fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
シエル編①
カレン・オルテンシアが、アストルフォとの間に授かった愛娘を抱いてエーデルフェルト別邸に乗り込んできた、その日の夜。
ロンドンの冷たい夜風が洋館の窓を叩く中、カレンにあてがわれた豪奢なゲストルームだけは、まるで聖堂の懺悔室のような静寂と、それに相反するむせ返るようなオスの熱気に満たされていた。
「……アストルフォ」
キングサイズのベッドの上。修道服を脱ぎ捨て、薄い純白のネグリジェ一枚になったカレンは、自らの上に覆い被さる桜色の騎士を見上げて、小さく、甘い吐息を漏らした。
彼女の黄金の瞳には、昼間にテラスで見せていた「人を食ったような底意地の悪い光」は微塵も残っていない。ただ、眼の前の圧倒的な太陽に焦がれ、その熱を全身で乞い願う、一人の無力なメスの色が濃く滲んでいた。
「カレン。……ずっと、一人で頑張ってくれてたんだね。赤ちゃん、すっごくボクに似てて可愛いよ。ありがとう」
アストルフォの大きく、火傷しそうなほどに熱い手が、カレンの銀色の髪を優しく撫でる。
その底抜けに優しく、一切の打算もない純度百パーセントの肯定感。
数年前、悪魔憑きの祓魔任務で深手を負い、冷たい路地裏で死にかけていた彼女を拾い上げ、一晩中その『規格外の愛と熱量』で癒やし尽くしてくれた、あの夜と同じ温度だった。
「……私は、神に仕える身です。本来であれば、貴方のような規格外の存在(異端)と交わり、あまつさえ子を成すなど……絶対に許されない大罪」
カレンは、彼のがっしりとした胸板にそっと両手を当てた。
「でも……貴方の腕の中の温もりと、私の内側をドロドロに溶かして満たしてくれたあの熱を思い出すたびに……神への祈りよりも先に、貴方の名前を呼んで、身体の奥が甘く疼いてしまうのです。……私はもう、完全に狂ってしまいました」
彼女の平坦だった声が、少しずつ熱を帯び、艶めかしく震え始める。
悪魔の痛みに耐え、自虐的な悦びの中にしか生きる意味を見出せなかった彼女の氷のような心は、アストルフォという絶対的な肯定の前に、とっくの昔に完全に融解させられていたのだ。
「カレンは何も狂ってないよ。ボクのカレンは、すっごく綺麗で、あったかい女の子だもん」
アストルフォの顔がゆっくりと近づき、彼女の敏感な耳たぶに、熱い吐息が直接吹きかけられた。
「んんっ……ぁ……っ」
鼓膜を溶かすような低い声と息遣いに、カレンの背筋を強烈な快感の電流が突き抜けた。
彼の手が、ネグリジェの布地越しに、彼女の滑らかな腰のラインから、柔らかな太ももの内側へとじっとりと滑り込む。
「あぁっ……! ぁ、あ……っ! アストルフォの、手……っ。服を、着ているのに……直接、火を点けられたみたいに……っ」
黄金の瞳が瞬時に情欲の水気を帯び、とろとろに濁っていく。
数年分の空白を埋めるように、二人の体温が急激に混ざり合い、部屋の空気が一気に沸騰する。
アストルフォの熱い唇が、カレンの震える唇を深く、貪るように塞いだ。
「んんっ……!! ぁ……っ、んちゅ……っ、ふぁ……っ」
甘い唾液が交わり、聖職者としての最後の理性が、音を立てて崩れ去る。
神への祈りは、愛するオスへの狂おしいほどの嬌声へと変わり、カレン・オルテンシアは夜の闇が明けるまで、幾度となく彼のもたらす果てしない愛と熱の濁流に完全に呑み込まれ続けたのだった。
***
翌日の昼。
エーデルフェルト別邸の、防音と魔術結界が何重にも張り巡らされた巨大な地下会議室。
巨大な円卓を囲むように、世界最高峰の『母たち(ヒロイン)』が、深刻な(しかしどこか好戦的な)表情で顔を突き合わせていた。
「さて。問題は、カレンがこの屋敷に居着いたことそのものではない。……彼女が、未婚のまま魔術師(異端)の巣窟に身を寄せたという事実が、『聖堂教会』に知れ渡った後のことだ」
現代魔術科の次期当主、ライネスが、腕を組みながら円卓の中心にホログラムの資料を投影した。
「聖堂教会……神の教えに背く神秘を、人の手から徹底的に排除しようとするカトリックの裏組織ですわね」
ルヴィアゼリッタが、優雅に紅茶を傾けながら眉をひそめる。
「ええ。問題は、彼らが単なる宗教団体ではなく、異端を狩るための狂信的な殺戮部隊……『埋葬機関』を擁していることです」
元封印指定執行者であるバゼットが、重々しい口調で補足した。
「構成員は極少数ですが、その一人一人がバケモノじみた戦闘能力を持っています。身内の裏切りともなれば、間違いなく彼らが動くでしょう」
「埋葬機関……。たしか、実力主義で、教義に反する異端を狩るためなら手段を選ばない、教会内の『異端』とも呼ばれる集団ね」
凛が、ペン回しをしながら鋭い視線をホログラムに向けた。
「その中でも、今回派遣される可能性が最も高いのが……第七位の代行者、『シエル』よ」
青子が、腕を組んで壁によりかかりながら、大人の余裕(とわずかな警戒)を滲ませて口を開いた。
「魔術師の二百五十倍近い魔力貯蔵量を持ち、無数の黒鍵を雨のように降らせる『弓』の異名を持つ女。……おまけに、過去の因縁から世界そのものに修正される『不死身』の肉体を持ち、千年クラスの概念武装『第七聖典』を振り回す、正真正銘のバケモノよ」
『第七聖典』。
転生批判の鉄槌として作られた、巨大なパイルバンカー。吸血鬼ですら物理的に殴殺するその規格外の概念武装の名を聞き、会議室の空気が一段と張り詰めた。
「……面倒ね」
その重い空気を、ふんわりとした、しかし背筋が凍るような甘い声が切り裂いた。
沙条愛歌である。
彼女は、アストルフォの隣にちょこんと座り、彼の手を自らの頬にすり寄せながら、全能の瞳を細めて極上の微笑みを浮かべていた。
「私の王子様の平和な日常を邪魔する虫なんて、私が『根源』から教会ごと、まるごと消し去ってあげようか? そうすれば、誰も私たちの邪魔はできないわ」
愛歌の提案は、比喩でも何でもなく、彼女の力をもってすれば今この瞬間に実行可能な「事実」だった。妹の綾香が隣で「お、お姉ちゃん、物騒すぎるからやめて……っ」と青ざめている。
「だめだよ、愛歌!」
その全能神の凶行を、ただ一人、世界で最も無邪気な声が軽々と制止した。
アストルフォである。
「誰も消しちゃだめだよ! ボク、そのシエルって人とも、絶対にお友達になれると思う!」
「……お友達、ですか? あちらは、問答無用で私たちを異端として串刺しにしに来る殺戮部隊ですよ?」
桜が、エーデルフェルトの令嬢らしい気品を保ちながら、呆れたように苦笑する。
「だって、お腹すいてるから怒ってるのかもしれないじゃないか! カレーがすっごく好きって聞いたよ! 愛歌ちゃんや美沙夜ちゃんたちの作る美味しいカレーをご馳走してあげれば、絶対に笑顔になってくれるはずだよ!」
一切の恐怖も、敵意も抱いていない、純度百パーセントの肯定。
不死身の代行者だろうが、第七聖典を構える殺戮マシーンだろうが、彼にとっては「美味しいカレーで笑顔にできる一人の女の子」でしかないのだ。
「……はぁ。本当に、うちの旦那様は……」
凛が、特大の溜息をつきながらも、その青い瞳には愛おしさと「仕方ないわね」という絶対的な信頼の色が浮かんでいた。
「わかったわ。アストルフォがそう言うなら、私たちはそのシエルって女を、生け捕りにして貴方の前に引きずり出すまでよ」
「ええ。天体科の誇りにかけて、教会の犬になんて私たちの夫(アストルフォ)には指一本触れさせないわ」
艶やかな大人のレディへと美しく成長したオルガマリーが、凛の言葉に力強く同意し、金色の瞳を好戦的に光らせた。
「作戦はこうよ。シエルが屋敷の敷地内に侵入した瞬間、私とルヴィア、オルガマリーの魔術で空間を分断。蒼崎先生とバゼットが物理的に足止めし、愛歌の力で第七聖典の概念を一時的に封殺する。……そして、完全に無力化したところで、アストルフォの『熱』をぶつける」
凛の完璧な防衛(という名のシエル攻略)プランに、円卓の女たちが一斉に極上の共犯者の笑みを深める。
教会の最強の代行者すら、彼女たちにとっては「愛する夫の新しいお姫様候補」を確保するための、壮大なゲームの獲物へとすり替わっていた。
「よし! じゃあ、ボクは今からとびっきり美味しいカレーの準備をして待ってるね!」
アストルフォが満面の笑みで立ち上がり、愛歌や綾香たちを連れてキッチンへと向かっていく。
彼らの足音が遠ざかった後、ライネスがクスクスと肩を揺らした。
「……可哀想に。そのシエルという代行者も、数日後には不死身の肉体ごと、彼のデタラメな熱にドロドロに溶かされて、私たちと同じように甘い声を上げて彼にすがりつくことになるのだろうね」
「本当に。……今から、どんな蕩けた顔を見せてくれるのか、楽しみですわ」
アイリスフィールが、艶やかに紅茶の香りを嗜む。
迫り来る聖堂教会・埋葬機関の影。
しかし、エーデルフェルトの愛の城は、一切の恐れを抱くことなく、最強の代行者を底なしの愛とフェロモンの沼に引きずり込むための、極上の「歓迎の罠」を張り巡らせていたのだった――。