fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
ロンドン郊外、エーデルフェルト別邸。
その日、広大な屋敷は、これまでにないほどの華やかな祝祭の空気に包まれていた。
「凛、本当にお疲れ様! すっごく元気で可愛い男の子だね! ボクと凛の赤ちゃん……えへへ、パパ、すっごく嬉しいよ!」
柔らかな春の陽光が降り注ぐメインリビング。
特注の巨大なソファーの中央で、遠坂凛はふかふかのクッションに背を預け、愛おしそうに腕の中の小さな命――産まれたばかりの長男を抱いていた。
その凛の肩を抱き寄せ、火傷しそうなほどの熱い体温で彼女をすっぽりと包み込んでいるのは、桜色の髪の騎士・アストルフォだ。
「……ふふっ、ありがとう、アストルフォ。貴方がずっと手を握って、その熱を私に注ぎ続けてくれたから……全然、痛くなんてなかったわ」
凛は、すっかり『母』としての柔らかな表情を浮かべながらも、アストルフォの顔が近づくたびに、青い瞳を情欲と絶対的な愛情でトロンと濁らせる。
魔術師としての誇りも冷徹な計算も、彼が放つ純度百パーセントのオスのフェロモンの前では、もう何の意味も持たない。彼女は、ただこの男に骨の髄まで愛され、甘やかされる悦びを存分に貪る、極上の妻となっていた。
アストルフォの太く逞しい腕が、凛の腰を撫でる。それだけで、彼女の下腹部の奥深くが、出産を終えたばかりだというのに再び甘く痺れ、彼を求めるように疼き始めてしまうのだ。
「お姉ちゃん、本当に……本当におめでとうございます。私、可愛らしい甥っ子のお顔を見ているだけで、涙が……っ」
隣で、桜が、大きくなった自身のお腹を慈しむように撫でながら、目元をハンカチで押さえて微笑む。
「ええ、遠坂。次期当主を産み落としたこと、エーデルフェルトの当主として賞賛して差し上げますわ。……わたくしも、負けてはいられませんことよ」
ルヴィアゼリッタもまた、自らの膨らんだお腹を誇らしげにさすり、扇子で口元を隠しながら優雅に頷いた。
リビングには、彼女たちだけではない。
「ほら、お祝いのケーキが焼けたわよ!」と蒼崎青子が腕まくりをして現れ、キッチンの方からは、沙条愛歌、沙条綾香、玲瓏館美沙夜たちが楽しげに料理の準備を進めている。
アイリスフィール、セラ、リーゼリット、フィリア、そしてアハト翁が懲りずにおくった三人のホムンクルス達は、新しい命の誕生に目を細め、フィオレやレティシア、オルガマリー、ライネス、バゼットといった面々も、それぞれグラスを傾けながら、この甘く狂おしい愛の城の新たな家族の誕生を祝福していた。
「みんな、本当にありがとう! 今日はボクが、凛と赤ちゃんのために、いーっぱいご馳走を作るからね!」
アストルフォが満面の笑みで立ち上がろうとした、まさにその時。
『――ピンポーン』
エーデルフェルト邸の強固な魔術結界が、極めて『優雅』な波長による干渉を受け、来客を告げる美しいチャイムを鳴らした。
「……来たわね」
凛が、少しだけ緊張した面持ちで姿勢を正す。
「あの魔力波形……お父様ですね」
桜もまた、紫の瞳を微かに揺らした。
一週間前。極東の冬木から、イギリスの魔術協会を通じ、極めて正式かつ礼を尽くした書状――『遠坂家当主・遠坂時臣、愛娘の出産を祝し、ロンドンへ参じる』という来訪予告が届いていたのだ。
やがて、メイドのセラに案内され、リビングの重厚な扉が開かれた。
そこに立っていたのは、一寸の隙もない仕立てのスーツを身に纏い、手には愛用のステッキを持った、優雅なる魔術師――遠坂時臣だった。
「……お邪魔するよ。ルヴィアゼリッタ君、急な訪問を歓迎してくれたこと、エーデルフェルトの寛大さに感謝を」
時臣は、完璧な所作で一礼をした後、その視線を真っ直ぐに、ソファーに座る凛と桜に向けた。
「お父様……。遠路はるばる、申し訳ありません」
凛が赤ん坊を抱いたまま頭を下げる。
「気にするな、凛。……そして、桜。二人とも、見違えるように美しい大人の女性になった。……父として、これほど誇らしいことはない」
時臣の端正な顔立ちが、微かに歪んだ。
魔術師としての冷徹な仮面を被り続けてきた彼だが、かつて手放した娘(桜)と、遠坂を背負わせた娘(凛)が、こうして並んで幸せそうに笑っている光景。そして、凛の腕の中でスヤスヤと眠る、自分と血の繋がった小さな孫の顔を見た瞬間。
彼の胸の奥で、押さえ込んでいた『父親としての愛情』が限界突破しそうになっていたのだ。
「……あ、あの……お父様。抱いて、みますか?」
凛が、恥ずかしそうに赤ん坊を差し出す。
「……! ああ。おお……なんて、なんて愛らしい。魔術回路の質も申し分ない。……凛、よくやった。本当によくやったね」
時臣はステッキを置き、恐る恐る、まるで世界で最も尊い宝石を扱うように赤ん坊を抱き上げた。その瞬間、彼の顔は完全に緩み、目尻を下げてデレデレのお祖父ちゃんの顔になりかけた。
だが、その極上の微笑ましい光景をニコニコと見守っていた桜色の騎士が、無邪気に歩み寄ったことで空気が一変する。
「やあやあ! 初めまして、お義父さん! ボクはアストルフォ! 凛と桜の旦那さんだよ! トキオミお義父さん、すっごくかっこいいね!」
その瞬間。
時臣の表情から、デレデレの顔がスッと消え去り、極めて冷酷で、魔力に満ちた『武術家と魔術師の顔』へと変貌した。
「……ふむ。初めまして、シャルルマーニュの英雄殿。我が娘たちが、随分と世話になっているようだね」
時臣は、赤ん坊をそっと凛の腕に戻すと、床に置いたステッキを再び手に取った。
彼がアストルフォと対峙した瞬間、時臣の洗練された感覚は、目の前の青年から放たれる『太極』における極大の陽の気――宇宙の真理すら捻じ曲げるほどの圧倒的な肯定感と熱量を、肌でビリビリと感じ取っていた。
(……なるほど。これが、我が娘たちを骨抜きにし、理性をドロドロに溶かした『熱』の正体か。……確かに、陰陽の理において、これほどの陽の気に惹かれないメスなどいないだろう)
時臣は内心で感嘆しつつも、父親としての意地がそれを素直に認めさせることを拒んだ。
「お世話してるっていうか、ボクが凛と桜たちのこと、だーいすきなだけだよ!」
アストルフォの屈託のない言葉に、時臣はステッキを静かに構え直した。
「……そうか。だが、私は遠坂の当主として、そして『父親』として、一つ確認しておかねばならないことがある」
ゴォォォォンッ!
時臣の周囲に、高密度の炎の魔力が渦を巻き、リビングの温度が一気に上昇した。同時に、彼の足運びが、流麗な中国拳法(八極拳や太極拳の歩法)のそれへと滑らかに移行する。
周囲の女性たちが、一斉に息を呑む。
「……凛は遠坂の跡取り。桜はエーデルフェルトの次期当主の義妹。その二人の娘の心を完全に奪い、我が孫まで抱かせた男が、ただの『口の美味い男』であっては困るのだよ」
時臣は、ステッキの先端をアストルフォに向け、鋭い眼光で彼を射抜いた。
「アストルフォ殿。貴方が、我が愛する娘たちの生涯を預けるに足る『強さ』と『太極の器』を持ち合わせているか……。どうかこの私と、魔術と武術を交えた『手合わせ(組み手)』をしていただきたい。……受けてくれるね?」
父親としての嫉妬と、魔術師としての品定め。
怒涛の気迫を放つ時臣に対し、桜色の騎士は、一瞬キョトンとした後――。
「うん! わかった! お義父さんとの真剣勝負、ボクも全力でいくよ!」
太陽のような極上の笑顔で、朗らかにそれを受け入れた。
ロンドンの愛の城で、義父と婿の、意地と愛を懸けた予測不能な組み手が、今まさに幕を開けようとしていた――。