fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
全国一千万人のフランチェスカ・プレラーティファンの皆さん本当にごめんなさい
変更するつもりはさらさらありませんが
深夜。冬木市、円蔵山・地下大空洞。
かつて大聖杯が鎮座し、第三次聖杯戦争の折に強奪されたことで、巨大な『抜け殻』となったその場所は、本来ならば澱んだ魔力と底冷えするような湿気に満ちているはずの場所だった。
だが、雁夜は知っている。
今から約二十年前。この場所で、母である凛と、父であるアストルフォが深く愛し合い、途方もない『オスの熱と純度百パーセントの愛情』によって、この大空洞の霊脈のパスを完全に清浄な「うちの陣営の色」へと染め上げたことを。
だからこそ、この洞窟の空気の底には、常に父さんのような温かくて優しい魔力の残滓が眠っていたはずなのだ。
それなのに。今のこの大空洞には、その清らかな温もりを無理やり逆流させ、タールのように甘ったるく、吐き気を催すような『悪意』で塗り潰そうとしている異物が存在していた。
「――やあやあ。ようこそ、遠坂の若き次期当主サマ。こんなむさ苦しい地下まで、わざわざ私の『おもちゃ箱』を覗きに来てくれたのかな?」
闇の奥から、鈴を転がすような、しかしひどく人工的で悪意に満ちたソプラノの声が反響した。
ゴシック調の豪奢なドレスに身を包んだ、人形のように美しい少女。数百年の時を生きる最悪の快楽主義者、フランチェスカ・プレラーティが、宙に浮かぶ歪な杯(小聖杯の残骸をベースにした魔術礼装)に腰掛け、三日月のような笑みを浮かべていた。
「お初にお目にかかるね。私がこの冬木の霊地を少し『リフォーム』して、極上の絶望(ゲーム)盤を作ろうとしていたところに……まさか、管理者自らが単騎で乗り込んでくるなんて。勇敢なのか、それともただの馬鹿なのかな?」
フランチェスカは、ペロリと赤い舌で自らの唇を舐め上げた。
彼女の視線の先には、桜色の髪を揺らす青年――遠坂雁夜が、薄暗い岩肌を背にして静かに立っている。
「……リフォームね。随分と悪趣味なDIYじゃないか。父さんと母さんが綺麗に掃除した場所を、わざわざ幻霊のノイズとカビ臭い悪意で汚そうだなんて」
雁夜は、母親である凛から受け継いだ、理知的でどこか相手を見透かすような皮肉げな笑みを口元に浮かべた。
彼の立ち姿には、一切の力みがない。ただの無防備にも見えるが、魔術師としての『隙』が微塵も存在しなかった。
「あはっ! さすがはあの遠坂時臣の孫で、天才・遠坂凛の息子だ。見立ては正確だよ。でもね……」
フランチェスカの瞳の奥で、万華鏡のように狂気的な魔力が渦を巻く。
「君のお母さんは教えてくれなかったのかな? 『フランチェスカ・プレラーティのテリトリーに、たった一人で踏み込むのは自殺行為だ』ってさぁ!」
瞬間。
大空洞の景色が、音もなくグニャリと歪んだ。
フランチェスカの放つ神話級の幻術。相手の脳髄に直接アクセスし、その人間が最も恐れる絶望、トラウマ、あるいは愛する者の凄惨な死のビジョンを強制的に見せ続け、精神を完全に崩壊させる最悪の精神攻撃。
「さあ、泣き叫べ! 君のその端正な顔が、恐怖と絶望で涙と鼻水まみれに歪むところを、私に特等席で見せておくれよ!」
フランチェスカは恍惚とした表情で両手を広げ、若き獅子の精神が壊れる瞬間を待ちわびた。
……しかし。
数秒が経過しても。
雁夜の表情は、ただの一度も歪まなかった。
悲鳴を上げるどころか、彼はまるで「少しぬるい風が吹いた」程度の退屈そうな顔で、自身の桜色の前髪を軽く払っただけだった。
「…………ありゃりゃ?」
フランチェスカの三日月の笑みが、ピクリと止まる。
「……幻術、精神干渉、過去のフラッシュバック。どれも教科書通りで、少し古典的すぎないか?」
雁夜が、ゆっくりと一歩、フランチェスカに向かって歩みを進めた。
『カツン』という硬い足音が、冷たい地下空洞に響く。
「おやっ?おやおやっ?君、私の幻術が効かないの? 遠坂の魔術特性に、こんな強固な防壁は……」
「遠坂の防壁じゃないよ。僕のパパが、ちょっと『規格外』なだけさ」
雁夜は、クスクスと笑った。
アストルフォという、概念レベルで『理性を蒸発』させ、無限の全肯定と愛を放ち続ける太陽。
その血を濃く受け継ぐ雁夜の精神の根底には、フランチェスカの冷たい悪意など一瞬で蒸発させてしまうほどの、圧倒的な光と熱の塊が存在している。彼女の放った幻術は、雁夜の脳髄に到達する前に、凛譲りの強固な回路と、無意識下の『親父の熱』によってチリチリと焼き尽くされていたのだ。
「さ、てと。そっちの挨拶(イタズラ)が終わったなら、次は僕の番でいいかな?」
『カツン』
雁夜が、さらに一歩、距離を詰める。
「……キハッ、キハハハ!最ッッ高!君って意外と面白いお子ちゃまなんだね!じゃあ今度は物理で刻んで――」
余裕を取り戻したフランチェスカが指先を鳴らし、不可視の魔力刃を放とうとした、その時だった。
「へっ……?」
フランチェスカの背髄に、ゾクッ、と。
これまでの数百年、一度も味わったことのない異質な感覚が走った。
距離にして、まだ数メートル。
それなのに、雁夜の身体から立ち上る『熱』が、冷え切った地下空洞の空気を、ねっとりとした熱帯の夜のように変質させていた。
唐突な魔力行使ではない。ただ、彼が一歩近づくごとに。彼が呼吸をし、その桜色の髪が揺れるたびに。
むせ返るような、しかし決して不快ではない……恐ろしいほどに甘く、暴力的なまでの『オスの匂い(フェロモン)』が、空間を伝ってフランチェスカの白い肌を直接撫で上げているのだ。
「な、に……これ……っ?」
フランチェスカの呼吸が、無意識に浅くなる。
心臓が、ドクン、ドクンと早鐘のように打ち始める。幻術を使うための緻密な魔力構成が、脳内からドロドロと溶け落ちていく。
(魔眼……!? 違う、魅了の魔術!? いや……そんなチャチなもんじゃない……っ!)
フランチェスカは、後ずさりしようとして、自分の太ももがカタカタと震えていることに気がついた。
恐怖ではない。死へのプレッシャーでもない。
これは、ただ純粋な、極限まで圧縮された『生命力』の直撃。
(頭が……っ、熱い……! 何、この匂い……っ、幻術が、練れない……っ!)
『カツン』
「あ……っ」
気がつけば、雁夜はフランチェスカの目の前――手が届く至近距離にまで肉薄していた。
彼がふわりと微笑んだ瞬間、熱を持った彼の吐息が、フランチェスカの顔を直接掠める。
「君、名前はフランチェスカって言うんだよね」
雁夜の声は。
先程までの皮肉げな響きを完全に消し去り、底抜けに甘く、無邪気で、女の子をただ無条件に慈しむ『父親(アストルフォ)』にそっくりな、とろけるような音色へと反転していた。
「ひゃうッ……!?」
雁夜の大きくて熱い手が、小聖杯の残骸に座るフランチェスカの華奢な手首を、ふわりと、しかし絶対に逃げられない力強さで掴んだ。
「あ……っ、は、なせ……っ! 私に、気安く触るな……っ!!」
余裕をなくした(この一事だけでも事情通の魔術師が聞いたら驚嘆しそうだが)フランチェスカは吠えようとした。
だが、彼女の口から出たのは、威厳の欠片もない、発情した猫のように甘く上擦った声だった。
手首を掴まれただけ。たったそれだけなのに、彼の手のひらから伝わる異常なほどの『体温』が、彼女の冷たい魔術回路を強制的に焼き切り、子宮の奥底をキュンと激しく収縮させたのだ。
「そんなに震えて、どうしたの? ここ、地下だから少し寒かった?」
雁夜の、万華鏡のように美しい瞳が、至近距離からフランチェスカを真っ直ぐに見つめ下ろす。
そこには、一切の敵意も、彼女の悪辣な過去に対する嫌悪もない。ただ「目の前の震える女の子を温めてあげたい」という、純度百パーセントの善意とオスの熱情だけがあった。
(だめ、だめ……っ! なんなのコイツ……っ!? 幻術を弾く冷たい目をしてるくせに、肌を撫でるこの熱は……っ! こんな熱に中てられたら、私、私の理性が……っ!!)
数百年間、他人の絶望だけを啜って生きてきた最悪の快楽主義者は。
十八歳の若き獅子から至近距離で放たれる、規格外の肯定感とフェロモンの直撃を受け、自らの内側に『愛されたい雌』としての本能が強制的に呼び覚まされるという、未知の恐怖と極上の快楽の狭間で、ガタガタと無様に膝を震わせるのだった。