fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
五星ホテルの最上階。
木っ端微塵に吹き飛んだプレジデンシャル・スイートの扉。
青子の右手に集束する破壊の魔力と、愛歌の周囲の空間が歪むほどの絶対的な殺気。
「……ッ、青子、お前というやつは……!」
橙子はシーツを胸元に引き寄せながら、苛烈な感情を露わにするが、その声には昨夜から今朝にかけてアストルフォに絞り尽くされた甘い疲労と、圧倒的な熱の余韻がべっとりと張り付いていた。
彼女の太ももの内側が、再び彼を求めて微かに震えているのを、青子が見逃すはずがなかった。
「ふん。余裕ぶってるけど、腰が立たないみたいじゃない。……うちの馬鹿旦那に、頭の芯までドロドロに溶かされた気分はどう? 橙子」
「減らず口を……っ。彼が規格外なだけだ。……それに、あの熱を独り占めしようだなんて、お前にはもったいない」
愛歌がスッと指先を上げる。
「王子様の匂いが、この女にべっとりついてる……。消さなきゃ」
魔法と根源の力が激突しようとした、その刹那。
「だーめっ!! 喧嘩はおしまい!!」
シーツを腰に巻いただけのアストルフォが、恐ろしいほどの速度でベッドから跳躍し、青子と愛歌の間に割って入った。
そして、そのまま二人の華奢な身体を、両腕でガシッと力強く抱き寄せたのだ。
「ひゃうっ!?」
「あ……王子様……っ」
圧倒的なオスの体温と、むせ返るような薔薇のフェロモンが、怒りに沸騰していた二人の魔術回路を一瞬で強制冷却――いや、別の甘い熱へと一気に書き換えていく。
「青子も愛歌も、お迎えに来てくれてすっごく嬉しいよ! でも、トーコを苛めちゃだめ! トーコ、すっごく寂しがり屋で、あったかくて、ボクの大事なお姫様になったんだから!」
アストルフォは、二人の首筋にチュッ、チュッと深いキスを落とした。
「んんっ……!! ぁ、馬鹿……っ、こんなところで……っ」
青子の右手に集束していた魔力が、シュウゥ、と情けない音を立てて霧散する。彼に抱きしめられただけで、昨夜の彼の不在で冷え切っていた子宮の奥が、ジンジンと歓喜の疼きを上げ始めてしまったのだ。
「王子様……。ずるい……。そんなふうにされたら、私……」
愛歌の絶対的な殺気も、彼の体温の前では春の雪のようにドロドロに溶け去り、彼女は自ら彼の逞しい胸板に頬をすり寄せた。
「おいおい。朝っぱらからオレの借り切ったホテルで、派手なドンパチやってくれるじゃねえか」
廊下の奥から、ロックの重低音を漏らすイヤホンを首にかけたイノライが、側近たちを引き連れて悠然と姿を現した。
「イノライおばあちゃん! おはよー!」
アストルフォが、青子と愛歌を抱えたまま無邪気に手を振る。
イノライは、半壊した扉の向こうの惨状と、ベッドの上でシーツに包まり、すっかり「恋する雌」の顔になっている蒼崎橙子を見て、がはははっ! と腹の底から笑い声を上げた。
「傑作だ! あの近寄りがたい冠位人形師が、たった一晩で随分と可愛らしいツラになっちまったじゃねえか! お前さん、本当に底が知れねえな、坊主!」
イノライは、面白くてたまらないというように口元を歪めた。
「安心しな、橙子。オレは坊主と不可侵の盟約を結んだばかりだ。ここでの痴話喧嘩は、バリュエレータの名において不問にしてやる。……お前さんも、その規格外の熱に当てられちまったんなら、素直にそいつの城に行っちまいな」
「……イノライ・バリュエレータ。貴女まで、この男に……っ」
橙子はギリッと奥歯を噛み締めたが、自らの身体が、もはやアストルフォから離れることを本能レベルで拒絶している事実を、誰よりも理解していた。赤い眼鏡をかけることすら、もう恐ろしい。あの冷たい世界に戻るくらいなら、このどうしようもない熱の底で溺れ続けていたいと、彼女の魂が絶叫しているのだ。
「トーコ! 一緒に行こう! ボクのおうち、凛もルヴィアもみーんないて、すっごく楽しいよ! 美味しいご飯もいっぱいたべられるし!」
アストルフォが、愛歌たちを腕から離し、橙子の元へと駆け寄ってその手を両手で包み込んだ。
「……っ、あんたねぇ。私を青子と同じ屋根の下に住まわせる気?」
「うん! 姉妹なんだから、一緒にいたほうが絶対楽しいよ! ね、青子!」
「……はぁ。もう、好きになさい。あんたがこの女の面倒を見るっていうなら、私は止めないわ。……ただし、夜の順番は私が先だからね」
青子は、呆れ果てたように溜息をつきながらも、その瞳には、かつての憎しみではなく、同じ男の底なしの熱に狂わされた「共犯者」としての、奇妙な連帯感が浮かんでいた。
***
数時間後。ロンドン郊外、エーデルフェルト別邸。
エントランスホールの重厚な扉が開くと、出迎えた女主人たちは、アストルフォの後ろを歩く「新たな家族」の姿を見て、一斉に極上の笑みを深めた。
「お帰りなさい、アストルフォ。……ふふっ、本当に、時計塔の勢力図ごとひっくり返してきそうな勢いね」
オルガマリーが、銀髪を揺らして優雅に進み出る。
「……冠位人形師。貴女ほどのお方が、アストルフォのフェロモンに当てられて、足元がふらついていますよ? すっかり骨の髄まで『女』にされてしまったのですね」
「……天体科の令嬢に、同情される日が来るとはね」
橙子は、自嘲気味に笑いながらも、その表情にはかつての険しさはなく、どこか憑き物が落ちたような、色香漂う大人の余裕があった。赤い眼鏡は、彼女の胸元のポケットに静かに仕舞われている。
「傑作じゃないか。あの蒼崎橙子が、うちの旦那様のデタラメな熱に一晩で陥落するとは。……兄上(Ⅱ世)が聞いたら、胃薬だけじゃ済まないだろうね」
ライネスが悪戯っぽくクスクスと笑い、ルヴィアも扇子を広げて「オーッホッホ! わたくしたちの愛の城へようこそ!」と高笑いする。
「アストルフォさん、お帰りなさい! 私、アストルフォさんの好きなご飯、いっぱい作って待ってましたよ!」
桜が、エプロン姿のまま駆け寄り、アストルフォの腕にすがりつく。
「わあ、桜! ありがとう! ボク、すっごくお腹すいてたんだ!」
アストルフォが満面の笑みで桜の頭を撫でると、周囲の女たちから「ちょっと、抜け駆けはずるいですわ!」「私にも熱を分けて頂戴!」と甘い悲鳴が上がる。
魔術界の頂点に君臨する女たち。そして、新たに加わった冠位人形師。
冷酷な魔術の掟は、一人の太陽のような騎士が放つ無限の肯定感と、むせ返るような愛の熱量によって、すべてドロドロに溶かされ、混ざり合い、この極上の愛の城の日常へと組み込まれていくのだった。