fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
アイリスフィールの奇跡的な出産から、さらに数年の月日が流れた。
ロンドン、時計塔。魔術世界の最高学府の奥深くにある、現代魔術科(ノーリッジ)の君主(ロード)――エルメロイⅡ世の執務室には、今日も重々しい溜息と、胃薬の瓶を開ける乾いた音が響いていた。
「……ふぅ。これで今月の、特級指定の魔獣討伐と、東欧の霊脈暴走の鎮圧任務は完了、と。相変わらず、お前の報告書は『えいやっ!ってやったらドーンってなりました!』しか書いていないな」
Ⅱ世は、眉間に深い皺を刻みながら、葉巻の煙を吐き出した。
その視線の先、応接ソファで優雅に(しかし無邪気に)高級な茶菓子を頬張っているのは、桜色の髪の騎士――アストルフォだった。
「やあやあ! だって本当にそういう風に解決したんだもん! 時計塔のみんなもすっごく喜んでくれたし、報酬もいっぱいくれたよ!」
アストルフォは、屈託のない極上の笑顔で紅茶を飲み干す。
彼がロンドンに現れてから数年。当初は「歩く色欲の特異点」として恐れられていた彼だが、今や時計塔における最重要戦力(便利屋)として、誰よりも多くの高難度ミッションをこなしていた。
理由は他でもない。彼が築き上げた、世界最高峰の美女たちによる巨大な『愛の城(エーデルフェルト別邸)』の生活を支えるためである。
「……たく。魔術世界有数の名家(遠坂、エーデルフェルトなど)のお嬢様達を完全に骨抜きにし、さらには魔法使いや根源接続者まで手玉に取っているというのに。お前自身は、妙に所帯染みているというか、真面目な稼ぎ頭になっているのが腹立たしいというか……」
Ⅱ世は再び胃薬を口に放り込み、水で流し込んだ。
「だって、凛もこの前、ボクとの可愛い男の子を産んでくれたばっかりでしょ! 桜もルヴィアも、二人目の赤ちゃんがお腹にいて、すっごく大変なんだから!」
アストルフォは、愛する妻たちの名前を出すだけで、紫水晶の瞳を情欲と圧倒的な愛情で甘く濁らせた。
彼の身体から、無自覚に濃密なオスのフェロモンと、毎晩のように妻たちと交わしているであろう『むせ返るような愛欲の残り香』がぶわりと放たれ、執務室の空気をじっとりと重くする。
最近の遠坂凛は、出産を終えてすっかり「母」の顔になりつつも、夜になればアストルフォの熱を渇望し、自ら彼の広い胸板にすがりついて泣き濡れる極上のメスとなっている。
エーデルフェルトの令嬢である桜も、大きくなったお腹を彼に撫でられ、胎内に直接彼の圧倒的な体温を注ぎ込まれる喜びに、毎日ドロドロに溶かされている。
そんな彼女たちを養い、甘やかすため、アストルフォは「パパ騎士」として、どんな危険な仕事でも喜んで引き受けていたのだ。
「わかった、わかったからそのフェロモンをしまえ。廊下を歩く女子生徒たちがまた発情して倒れるぞ」
Ⅱ世は辟易しながら、机の引き出しから一通の黒い封筒を取り出し、アストルフォの前に投げ出した。
「お前に、一つ厄介な指名依頼(ミッション)だ。……場所は、ヨーロッパ南部の共和国。古くから聖堂教会が強い影響力を持つ地域だ」
「キョウカイ? あの、シスターとか神父さんがいっぱいいるところ?」
アストルフォが小首を傾げる。
「ああ。現地の霊脈に、深刻な『悪魔憑き』の汚染が確認された。放っておけば大規模な魔術災害に発展するが……場所が場所だけに、時計塔の魔術師が大挙して押し寄せれば、聖堂教会との政治的な全面戦争になりかねない」
Ⅱ世は鋭い眼光でアストルフォを見据えた。
「だから、教会の目をごまかしつつ、単独でその悪魔を祓える規格外の戦力が必要だ。……お前一人で行ってこい。他の女たち(特にお嬢様連中)を連れて行けば、目立って仕方がないからな」
「そういうことなら任せてよ! パパ、家族のためにいっぱいいっぱい頑張ってくる!」
アストルフォはポンと胸を叩き、満面の笑みで依頼書を受け取った。
「……いいか、アストルフォ。現地にはすでに、聖堂教会の『代行者』が派遣されているという情報がある。決してトラブルを起こすな。そして……間違っても、現地のシスターをその異常なフェロモンで狂わせたりするなよ。国際問題になるからな」
Ⅱ世は念を押すように釘を刺した。
しかし、彼自身の優秀な脳髄は、すでに(どうせまた、何かの間違いで教会の関係者を誑かし、厄介ごと(女)を連れて帰ってくるに決まっている)と、数日後の自分の胃痛を正確に予測し、絶望していた。
***
数日後。ヨーロッパ南部、地中海に面したとある共和国の旧市街。
石畳の路地が迷路のように入り組むこの街は、表通りこそ観光客で賑わっているが、裏路地に一歩足を踏み入れれば、古く淀んだ魔力の残滓が濃く立ち込めていた。
「んー! なんだか空気がすっごく重たいね。でも、ピザの匂いは美味しそう!」
アストルフォは、私服のレザージャケットを羽織り、観光客のような軽い足取りで裏路地を歩いていた。
ロンドンを出発する前夜。
彼は、凛や桜、ルヴィア、そしてアイリスフィールたちから「無茶はしないでくださいね」「早く私たちの元へ帰ってきてね」と、一晩中、それこそ骨の髄まで溶かされるような濃厚なキスと愛撫の嵐で見送られてきた。
彼の身体には、妻たちから注ぎ込まれた愛と、彼自身が持つ「太陽のような熱量」が満ち溢れており、路地裏の陰惨な空気など微塵も寄せ付けなかった。
しかし、目的の霊脈の結節点――古い教会の廃墟に近づくにつれ、空気は異様な冷たさと、血の匂いを帯び始めた。
「……うん? 魔獣の気配……じゃないな。誰か、戦ってる?」
アストルフォの紫水晶の瞳が、暗闇の奥を鋭く見据える。
路地のさらに奥、教会の廃墟の陰から、激しい打撃音と、魔力が衝突する光が漏れていた。
彼が音を立てずにその場に駆けつけると、そこには異様な光景が広がっていた。
「……主の御名において、命ずる。その穢れた魂を、この地より退けなさい……ッ!」
血塗れの修道服(シスター服)に身を包んだ、銀色の髪の女性。
彼女の美しい黄金の瞳は、苦痛と疲労で虚ろに濁っている。彼女の手には、聖なる布(マグダラの聖骸布)が握られていたが、その身体はすでに限界を超えていた。
彼女の周囲には、原型を留めないほどに歪んだ「悪魔憑き」の異形が数体、地を這うようにして彼女を包囲し、今まさにその鋭い爪を振り下ろそうとしていたのだ。
「あ……」
修道女の口から、絶望の吐息が漏れ、彼女の身体が力なく石畳へと崩れ落ちそうになる。
「危ないッ!!」
アストルフォは、一切の躊躇なく地面を蹴った。
桜色の髪が夜の闇を切り裂き、彼の姿が一瞬にして修道女と異形の間に割り込む。
ドゴォォォォンッ!!
魔術の詠唱すら不要。
純粋な身体能力と、圧倒的な陽の魔力を込めた彼の一撃が、悪魔憑きの異形を路地裏の壁ごと木端微塵に粉砕した。
「……え?」
崩れ落ちる寸前だった修道女――カレン・オルテンシアは、目を見開いた。
彼女の視界を埋め尽くしたのは、陰惨な血の匂いを一瞬で塗り潰す、むせ返るような薔薇の香りと。
冷え切っていた彼女の身体をすっぽりと抱きとめた、火傷しそうなほどに熱く、逞しい『男の腕』だった。
「キミ、すっごく冷たいね! いっぱい血が出てる! もう大丈夫だよ、ボクが助けに来たから!」
アストルフォは、血塗れの修道女を片腕で抱きしめたまま、残る異形たちに向けて極上の、そして絶対的な強者の笑顔を向けた。
神に仕え、悪魔を祓うためだけに生きてきた、冷徹なシスター・カレン。
彼女の閉ざされた世界に、時計塔から派遣された規格外の「太陽」が、今、強引に、そしてとてつもない熱量で踏み込んできたのだった――。