fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
極彩色の寝台の上で、アストルフォの熱にすっかり蕩かされ、甘い喘ぎ声を漏らしていた殺生院キアラは、傍らに立つ三人の「先輩妻」たちの視線を浴びて、シーツを引き寄せながら艶やかに頬を染めた。
「……ふふっ。まさか、わたくしがこのような形で『救済』される日が来るとは、夢にも思いませんでしたわ。……ええ、もう、わたくしにはこの『真言立川詠天流』という胃袋は必要ありませんの。わたくしの宇宙は……この方の熱だけで、これ以上ないほどに満たされてしまいましたから」
キアラは、自らの隣でニコニコと笑うアストルフォのがっしりとした腕にすがりつき、その肩に顔を埋めた。
菩薩としての傲慢な虚無は完全に消え去り、そこにあるのは、ただ一人のオスに依存し、愛される悦びに震える極上の『雌』の顔だった。
「それは結構だけど、外で眠らされている信者たちはどうする気?」
蒼崎橙子が、赤い眼鏡を指で押し上げながら、タバコの紫煙を細く吐き出した。
「教祖が急に失踪したとなれば、狂信的な連中が暴走して厄介なことになる。物理的に解散させるにしても、あいつらの脳髄に染み付いたあんたのフェロモン(依存)を抜かない限り、社会に戻しても廃人同然だよ。……私があいつらの記憶を魔術で弄ってもいいが、数が多いからね」
橙子の現実的な指摘に、シエルも静かに頷く。
「教会の手で保護施設に送ることも可能ですが……それはあくまで最後の手段です。彼らの精神が壊れてしまっては、アストルフォも悲しむでしょう」
「うん。みんなが笑顔でお家に帰れるのが一番だよ!」
アストルフォが、純度百パーセントの真っ直ぐな瞳でキアラを見つめた。
「キアラちゃん、みんなに『もう大丈夫だよ』って教えてあげられる?」
その言葉に、キアラは少しだけ目を伏せ、やがて艶やかな笑みを浮かべた。
「……ええ。わたくしがかけた呪縛は、わたくし自身の手で解きましょう。わたくしの声を以て、彼らの魂のベクトルを、少しだけ……『健康的な日常』へと誘導して差し上げますわ」
彼女の魔術は、他者の欲望を暴走させ、自身への依存へと向けるもの。しかし、そのベクトルを「教祖」から「それぞれのささやかな幸福」へと書き換えることができれば、洗脳を解くことができる。
だが、それだけでは不完全だった。
「……ふふっ。いい心がけね、新人さん。でも、貴女一人の力じゃ、まだ彼らの魂にこびりついた泥水の匂いは完全に消しきれないわ」
沙条愛歌が、ふわりと優雅な足取りで寝台の傍へと歩み寄った。
「王子様のお姫様になるなら、過去のゴミは綺麗に片付けなさいな。……私が、貴女の『声』が届いた瞬間、彼らの魂の形を、世界から少しだけ『書き換え』てあげる」
全能の少女の、恐るべき提案。
キアラが信者たちの意識を誘導し、愛歌がその新たな意識を「最初からそうであった当たり前の事実」として世界に定着させる。最強の魔性と、根源接続者の全能性が、信者たちの救済という一点において奇跡の融合を果たすのだ。
「……ありがたいお申し出ですわ、全能のお嬢様。わたくしの未熟な手際を、どうかお導きくださいませ」
キアラは、愛歌の絶対的な力と、アストルフォの一番星である彼女への敬意(と、絶対服従の証)を示すように、深く頭を下げた。
***
数時間後。教団施設の大広間。
愛歌とシエルによって覚醒させられた数千人の信徒たちは、祭壇に立つキアラの姿を見上げていた。
「皆の者。長きにわたる修練、誠にご苦労様でした」
キアラの声が、ホールに響き渡る。
それは、かつての甘く脳を溶かすような毒気を帯びたものではない。彼女自身の内側が、アストルフォの愛という無尽蔵の熱で満たされているからこそ出せる、本当に温かく、慈愛に満ちた柔らかな声だった。
「わたくしたちの教義は、今日この日をもって成就いたしました。貴方たちの心は、すでに救済の光で満たされております。……これより先は、わたくしの元を離れ、それぞれのささやかな日常の営みの中に見出される『愛』を大切に生きていきなさい」
キアラの声が、信者たちの心の奥底にある「教祖への狂信的な依存」の結び目を、優しく、一つ一つ解いていく。
「――はい。これで完璧よ」
ホールの後方から、愛歌がパチン、と小さく指を鳴らす。
その瞬間。信者たちの脳内から、「教祖・殺生院キアラのためにすべてを捧げた」という異常な狂信の記憶が、世界そのものの修正力によって『書き換え』られた。
「あ、あれ……? 俺たちは、ここで素晴らしい瞑想の合宿をしていて……」
「そうよ。心がすごくスッキリしたわ。……早く、家族の待つ家に帰りたいな」
「明日からの仕事、頑張れそうな気がするよ」
信徒たちの瞳に、普通の人間としての健やかな理性の光が戻っていく。彼らはキアラに対して深い感謝の念を抱きながらも、もはや狂信的な依存を見せることはなく、三々五々と施設を後にし始めた。
「……見事な手際ね。これで、教団は自然解散。残った資産や施設の権利関係の処理は、私のルーンと魔術的な書類偽造で、どこぞの財団への寄付という形に書き換えておくよ」
橙子が、タブレット端末を操作しながら満足げに頷く。
「教会のデータベースからも、『真言立川詠天流』の危険度フラグは完全に消去されるでしょう。……本当に、アストルフォ様の陽の気がもたらす奇跡には、いつも驚かされます」
シエルも、祭壇の横でニコニコと笑っているアストルフォを見つめ、蕩けたような熱い溜息を漏らした。
事後処理は、血の一滴も流れることなく、完璧に完了した。
祭壇から降りてきたキアラは、緊張と安堵で少しだけ足を震わせながら、アストルフォの元へと駆け寄った。
「アストルフォ様……。わたくし、これで、貴方の隣に立つ資格を……得られたでしょうか?」
不安そうに見上げる彼女の眼差しは、魔性の菩薩のものではなく、恋する一人の女のそれだ。
「うん! キアラちゃん、すっごく頑張ったね! ボク、キアラちゃんのこと、もっともっと大好きになったよ!」
アストルフォは、迷うことなくキアラをきつく抱きしめ、その柔らかな唇に、チュッ、と深い音を立ててキスをした。
「んんっ……!! ぁ、ああっ……」
ただの触れ合いのようなキスでさえ、今のキアラにとっては、全身の魔術回路を甘く痺れさせる極上の劇毒。彼女の足から完全に力が抜け、アストルフォのがっしりとした胸板にドロドロにすがりつく。
「新入り。 お掃除が終わったからって、抜け駆けするのは感心しないな」
橙子が赤い眼鏡を外し、苛烈な大人の女の顔でアストルフォの背中に抱きつく。
「王子様、私にもご褒美のキス、頂戴?」
「私も、待ってます……っ」
愛歌とシエルも、我先にと彼の圧倒的な熱を求めて群がり始めた。
極東の山中に潜んでいた魔性の巣窟は、一人の太陽の騎士と、彼を愛する最強の妻たちによって完全に浄化され。
そして今、殺生院キアラという最強クラスの「恋する雌」を新たな家族として迎え入れた一行は、彼らが待つ世界一幸福な愛の城――ロンドンのエーデルフェルト別邸へと、帰還の途につくのだった。