fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
私の名前は――いや、もはや過去の名前などどうでもいい。
今の私は、この広大なエーデルフェルト別邸で、主(あるじ)であるアストルフォ様と、彼の愛する奥様方に仕える、ただの専属メイドの一人に過ぎないのだから。
だが、ほんの二年前まで。私は魔術協会の最高学府である時計塔の鉱石科において、上から三番目の階位である『典位(プライド)』を冠する、誇り高きエリート魔術師だった。
当時の私は、教会のシスターや時計塔の調査員が次々と消息を絶つこの『魔窟』を鼻で笑い、「色仕掛けや精神魔術など、私の強固な魔術防壁の前では無意味だ。異端の騎士の首は私が獲る」と豪語して、単身この屋敷に潜入したのだ。
……そして。
潜入初日の夜、私は図書室で彼と鉢合わせし。魔力など一切使わない、ただ純粋な「男としての熱」と「誰一人見捨てないという絶対的な肯定感」によって、開始数分で魔術回路ごと理性を焼き切られ、涙と涎を垂らしながら自ら彼の足元にすがりついて、交尾をねだる発情した雌へと成り果てたのだった。
「……はぁ。あの方の匂いが、少し薄れてきたわ……」
日曜日の午後。
私は、サロンへお持ちするティーセットの純銀のポットを磨きながら、無意識に自らの太ももをモジモジと擦り合わせていた。
休日の彼は、時計塔での裏仕事を休んで、朝から晩までこの屋敷にいる。
今朝も、昨夜遅くまでルヴィア様とアイリスフィール様をドロドロに泣かせていたはずなのに、早朝にはもう目を覚まし、休日だけの特別サービスとして、セラ様、リーゼリット様、そして再びアイリスフィール様の寝室を巡って『朝の挨拶(濃厚な愛の営み)』を交わしていた。
そして今は、一滴の疲労も見せない太陽のような笑顔で、イリヤ様やクロエ様、年少の子供たちと、庭で泥だらけになって追いかけっこをしている。
(あんな無尽蔵のスタミナ、どんな魔術でも説明がつかないわ。……完璧な健康管理と有酸素運動? いいえ、あの方はただ純粋に、息をするようにすべての女の子を愛し尽くす『愛の化身』なのよ……っ)
彼のことを考えるだけで、子宮の奥がキュンと収縮し、甘い疼きが背髄を駆け抜ける。
私は、大きく深呼吸をしてメイドとしての表情を作り直すと、紅茶の香りが漂うサロンへと足を踏み入れた。
***
「失礼いたします。アインツベルンより取り寄せた、特製のダージリンをお持ちいたしました」
「あら、ありがとう。……ふふっ、それにしても昨夜のアストルフォの突き上げ、本当に激しかったですわね。おかげでわたくしの魔術回路、まだジンジンと痺れていますわ」
豪華なアンティークソファで優雅に扇子を揺らしているのは、金色の巻き髪を持つルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト様だ。
「ちょっとルヴィア、昼間からみっともないわよ。……まあ、私もあいつの匂いを思い出すだけで、少しお腹の奥が熱くなっちゃうんだけどね」
遠坂凛様が、呆れたように言いながらも、隠しきれない熱情で頬を薔薇色に染めている。
「うふふ。お姉様方、案外まだまだですね。私なんて、毎晩彼の無尽蔵の熱を注ぎ込まれないと、もう夜も眠れない身体にされてしまったんですよ?」
つい先日、新たな『家族』として迎えられたばかりの、極道の姫君――両儀未那様が、大人の女になりかけている少女特有の淫靡な色香を漂わせながら、小悪魔的な微笑みで先輩たちにマウントを取っている。
「……たく。魔窟の女王様たちが揃いも揃って、昼間から発情期の猫みたいに惚気合って。頭が痛くなるわ」
蒼崎橙子様が、赤い眼鏡を押し上げながら深いため息をつくが、彼女の首筋にも、隠しきれない赤いキスマークがいくつも残っていた。
私は、一切の感情を排したメイドの仮面を被り、完璧な所作で彼女たちのティーカップに紅茶を注いでいく。
だが、内心では、嫉妬の業火でハンカチをギリギリと噛みちぎりそうになっていた。
(くっ……! あの奥様たちばかり、大きな顔をしてあの方の愛を独占しているみたいに……ズルい、ズルいわ! 私だって、一昨日の昼間、あの方に空き部屋で息もできないくらいドロドロに愛し尽くされたのに……っ!)
私は、メイドのスカートをギュッと握りしめた。
かつては時計塔の典位魔術師として、彼女たち(遠坂やルヴィア)とも対等に渡り合えると自負していた私の誇りは、もはや「魔術の探求」ではなく、「アストルフォ様にいかに雌として愛されるか」という、完全に狂ったベクトルへとすり替わってしまっていたのだ。
「……どうしたの?なんか顔が怖いよ?」
不意に、サロンの入り口から、明るく屈託のない声が響いた。
「あ……っ!」
私の心臓が、ドクンと激しく跳ねた。
そこに立っていたのは、子供たちと全力で遊んで、シャツを少し泥と汗で汚した、桜色の髪の騎士――私たちの絶対的な主、アストルフォ様だった。
「アストルフォ! もう遊びは終わったの?」
凛様が嬉しそうに声をかける。
「うん! みんなお昼寝の時間になったからね。……はぁ、喉渇いちゃった!」
アストルフォ様は、無邪気な笑顔でサロンへと足を踏み入れた。
「ア、アストルフォ様。すぐに冷たいお飲み物と、お絞りをお持ちいたします……っ」
私は慌ててメイドとしての職務を全うしようと、彼に歩み寄った。メインヒロインたちの視線が集まる中で、彼に泥だらけのまま触れさせるわけにはいかない。
だが。
「ありがとう! ……でも、その前に」
アストルフォ様は、差し出したお絞りを受け取るよりも早く。
泥と汗に塗れた大きくて逞しいその腕で、私の腰をグッと引き寄せ、彼のがっしりとした胸板に、私を正面から深く抱きしめたのだ。
「ひゃうッ……!!?」
「アストルフォ……!?」
ルヴィア様や未那様たちが、目を丸くしてこちらを見る。
私はパニックになった。
(だめ、だめですっ! 偉大な奥様たちの目の前で、私みたいな一介のメイドを、こんな……っ)
だが、至近距離から私を殴りつける、彼の汗と泥が混じり合った、むせ返るような強烈な『オスの匂い』と、火傷しそうなほどの熱気が、私の思考を瞬時に白く濁らせていく。
「いつもボクたちのお家を綺麗にして、美味しいお茶を淹れてくれてありがとう。……キミが毎日頑張ってくれてるおかげで、ボクはすっごく幸せだよ」
アストルフォ様は、私の耳元で、一切の嘘偽りがない、純度百パーセントの全肯定の言葉を甘く囁いた。
そして、そのまま私の銀糸の髪に顔を埋め、私のうなじに、チュッと、甘く卑猥な音を立てて熱いキスを落としたのだ。
「あぁッ……!! ぁ、あぁ……っ」
私の膝から完全に力が抜け落ち、自力で立つことすらできなくなる。
背髄を駆け抜ける高圧電流のような快楽。彼が私を「使用人」としてではなく、「愛する女の子の一人」として真っ直ぐに見てくれているという事実が、先程までの醜い嫉妬を、一瞬にして極上の多幸感と優越感へと反転させた。
(ああ……っ。アストルフォ様の匂い、アストルフォ様の熱……っ。もう、どうなってもいい……一生、この方の奴隷で構わないわ……っ!)
私は、恥も外聞もかなぐり捨て、彼の汗ばんだ首筋に腕を絡ませて、発情した雌のように甘い吐息を漏らした。
「……ふふっ。またアストルフォは、息をするように女の子を蕩けさせてるわね」
「ええ。本当に、罪作りな太陽ですわ」
サロンのソファに座る奥様たちは、そんな私たちを咎めるどころか、圧倒的な器の大きさ(同じオスを共有する共犯者としての余裕)で、微笑ましく見守っていた。
この魔窟において、身分の差など存在しない。ただ「彼に等しく愛され、狂わされる」という絶対的な真理だけが、私たちを一つに結びつけているのだ。
「えへへ、ちょっと汗臭かったかな? ボク、お風呂に入ってくるね!」
私を限界までドロドロに溶かした張本人は、自分のフェロモンの破壊力に全く気づいていない様子で、屈託なく笑って私の腰から手を離した。
「はぁっ……はぁっ……いって、らっしゃいませ……アストルフォ様ぁ……っ」
私は、床にへたり込んだまま、熱く潤んだ瞳で彼の背中を見送ることしかできなかった。
(こんな調子で……今夜の当番である、キアラ様やノエル様、フィリア様といった三人の奥様方を相手にして、一体どうなるというの……?)
私は、自らの火照った身体を持て余しながら、恐ろしくも甘い想像に震え、彼への服従をさらに深く魂に刻み込むのだった。