【完結】露蜜のカンバス~メスなボクでも幸せになりたい 作:渦螺しお
木工科の工房。老朽化した配管むき出しのコンクリート壁に、蒸し暑さと木くずの匂いがこもる。徹夜続きで顔色の悪い学生たちが、鬼気迫る様子で課題制作に没頭していた。
「……椅子か」
「良いねこれ。コンセプトは?」
「あ、神代先生! え~っと『木に抱かれる』です」
「これは予想外に使えるな……いや、こっちの話。ああ、板野教授。彼の作品すごくいいですね、癒しがあって。どうでしょう、うちの演習で講評してみたいのですが」
丁度通りがかった、薄汚れた作業服に口ひげの男が、笑顔で返した。
「構わんよ。単位だけうちの課題扱いにしてくれれば」
「もちろんです。じゃあ高木君。今回の提出は免除でいい。うちに来てもらおう」
「まっ、マジですか!? うおお、やったあ!」
歓喜で小躍りする健也に、他の学生たちから微妙に白けた視線が集まる。
(駒をひとつ確保だな。さて、タスクを手早く潰していくか)
神代は椅子の縁をひと撫でして、にっと笑った。
17:00からのシフトで『コアフィット』へやってきたリオ。雑居ビル一階の看板、クラブのロゴタイプを見るだけで気持ちは沈む。それでも健也との約束を律儀に守る自分が、正直よくわからなくなっていた。
郷原の顔を見たくない。あんな写真を送りつけて……思い出すだけでも身の毛がよだつ。せめて今だけでも、出かけてくれていれば……
ささやかな安堵を思いながら、エントランスへ。受付には、ユニフォームを着た見知らぬ男が立っていた。
「──あっ! 君……ひょっとして、高木健也君のヘルプの子かな」
「はい。何か……?」
男はしきりに目を泳がせながらリオに近づいた。
「突然でごめんね。急遽『上』からの指示で来ていて。それで君、もう今日からここに入らなくてOKだから」
「え、え?」
本当に突然過ぎて、思考がついて行かない。マネージャー代理だと言う男は、何とも滑舌の悪い様子で、作り笑いを浮かべている。
「お詫びに、シフト入っている分は全部清算して振り込むから。とりあえず今日は帰って。ね、ね?」
腫れ物に触れるかのように、しきりに出口へと促す。リオは言われるがままに名札とロッカーの鍵を渡すと、ぼんやりと会釈して
「──リオ! お~いっ!」
雑居ビルを出たところで、再び驚く。健也が手を振りながら、息せき切って走って来た。
「健也君。どうしたの」
「ま、間に合った……聞いてくれ。俺の課題、神代先生のところで講評がもらえることになってさ! 晴れて免除! だからバイトも、もう代われるようになったんだよ」
「それ、本当なの?」
「マジもマジ。迷惑かけて本当ゴメン! あらためてお礼す──あれ。どうしたの?」
リオはその場で崩れるようにしゃがみ込み、顔を覆った。事情はわからず混乱したまま。それでもただ一点「もうここへは来なくていい」と
泣きながら動かなくなるリオに、ただおろおろする健也。その間へ、低くよく通る声が入ってくる。
「往来でか弱い
「ちょ、先生、俺も何が何だか」
リオはその声にびくりとし、涙でくしゃくしゃになった顔を上げる。聞き間違えるはずがない声。その主──神代が、現実となって目の前に立っている。
「か、かずっ──神代先生……」
「迎えに来たよ、うちの大事なSAをね」
適切な距離の中にこもる思いやり。リオは琥珀色の瞳をゆらゆらとさせながら……必死で抱き着くのを堪える。神代はしゃがみ込み、そっとリオの背中へ手を置いた。
「車で話そう。じゃあ高木君は、ここでいいかな。後は頼んだよ」
「はい! ありがとうございます!」
元気よく雑居ビルへ入っていく健也を尻目に、神代はゆっくりとリオを立ち上がらせ、愛車へと向かった。
神代は適当な地下駐車場へ車を滑り込ませると、薄暗い隅の方で壁に面して停車した。
シートベルトを外すなり……リオが胸にしがみついてきた。
「うわあああああん! 和樹さん! ごめんなさい、ごめんなさいぃぃ!」
名を呼び、謝り、泣きじゃくるリオ。神代は背中に手を添え、ただされるがままになる。短くも長い。そんな時間が過ぎ……リオは落ち着きを取り戻しつつ、神代の胸の上で、訥々としゃべり始めた。
「和樹さんが……助けてくれたんですね」
「大して何もしていない。気にしなくていい」
「何でも、お見通し。だけど……」
リオは強くしがみつき、また泣きそうな声になった。
「ボク、汚れてしまいました……もう、あなたに愛される資格なんて……──ぁっ」
言葉を遮るように、神代はぐっと力強く抱きしめた。
「何度でも上書きしてあげるよ。お前は私のものだからね。お気に入りは手離さない主義なんだ、絶対にな」
「和樹、さん……ぁむ……」
久しぶりのキスは、
「んあぅっ」
心が跳ねる。焦らしては満たす、至福の愛撫。とろけるような、肉体が融解する感覚。神代の導きの深さに、リオはただ心の中で赦しを請うた。
神代はリオの頬をそっと手で包み、額にキスをした。
「全て任せておけ。私が
再び強く抱きしめながら……神代は助手席の窓の向こう、その先の闇を睨みつけた。
(〝業腹〟などと、よく言ったものだ。私の「特別」を穢した罪、生きて償いきれなくしてやる──)
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