王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記- 作:ボルメテウスさん
リンカは、しばらく黙ったままこちらを見ていた。
捕らえられたはずの立場なのに、その視線は不思議と揺らがない。
ただ、どこか行き場を失ったような色が、瞳の奥に沈んでいる。
「なぜ」
ぽつりと落ちた声は、思っていたより静かだった。
「んっ?」
聞き返すと、彼女は一歩も動かないまま、言葉を重ねる。
「私はあなたを殺そうとした。なのに、なぜ」
まっすぐだった。
責めるでもなく、縋るでもなく、ただ確かめるような響き。
俺は少しだけ視線を逸らして、腕を組む。
うまく言える気はしなかった。こういう時、気の利いた言葉なんて出てこない。
「色々と複雑な理由や難しい言葉を並べてもさ」
ゆっくり息を吐いて、もう一度彼女を見る。
「俺の答えは、この言葉だと思う」
一瞬だけ間が空く。
リンカの目が、わずかに細められる。
「目の前で泣いている子がいたら、助けたい。それも、自分の嫌な仕事をしている子はね」
言い終えた瞬間、妙に部屋が静かになった気がした。
自分でも分かる。
たぶん、すごく単純で、すごく場違いなことを言っている。
「えっ」
リンカの瞳が大きく開く。
驚きがそのまま表に出ていた。
その横で、盛大に笑い声が弾けた。
「ねぇ、面白いでしょ、私の婚約者」
アーサーが腹を抱えながら、肩を震わせている。
涙でも出るんじゃないかという勢いで笑っていた。
「権力争いのドロドロな戦いをしているのに、そんな事の為に行動するのは」
言葉だけ切り取れば完全に馬鹿にしている。
けれど、声の調子は違った。
どこか嬉しそうで、少しだけ誇らしげで。
奇妙なくらい柔らかい。
笑いを収めきれないまま、アーサーはリンカへ視線を向ける。
「だから、私はヤマタ君を王にさせたい」
その一言で、空気が少しだけ変わった。
軽い口調なのに、言葉の芯だけが妙に重い。
遊び半分で言っているわけじゃないのは、流石に分かる。
リンカはゆっくりとアーサーを見て、それからもう一度俺へ視線を戻した。
何かを測るような、長い沈黙。
やがて、小さく息を吐く。
「馬鹿みたいな考え、平民の私でもわかる」
「まぁ、うん」
否定できなかった。
むしろ自分でもそう思う。
こんな理屈で動く王子なんて、まともじゃない。
少なくとも、この国の基準で言えば。
「けど」
その一言で、リンカの声が少しだけ変わる。
ほんのわずかに、硬さが抜けた。
ゆっくりと顔を上げる。
まっすぐに俺を見る視線は、さっきまでとは違っていた。
「少なくとも、他の王子よりも、あなたを王になった姿は見てみたいかも」
その言葉は小さかった。
けれど、不思議と耳に残る。
即答じゃない。
忠誠でもない。
ただの興味に近い、曖昧な肯定。
それでも、さっきまでの「何もない」状態から見れば、十分すぎる一歩だった。
「……そっか」
短く返すと、リンカは少しだけ視線を逸らした。
その仕草が、ようやく年相応に見えた気がする。
横から、くすっと笑う気配。
「ほらね」
アーサーが楽しそうに口元を隠す。
「ちゃんと引っかかる」
「釣りみたいに言うな」
「似たようなものじゃない?」
軽口を叩きながらも、その瞳はリンカを外さない。
観察している。
どこまで傾いたのか、どこまで使えるのか。
俺は小さく肩をすくめてから、リンカへ向き直る。
「無理に今すぐ決めなくていい」
そう言うと、彼女は一瞬だけ驚いた顔をした。
「考えて、それで嫌なら断ってくれていいし」
そこまで言って、少しだけ間を置く。
「それでも、来るって言うなら……その時は、ちゃんと守る」
言葉にしてから、ちょっとだけ照れくさくなる。
柄じゃないことを言っている自覚はある。
リンカは何も言わなかった。
ただ、こちらを見る目だけが、ほんの少しだけ変わる。
冷たさが消えたわけじゃない。
けれど、完全に閉じていた扉が、わずかに軋んで開いたような感覚。
その変化を、隣の婚約者は見逃さない。
「いいねぇ」
アーサーが楽しそうに笑う。
「ちゃんと“自分のやり方”で口説いてる」
「口説いてるつもりはない」
「そういうところだよ」
軽く言われて、返す言葉が詰まる。
リンカはそんなやり取りを黙って見ていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……少しだけ、考える」
その一言だけを残して、視線を落とす。
それで十分だった。
無理に答えを引き出す場面じゃない。
部屋の空気が、少しだけ緩む。
緊張が完全に消えたわけじゃないが、さっきまでの張り詰めた感じとは違う。
アーサーが椅子の背にもたれながら、満足そうに目を細める。
「さて」
指先で机を軽く叩く。
「思ったよりいい形になったね」
その言葉に、俺は小さく息を吐いた。
暗殺未遂から始まった夜は、まだ終わっていない。
けれど少なくとも、ここで一つ、流れは変わったらしい。
――敵だったはずの少女が、ほんの少しだけこちら側へ傾いた。
それだけで、この先の盤面はきっと大きく動く。
そんな予感だけが、静かに残った。