fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
真言立川詠天流、本部施設。
関東近郊の鬱蒼とした山中に開かれたその巨大な宗教施設は、一見すると清浄で厳かな霊場のように見える。しかし、その内実は、教祖・殺生院キアラの放つ異常な『魅了(チャーム)』によって、信徒たちの自我が極限まで溶かされ、彼女という巨大な胃袋に喜んで飲み込まれようとしている、おぞましい愛欲の培養炉だった。
施設の外周、深い森の木陰。
「――結界の基盤構造、おおよそ把握しました」
青い法衣ではなく、動きやすいダークスーツに身を包んだシエルが、合流地点に待機していたアストルフォたちの元へと戻ってきた。彼女の丸い眼鏡の奥には、教会の代行者としての冷徹な分析と、愛する男を護るための熱が同居している。
「ご苦労様。それで、どうやってこのカルトの心臓部まで安全に案内してくれるんだい?」
赤い眼鏡をかけ、知的な防壁を完全に展開している蒼崎橙子が、タバコの煙を細く吐き出しながら尋ねた。
「物理的な侵入は容易ですが、問題は彼女の『説法』です。施設内に満ちているフェロモンのような魔力波長……これが信徒たちの理性を溶かし、彼女への絶対的な依存を植え付けている。……しかし、奇妙なことに」
シエルは、タブレットに表示した施設の魔力分布図を指差した。
「彼女の結界は、他者の欲望を吸収することには特化していますが、外部からの『異物』を拒絶する防衛機能が極端に低い。まるで、どんなものでも受け入れると言わんばかりの……傲慢なまでの無防備さです」
「……なるほどね。自分を絶対的な『仏』と信じて疑わない、究極の唯我独尊か。どんな毒だろうが、獣だろうが、自分の体内で救済してやれるという傲慢さの表れだ」
橙子が、忌々しそうに舌打ちをする。
「真っ当な倫理や、敵意、殺意を持ってあんな女に挑めば、その感情ごと丸飲みされて取り返しのつかない破滅を迎えるだけ。……でも」
橙子の視線が、隣で愛歌の頭を撫でているアストルフォへと向けられた。
「うちの『太陽』なら、話は別だ」
「エレイシア(シエル)、おかえり! 調査お疲れ様!」
アストルフォは、難しい顔で会議をしている彼女たちのもとへ駆け寄ると、一切の躊躇なくシエルの細い腰を抱き寄せ、その頬にチュッと音を立ててキスをした。
「ひゃうっ……!!」
シエルの口から、冷徹な代行者らしからぬ、ひどく甘い悲鳴が漏れる。
「ア、アストルフォ…っ! 今は、真面目な作戦会議中で……っ」
彼女は顔を真っ赤にして抗議するが、彼から放たれる火傷しそうなほどの体温と薔薇のフェロモンを浴びた瞬間、先程までの緊張感は一瞬で吹き飛び、子宮の奥底がジンジンと歓喜の疼きを上げ始めてしまった。
「だってエレイシア、すっごく疲れた顔してたもん! 少しは休まないとだめだよ。ボクが、いっぱいいっぱい癒やしてあげる!」
「んんっ……!! ぁ、ああっ……」
シエルはもはや抗えず、彼の広い胸板に顔を埋めて、蕩けた瞳で甘い息を吐き出した。
「……はぁ。本当に、この男の熱は……どんな魔性の結界よりもタチが悪いわ」
橙子が呆れたようにため息をつくが、彼女自身もまた、アストルフォのその無尽蔵の熱量を間近で感じるだけで、赤い眼鏡の奥の瞳が微かに情欲に潤み始めているのを自覚していた。
「ふふっ。私の王子様にかかれば、どんな薄汚い泥水の結界も、すぐに綺麗に蒸発しちゃうわね」
沙条愛歌が、優雅に微笑む。
「結界の抜け道なんて探す必要はないわ。私が、王子様が歩く道だけ、世界から『切り離して』あげる。そうすれば、あの泥水女の匂いなんて、王子様には一ミリも届かないもの」
全能の少女の、恐るべき宣言。
シエルの解析と、橙子の魔術的バックアップ、そして愛歌の全能の力。この三人が本気で外堀を埋めれば、キアラの教団など数分で崩壊させることも可能だった。
だが、その時。
「――お待ちしておりました。太陽の騎士様と、そのお連れ様方」
森の奥から、静かに、けれど不気味なほどに穏やかな声が響いた。
現れたのは、教団の作務衣を着た数人の信徒たちだった。彼らの瞳は、キアラの魅了によって完全に自我を溶かされており、焦点が合っていない。しかし、その顔には、まるで本物の仏に出会ったかのような、狂信的なまでの恍惚の笑みが張り付いていた。
シエルと橙子が瞬時に魔力を高め、愛歌が冷ややかな視線を向ける。
「……何用ですか。私たちはまだ、表門を叩いてすらいませんが」
シエルが、黒鍵を隠し持った手を構えながら問う。
「キアラ様からの、ご伝言です」
信徒の一人が、深いお辞儀をした。
「『わたくしのささやかな庭に、これほどまでに熱く、そして規格外の陽の気を持つお方がいらっしゃるとは。……どうか、わたくしの特別な応接室へとお越しくださいませ。極上の歓待をご用意して、お待ちしております』……と」
魔性の菩薩からの、直接の招待状。
彼女の結界は、シエルたちが警戒していた以上に、アストルフォが放つ『無尽蔵のオスの熱量と肯定感』を、巨大な異物として――いや、彼女の虚無を満たすかもしれない極上の獲物として、正確に感知していたのだ。
「……ふん。わざわざ自分から泥棒に鍵を開けて見せるとはね。どこまで傲慢な女だ」
橙子が、忌々しそうに眼鏡を押し上げる。
「アストルフォ。どうする? これは間違いなく罠よ。応接室という名の、あいつの『胃袋』のど真ん中に飛び込むことになる」
橙子の警告に、しかし、太陽の騎士は一切の恐怖を感じていなかった。
「うん! 行くよ!」
アストルフォは、屈託のない、太陽のような笑顔で信徒たちに向かって頷いた。
「だって、キアラちゃんがボクのこと呼んでるんでしょ? 寂しいなら、ボクがいっぱいいっぱいお話しして、ぎゅーってして、あっためてあげるって決めたんだもん!」
罠だろうが、魔性だろうが関係ない。
彼はただ、そこに寂しそうにしている一人の女の子がいるなら、全肯定の熱をもって抱きしめに行く。それが、彼という騎士の絶対的な在り方だった。
「……わかったわ、王子様。貴方がそう言うなら」
愛歌が、ふわりと微笑む。
「でも、もしあの女が王子様に爪を立てようとしたら……その時は、教団ごと綺麗に消し去ってあげるからね」
かくして。
信徒たちの先導により、アストルフォは愛歌、シエル、橙子を伴い、教団の最奥――殺生院キアラが待つ、豪奢で淫靡な特別応接室へと、静かに足を踏み入れていくのだった。
最強の魔性と、太陽の騎士。
その交わりが、互いの存在をどう変容させるのか。狂おしくも熱い一夜の幕が、今まさに開かれようとしていた――。