優遇するなど、できるわけがない」
「それはそうですけど」
「だから言った。『証明しろ』とな」
「証明?」
「お前に、その可能性があると」
父上が資料の山へ手を置く。
「それから、あの娘は動いた」
思い返す。
王位争奪戦への参加。
計画。
交渉。
俺が逃げようとするたび、先回りして塞いでくる笑顔。
「……全部、最初から?」
「全てではあるまい」
「でも、かなり?」
「かなりだろうな」
「怖いな……」
「本人に言え」
父上は記録帳を閉じた。
「ただし、勘違いするな」
「何をです?」
「アーサーが、お前を王にしたわけではない」
俺は黙る。
「でも」
「違う」
父上の声が一段低くなった。
「確かに、あの娘はお前を王候補として残すよう俺へ交渉した」
「はい」
「だが、それだけだ」
父上が玉座から降りる。
一段。
また一段。
「扉を開けただけだ」
目の前まで来る。
「そこから歩いたのはお前だ」
「俺一人ではありません」
「それでいい」
返答が早かった。
「百がいた。リンカがいた。ココがいた。ララがいた。アーサーもいた」
「はい」
「だから何だ」
父上の太い指が、俺の胸を軽く叩く。
「彼らを隣へ置いたのも、お前の選択だ」
「向こうから来た人も多いですが」
「残すかどうかは決めただろう」
言い返せない。
「アーサーが最初に開けた扉を、お前は閉じなかった」
父上は踵を返す。
「それだけで十分だ」
俺は左手を見る。
指輪。
アーサーとの婚約を示すもの。
今まで、特別意識して触ったことなんてほとんどなかった。
なのに。
気づけば、親指がその縁をなぞっていた。
「……俺自身が王になりたくなかった頃から」
「あの娘はお前を見ていた」
「完成すると思ってたんですかね」
「違うだろう」
父上が言う。
「完成しないと思っていたから賭けたんじゃないか?」
顔を上げる。
「完成しない?」
「あの娘が欲しかったのは、自分一人で何でもできる王ではなかったのだろう」
父上は机の上の記録帳を指で叩く。
「足りないものがあるから、誰かを必要とする」
アーサー。
百さん。
リンカ。
ココさん。
ララさん。
「その誰かもまた、お前を必要とする」
父上は俺を見る。
「それを王の形と見る人間が、最初から一人だけいた。それだけの話だ」
「随分重要な『それだけ』ですね」
「そうか?」
「そうですよ」
扉の向こうから声が聞こえた。
誰かが笑っている。
たぶんウルティマだ。
その直後、アーサーらしい声が何かを言い返す。
そして。
「だから勝手に入るな」
百さんの声まで聞こえた。
「……騒がしいですね」
「新王の一行とは思えんな」
「俺もそう思います」
思わず笑う。
父上も小さく鼻を鳴らした。
「行け」
「え?」
「待っているぞ」
父上が扉を見る。
「お前が王になった結果を、一番楽しみにしている女が」
「……そうですね」
「礼でも言ってこい」
「素直に受け取りますかね」
「受け取らんだろうな」
「ですよね」
「恐らく」
父上が僅かに口元を上げる。
「『当然でしょ』とでも言う」
「絶対言います」
「分かっているなら早く行け」
「はい」
扉へ向かう。
取っ手へ手をかける。
「ヤマタ」
背後から呼ばれた。
振り返る。
父上はもう玉座へ戻っていた。
「王になったからといって、急に完成しようとするな」
「……はい?」
「お前は完成しなかったから、ここまで来た」
返事ができなかった。
「足りないものがあるなら、今まで通り誰かに頼れ」
父上の手が肘掛けへ置かれる。
「ただし」
「最後には逃げるな、でしょう?」
「分かっているならいい」
扉を開ける。
光が差し込んだ。
「ヤマタ君!」
真っ先に聞こえたのは、アーサーの声だった。
廊下の向こう。
彼女がこちらへ手を振っている。
その隣には百さん。
リンカ。
ココさん。
そして、当然のようにウルティマまでいる。
いつの間にか。
こんなに増えた。
昔の俺なら、絶対に想像しなかった景色だ。
アーサーが首を傾げる。
「どうしたの?」
「……アーサー」
「なに?」
言いたいことはある。
ありがとう、とか。
どうして黙っていたんだ、とか。
最初から俺をどうするつもりだったんだ、とか。
色々。
でも。
彼女の顔を見た瞬間。
「父上から聞きました」
これしか出なかった。
アーサーの眉が僅かに上がる。
「何を?」
「俺を王候補として残すよう、交渉したこと」
「ああ」
そして。
予想通り。
彼女は笑った。
「当然でしょ?」
「やっぱり!」
廊下へ俺の声が響く。
背後の玉座の間から、父上の笑い声まで聞こえた。