【完結】露蜜のカンバス~メスなボクでも幸せになりたい 作:渦螺しお
プラザビルの上階、銀坐の夜景を望むギリシャ料理のレストラン。リオは鳴瀬に連れられ、窓際の席に向かい合わせで座った。
「とても素敵なお店ですね、ですけど……」
エキゾチックで、ほどよくモダンな内装。大人のおしゃれを楽しむカップルが目立つ中、リオは自分のカジュアルな装いに、少し居心地が悪く感じていた。
「服装なら気にしなくていいよ。問題無いと思って来たから。ストレートデニムでも、その足の長さでキマってるし」
そうは言っても、上は少し野暮なボウタイブラウス。
しかしそれも、料理を口にしてすぐに消えた。
「これ……美味しい。甘じょっぱくて、濃厚で」
「ギリシャのチーズだって。でもね……」
鳴瀬は少し前のめりになり、小声で囁く。
「ここの本店、オーストラリアらしいよ」
「くすっ。でも、いいですね。自由な感じで、だけどちゃんとしてるっていうか」
「境界がないっていいよね。食べ物も服も、生き方も。みんな自由に選んでいい」
雑談の中で何気なく忍ばせる知性と鷹揚さが、心地いい。リオは軽やかに大人を楽しむ鳴瀬を、とてもまぶしく思った。
最後のデザートを前に、鳴瀬はあらためて姿勢を正した。
「リオさん、もう美佐緒さんじゃなく、本人にゴネたいんだけど」
「何です」
「あと一回と言わず、これから週一回の二時間ほどでいいから。引き続き、モデルを手伝ってくれないかな」
予想はしていた。カメラマンたちからかけられた言葉も、社交辞令と思えないほど熱意を感じた。今度こそ、神代と並ぶために自立する機会なのでは──そう思いかけたリオに、ふと陰が降りた。
母も近い安心な外の世界。何より自らをゆだねる、神代の愛。それらがあってさえもまだ、先だっての身体に刻まれた恐怖が、癒えずにいる。
「少し、考えさせてもらえませんか」
憂いを帯び、少しうつむき加減に返事をするリオ。鳴瀬はその機微を敏感にくみ取った。
「期限は無いよ。リオさんの心のままに。だけど……俺は君のお手伝いができる、そんな気はしてる」
「ありがとう、ございます……」
こんな自分を知って寄り添う言葉をかけてくれる、数少ない人間。リオは鳴瀬に、心の扉を少しだけ開いた。
食事を終え、駐車場へ向かいながら……鳴瀬真は、ビジネスだけでリオを口説こうとしたことを悔いた。
(ミスっちゃったな、俺としたことが。なぜこんなに焦ったんだろう)
独立の勢いに任せ、今日まで順調に来ていたはず。それが……レセプションでリオをひと目見た時から、どうにも繕えないほころびが広がるばかりだった。
夜の外堀通りで、シルバーのスポーツカーを走らせる。間を持たせる雑談を挟みつつ、停車するたびに助手席のリオを見る。見てしまう。
(禁欲的な服で、スレンダーで。なのにこれほど艶っぽいなんて)
リオから漂う、ほのかな花の香り。女性そのものな高い声。やわらかな二の腕に、シートベルトで浮き上がった胸元。五感で受け取るもの何もかもが「ボクは男」という言葉をあっけなく裏切る。鳴瀬はハンドルを手に、無駄に肩を回して紛らわす。
混乱の末……鳴瀬は、脳内でふと言葉にしたものに、愕然とした。
(俺はこの
長い付き合いであるデザイナーの、大切な子供であることを言い聞かせ続ける。その20分ほどは長く短く。唐突に、ナビはリオのマンションへの到着を告げた。
「今日はごちそうさまでした。あの、モデルの件は考えますけど……期待しないでくださいね」
停車するなり、つれない締めのひと言を置いて、シートベルトを外すリオ。しゅるりとブラウスを擦る、乾いた音が鳴る。
鳴瀬は汗ばむ手でぐっとハンドルを握りしめ……つい境界に踏み込むひと言を漏らしてしまった。
「リオさんって、〝彼氏〟はいるの?」
自分の言葉に、青い高校生のように胸が躍る。ドアハンドルを引き、降車の体勢を取るリオから、即答が返った。
「いますよ」
琥珀色の瞳が、降り際に鳴瀬の目と合う。薄っすらと浮かべた笑みに乗る、今までで一番、自信にあふれた目。
「ありがとうございました。おやすみなさい」
リオの定型文な挨拶に送られ、鳴瀬は静かに車を出す。
「いるのか……」
ぼそりと、つぶやく。その耳に、閉じられたドアの音を残したまま。
『EIDOS』二回目のモデル撮影を四日後に控えた夜。自宅リビングのソファでくつろぐリオに、鳴瀬からLyNE着信が入った。
<次回でもし最後なら、最高の状態で仕上げたい──>
強いメッセージの後に添付されていたのは、ある店のリンクだった。
「『L'Ombre』ロンブル……プライベート・サロンって……あ、この人!」
リンク先、略歴と共に写っていたのは、先だってのレセプションで会ったあの女性──
「『慶王大環境学部卒、フランス留学……フィトテラピーのディプロマ……? うう~ん、よくわからないけどすごそう」
「何見てるの、リオ」
風呂上りの美佐緒が、濡れ髪をタオルでぬぐいながらリビングに入って来た。
「鳴瀬さんが、撮影前にサロンで施術を受けないかって。これ」
「あら、すごいじゃないロンブルなんて。芸能人やモデルの『駆け込み寺』で有名なところなのに」
「ママも行ったことあるの?」
「ううん。とにっかく予約が取れないの、ここ。だから鳴瀬君、頑張ったんだなって。彼の本気が伝わるわ」
「ええ~、何だか、大袈裟なことになってきたなあ」
美佐緒はリオを肩越しにぎゅっと抱きしめる。
「ママは素直に嬉しいけどなあ。あなたにそれだけの価値があるってことだから。それに、彼はあたしの子だからとか、そういう忖度をしない人だし。行ってみるべきだと思う」
母愛用のボディーソープの、やさしい香りが鼻腔をくすぐる。リオは美佐緒の腕に手を添えた。
「わかった。みんながボクのためにしてくれるんだもんね。行ってみる」
「う~んと綺麗にしてもらいなさい。お礼はあたしが仕事で返すから!」
頬をぎゅっとすり合わせる美佐緒。自立を促すようで、子離れしない。母親の愛を感じつつ、リオはLyNEに了承の返事をした。
◆Pixivで先行公開中です。
https://www.pixiv.net/novel/series/15593975
※無料(R18につき要アカウント) / 主人公の衣装挿絵付き
※本作は下書き完結済 です!