fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
ロンドン郊外、エーデルフェルト別邸。
まだ夜明け前の、深く静かな時間。広大な寝室のバルコニーから差し込む青白い月光が、ベッドの端に腰掛ける遠坂凛の姿を照らし出していた。
シルクの薄いネグリジェを纏った彼女は、自らの平坦な下腹部に両手を当て、信じられないものに触れるように、微かに肩を震わせていた。
(……間違いない。私の魔術回路の最も深く、命を育むための場所に……今まで感じたことのない、小さくて、でも信じられないくらい温かい『熱』が宿っている)
時計塔の若きエリートとして、そして冬木の管理者として、魔術の探求と誇りのために生きてきた彼女。
しかし、あの規格外の桜色の騎士に出会い、彼の放つ『太陽のような全肯定の熱量』に骨の髄まで溶かされてから、彼女の人生の優先順位は完全に反転してしまったのだ。
「……凛? どうしたの、こんな夜中に起きて」
不意に、背後からがっしりとした熱い腕が伸び、凛の細い腰をすっぽりと包み込んだ。
「ひゃうっ……! ア、アストルフォ……」
眠りから覚めたばかりのアストルフォが、背後から彼女にぴたりと密着する。
ネグリジェの薄い布地など何の障壁にもならない。彼のがっしりとした胸板から、火傷しそうなほどの圧倒的な体温が直接流れ込んできた。
「んっ……ぁ……っ」
ただ背中を抱きしめられただけ。それなのに、彼から放たれるむせ返るような薔薇の香りと、純度百パーセントのオスのフェロモンが、凛の魔術回路の芯を直接撫で回し、子宮の奥を強烈に甘く痺れさせる。
「凛の身体、なんだかすっごく熱いよ。それに……いっつも甘くて美味しそうな匂いだけど、今日はもっと、すっごく優しくて……あったかい匂いがする」
アストルフォの顔が凛の首筋に沈み込み、その熱い吐息が彼女のうなじの産毛を直接くすぐった。
「っ……あぁ……っ。アストルフォ、あのね……」
凛は、自らの腰に回された彼のがっしりとした大きな手に、自分の両手を重ねた。そして、そのまま彼の手のひらを、自分の下腹部へとゆっくりと導く。
「……私の、ここ。……貴方の赤ちゃんが、できたみたいなの」
凛の青い瞳から、大粒の涙がポロリとこぼれ落ちた。
魔術師としての冷徹な計算など何もない。ただ愛する男の子供を宿した『一人の女』としての、純粋で極上の幸福感だけがそこにあった。
「え……っ?」
アストルフォの紫水晶(アメジスト)の瞳が、これ以上ないほどに大きく見開かれた。
次の瞬間。
「わあああああっ!! 凛!! 凛っ!! すっごい!! ほんとに!? ボクたちの、赤ちゃんっ!?」
アストルフォは凛の身体を正面から抱きすくめ、そのまま彼女を力強く、けれど壊れ物を扱うようなとてつもない優しさでベッドへと押し倒した。
「あぁっ……! ふふっ、本当よ。……貴方が、毎晩毎晩……あんなに熱く、私の中をいっぱいに満たしてくれたから……っ」
凛は彼の広い胸板にすがりつき、声を上げて泣き笑った。
「凛……っ、ありがとう! ボク、すっごく嬉しい! リンのこと、赤ちゃんのこと、世界で一番大切にするからね!」
アストルフォの熱い唇が、凛の震える唇を貪るように、幾度も幾度も塞ぐ。
「んんっ……!! ぁ……っ、んちゅ……っ」
彼から注ぎ込まれる、狂おしいほどの愛情と歓喜の熱量。それが凛の全身を甘く犯し、彼女は自ら彼の首に腕を絡ませて、その極上の熱にドロドロに溶かされていくのだった。
それから、十月十日の月日が流れ。
季節が巡った、極東の地――日本、冬木市。
遠坂邸の豪奢な中庭では、早朝の澄んだ空気の中、当主・遠坂時臣が見事な絹の中国服(カンフー着)を纏い、片足立ちで両手をゆっくりと円を描くように動かすという、極めて高度な太極拳の型を披露していた。
「――呼ッ!! 泰山鳴動して、気は丹田に帰す」
時臣が深く息を吐き出し、構えを解いたところへ、弟子である言峰綺礼が、一枚の封筒と魔術写真を手にして静かに歩み寄ってきた。
「……師よ。ロンドンの凛様より、急ぎの報せが届いております」
「ほう。凛からか。……して、内容は?」
時臣は優雅に汗を拭いながら、綺礼から封筒を受け取る。
「はい。先日、無事に健康な男児をご出産されたとのこと。母子ともに健やかであるというご報告です」
綺礼が、どこか底知れぬ無表情のまま、淡々と事実を告げる。
時臣の動きが、ピタリと止まった。
「……産まれたか」
時臣は、ゆっくりと封筒から魔術写真を取り出した。
そこには、エーデルフェルト邸の豪奢なベッドの上で、アストルフォに優しく肩を抱かれながら、小さな赤ん坊を抱いてこの上なく幸せそうに微笑む凛と、その隣で我が事のように涙ぐんで喜ぶ桜(エーデルフェルト令嬢)の姿が映っていた。
「……相変わらず、倫理観の欠如した恐ろしい空間ですね」
綺礼が、写真を見下ろしながら静かに言葉を紡ぐ。
「ご自身の愛娘である凛様と桜様が、揃いも揃って一人の英霊に骨の髄まで愛され、夜な夜な甘い声を上げて啼かされている……。以前、ロード・エルメロイⅡ世が胃を痛めてご報告に上がった際も、師は大変落ち着いておられましたが……お孫様が誕生した今でも、そのお考えは変わりませんか」
綺礼の、傷口を抉るような冷たい問いかけ。
しかし、時臣はフッと優雅に微笑み、写真を愛おしそうに撫でた。
「綺礼。君はまだ、宇宙の真理(タオ)を理解していないようだね」
「……は?」
綺礼が怪訝そうに眉をひそめる。
「かつてロードにも言ったが、陰と陽の交わりは必然。アストルフォ殿という強大なる陽(オス)の気に、我が娘たちのような優れた陰(メス)が惹き寄せられ、一つの巨大な家族を形成するのは、魔術の理において極めて自然な摂理。……それに、かく言う私自身も若い頃、魔術の探求と血の保存のために、海外に優秀な女性を囲った過去があるのでね。娘たちの愛の形に、私が口を挟むなど無粋の極み」
時臣は、まるで悟りを開いた高僧のような穏やかな瞳で、朗々と語り上げた。
娘たちが一人の男に完全に骨抜きにされているという事実は、彼の『太極の理論』と『遠坂の家訓(常に余裕を持って優雅たれ)』によって、すでに完璧なまでに自己完結し、肯定されていたのだ。
「……だが」
時臣は、写真を胸の内にしまい込み、クルリと綺礼の方へ向き直った。その瞳の奥には、先ほどまでの穏やかさとは打って変わった、凄まじい闘志と『お爺ちゃんとしての圧倒的な執念』が燃え盛っていた。
「私の可愛い孫が産まれたとなれば、話は別だ。……それに、我が娘二人を完全に『雌』の顔にまで蕩けさせた、あの極大の陽の気を持つ男。遠坂の当主として、そして武術を修める者として、彼が本当に我が娘と孫を守るに足る『太極』を為す器かどうか……直接、この手で確かめねばならない」
ゴォォォォンッ!
時臣の周囲に、高密度の炎の魔力が渦を巻き、中庭の温度が一気に上昇した。
「綺礼! すぐにロンドンへのチケットを手配してくれ!」
「……行くのですか。彼を認め、容認したのではなかったのですか」
「容認はしている! だが、義父としての品定め(という名目の組み手)と、孫の顔を見る権利は絶対に譲れん! もし彼が軟弱な男であったなら、私の八極拳と宝石魔術のフルコースで、父親の恐ろしさを骨の髄まで叩き込んでくれる……ッ!」
かくして。
極東の地から、「孫を抱きしめたい」という圧倒的なデレと、「娘を奪った男の顔と拳が見てみたい」という謎の武術家テンションを胸に秘め、優雅なる魔術師・遠坂時臣がロンドンへと飛び立つことになった。