fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
――アストルフォが特別応接室の扉の向こうへ姿を消した直後。
教団施設の外周では、教祖の領域に異物が侵入したことを感知した結界が、防衛本能のようにどす黒い愛欲の波長を強め始めていた。
それに呼応するように、焦点の合わない目をした作務衣姿の信徒たちが、ゆらゆらと、しかし確かな意志(キアラを守らなければならないという狂信)を持って、通路の奥から大量に湧き出し始めた。
「……来ましたね。彼らは完全に魅了(チャーム)に酔いしれています。このまま放っておけば、結界の暴走と相まって、お互いを傷つけ合う暴徒と化すでしょう」
シエルが、丸い眼鏡を指で押し上げながら冷静に状況を分析する。
「ああ。だけど、私たちは旦那様から『キアラちゃんとお話ししてくる』って聞いてるからね。あいつがベッドで骨抜きにされる前に、こんな外の虫どもでドンパチ騒ぎを起こして邪魔するわけにはいかない」
蒼崎橙子が、赤い眼鏡をかけたまま、ポケットから幾つかのルーン石を取り出した。
「王子様の邪魔をする悪い虫は、みんな眠ってなさいな」
沙条愛歌が、ふわりと微笑みながら、細い指先を虚空で指揮棒のように振るった。
その瞬間。
施設を覆っていた「おぞましく甘いフェロモンの結界」の波長が、愛歌の全能の力によって、根底から『書き換え』られ始めた。キアラの放つ毒牙のような魔性が、無害で、ただただ心地よい微風へと変質していく。
「今です、エレイシア(シエル)」
「ええ。教会の秘蹟、展開します――『大洗礼詠唱(きよめのみうた)』」
シエルが黒鍵を床に突き立て、魔術回路を駆動させる。
それは、かつて血みどろの異端尋問で使われたような攻撃的な術式ではない。彼女がアストルフォという太陽に救われ、真の慈愛を知ったからこそ紡げる、極めて純度が高く、穏やかな浄化の波だった。
愛歌が書き換えた空間を、シエルの浄化の光が満たし、そして橙子のルーンがそれを施設の隅々にまで定着させる。
「……あ、れ……? わしらは、ここで何を……」
「なんだか、とても……眠い……」
殺気立って向かってきていた信徒たちの瞳から、狂信的な濁りがスッと消え去った。
彼らは武器を落とし、まるで長い悪夢から覚めたかのような安堵の表情を浮かべると、その場に崩れ落ちるようにして、静かな、深い眠りへと落ちていった。
血の一滴も流れない、完全無欠の平和的制圧。
世界最高峰の女たちが本気を出せば、カルト教団の狂信など、赤子の寝かしつけと何ら変わりはなかった。
「……さて。これで外の掃除は終わりよ。あとは……」
橙子が、奥の閉ざされた扉を見つめる。
「うちの太陽が、あの魔性の菩薩の『毒』を、どこまで中和できるか、だね」
***
――時を同じくして。特別応接室の密室にて。
外界の騒動など一切届かない、完璧に防音された極彩色の寝台の上。
アストルフォと殺生院キアラは、互いの吐息がかかるほどの至近距離で対峙していた。
「……本当に、不思議な殿方。わたくしの魅了に当てられて、理性を手放さない人間など、今まで一人もいなかったのに」
キアラは、アストルフォの首に回した腕に、スルリと力を込めた。
彼女の指先が、彼の逞しい胸板から、硬く引き締まった腹筋へと這い下がる。直接肌に触れたわけではない。だが、彼女の指先から放たれる『気』だけで、普通の男であれば発狂し、射精すらしかねないほどの濃密な快楽の呪いが込められていた。
だが、アストルフォの表情は、どこまでも澄み切った太陽の笑顔のままだった。
「キアラちゃん、手すっごく柔らかいね! でも、やっぱり少し冷たいよ」
彼は、自らの腹部を撫でる彼女の手を、大きな手で優しく包み込み、自らの心臓の上――最も熱く、命が脈打つ場所へと導いた。
「あっ……」
キアラの指先に、彼の力強い心音が、ドクン、ドクンと直接伝わってくる。
「ボクの熱、キアラちゃんの中まで届いてる? ボク、キアラちゃんのこと、いっぱいいっぱいあっためてあげるからね」
「……く、くふっ。……いいえ。まだまだ、足りませんわ。貴方のその熱、わたくしの奥底の、ずーっと深いところまで注いでいただかないと……わたくしの『飢え』は、満たされませんのよ?」
キアラは、彼の手に自らの手を重ねたまま、もう片方の手で自らの薄布の胸元をはらりと開いた。
こぼれ落ちる、豊満で、雪のように白い双丘。その頂には、すでに彼女自身が彼の熱に当てられて疼き始めている証が、紅く硬く咲き誇っていた。
「さあ、いらっしゃいな。わたくしの胎内で、貴方のすべてをドロドロに溶かして差し上げますわ」
究極の性魔術を極めた菩薩の誘い。
しかし、アストルフォはその誘惑(トラップ)に飛びつくことはしなかった。
彼は、彼女の豊かな胸には目もくれず、ただ、少しだけ悲しそうに、彼女の魔性の瞳を真っ直ぐに見つめ返したのだ。
「……キアラちゃん。一つだけ、約束して」
「約束……?」
「うん。キアラちゃんは今、ボクを『食べよう』としてるでしょ? でも、ボクは食べられないよ。……その代わり、キアラちゃんがボクを『一人の男の人』として、本当に好きになってくれたら……その時は、ボクの全部をキアラちゃんにあげる」
「――ッ」
キアラの全身を、見えない電撃が貫いた。
彼はいま、性行為という物理的な交わりを拒否したわけではない。
彼女が常套手段としてきた「快楽による支配(救済)」のプロセスそのものを、根底から否定し、「対等な愛(相互理解)による交わり」という、彼女が最も恐れ、そして最も渇望していたルールを突きつけてきたのだ。
(……この男は、わたくしを……この殺生院キアラを、ただの『恋する女』に引きずり下ろす気ですの……?)
キアラの奥歯が、ギリッと鳴る。
だが、同時に彼女の魔性の奥底で、今まで味わったことのない、ヒリヒリとするような未知の熱帯の歓喜が沸き上がってくるのを止められなかった。
「……ええ。いいですわ。貴方がそこまで強情だというのなら、わたくしがその真っ直ぐな瞳を、快楽で甘く濁らせて……ただの『発情した獣』へと作り変えて差し上げましょう」
キアラは、自らアストルフォの唇へと、その甘く毒気に満ちた唇を重ねた。
「んんっ……! キアラちゃん、すっごく甘い……!」
交わる唇。絡み合う舌。
最強の魔性と、純度百パーセントの太陽の騎士の、互いの存在の根幹を懸けた、熱く狂おしい夜の死闘が、静かに、しかし決定的に火蓋を切ったのだった――。