fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
(……こんな子供みたいな私じゃ……あの子たちの『お母様』になんて、なれるわけないじゃない……っ)
初夏の風が吹き抜ける、広大な庭園の木陰。
ベンチで一人膝を抱える両儀未那の艶やかな黒髪が、寂しげに揺れていた。
極道の姫として、立派な大人の女(義母)として振る舞おうとすればするほど、アストルフォの放つ規格外のフェロモンに当てられた自らの『雌』としての本能が暴走し、同年代の娘たち(イリヤたち)の前で無様な姿を晒してしまう。
その自己嫌悪が、彼女の視界をじんわりと歪ませていた。
「……おねえちゃん、どこか、いたいの?」
不意に。
ベンチに座る未那のサマードレスの裾が、ちょこんと小さな手で引っ張られた。
「え……?」
未那がハッとして顔を上げると、そこには、まだ三歳ほどの幼い少女――アルチナが、大きな瞳をパチパチと瞬かせて立っていた。その後ろには、ノーマや広樹、ありすといった年少の子供たちが、心配そうな顔で未那を囲んでいる。
「あ……アルチナ、ちゃん……っ。ごめんなさい、私、なんでもないのよ。ただ少し、風が目に……」
未那は慌てて涙をごまかそうと、完璧な『大人の作り笑い』を浮かべようとした。
だが、幼い子供の純真な瞳は、18歳の少女が必死に纏った薄っぺらい鎧など、あっさりと見透かしていた。
「ううん。おねえちゃん、さみしいお顔してる」
アルチナは、未那の膝にトコトコとよじ登ると、泥んこ遊びで少し汚れた小さな両手で、未那の頬をペタッと包み込んだ。
「パパがね、言ってたの。マナちゃんは、ボクたちの大事な、新しいカゾクだって。だから、いっぱいいーっぱい、仲良くしてあげてねって」
「……っ」
「だからね、これ、あげる!」
アルチナが未那の頭にふわりと乗せたのは、シロツメクサで不器用に編まれた、いびつな花の冠だった。
「マナおねえちゃん、パパのおひめさまでしょ? おひめさまは、泣いちゃだめだよ。ボクたちが、いっしょにあそんであげるからね!」
「そうだよ! マナお姉ちゃん、一緒に鬼ごっこしよう!」
「パパを捕まえるの、手伝って!」
ノーマや広樹たちも、一切の警戒心を持たない、純度百パーセントの無邪気な笑顔で未那の手を引いた。
その瞬間。
未那の中で限界まで張り詰めていた『大人の女であらねばならない』という呪縛が、音を立てて崩れ去った。
この子たちは、私に「完璧なお母様」なんて求めていなかった。
ただ、大好きなパパが連れてきた『新しい家族(お姉ちゃん)』として、何の色眼鏡もなく、真っ直ぐに私を受け入れてくれている。あの太陽みたいな人から受け継いだ、底なしの優しさと肯定感で。
「あ……ぁ……っ」
未那の大きな黒い瞳から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ごめん、なさい……っ。私、バカみたいに意地張って……っ、ほんとは、すごく不安で……っ」
未那は、18歳の等身大の少女に戻り、アルチナの小さな身体をギュッと抱きしめて、子供のように声を上げて泣きじゃくった。
「あーあ。ホントに泣かせちゃったじゃない、私たち」
木陰の裏から、少しバツの悪そうな声が聞こえた。
見れば、イリヤ、美遊、クロエの三人が、苦笑いを浮かべながら歩いてくるところだった。
「クロエちゃん、イリヤちゃん……っ」
未那がハッとして涙を拭おうとするが、クロエがヒラヒラと手を振ってそれを制した。
「ごめんごめん! 未那ちゃんがあんまりにもガチガチに『完璧な奥様』のオーラを出して壁を作るから、つい意地悪してイジっちゃった。あんなに思い詰めてたなんて、思わなかったの」
「……え?」
「未那ちゃん、私たちと年、少ししか変わらないでしょ?」
イリヤが、未那の隣にストンと腰を下ろし、その背中を優しく撫でた。
「私たち、未那ちゃんに『お母さん』なんて求めてないよ? うちにはもう、口うるさいお母さん(アイリスフィール、ルヴィアゼリッタ、桜等々)がいーっぱいいるしね。……だから、未那ちゃんは未那ちゃんのままでいいの。パパのことが大好きな、私たちの可愛い『お姉ちゃん』になってよ」
「イリヤ、ちゃん……っ。私、私……っ」
「泣かないでください。せっかくの可愛い顔が台無しですよ、未那お義母様」
美遊が、そっとハンカチを差し出す。
極道の姫君が勝手に作り上げていた孤独な幻影は、魔窟の子供たちの圧倒的な器の大きさと温かさによって、完全に溶かされ、消え去った。
「おーい! みんな、こんな所にいたんだ!」
その温かい家族の輪の真ん中に、この世界で最も眩しく、最も罪深い太陽が飛び込んできた。
泥だらけのまま、汗だくのシャツをはだけさせたアストルフォだ。
「あれ? 未那ちゃん、どうして泣いてるの!? どこか痛い!?」
アストルフォは、未那の涙を見るなり血相を変え、彼女の前にしゃがみ込んでその華奢な肩を大きな両手でガシッと包み込んだ。
「ひゃうっ……!?」
その瞬間。
泥と汗が混じり合った、むせ返るような強烈な『オスの匂い』と、火傷しそうなほどの熱気が、至近距離から未那の全身を情け容赦なく殴りつけた。
「あ……っ、ちが、うの、アストルフォ……っ」
未那の涙腺は別の意味で決壊しそうになっていた。
先程までの感動の涙が、彼の圧倒的なフェロモンに触れた途端、一瞬にして脳髄を白く濁らせる『雌としての甘い痺れ』へと反転していく。子宮の奥がキュンと収縮し、太ももが勝手に擦り合わさる。
「パパ、心配しすぎ。未那ちゃんはね、私たちが本当の家族になれたから、嬉しくて泣いてただけだよ」
クロエが呆れたように笑う。
「そうなの? よかったー!」
アストルフォはパァッと顔を輝かせると、そのまま未那の身体を、泥だらけの胸板の中へと力強く引き寄せて抱きしめた。
「んんッ……!!? ぁ、あぁっ……!」
「未那ちゃん、ボクの家族になってくれて、本当にありがとう! これからも、みーんなで一緒に、いーっぱい幸せになろうね!」
一切の邪気もない、純度百パーセントの愛の抱擁。
だが、未那にとっては、それは理性を完全に焼き切る致死量の猛毒だった。彼の分厚い胸板から伝わる心音と、首筋に吹きかかる荒い吐息が、彼女の全身の魔術回路をショートさせる。
(あぁっ……だめ、もう……っ。私、この人の熱がないと……っ)
未那は、つい先程までの「子供たちの前で発情するなんてみっともない」というプライドを、完全に放棄した。
彼女は、イリヤやアルチナたちが見ている前で、自らアストルフォの逞しい首に腕を絡ませ、涙と汗で濡れた顔を彼の胸にすりすりと擦り付けたのだ。
「……うんっ。アストルフォ、私……貴方のお姫様になれて、本当によかった……っ。私を、ずっと、一番に愛してね……っ」
完全に蕩けきった、甘く淫らな声。
「あはは、パパ、お昼間から熱烈だねー」
「未那ちゃん、すっかりパパのフェロモンにやられちゃってる。まあ、私たちのお母さんたちも毎日あんな感じだけど」
「マナおねえちゃん、お顔あかい! おねつ?」
「こらこら、アルチナ。パパと未那お姉ちゃんは今ラブラブなんだから、邪魔しちゃダメだよ」
子供たちの呆れたような、しかし底抜けに温かい笑い声が初夏の庭園に響き渡る。
その陽だまりの中で。
両儀未那は、彼から与えられる無尽蔵の熱に身を委ねながら、ようやく本当の意味で、この狂おしくも愛おしい『魔窟(家族)』の中心へと、その魂の根を下ろしたのだった。