fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
イタリア・バチカン。
聖堂教会の中枢を担う大聖堂の、重厚な扉で閉ざされた秘密会議室。
「……またか。またあの『第七位(シエル)』から、一言一句違わぬ定型文の監視報告だ」
白髪の枢機卿が、プリントアウトされた報告書をデスクに放り投げ、ひどく疲労した溜息をついた。
「もう三年以上、同じことの繰り返しです。……ロンドン郊外、エーデルフェルト別邸。そこへ調査・討伐に向かわせた女性代行者やシスターたちが、誰一人として帰還せず、皆一様に『長期監視に移行する』という謎の通信を最後に消息を絶つ」
「ええ。魔術協会の時計塔側でも、似たような現象(被害)が相次いでいるとか……。もはや、あのアストルフォという異端の騎士に女性職員を近づけるのは、『教会の貴重な戦力をドブに捨てる行為』でしかありません」
円卓を囲む上層部の男たちは、誰もが苦虫を噛み潰したような顔で頷き合った。
彼らはすでに、アストルフォを物理的に排除することを半ば諦めていた。被害が拡大するばかりのあの屋敷は、「触らぬ神に祟りなし」、あるいは「女性職員の絶対接近禁止領域」として、腫れ物のように扱う方針へと完全にシフトしつつあったのだ。
「……第七位ほどの化け物であれば、精神支配を免れ、敵の懐深くで機を伺っている可能性もゼロではありませんが……」
「仮にそうだとしても、もはやあの屋敷は不可侵のブラックホールだ。これ以上の人員の浪費は避けねばならん。第七位の件は……見捨てる(事実上の放置とする)しかないだろう」
冷酷な決定が下された、その時。
会議室の重厚なドアのすぐ外で、壁に耳を当てて中の会話を盗み聞きしていた女がいた。
黒い修道服に身を包み、赤茶色の髪をサイドテールにまとめた女――ノエルである。
「……はぁ?」
ノエルの口から、信じられないというような乾いた声が漏れた。
(……あのジジイ共、シエルを見捨てる気? あの『完璧なバケモノ』が、三年も足止めを食らって、教会の手駒として使い捨てられるなんて……)
ノエルの心に、まず湧き上がったのは『呆れ』と、ほんの少しの『嘲り』だった。
「私からすべてを奪って、偉そうに説教ばかりしていたアイツ(シエル)が……異端の魔術師の洗脳(チャーム)にやられて、今頃ヨダレ垂らして肉便器にでもされてるわけ? ……傑作じゃない。ざまぁみなさいよ」
ノエルは、シエル(の中にいたロア)が引き起こしたフランス事変の被害者だ。普通の女の子としてのささやかな幸福をすべて奪われ、血みどろの教会の歯車として生きるしかなくなった彼女の心底には、シエルに対する強烈な劣等感と、行き場のない怒りが渦巻いている。
だから、シエルが惨めな目に遭っていると想像することは、ノエルにとって歪んだ溜飲を下げる行為だった。
だが。
(……待って。それ、本当なの?)
ノエルの脳裏に、ふと、ある不吉な疑念がよぎった。
(あのシエルが、ただの精神支配で三年も大人しくしてる? 拷問に屈するようなヤワな精神構造じゃないわよ、あの女は。……だとしたら、なんだって言うの? 『長期監視』なんて建前で……本当は……)
ノエルは自らの胸の十字架を握りしめ、ギリッと奥歯を噛み鳴らした。
(まさか……あの異端の騎士に『骨抜き』にされて、ロンドンでめちゃくちゃ幸せな『女』としての生活を満喫してる……なんてこと、ないわよね?)
その想像に行き着いた瞬間。
ノエルの心臓の奥底から、沸騰する泥水のような、ドス黒く、醜悪な『嫉妬』と『怒り』が爆発的に噴き出した。
「……許さない」
彼女の瞳に、狂気に近い暗い炎が灯る。
「私から『普通の女の子』としての人生を全部奪い取っておいて……! 自分が化け物のくせに、いつも綺麗事ばっかり並べて私を見下していたアンタが……ッ!! 自分だけそんな幸せを手に入れるなんて、絶対に、絶対に許さないッ!!」
ノエルの目的は、もはや「洗脳された先輩の救出」などという綺麗なものではなくなった。
彼女の真の目的。それは、「シエルが手に入れた『幸福』を、教会の正義という大義名分を使って内側から徹底的にぶち壊してやること」だった。
「……見てなさいよ、シエル。アンタがボケてる隙に、私がその魔術師を殺して……アンタの幸せな家庭(おままごと)を、木っ端微塵にしてやるんだから……!」
ノエルは自室に戻ると、愛用の巨大な斧槍(ハルバード)と、大量の黒鍵をケースに詰め込んだ。
正面切ってシエルには勝てない。だからこそ、「シエル先輩、私が助けに来ましたよ! 教会の誇りを取り戻しましょう!」と健気な後輩を演じ、シエル自身の手で(あるいはシエルを囮にして)アストルフォを始末させる。
それが、ノエルの狡猾で、ちっぽけで、そして致命的に『相手(太陽)の熱量』を読み違えている浅知恵だった。
「待っててね、シエル……。私が、アンタを『元の惨めな化け物』に引き戻してあげるから……っ!」
完全なる私怨と嫉妬、そして「所詮はただの男でしょ」という致命的な楽観視。
それらを胸に抱き、聖堂教会の不憫な後輩代行者は、絶対に足を踏み入れてはならない世界最凶のブラックホール――ロンドン・エーデルフェルト邸へと向けて、単独で旅立ったのだった。
待ち受けているのが、シエルの罪悪感すらも飲み込んだ「化け物女たちによる極上の迎撃トラップ」と、彼女の復讐心など一瞬でドロドロに溶かしてしまう「規格外の太陽の熱量」であることなど、知る由もなく。