※この作品はR-18です。

【完結】露蜜のカンバス~メスなボクでも幸せになりたい   作:渦螺しお

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19 フィットネスクラブ①

「『フィットネスクラブのフロアスタッフ』って……何をするの?」

 

 美大学食。フォークにパスタを巻きつけたまま、リオは高木健也から手渡されたチラシに目を通す。中身にピンとこないまま……それよりも健也の、連日の木工課題で荒れた指先が気になった。

 

「基本はフロアの掃除やトレーニング器具の片付け。あとはプロテイン作ったりとか。本当に、誰でもできる仕事だよ」

「難しくはなさそうだけど……ボク、アルバイトしたことないんだよ。それにどう見ても、ボクとは真逆な場所のような」

 

 カツカレーを手早くかっこみながら、健也は気乗りのしない様子のリオに食い下がった。

 

「筋トレしてくれってわけじゃない。とにかく夏休みに入るまでの二週間だけでいい。フォローもお礼もするから。頼む~」

 

 カレーのボウルに突っ込みそうなほど頭を下げる健也。課題の締め切りにバイトのダブルブッキング。自業自得のツケが回ってきただけなのに……いつもフラットに接してくれる健也だけに、憎めない。

 

「もう、わかったから。とにかく二週間ね」

「うわ~助かる! とりあえず何か飲み物買ってくるわ。コーヒーがいいか──」

 

 健也が券売機へ向かうのを見送り、リオは深く息を吐いた。

 自身の油画の課題はひと段落し、今はもっぱらSAとして神代の業務フォローに追われる日々。神代(かみしろ)自身は学外の公務や出張も重なって多忙の極み。逢瀬どころか、顔を合わせる時間さえも減る一方だった。

 

(和樹さん……忙しそうだし、些細なことで気を遣わせたくないな)

 

 神代への依存と、かごの中の鳥でいることへの不安。もっと自分の足で、彼の横に立ちたい。強い想いを胸に、リオは密やかに自立の道へ踏み込むことを決めた。

 

 

 翌日、土曜の昼。リオはフィットネスクラブ『コアフィット岡地支店』へ向かった。雑居ビルの窓にでかでかと書かれた文字は、電車から見えるほどだった。

 

(東美から電車で一駅……近いのだけはいいかも)

 

 生成りのブラウスにベージュのパンツ。一応、アルバイト面接のNGを避けつつ無難にまとめる。

 雑居ビルの三階。エントランスは木目調のカウンターに観葉植物が置かれている。リオが想像していたむさ苦しさはなく、受付の若い男がにっこりと会釈をした。

 

「あの、高木健也さんの紹介で来た井山と申します」

「あ、健也君から聞いてたヘルプの人ですね。今ちょっとマネージャーが外してますんで。とりあえず僕が案内します。どうぞ!」

 

 男に付いて奥のフロアと呼ばれる場所へ。ガラス扉を開けた瞬間、喧騒と熱気がリオの全身を包んだ。

 

(ぅわあ……)

 

 ゴムと汗と消毒液が混ざったような、独特の臭い。足音と金属音、荒い息遣い。その中で男性も女性も、無機質な機械を相手に夢中で筋肉を躍動させている。リオはただただ圧倒された。

 

「ここでの巡回が主な仕事です。マシンの汗を拭きとったり、散らばったプレートを戻したり」

「マシン……プレート……」

「あ、すぐ慣れますよ。逆に会員さんがフォローしてくれたりしますから。みんなやさしいですよ!」

 

 秒単位で広がる未知の世界。リオは緊張もあって少しくらくらし始めた。

 ほどなくして、マネージャーが帰ってきたらしく、再び受付へと戻された。

 

「井山さんをお連れしました」

「おう、ご苦労さん」

 

 スタッフルームの扉を開けて、中へ。男が退室し、背後のドアが静かに閉まる。同時に部屋の奥、漆黒のトレーニングウェアに身を包み、背を向けた男が振り返った。

 

(──! えっ……)

 

 リオはその顔を見るなり、頭の先からつま先まで、一気に凍りついた。

 

「井山理央。名前を見て、まさかと思ったが……驚いたぞ、こんなところで再会するとは」

「ごっ……郷原……先生」

 

 全身が硬直し、思わず自分の二の腕をつかむリオ。ベリーショートの男は、薄笑いを浮かべながらゆっくりと近づいてきた。

 

「今は先生じゃないがな。さあ面接だ。なあに、オレは色(・)々(・)知っている。そう緊張するな」

 

 郷原は浅黒く丸太のように太い腕をさっとリオの背中に回し、奥のソファへと押した。

 

(ひっ……)

 

 軽い接触でさえも、過去の記憶を一気に鮮明にする。あの、〝忌むべき事件〟を。リオの己の白い肌から、さらに血の気が引いていく。

 応接用のソファで、郷原は正面で腰を落とし、わざとらしく大きな音を立てた。

 

「履歴書」

 

 言葉短く、威圧的に手を出す。リオは硬く閉じた膝の上でぎゅっと手を握りながら、何とか声を出した。

 

「も、申し訳ないです。あの、アルバイトの件は、無かったことにして──」

「ぁあん? はっきり喋らんか。まったく、昔から何も変わっとらんな」

 

 ひたすらにうつむくリオ。郷原はその全身に隈なく視線を這わせ、舌なめずりをした。

 

「まあ……今は多様性ってのが尊重されてるからなあ。その服からして『察しろ』てところか。とにかく履歴書を出せ。面接があったことは上にも報告せにゃいかんのだ」

 

 リオはしぶしぶトートバッグから履歴書を取り出す。郷原はひったくるようにそれを見ると、スマホを取り出し、画面を操作。リオのスマホが鳴らされた。

 

「あ、あのっ」

「コールしたな。最近は嘘の電話番号を書いたりする奴もいるんでな。ああ、オレの番号をブロックするんじゃないぞ。シフトが連絡できんから。ついでにLyNEも交換しておくか」

「──! ボク、ここへは来ませんから! お断りします。履歴書を返してください!」

 

 郷原は肩の筋肉を盛り上げながら、前のめりになった。

 

「お(・)前(・)はただ、健也の顔を潰しに来たのか?」

「ち、違います」

「けしからんなあ。これは大学の学生課にも報告せんとな。不真面目な面接で業務を妨害されたと」

「やめてください! そんなの言いがかりです!」

「言うじゃないか。だがなあ井山、世の中の善悪は、大人が判断するんだ。オレも〝かつて〟それを痛いほど理解したんだぞぉ、お前のおかげで」

「……」

 

 リオは郷原が〝あれから〟どうなったか知っている。善悪の悪として処断されたはずが、今になって、目の前で捻じ曲げられようとしている。郷原は立ち上がるなり、ゆっくりと背後へ回ると……小刻みに震えるリオの両肩をつかんだ。

 

「ひあっ!」

「まあ落ち着け。たかだか二週間ほどの話だ。簡単な仕事で健也の顔を立て、お小遣いも貰える。こっちは人手が助かる。それだけのことだぞ?」

 

 郷原はぐっと握力を上げながら、節が太い親指を突き出し、リオの両うなじを撫でた。その瞬間、リオにかつてのおぞましい記憶──悪寒と快感が同時に全身を這う感覚が、まざまざと甦った。

 

「ふぁっ──んんっ、わ、わかりました。だから、手を離してっ!」

「おいおい、これは口の利き方から教えんといかんようだなあ。とりあえず、そこの用紙に希望シフトを書きだせ。話はそれからだ」

 

 断り切れない。こんなはずではなかった、自立の一歩。リオは拒む心と裏腹に、震える手で、スマホのメモから希望時間を書き写した。郷原は中身を確認すると、早速に指示を出した。

 

「明日の日曜、20時に来られるか」

「……はい」

「月曜から入ってもらうんだ。明日の早じまい、時間外だが特別に仕事を教えてやる。必ず来い、いいな」

「わかり、ました」

 

 郷原は再び、ぽんっと両肩を叩いた。

 

「よし、じゃあ今日はこれでいい。お疲れさん、帰っていいぞ」

 

 リオは終始うつむき加減のまま、消え入りそうな声で挨拶をし、スタッフルームを出た。

 

「……ずいぶんと、けしからん〝娘〟に仕上がっていたな。くっく……先生は嬉しいぞぉ」

 

 郷原は邪な笑みを浮かべつつ、うなじをなでた親指の先を、ぺろりと舐めた。





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