【完結】露蜜のカンバス~メスなボクでも幸せになりたい 作:渦螺しお
リオは絵を描くのが好きだった。小さいころから、母・美佐緒が家でデザインラフを四六時中描いていた影響が大きい。
高校進学も母の勧めで、自然と美大推薦枠が充実しているところを選んだ。
「ここ、制服カワイイじゃない! ジェンダーレス採用か……ありがたい時代よねぇ」
女子用のズボンがある、たったそれだけで得られる安堵。実際に着てみれば、リオのために誂えたかと思えるほどだった。
この時ひと区切りついていた笹川の調整。そのせいで〝忌むべき事件〟もあった。それでも……自分自身を自然に出せる機会を得、リオは前向きに挑んだ。
「行ってきまーす」
毎朝の明るい声。美佐緒を始め、以前の学校からの説明が繊細に入っていたこともあり、高校生活は円滑に進んでいく。
(みんなやさしいし、ちゃんと新しい生活に入っていけてる。ママのためにも、しっかりしなきゃ!)
ブレザーを脱ぐ6月。端正なAラインで、細身の身体にふくらみ始めた尻が際立つ。声もいつまでも高いため、誰も初見で男子と思う者はいない。
それ以上に、日増しに研ぎ澄まされていく、ハーフで女性的すぎる美貌。性格はおとなしく、神秘的。生徒たちの間で密やかな「学校一の推し」になるのは、あっという間のことだった。
月日は過ぎ──
文化祭にバレンタインデー。節目で女子による抜け駆け告白──思春期女子にありがちな同性恋慕を受けつつ、男子とはどこか疎遠。
色恋から適当に距離を取る日々の中。高校二年の時、『彼』はごく自然に現れた。
「いい絵だよな、それ。何て言うやつ?」
放課後、西日が差し込む図書室。画集を見ていたリオに、知らない男子が声をかけてきた。ソフトセンターパートの柔和な面立ち。リオは珍しく抵抗なく、自然に返した。
「……『膝を曲げて座る女』。エゴン・シーレっていう画家の作品だよ」
「へえ。俺、全然詳しくないけど……線の引き方がなんか、とてもやわらかでいいよな」
「自分の中でどう感じたかでいいと思う。ボクもこの人の絵に、何となく惹かれてるだけだから」
「そう、それ。何となく……この女性、ちょっと君に似てると思ってさ」
「え……ボクに?」
「寂しそうで、誰かを呼んでいるような」
不意に投げられた言葉に、リオの心臓が小さく跳ねる。
笹川から丹念に刻み込まれた、特異な自分。はっきりと言えないそのもどかしさを、カンバスに代弁してくれたようなシーレのこの一枚。それを「似ている」と言われ、リオは初めて、自分の内側にやさしく触れられたような、甘い感覚に囚われた。
「俺、
「井山……理央。リオでいいよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて。リオはよくここに来るの?」
「うん。ここか、部活の教室。静かに、一人で過ごせるから。川辺君は?」
「俺も似たようなもん。ま、赤点追試の勉強で来てるんだけどさ」
「くすっ。じゃあ誰かさんが画集を見てるのを、覗いてる場合じゃないよ」
「そ、そうだな。ごめん」
くせ毛をきらめかせ、琥珀色の瞳で画集を見入る女子。その美しい横顔に魅かれて声をかけ……僅か数分、その大人びた笑顔と高くも落ち着いた声色が、何もかも川辺の胸の奥に刺さり込んだ。
「あのさ……また話かけていいかな?」
「いいよ。追試、頑張ってね」
リオは画集を閉じ、本棚へ差し込むと、図書室を後にした。一人たたずむ川辺は、その場に残った微かな花のような香りを、思いきり吸い込んだ。
それから二人は、図書室で逢うようになった。偶然を装い毎日覗きにくる川辺と、気まぐれで来るリオ。ほどなくしてLyNEを交換し、いつしか示し合わせて逢える仲になっていった。
「なあリオ、今度俺ん家へ遊びにこない?」
下校の道。夕日に伸びる影を背に、川辺は深呼吸をひとつ、思い切ってリオを誘った。
「行って何をするの?」
「こないだ、俺が聴いてる音楽に興味あるって言ってたじゃん。ほら、イギリスの、ちょっと古いロック」
「あ……うん。名前は忘れちゃったけど、あの気だるい感じは好きかも」
「ああいうの聴きながらダラダラするの、最高なんだ」
「ふふふ。だから赤点なんじゃない?」
「いやもう頑張ってるって。追試はあの出会った時だけだから。で……今週の土曜日、ど、どうかな」
「いいよ。じゃあ待ち合わせ場所を決めてくれる?」
「やったあ! ……あ、ゴホンッ。後でLyNE送るな」
天にも昇る心地で拳を握りしめる川辺。リオはその嬉しさをシェアする反面、少し困惑しながら髪を耳にかけた。
親しい男子の部屋に行く。「普通の女子」なら、その先の展開を少なからず意識して行く場所。だが──
(ボクのことを知らないと思うけど、〝どっち〟だと思って誘っているんだろう。でももし、
ここまでずっと自然に接してくれていた川辺のこと。リオは特異な自分を受け入れてもらえることに、期待を募らせた。
日中はまだ暑い、10月の土曜日。二人は川辺の家近くのコンビニで落ち合った。
「私服、初めて見たけど……カッコいいな」
「ありがとう。お呼ばれだから制服で行こうとしたのに、ママに着せられちゃって」
薄グレーのタイトなニットに、チェックのショートパンツ。そこに、黒のニーハイに包まれた、驚くほど長い足が伸びている。落ち着いたモノトーンが、却ってスタイルのよさを際立たせていた。
「いやあ、めっちゃかわいいよ。それに今日はウチ、誰もいないから気にしなくていいし」
二人きりであることを告げられ、あらためてどきんとする。その瞬間──下半身、
(えっ……うそ。何で)
リオは慌ててバックパックをおろし、前に抱えた。
「あれ? どうしたの。鞄、持とうか」
「いい、いいの。大丈夫。気にしないで」
恥ずかしさと恐ろしさ。頬を赤らめ、青ざめる。かつてないほどの混乱がリオを襲う。笹川の調整が、初めて〝男〟を意識したことで、いよいよ開花し始めたのだった。
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