【完結】露蜜のカンバス~メスなボクでも幸せになりたい 作:渦螺しお
夕闇が降りる頃。『コアフィット本社』から緊急の呼び出しを受けた郷原は、その帰り道を鬼の形相で歩いていた。怒り肩で風を切る様子に、通りすがる者の誰もが避けていく。
「懲戒解雇だあ!? ふざけやがってぇ!」
立ち止まり、ビルの壁を殴る。本社法務部に送られてきたという、メール告発。送り主は東京美大総務課と、顧問弁護士の連名。
『本学学生に対する貴社社員の深刻な性加害行為』
──と題された書面。プリントアウトされたそこには、LyNEでの恐喝の写しと共に、企業倫理とイメージの乖離についての言及、大学としての対応要求が淡々と綴られていた。それを受けての、事実確認すらままならないほどの即時解雇。あっという間に追い払われたのだった。
「うがああああ──っ!」
拳で殴り、パラパラと落ちるコンクリート片に、血が混ざる。食いしばった歯茎からも血が滲んでいた。
「……井山だ。あのガキぃ、一度ならず、二度までも。あんなによがるほど仕込んでやったのに、恩を忘れやがって!」
リオ相手に晴れ晴れとし始めていた積年の恨みが、一瞬で、黒い怨念にまで転化する。拳の痛みなど感じぬほどに。
「──ああ?」
コール音を耳にして、派手なラメ入りのセカンドバッグからスマホを取り出す。非通知設定だったが、郷原は躊躇なく出た。
「はい」
<<恐れ入ります。私、弁護士の『
「な、な……ちょっと待て。待ってください」
慌ててビルの影に身体を滑り込ませる郷原。『カミヤマ』と名乗る男から、〝低くよく通る声〟で、事務的な伝達が続く。
<<──とまあ、〝過去の経緯〟も含め、警察への起訴事実として報告書にまとめまして。あくまで告訴といいますか、刑事事件として立件する方向で、というのが依頼人の強い希望でして>>
「け、刑事だと? そんな……示談は、示談は無いのか?」
<<ん~、まあ、無くもないですが、それは私の一存ではちょっと……>>
「何だ! あれば教えてくれ……ください! こちらも誠意を尽くしますから!」
パニック状態で言葉遣いが安定しない。『カミヤマ』はのらりくらりとした様子で答えた。
<<では……今から言うところへ、今夜11時に来ていただけますか。担当の人間を寄越しますので、彼の指示に従っていただければ>>
「待ってくれ、メモを取っ……ああ、クソっ」
セカンドバッグを滑り落とし、中身をアスファルトの上で散乱させる。這いつくばり、慌てて手帳だけひっつかむと、震える手でメモを取り始めた。
夜でも蒸し返す暑さ。首都高の高架下、無数の自動車が走り抜ける轟音に晒される中。郷原は
額の汗を腕で拭いながら数十分。待ち合わせより遅れて現れたのは、三人の黒ずくめの男たちだった。
「郷原ってのはあんた?」
「あ、ああ、そうだ」
呼び捨てにする、筋骨隆々な男。ツーブロックに派手な刺繍が入ったジャージ。片手にはビール瓶を握っている。一瞥して普通ではない様に、体格に自信がある郷原でさえもすくんだ。
「おい」
男が顎をしゃくると、傍らの手下らしき者が、封筒から書類を取り出した。
「……で、こいつを警察に持って行かねえように、あんたに買い取ってもらう話なんだがよ」
男が掲げたのは、LyNE画面の写し。適宜モザイクがかけられているが、それはまさに、郷原とリオのやりとりである、決定的な証拠だった。
「そっ、相場がわからん。それは弁護士との相談で──」
「ぁあ? 知らねえよそんなこと」
男は手に持っていたビール瓶を、高架の柱へ勢いよく投げつけた。派手に砕ける音に、郷原の身体がびくりと硬直する。もう一人の手下が、別の書面を郷原へと手渡す。そこに書かれた文言を見て、郷原は混乱して叫んだ。
「いいい、一億!? 一億の借用書って何──ひっ?」
足元に、飲みかけのビール缶が勢いよく叩きつけられる。ツーブロックが近づき、銀色のボールペンを刺すように突き出した。
「あんたの名前を、その下に書け」
気が付くと、三人で囲まれ、退路が閉ざされている。
「かかか、書くわけがないだろう! 正気じゃない! カミヤマって弁護士を出し──をごおっ!?」
腹に勢いよく拳を打ち込まれ、息が止まる。くの字に折れ曲がったところ、首根っこをつかまれた。
「おいおい、ちょっと押しただけで大袈裟にすんなよ。まあとりあえずタイ辺りで船に乗ってもらうか。頑張ったら10年ぐらいで返せるんじゃねえか?」
刺すような目でのぞき込まれ、郷原は失禁した。半グレから言い渡される、借金奴隷。テレビで観ていた絵空事が今、現実となって自分に降りかかっている。経緯もまったく謎なままに。
男はスマホの時計を見ながら、手下に酒を買ってこいと指示した。
「まあゆっくりやろうぜ、郷原
シャツが汗で冷たく貼りつく。恐ろし過ぎて、冷静に判断ができない。ただ……男の台詞に、実家の老いた母親の顔を思い浮かべる。気が付くと郷原は、ミミズが這うような字で、借用書にサインをしていた。
夜景を望む、自宅マンションの窓辺。神代はデザイナーズのソファに腰掛け、フリーメールの着信を確認した。
<買取完了>
闇サイトからの短い返信を確認すると、神代はメールを削除してスマホを置き、正面でたたずむリオの横に座った。
「終わったん……ですか」
「ああ。もう心配ない。全て終わった」
そっとリオの肩を抱き寄せる。安心からか、すっかり身体を弛緩させ、ゆだねきっている。そんなリオの頭を、神代はそっと撫でた。
かつて学生がトラブルに巻き込まれた際、チェックしておいた闇サイト。神代はそこへ『暴行罪起訴寸前の男を売ります』と書き込み、買い手を見つけた。リオが何も知ることが無いままの決着。その時間、僅か半日。神代はPCとスマホだけで目障りなゴミを片付け終えた。
(おそらくもう戻ってはこれまい。せいぜい新しい職場で筋肉を鍛えるんだな、朽ち果てるまで)
リオは髪に触れる神代の手に、そっと自分の手を添えた。
「和樹さんは、ヒーローです。ボクの、ボクだけの……」
「そうだな。まあ、
「ヴィラ……ン……?」
「何でもいい。お前を守ってやれるのならな」
深く、キスをする。リオは安堵を心から示すように、自分の舌を絡める。
(守ってやる……か。我ながら、つまらんことを言う)
管理者か、保護者か。それとも──
少し曖昧になる自分を、神代はリオの味と共に愉しんでいた。
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※本作は下書き完結済 です!