fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
多少駆け足で雑なのは見逃してほしい
フィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニア編①
ルーマニア、トゥリファス。ミレニア城塞の奥深くに設えられた、陽の光が柔らかく差し込む温室。
聖杯大戦の終結から数ヶ月。ユグドミレニア一族の次期当主という重責から解放され、魔術回路を弟のカウレスに移植したフィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニアは、車椅子の上で静かな午後を過ごしていた。
両脚の感覚はまだ完全には戻っていない。リハビリは始まっているものの、長年「魔術師」として生きてきた彼女の身体からその名残が抜け落ちるには、まだ少しの時間が必要だった。
「……平和ね」
膝の上に広げた分厚い本から目を離し、フィオレはぽつりと呟いた。
魔術師としての生を諦めたことへの後悔はない。ただ、張り詰めていた糸がふっつりと切れたような、どうしようもない虚脱感と空虚さが、時折彼女の胸をふわりと撫でていくのだ。私はこれから、ただの「足の不自由な娘」として、どう生きていけばいいのだろうか――と。
「――そんな暗い顔してたら、せっかくの可愛いお顔が台無しだよ、フィオレ!」
不意に、温室の開け放たれた窓から、春の突風のように『彼』が舞い込んだ。
桜色の髪をふわりと揺らし、屈託のない満面の笑みを浮かべた黒のライダー――アストルフォ。大戦を生き延び、現界を保ち続けているこの規格外の英霊は、音もなくフィオレの車椅子の前へ着地した。
「あ……アストルフォ? 驚かさないでちょうだい、正面から入ってくればいいのに」
「えへへ、ごめんごめん! 庭を散歩してたら、窓からキミの顔が見えたからさ。なんだかすごく、退屈そうにしてたでしょ?」
アストルフォは一切の遠慮なく、フィオレの膝の前にしゃがみ込んだ。下から覗き込んでくる紫水晶(アメジスト)のような瞳が、フィオレの琥珀色の瞳を真っ直ぐに射抜く。
『理性蒸発』のスキルを持つ彼には、人間社会の煩わしい距離感や、相手の事情を慮って一歩引くような遠慮がすっぽりと抜け落ちている。だが、その裏表のない純粋な好意の眼差しは、今のフィオレにとって酷く眩しく、同時に心地の良いものだった。
「退屈、していたわけじゃないわ。ただ……少し、これからのことを考えていただけ」
「これからのこと?」
「ええ。魔術を捨てた私が、ただの人間として……この動かない脚と、どう向き合っていくのか、とかね」
自嘲気味に微笑んだフィオレの言葉に、アストルフォはふい、と首を傾げた。そして、一切の躊躇なく、フィオレの膝の上に置かれた白く細い手を、両手でぎゅっと包み込んだ。
「あっ……」
「あのさ、フィオレ」
アストルフォの体温は、驚くほど高かった。魔術師としての鍛錬を失い、少し冷たくなっていたフィオレの指先に、彼の手のひらからジンジンと熱が流れ込んでくる。
「キミはもう、誰かのために無理をして歩かなくていいんだよ。もちろん、キミ自身が歩きたいならボクも全力で応援するけどさ。……でも、歩けなくたって、キミはキミだ。ボクの目の前にいる、優しくて、一生懸命で、すごく綺麗な……フィオレだよ」
「アストル、フォ……」
真っ直ぐな言葉に、フィオレの胸の奥がギュッと締め付けられる。
当主としての重圧も、魔術師としての価値も関係ない。ただ「フィオレ」という一人の女性として、彼は一切の陰りなく自分を肯定してくれている。
アストルフォの親指が、フィオレの手の甲を優しく、愛おしむように撫でた。ぞくり、と、魔術回路の通わなくなったはずの肌の表面を、甘い痺れが這い上がってくる。
「ねえ、フィオレ。キミの手、少し冷たいね。……もっと、温めてあげようか?」
声のトーンが、一段階下がった。
先ほどまでの無邪気な少年の響きから、明確な『オス』の熱を孕んだ、甘く粘り気のある響きへ。
アストルフォは立ち上がり、車椅子の肘掛けに両手をついて、フィオレを閉じ込めるように身を乗り出した。至近距離。互いの鼻先が触れ合いそうなほどの距離で、彼から漂う陽だまりのような、それでいてひ酷く甘美な香りがフィオレの鼻腔をくすぐる。
「あ……あのね、アストルフォ。誰か、来るかもしれないわ……」
「来ないよ。カウレスなら、今はロンドンの時計塔との通信で忙しいはずだし。……それに、誰か来たっていいじゃないか。ボクは今、キミに触れたいんだから」
言い訳のように紡がれたフィオレの言葉は、アストルフォの唇によってあっさりと塞がれた。
「んっ……!?」
最初は、触れ合うだけの優しい口付けだった。しかし、フィオレが驚いて小さく唇を開いたその一瞬の隙を、歴戦の英霊が見逃すはずがなかった。
ちゅ、と小さな水音を立てて、アストルフォの滑らかな舌がフィオレの口腔へと滑り込んでくる。
「んんっ……ふぁ……ぁ……っ」
魔術による精神防壁を持たない今の彼女にとって、それはあまりにも鮮烈で、抗いがたい快感だった。
アストルフォの片手がフィオレの後頭部に添えられ、逃げ道を塞ぐように深く、深く舌が絡み合う。彼女の甘い唾液を味わい尽くすように、上顎をなぞり、舌を絡めとり、熱い吐息を直接肺の奥へと送り込んでくる。
「はぁっ……んちゅ……あっ……アストル、フォ……だめっ……」
「だめじゃないよ。フィオレ、キミも……すごく、熱くなってる」
息継ぎのためにわずかに唇が離れると、銀の糸が艶かしく二人の間を繋いだ。フィオレの顔は限界まで朱に染まり、潤んだ瞳は熱に浮かされたようにトロンと霞んでいる。
アストルフォのもう片方の手が、フィオレの華奢な肩口から、薄手のドレス越しに鎖骨のラインをゆっくりとなぞり下りていく。その指先の動き一つ一つが、フィオレの身体の奥底に眠っていた「女」としての情動を容赦なく引き摺り出していく。
「ああっ……そこ、は……んんっ……!」
鎖骨から胸の谷間へと滑り落ちようとする彼の手を、フィオレは震える手で弱々しく掴んだ。しかし、それは拒絶というよりは、あまりの快感にすがるような、ひどく熱っぽい仕草だった。
アストルフォは嬉しそうに目を細め、フィオレの耳たぶを甘噛みした。
「ははっ……可愛い。フィオレ、もっとボクに委ねてよ。キミの抱えてた空っぽな気持ち、ボクの熱で全部、満杯にしてあげるから……っ」
「あぁ……っ、アストルフォ……好き……あなたのこと、すごく……っ」
再び、先ほどよりもさらに深く、貪るような口付けが交わされる。
温室の中に、布擦れの音と、ひどく卑猥で甘い水音だけが響き渡る。車椅子の上で崩れそうになる身体をアストルフォの逞しい腕に抱き留められながら、フィオレは完全に彼の与える濃密な快楽の渦へと沈んでいった――。