fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
ロンドン郊外、エーデルフェルト別邸の広大な庭園。
春のうららかな陽光が降り注ぐ芝生の上で、二人の男が対峙していた。
一人は、仕立ての良いスーツの上着を脱ぎ、ネクタイを少しだけ緩めた優雅なる魔術師――遠坂時臣。
もう一人は、愛剣を置き、動きやすい軽装になった桜色の騎士――アストルフォ。
庭園のテラスでは、赤ん坊を抱いた凛、大きなお腹を撫でる桜とルヴィア、そして青子やカレンたちが見守っている。
「……ルールはシンプルです。魔術の行使は一切禁止。武具の使用もなし。純粋な徒手空拳のみで、貴方の『芯』を見せてもらいましょう」
時臣は、ステッキを芝生に突き立てると、スッと流麗な足運びで構えをとった。
一切の無駄がない、洗練された中国拳法――太極と八極を修めた者の、静かで重い構え。魔術師でありながら、肉体の鍛錬すら「優雅たれ」の精神で極めている時臣の気迫は、ただの人間とは思えないほどの圧を放っていた。
「うん、わかった! ボクも、剣も魔術もなしで、全力でいくよ!」
アストルフォが、屈託のない笑顔のまま、スッと腰を落とした。
その瞬間。
時臣の端正な眉が、ピクリと動いた。
(……ほう? セイバーやライダーのクラスにありがちな、天性の身体能力だけに頼った我流の構えではない、だと?)
アストルフォの構えは、重心が深く、大地に根を張るような強固なものだった。それでいて、腕の構えにはどこか円を描くような柔軟さがあり、隙がない。
「いくよ、お義父さん! そぉいっ!」
アストルフォが、芝生を蹴って一気に間合いを詰めた。
英霊としての規格外の筋力は、時臣という「人間の義父」を傷つけないよう、無意識のうちに完璧に制御されている。純粋な『技と技の勝負』。
「……ふんッ!」
時臣が、踏み込んできたアストルフォの正中線に向けて、鋭く重い掌底を放つ。
しかし、アストルフォはその一撃を力で弾き返すのではなく、腕を絡ませてヌルリと軌道を逸らし、そのまま時臣の懐へと潜り込んだ。
(なっ……これは、ルヴィアゼリッタ君の……!?)
時臣が驚愕するのも無理はない。アストルフォが見せた流れるような組技への移行は、紛れもなくエーデルフェルト家に伝わる(そしてルヴィアが得意とする)キャッチ・アズ・キャッチ・キャンの技術そのものだったのだ。
「えへへ! ルヴィアから、いっつも寝技(意味深)で教わってるからね!」
アストルフォは時臣の体勢を崩しにかかるが、時臣もさるもの。即座に八極拳の『震脚』を踏み鳴らし、強烈な体幹でそれを跳ね除け、鋭い肘打ち(頂肘)を放つ。
「わおっ! お義父さん、すっごく強い!」
アストルフォはそれを間一髪で躱すと、今度は拳を握り込み、腰の回転を最大限に活かした鋭い一撃を繰り出した。
パンッ! と空気が弾けるような乾いた音。
(……ッ、今度は凛の八極拳か!)
時臣は両腕でそれをガードしたが、その重い衝撃に靴底が芝生を数十センチも滑った。
「まだまだ! 青子から教わったキックもいくよー!」
息つく暇もなく、アストルフォのしなやかな脚が、蒼崎青子が得意とする破壊的な蹴り技の軌道を描いて迫る。
テラスで観戦している彼女たちは、その光景を見て、一様に頬を真っ赤に染め、熱いため息を漏らしていた。
「……あぁっ。アストルフォの背中、汗が光って……すっごく、綺麗……っ」
凛が、腕の中の赤ん坊をあやしながらも、戦うアストルフォの躍動する筋肉と、そこから放たれるむせ返るようなオスの熱気に当てられ、太ももをきゅっと擦り合わせる。
「ええ……。わたくしたちが夜のベッドで教え込んだ技を、あんなに見事に使いこなすなんて。……なんだか、お腹の奥が熱くなってきてしまいましたわ……っ」
ルヴィアもまた、扇子で口元を隠しながら、トロンと濁った瞳でアストルフォを貪るように見つめている。
「まったく、あの馬鹿。私の蹴りまでコピーするなんて、どれだけ夜の体力と学習能力が高いのよ……」
青子は呆れながらも、自分の技を使う愛する男の姿に、ひどく艶めかしい笑みを浮かべていた。
彼らは、ただ魔力を交わし、快楽を貪り合っているだけではない。
アストルフォは、彼女たちの持つ魔術、武術、そして生き様そのものを、その規格外の熱量と全肯定の心で丸ごと受け止め、自身の血肉としているのだ。
「……ハァッ!!」
「そぉいっ!!」
時臣の洗練された拳と、アストルフォの変幻自在の技が激しく交錯する。
時臣は、戦いの中で確信していた。
(この男……圧倒的な『陽』の気を持ちながら、決して相手を力でねじ伏せようとはしない。私の技を、そして娘たちの技を、真っ向から受け止め、包み込み、そして昇華させている……)
彼の放つ熱は、ただ女を狂わせるだけの毒ではない。
触れる者すべての冷たい壁を溶かし、その本質を愛し抜く、まさしく『太極』を為すにふさわしい、宇宙のように広大で温かい器。
「――そこまで!!」
互いの拳が、顔の寸前でピタリと止まった。
時臣は、乱れた息を整えながら、スッと構えを解いた。
「……お義父さん?」
アストルフォが、少し汗ばんだ顔で、小首を傾げる。彼の体からは、戦いの熱と共に、周囲の雌たちを狂わせる極上の薔薇の香りが立ち上っていた。
「……見事だ、アストルフォ殿。」
時臣は、芝生に突き立てていたステッキを拾い上げ、優雅に一礼をした。
「貴方の芯の強さ、そして我が娘たちをどう愛し、どう守り抜いているか……この拳を通して、嫌というほど理解できました。魔術師として、いや、一人の父親として、貴方に娘たちを託した私の判断は間違っていなかった」
時臣の言葉に、テラスで見守っていた凛と桜が、安堵と嬉しさでパァッと顔を輝かせた。
「えへへ! お義父さんに褒められちゃった! 凛、桜、ボク勝ったよ!」
アストルフォは、無邪気にブンブンと手を振る。
彼には、これが「義父の品定め」だったという重苦しい自覚など微塵もない。ただ、大好きな妻たちの父親と、楽しく全力で遊んだ(手合わせをした)という、底抜けに明るい肯定感しかなかった。
「……やれやれ。これでは、私がただの物分かりのいい舅(しゅうと)になってしまうな」
時臣は苦笑しながら、テラスへと歩み寄った。
そして、再び凛の腕の中にある赤ん坊――自分の孫を覗き込む。
「……おお、おお。なんて可愛いのだ。よしよし、お祖父ちゃんですよ」
先ほどまでの威厳ある武術家の顔は完全に消え去り、時臣は再びデレデレの顔になって赤ん坊の小さな手を握った。
「お父様ったら、すっかりお祖父様の顔ですわね」
凛がクスリと笑う。
「ええ。お義父様、わたくしのお腹の子が産まれたら、またロンドンにいらしてくださいね」
桜も、優しく微笑みながら時臣に語りかける。
「当然だとも! 桜の子供も、ルヴィアゼリッタ君の子供も、遠坂とエーデルフェルトの絆の結晶! 私がこの手で抱かずに誰が抱くというのだ!」
時臣は、もう隠す気もないほどに破顔し、孫と娘たち、そして規格外の太陽の騎士との幸せな時間を、ロンドンの地で存分に満喫したのだった。
***
しかし、その数日後。
極東の地、冬木市の遠坂邸に戻った時臣は、深夜の自室で一人、ブランデーグラスを傾けながら、ポロポロと涙を流していた。
「……うぅっ……っ」
「師よ。また泣いておられるのですか」
背後から、言峰綺礼が呆れたような声で問いかける。
「うるさい、綺礼……っ。頭では、頭では理解しているのだ。あのアストルフォという男が、太極を為す素晴らしい器であり、娘たちがこの上なく幸せであるということも……ッ!」
時臣は、バンッと机を叩いた。
「だが! 父親としては、やはり寂しいものは寂しいのだ! あの凛や桜が……私ではなく、あんなピンク髪の男の熱に蕩けきって、メスの顔をしていたのだぞ! しかも、私の前でも平気でイチャイチャと……ッ!」
論理と感情の完全なる乖離。
時臣は、グラスを飲み干すと、絹のカンフー着の袖を乱暴に捲り上げた。
「……綺礼! 庭へ出てくれ! このやり場のない父親の悲哀、君との八極拳の組み手で紛らわせるしかないようだ!」
「……はぁ。まったく、師も難儀な性分のようですね。お相手しましょう」
極東の夜更け。
魔術師としての完璧な優雅さと、父親としての未練の間で引き裂かれた時臣の、涙と汗にまみれた八極拳の乾いた音が、静かな冬木の庭にいつまでも響き渡るのだった――。