fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
ヨーロッパ南部の共和国、その入り組んだ裏路地。
陰惨な血と腐臭が立ち込めていた空間は、桜色の髪の騎士――アストルフォが降り立った瞬間、まるで春の嵐が吹き荒れたかのように完全に一掃された。
「さてと! あとはキミたちだけだね! 悪いけど、ボク、早くお仕事終わらせてロンドンのお家に帰らなきゃいけないんだ!」
アストルフォは、片腕で血塗れの修道女――カレン・オルテンシアの細い腰を抱え込んだまま、もう片方の手に愛剣を引き抜いた。
残る数体の悪魔憑きが、彼から放たれる圧倒的な陽の魔力に怯えつつも、本能のままに飛びかかってくる。
だが、結果は一瞬だった。
「そりゃっ!」
アストルフォが剣を横薙ぎに一閃する。ただそれだけで、濃密な魔力の刃が路地裏の空間ごと断ち切り、異形たちは悲鳴を上げる間もなく光の塵となって消滅した。
静寂が戻った路地裏。
「……え……?」
カレンは、アストルフォの腕の中で目を丸くしていた。
聖堂教会の代行者である彼女が、自らの命を削ってなお苦戦していた悪魔たちを、この見知らぬ青年は、まるで散歩のついでに小石を蹴り飛ばすような気軽さで殲滅してしまったのだ。
「よし、おしまい! キミ、大丈夫? すっごく冷たいし、いっぱい血が出てるよ!」
アストルフォは剣を納め、心配そうな顔でカレンの顔を覗き込んだ。
至近距離。
カレンの黄金の瞳と、アストルフォの澄み切った紫水晶(アメジスト)の瞳が交差する。
その瞬間、カレンの鼻腔を、むせ返るような甘い薔薇の香りと、彼女の人生で一度も嗅いだことのない『純度百パーセントのオスのフェロモン』が容赦なく貫いた。
「っ……!」
カレンの背筋が、ビクンと大きく跳ねた。
彼のがっしりとした腕から、冷え切っていた彼女の身体へと、火傷しそうなほどの圧倒的な体温が直接流れ込んでくる。
神に仕える身として、あらゆる苦痛や誘惑に耐えうる強靭な精神力を持つ彼女。しかし、この男から放たれる熱は、魔術的な魅了(チャーム)などではなく、存在そのものが持つ『絶対的な肯定感』と『雄としての引力』であり、カレンの防壁を容易くすり抜けて下腹部の奥底を甘く痺れさせたのだ。
「あ、私は……。触れないで、ください……っ。不浄な血が、貴方に……」
カレンは、自らの内に芽生えた未知の動揺(情欲)を隠すように、無表情の仮面を貼り直して身をよじった。
「だめだよ! こんなに怪我してるのに! ほら、じっとしてて!」
しかし、アストルフォは彼女の拒絶など全く意に介さず、軽々と彼女の膝裏と背中に腕を回し、お姫様抱っこで抱き上げてしまった。
「ひゃうっ……!?」
突然身体が宙に浮き、彼のがっしりとした胸板に完全に密着させられる。
カレンの口から、冷徹なシスターらしからぬ、ひどく無防備で艶めかしい声が漏れた。
「キミ、すっごく軽くて折れちゃいそう。ボクが安全なところまで運んであげるから、安心して身を任せてね!」
アストルフォは極上の笑顔を向け、そのまま路地裏の壁を蹴って夜の街へと跳躍した。
「あ……っ、ちょ、ちょっと……っ。私は、まだ任務が……っ」
カレンは抗議しようとしたが、夜風を切り裂いて進む彼の腕の中は、教会の大聖堂よりも遥かに安全で、そして恐ろしいほどに『温かかった』。
(なに、この男は……。時計塔の魔術師……? いや、この規格外の魔力と身体能力、それにこの……頭の奥が真っ白になりそうなほどの甘い匂いは……英霊……?)
カレンの優秀な脳髄が冷静な分析を試みるが、アストルフォの胸の筋肉の躍動と、彼から絶え間なく注ぎ込まれる熱によって、その思考はすぐにドロドロに溶かされそうになってしまう。
彼女は必死に唇を噛み、修道女としての理性の糸をどうにか繋ぎ止めた。
***
アストルフォがカレンを運んだのは、共和国の旧市街にある、古びているが清潔なホテルの最上階――彼がエルメロイⅡ世の資金で確保していたセーフハウス(拠点)だった。
「さあ、着いたよ! ベッドに寝かせるね!」
アストルフォは、部屋に入るなりカレンをふかふかのベッドの上にそっと降ろした。
「……感謝します。ですが、私は……」
カレンは起き上がろうとしたが、悪魔憑きから受けた傷と魔力枯渇により、再びベッドに倒れ込んでしまった。
「無理しちゃだめだってば! 血を止めるから、ちょっとお洋服破くね!」
「えっ? ちょっと……っ!」
カレンが止める間もなく、アストルフォは彼女の修道服の破れた箇所――脇腹から太ももにかけての布地を、迷いなく引き裂いた。
雪のように白い素肌が、ホテルの淡いランプの光に照らされる。
「ひっ……! はしたない……っ、神に仕える身で、男の方に肌を……っ」
カレンは羞恥に頬を赤く染め、両手で身体を隠そうとした。
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! ほら、消毒して、魔力で塞いであげるから!」
アストルフォの大きな手が、カレンの脇腹の傷口のすぐ近く、柔らかな素肌に直接触れる。
「あぁっ……! ぁ、あ……っ」
ただ手が触れただけ。それなのに、彼の手のひらから注ぎ込まれる治癒の魔力と圧倒的な体温が、カレンの魔術回路を直接撫で回すような強烈な快感となって脳髄を直撃した。
「痛い? ごめんね、なるべく優しくするから」
至近距離。彼の熱い吐息がカレンの肌を撫でる。
アストルフォの顔がすぐ近くにあり、その紫水晶の瞳が、心配そうに、けれど底抜けの優しさで彼女を見つめていた。
(……この男の熱、おかしい……っ。傷が治っていくのに……お腹の奥が、ぎゅって痛くなるくらい、甘く痺れて……っ)
カレンは、無意識のうちにシーツをきつく握りしめ、荒くなる呼吸を必死に抑え込んでいた。
数分後。アストルフォの迅速な処置により、カレンの傷は完全に塞がり、血色も良くなっていた。
「よし、おしまい! ボクの魔力も少し分けてあげたから、もう大丈夫だよ!」
アストルフォは満足そうに微笑み、ベッドの傍らの椅子に腰掛けた。
「……助けていただき、ありがとうございます。私は、聖堂教会の代行者、カレン・オルテンシアと申します」
カレンは、衣服を整えながら、なんとか冷徹なシスターの仮面を貼り直して名乗った。
「貴方は……時計塔から派遣された魔術師ですね。その魔力量といい、到底人間とは思えませんが」
「ボクはアストルフォ! シャルルマーニュ十二勇士が一人だよ! 今回は時計塔のロードのお手伝いで、ここの悪魔を祓いに来たんだ!」
アストルフォは、全く隠し立てすることなく屈託のない笑顔で答えた。
「英霊……。やはり。ですが、ここは聖堂教会の管轄です。時計塔の介入は……」
「そんな固いこと言わないでよ! カレン、あんなに怪我してたじゃないか。ボクがいなかったら、死んじゃってたかもしれないんだよ?」
アストルフォの真っ直ぐな言葉に、カレンは口をつぐんだ。確かに、彼の言う通りだ。
「それに、ボク、早くこのお仕事終わらせてロンドンに帰らなきゃいけないんだ。……凜も桜も、今すっごく大変な時期だから、パパがいっぱい頑張って稼がないとね!」
アストルフォは、ロンドンにいる妻たち(遠坂凛や桜・エーデルフェルト)の顔を思い浮かべ、本当に幸せそうに目を細めた。
「……パパ?」
カレンは怪訝そうに眉をひそめた。
「うん! ボク、すっごく可愛い奥さんたちがいーっぱいいっぱいいて、子供も産まれたばっかりなんだ! だから、お仕事は早く終わらせるよ!」
「……時計塔の魔術師たちを、妻に……? それも、複数……?」
カレンの黄金の瞳が、呆れたように細められる。
(英霊でありながら、そんな世俗的な……いえ、色欲に塗れた生活を送っているというのですか。……なんて、ふしだらで、破廉恥な男)
カレンは内心で毒づきながらも、なぜか彼のその「奥さんたち」という言葉に、胸の奥でチクリとした正体不明の痛みを覚えた。
「……いいでしょう。悪魔憑きの元凶は、この街の地下水路の奥底に潜む『悪魔の巣』です。私も、教会の名においてあれを見過ごすわけにはいきません。……一時的ですが、共闘を受け入れましょう」
カレンはベッドから立ち上がり、凛とした表情でアストルフォを見据えた。
「本当!? やったー! カレンと一緒なら、あっという間にお仕事終わっちゃうね!」
アストルフォは無邪気に喜び、カレンの手を両手でギュッと握りしめた。
「ひゃうっ……! だ、だから、気安く触らないでくださいと言って……っ」
再び流れ込んでくる圧倒的な体温に、カレンの顔が瞬時にして赤く染まる。
「ごめんごめん! でも、カレンの手、まだ少し冷たいから。……今日はお仕事終わるまで、ボクがしっかり守ってあげるからね!」
夜の共和国のセーフハウス。
神に仕える冷徹な修道女は、悪魔を祓うという任務を前に、それよりも遥かに厄介で、そして狂おしいほどに甘い『オスの熱量』との戦いを余儀なくされようとしていた。
彼女の強靭な理性が、この夜、どこまで持ち堪えられるのか。二人だけの危険で甘い大冒険が、今幕を開けたのだった――。