クールな学園の王子様(♀)は童貞オタクに堕とされる ~BSSから始まるイケナイ関係~ 作:九泉
放課後のざわめきが満ちる教室の片隅で、俺、
窓際の席で友達と笑い合う、小柄なクラスメイト。佐々木さん。ふわりと揺れる肩までの髪も、笑うと少し細くなる優しい目元も、俺にとっては世界遺産級の光景だった。今日の昼休み、彼女が購買のパンを頬張る姿を遠くから眺めるだけで、俺の一日は幸福で満たされたのだから、重症と言っていい。
身長185cm、ベンチプレス100kg超を上げるガタイのせいで、周囲からは常に威圧的な存在として見られている。コンテンツをこよなく愛する人畜無害なオタクだというのに、黙っていればガンを飛ばしていると勘違いされ、普通に歩いているだけでカツアゲの物色中と噂される始末。おかげで、
そんな俺が唯一、心を許せるのが、この片思いという名の聖域だった。話しかける勇気なんて到底湧いてこないけれど。彼女の姿を視界の端に捉えているだけで、この灰色の日々にも彩りが生まれる気がした。
「じゃあねー!」
「また明日!」
佐々木さんがスクールバッグを肩にかける。友人たちとなにやらアイコンタクトを交わした後、その足が向かったのは意外な方向だった。教室の出口ではなく、未だに自分の席で優雅に本を読んでいた、一人の生徒のもとへ。
――通称、〝王子〟。
美しい黒髪を、無造作なショートカットにアレンジし、すらりとした長身で男子用の制服を着こなす。
その立ち居振る舞いは完璧に洗練されていて、女子生徒からの人気は絶大。休み時間になれば、彼女の机の周りには常に人だかりができている。
「白崎さん!」
佐々木さんの弾んだ声。普段、俺には決して向けられることのない、甘く、上気した響き。
胸の奥がずきりと痛んだ。
白崎は読んでいた本から顔を上げると、ふわりと微笑んだ。少女漫画から抜け出してきたかのような、完璧な王子様の笑みだった。
「やあ、ごきげんよう。どうかしたのかい、お姫様?」
その少し芝居がかった口調も、白崎が言うと様になるから不思議だ。(俺も鏡の前で練習したことがあるが虚しいので即やめた。)
佐々木さんは顔を真っ赤にして、もじもじと俯いている。これは……恋する乙女の顔だ。ずっと見てきたから、俺にはわかった。わかってしまった。
「あの、これ……!」
佐々木さんが差し出したのは、可愛らしいピンク色の封筒。誰がどう見てもラブレターだ。
ああ、俺の淡い恋心は、木っ端微塵に砕け散った。心臓が冷たい手で鷲掴みにされたような衝撃。だが、それと同時に、腹の底から黒い感情がせり上がってくるのを感じた。
嫉妬?いや、違う。これは、怒りだ。
白崎泉。お前、女子じゃなかったのかよ。いや、女子なのは知っている。だが、その王子様ムーブでクラスどころか学校中の女子を片っ端から落としていく姿は、もはや性別を超越した〝捕食者〟だ。俺のような、しがない草食動物のささやかな恋すら、お前は無慈悲に奪っていくのか。
見ていろ。どうせお前は、佐々木さんの純粋な気持ちを弄ぶに決まっている。キザな台詞で期待させて、最後には「ごめん、ボクはみんなの王子だから」とか言って振るんだろ。そうだ、そうに違いない。
しかし、白崎の返答は、俺の予想を遥かに超えてクールなものだった。
「気持ちは嬉しい。けれど、受け取れない」
ラブレターに視線を落とすことすらなく、きっぱりと告げる。その声には、一切の揺らぎも、甘さもなかった。
「え……」
佐々木さんの顔から、さっと血の気が引くのが分かった。潤んだ瞳が、信じられないというように白崎を見上げている。
「ボクは、女の子と特別な関係になるつもりはないんだ。すまない」
そう言って、白崎は静かに立ち上がった。その動きには一切の無駄がなく、まるで舞台役者のようだった。取り残された佐々木さんは、差し出したラブレターを胸に抱きしめ、わっと泣き崩れた。駆け寄ってきた友人たちに慰められながら、彼女は教室を出ていく。
その一部始終を、俺は硬直したまま見つめていた。
佐々木さんが、泣いている。俺の天使が、あんなにも悲しい顔をしている。
――全部、あいつのせいだ。白崎泉のせいだ。
わけのわからない怒りが、沸点を超えた。
俺は椅子を蹴るように立ち上がると、一人教室を出ていこうとする白崎の前に、仁王立ちで塞がった。
「よう、王子様よぉ」
自分でも驚くほど、低い声が出た。普段、周囲から向けられる恐怖の視線を、今度は俺から叩きつけてやる番だ。
白崎は驚いたように少し目を見開いたが、すぐにいつもの涼やかな表情に戻った。170……5cmはありそうな彼女は女子としてはかなり背が高い方だが、185cmの俺が見下ろせばその華奢さが際立つ。
「おっと、ごきげんよう。確か、赤城大和くん、だったかな。ボクに何か用かい?」
この期に及んで、まだ王子様芝居を続けるのか。その余裕綽々な態度が、俺の怒りの炎に油を注いだ。
「用があるに決まってんだろ。てめえ、佐々木さんのこと、なんで振りやがった」
「……他人が誰に告白して、誰が誰を振ろうと、君には関係のないことじゃないか?」
「関係なくねえ! 俺はな、ずっと佐々木さんのことが好きだったんだよ!」
言ってしまった。本人でもない、恋敵(と俺が勝手に思っている)相手に、まさかのカミングアウト。だが、もうどうにでもなれという気分だった。
「この世の女は全部お前が寝取る気か! 答えろ!」
俺が息巻くと、白崎は心底不思議そうな顔で、小さく首を傾げた。
「寝取る? ボクは彼女と寝ていないけど?」
純粋すぎる、あまりにも的を射た反論。ぐっ、と俺は言葉に詰まる。
「そ、それは……」
白崎は俺の巨体を下から上までじろりと眺めると、確信に満ちた声で言った。
「そもそも君は彼女と寝たのか?」
クリティカルヒットだった。
18年間、彼女いない歴=年齢。筋トレとTCGに青春を捧げてきた俺に、そんな経験があるはずもない。
カアッと、顔に血が上るのが分かった。教室の壁よりも白かった俺の顔は、今頃、茹でダコのようになっているに違いない。
「ど、童貞だ!! 悪いかよ! うわああああん!」
羞恥と怒りと悲しみがごちゃ混ぜになり、俺はヤケクソで叫んだ。情けないことに、涙まで滲んでくる。なんだこの状況。なんで俺は、クラスのイケメン女子に童貞だとバラし、半泣きになっているんだ。
俺のあまりの剣幕に、さすがの白崎もたじろいでいた。その完璧なポーカーフェイスが、わずかに崩れている。整った顔が、心なしか赤いような気がした。
「そ、そうか……。す、すまない。デリカシーのないことを言った」
「謝ってんじゃねえ! てめえのせいで、俺の恋は終わったんだぞ!」
俺は涙を袖でごしごしと拭いながら、新たな怒りの矛先を見つけて叫んだ。
「
さめざめと泣きじゃくる俺を前に、白崎は完全に戸惑っていた。いつものキザな台詞はどこへやら、オロオロと視線を彷徨わせている。
「びーえすえす……? そ、そうか……。それは、その……災難だったな。ま、まあ、元気を出せよ、な?」
ぎこちない慰めの言葉が、逆に俺の神経を逆撫でした。
「お前に慰められたくねえんだよ!」
「む……」
俺が牙を剥くと、白崎は少しむっとしたように口を噤んだ。
噛み合っているようで、全く噛み合わない会話。だが、この不毛なやり取りの中で、俺はふと気づいた。
こいつ、意外と普通に話が通じる……?
もっとキザで、高慢ちきで、人の心なんてないような奴だと思っていた。だが、目の前にいる白崎泉は、突然絡んできた巨漢の同級生が泣き出したことに本気で動揺し、なんとか慰めようと不器用な言葉を紡いでいる。
俺が勝手に作り上げていた「白崎泉=物語の中の王子」という虚像が、ガラガラと音を立てて崩れていくのを感じた。
気まずい沈黙が、夕暮れの教室に落ちた。
ひとしきり泣き喚いたせいで、俺の頭は妙にスッキリしていた。代わりに、とんでもないことをしでかしたという事実が、ずしりとのしかかってくる。
クラスで孤高を貫く〝王子〟に食って掛かり、挙句の果てに童貞だとカミングアウトして号泣するなど、どう考えても正気の沙汰ではない。社会的に死んだ。明日から俺は、「BSS童貞ゴリラ」として学園生活を送ることになるのだろう。
俯く俺の頭上から、ため息とも感心した吐息ともつかない声が降ってきた。
「……ふっ。はは、はははっ」
顔を上げると、白崎が肩を震わせて笑っていた。最初は堪えるような忍び笑いだったが、やがて堪えきれなくなったように、声を立てて笑い出した。完璧な王子様の仮面が剥がれ落ち、そこには年相応の少女の無防備な笑顔があった。夕陽が彼女の綺麗な黒髪のショートカットを照らし、きらきらと光の輪郭を作っている。
その屈託のない笑顔を見て、俺は毒気を抜かれてしまった。
「な、何がおかしいんだよ」
「いや、すまない。君ほど真正面から感情をぶつけてきた人間は初めてでね。新鮮だった」
「おまっ、ついさっき告白されてただろうが!」
「そうじゃない……そうじゃないんだ」
そう言って寂しげに笑う白崎は、いつも女子生徒たちを侍らせている〝王子〟とは、まるで別人に見えた。いつもは芝居がかったキザな台詞ばかり口にする彼女が、今はごく自然な言葉で話している。俺が勝手に抱いていたイメージは、本当にただの偏見だったのかもしれない。
「いつも、みんなボクを〝王子〟としてしか見ないから。君みたいに、本気で怒って、本気で泣いてくれる相手がいるなんて、思ってもみなかった」
その横顔に、ふと寂しさの色が滲んだように見えたのは、気のせいだろうか。女子からの熱狂的な好意と、男子からの嫉妬や敬遠。そのどちらも、本当の意味で彼女に寄り添うものではなかったのかもしれない。常に王子という役割を期待され、それに応え続けることに、彼女自身も疲弊していたのだろうか。
そう思うと、さっきまでの怒りが嘘のように萎んでいくのを感じた。
「……悪かったよ、いきなり掴みかかったりして」
「いや、いいんだ。ボクの方こそ、君の繊細な心を傷つけてしまったようだ」
「繊細って言うな。それと、童貞のことも忘れろ」
「善処しよう」
どこかズレた会話を交わしながら、俺は床に落ちたままの自分のカバンを拾い上げた。もうここに長居は無用だ。一刻も早く立ち去って、今日の記憶を頭から消し去りたい。
「じゃあな」
俺がぶっきらぼうに言い捨て、白崎の横を通り過ぎようとした、その時だった。
ガサリ、と間抜けな音がして、俺のカバンから何かが滑り落ちた。慌てて振り返ると、床には一枚のカードが転がっている。まずい、俺がデッキに入れている、お守りのようなレアカードだ。
俺が拾おうとするより早く、白崎がすっと身を屈め、そのカードを細くしなやかな指で拾い上げた。
「おっと」
カードに付いた埃を優しく払いながら、彼女はそれに描かれたイラストに目を留め、そして、ふっと表情を和らげた。
「――懐かしいな。ボクも昔、兄とよくやったよ」
「え?」
俺は思わず、素っ頓狂な声を上げた。
白崎の指にあるのは、『ケイオスドラゴン』。俺がやっているTCGの中でも、一昔前に流行ったシリーズの切り札的モンスターだ。
「お前、このカード知ってんのか?」
「知っているも何も。このカードで兄さんに何度煮え湯を飲まされたことか」
白崎はそう言って悪戯っぽく笑うと、カードのテキストを指でなぞった。
「〝このモンスターがフィールドに存在する限り、相手は龍族モンスターを攻撃対象に選択できない〟。懐かしい効果だ。兄は龍族デッキの使い手でね。ボクは魔術師族デッキで、いつもこの一枚に苦しめられていた」
スラスラと出てくる専門用語。間違いない、こいつも経験者だ。
信じられない思いで白崎を見つめる。まさか目の前の王子様に、TCGの経験があったとは。
「お前……魔術師族使いだったのか?じゃあ、『古の賢者』とか使ってたクチか?」
「おや、よく分かったね。もちろんさ。『クロノウィザード』とのコンボは鉄板だった」
「マジかよ! 俺、あのコンボで小学生のとき大会荒らしてたわ!」
「奇遇だな。ボクもだ」
嘘みたいだった。
これまで、この教室で誰とも共有できなかった話題。TCG、ソシャゲ、ロボットアニメ。俺が愛してやまないオタク趣味の話を、まさか一番縁遠いと思っていた白崎泉と、こんなにも熱く語り合える日が来るなんて。
「てことは、最近の環境は知ってるか? 特殊召喚が導入されて、盤面がかなり複雑になったんだが」
「ああ、少しだけなら。ただ、もうボクは触れていないんだ。……昔みたいには、楽しめなくなってしまって」
そう言うと、白崎は少しだけ寂しそうに目を伏せた。その表情に、彼女が抱える複雑な背景が垣間見えた気がした。
「……そうか」
俺はそれ以上、何も聞けなかった。代わりに、白崎が差し出すレアカードを受け取る。
「ありがとな。助かった」
「どういたしまして。……なあ、赤城くん」
「大和でいい」
「そうか。じゃあこっちも泉でいい」
「お、おう」
女子を名前呼びするなんて初めてだが、俺は努めてなんでもないように振る舞った。これ以上弱みを見せてたまるか。
「大和くん。君さえよければ、今度カードバトルしないか?」
カードバトル。その懐かしい響きに、俺の心は弾んだ。
このガタイのせいで、クラスのオタクグループからも距離を置かれ、ずっと一人で壁とカードを並べていた。誰かと向かい合って、本気でカードを戦わせるなんて、いつぶりだろう。
「……ああ。望むところだ」
気づけば、俺は笑っていた。多分、この学校に入ってから、一番自然な笑顔だったと思う。
白崎も、満足そうに頷いた。
「カードは持っているのか?」
「うん、家にまだあると思う」
「オーケー。んじゃ俺もなるべく環境揃うようデッキ組むわ」
「決まりだね。楽しみにしているよ」
夕陽はほとんど沈みかけ、教室はオレンジ色と藍色が混じり合った不思議な光に満たされていた。
恋はBSSという最悪の形で終わったけれど、代わりに、思いがけない友達……いや、まだ友達と呼ぶには早すぎるかもしれないが、確かな繋がりが生まれた予感がした。
俺と白崎泉。王子と童貞ゴリラ。
二人の奇妙な関係は、一枚のカードをきっかけに、静かに幕を開けたのだった。