※この作品はR-18です。

【完結】露蜜のカンバス~メスなボクでも幸せになりたい   作:渦螺しお

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16 研究室棟裏

「か、川辺君!? 何で、ここに……」

 

 東京美大・下野キャンパス。研究棟へ向かおうとしていたリオの前に、ここにいるはずのない男子学生が……思い出したくない男が立ちはだかった。

 

「リオに何としても逢いたくてさ。探し出すの、思ったよりずっと楽勝だったよ。ここでも君は目立ってるみたいだし」

 

 二日前、駅で見かけてから後を追うのにしくじった川辺。その悔しさは、純粋な懐かしさを執着へと捻じ曲げていた。

 昔とは違う、どこか歪んだ笑顔。リオは周りを少し気にしつつ小声で応じた。

 

「気持ちは嬉しいけど……ごめんなさい。正直、もう関わりたくないの。川辺君だけじゃなく、高校の頃の人たちみんな」

「そこまで……何があったってんだ? 何にも言わずに消えて。あれから、俺がどれだけ君に逢いたかったか、わかるか?」

 

 リオは寂しげに川辺を一瞥すると、ふっと嘆息した。

 

「……やっぱり、何にもわかってないんだね。お願い、もう帰って」

 

 目の前を小走りに去ろうとするリオの腕を、川辺は力強くつかんだ。

 

「痛っ」

「頼む、俺の話を聞いてくれ。少しでいいんだ」

 

 美しい顔が歪むのを気にも留めず、川辺は少しきょろきょろし、わからないながらに、人気(ひとけ)のなさそうな方向へ引っ張っていく。

 

「いやっ……ちょっと、離して」

 

 リオを研究棟裏へと強引に連れ込むと、肩で息をしながら、バックパックからパステルブルーの巾着を取り出した。

 

「これ、リオのだろ?」

 

 突然に、最も見たくないものを見せつけられ、リオは目を逸らした。

 

「知らない。それが……何?」

「嘘をつかないでくれ。これに俺の貸したCDが入ってた。大事に取っていたんだ。ほら、今でもちゃんと、君のいい匂いがする」

 

 巾着に鼻をめり込ませ肺いっぱいに息を吸う姿に、リオはぞっとした。

 

「な? こうやって俺は、君のことを一瞬だって忘れたことがない。なのに君は、一方的に──」

「もうやめて!」

 

 リオは叫んだ。生まれて初めて、怒りの目を人に向けた。

 自分の都合を、自分の欲求を、自分勝手にぶつけてくる。こんなもの、電車の痴漢と何の変わりもない。それだけじゃない。あの時の想いをわざわざ掘り起こし、傷つけ、二重に踏みにじろうとする行為。

 緊張の間が続く。やがて、とてつもない哀しさが降りて来て……琥珀色の瞳から涙がこぼれ落ちた。

 

「お願いだから……もうボクのことは、忘れて。あなたが……嫌いだから」

 

 小さな肩を震わせながら、辛い言葉を口に出す。川辺はそれを聞き、静かに逆上した。

 

「はっ、やっぱりな。若い男なんて眼中に無いってか。どうせ君、あの時から〝そういうやつ〟だったんだろ?」

 

 露骨に侮蔑の眼差しを向けてくる川辺。リオはきょとんとした。

 

「……何のことを、言ってるの?」

「とぼけんな! だいたいおかしいと思ったんだよ。俺の部屋でもあんなに色っぽい声を出してさあ。昔からやってたんだろ、パパ活みたいなことをよお!」

 

 川辺は指を打ち付けるようにしてスマホに触れると、呼び出した画像をリオに突きつけた。

 

「──っ!」

 

 リオは愕然とした。そこには、自分と神代が駅で別れた時の様子が、はっきりと写っていた。

 

「何で、こんな写真を……」

「偶然通りがかったんだよ。おっさんとイチャイチャしやがって。思い出すだけでムカつくぜ。こいつをLyNEで高校ん時のやつらにバラまいたら、どうなるかな」

 

 リオの顔から血の気が引いていく。自分はまだいいとしても、神代にだけは絶対に迷惑をかけたくない。リオはもう、涙を流す余裕さえもなくなった。

 

「そんなひどいこと、しないで。ボクができることなら、何でもするから」

「何でも?」

 

 川辺はすっかり邪に染まった顔で、黒のシアーシャツから透ける白い肌と胸のラインを、嘗め回すように見た。

 

「じゃあさ、ヤらせてよ」

「なっ……?」

「このおっさんに抱かれてんだろ? それと同じことをやってくれって言ってんだよ!」

 

 理解が追い付かない。侮蔑する相手を性の対象にして、何が楽しいのか。しかしどう混乱しようが、リオが答えることは、ひとつしか決められていない。

 

「……わかった。それで、その画像を消してくれるなら」

 

 ただただ虚無な反応しかない身体に従い、淡々と応じる。川辺は卑屈に引きつった笑い声を出した。

 

「へ、へ。そんなにこのおっさんが大事か。こいつはいいや。じゃあ早速今日でも──」

「何をさせようと言うんだ? 私の大事な学生に」

 

 背後からの声に、リオは驚いて振り向く。そこには、神代(かみしろ)が悠然と立っていた。

 

「な、な、何だよあんた!」

「さっきから君がバカでかい声で『おっさん』呼ばわりしていた当人だよ。カワベ君と言ったか? 初めまして、東美大准教授の神代だ」

 

 恐(おそ)れ慄(おのの)く川辺を見据えながら、神代はリオの横にそっと並んだ。

 

「せ、先生!? どうして」

「井山君が変な男に引っ張られていくのを、偶(・)然(・)見かけてね。少し興味深く経緯を見せてもらっていたんだが……さて、カワベ君」

 

 口角を上げるも、目は笑っていない。神代は川辺に向かって、自分のスマホをかざした。

 

「キャンパスに用もなく入るのは不法侵入。おまけに在学生の恐喝に加え、暴行未遂と。なかなかやらかしてくれたね。一部始終、記録させてもらったよ」

 

 朗々と語られる内容を聞くにつけ……川辺は逆に顔面を紅潮させ、神代へつかみかかった。

 

「クソがぁっ!」

「おっと」

「ぐはっ!」

 

 神代はさっとかわし、足を引っかけて川辺を転倒させた。

 

「暴行未遂のおかわりとは、ずいぶんと腹が減ってるんだな。警察の手を煩わせるのも忍びないが、こんなことに税金を使われるのは、市民として遺憾だ」

 

 無様にうつぶせになる川辺に、嫌味たっぷりで語りかける。川辺はここでやっと、顔を青くした。

 

「け、警察? やや、やめてくれっ」

「あ?」

「やめて、ください。申し訳ありませんでした!」

 

 素早く起き上がって土下座をする小物ぶりに、神代は呆れ顔になった。

 

「とりあえず、そのスマホを渡してもらおうか」

 

 正座のまま、おずおずと手渡す。神代は受け取るなり、外壁で斜めに立てかけると、思いっきり踏みつけた。メキリと鈍い音を立て……一撃でスマホは〝くの字〟に折れ、画面は蜘蛛の巣になった。

 

「あああ! お、俺のスマホ!」

「すまんすまん、つい足が滑って……お、SDの部分も開いたな。こいつはもらっておこう」

 

 中のチップを摘まみ出すと、神代は近くの植え込みへスマホを放った。

 

「まあ、こんなところか。で……井山君。この無作法な男をどうしたい?」

 

 リオはすっかり安堵した様子で、憐れむように川辺を見下ろした。

 

「ボクは、特に……もう二度と顔を見せないって、誓ってくれれば」

「誓う、誓いますから! 警察だけは許してください」

「君に発言権は与えていない。ふむ……そうだな」

 

 神代は腕を組み、しばし思い巡らす。

 

「幸いにも今日はもう雑事をこなす以外に予定はない。カワベ君、もう少し付き合ってもらおうか」

「先生、いったい何を」

「井山君も一緒に来たまえ。少し面白いことを思いついたんでね」

 

 小首をかしげるリオの肩をぽんと叩く。そして……ガタガタと震えっぱなしの川辺を一瞥し、神代はいたずらっぽい笑みを浮かべた。





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