fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
イリヤスフィール、美遊、クロエの三人が、極東の東京で『藤村士郎』という一人の青年と出会い結ばれてから、さらに時が流れた。
季節も巡り、ロンドンに柔らかな春の陽射しが降り注ぐ午後。
かつては、数十人もの子供たちが走り回り、絶え間ない喧騒と愛欲の叫びに包まれていた魔窟の広大なリビングは。今、ひどく静かで、どこまでも深く、重たい『熟成された熱』に満たされていた。
長男の智識は南米の王となり、次男の雁夜は冬木の管理者として独り立ちし、娘たちも自らの伴侶を見つけてこの城を去った。幼い子供たちはまだプレイルームや庭で遊んでいるものの、かつてのような嵐のような騒がしさはない。
その静寂の中。
最高級の巨大なベルベットソファの中心で、桜色の髪を揺らす太陽の騎士――アストルフォが、目を閉じて静かに微睡んでいた。
「……ん、ぁ……っ」
彼の逞しい右腕を抱き込み、その熱い体温を直接自身の胸の谷間に押し当てているのは、現代魔術科の当主となったライネス・エルメロイ・アーチゾルテだ。
彼女はすでに立派な一児の母(レオナルドは庭で遊んでいる)であるが、アストルフォの皮膚からじわりと染み出してくる『進化したフェロモン』の前に、魔術師としての計算高さも、当主としての威厳も完全に溶かされ、ただの甘えたがりのメスとして上擦った吐息を漏らしている。
「……はぁっ。本当に、この男の熱は……年を重ねるごとに、どうしてこうも『深く』なっていくのだろうね」
ライネスの向かい側で、アストルフォの左腕にすがりつき、自身の銀髪を彼の首筋にすり寄せているのはオルガマリー・アニムスフィアだった。
アニムスフィア家の令嬢として、本来なら張り詰めた氷のような気品を保つべき彼女もまた、アストルフォの呼吸に合わせて上下する胸板の鼓動を聞くだけで、子宮の奥底がキュンと甘く収縮するのを止められない。
「……ええ。本当に、恐ろしいオトコね」
オルガマリーは、情欲にトロンと濁った金色の瞳で、愛する夫の寝顔を見つめた。
唐突なスキンシップなど必要ない。ただ同じソファで寄り添い、視線を交わし、彼の匂いと体温を感じるだけで、彼女たちの身体の奥には、初夜の時よりもさらに濃密で、ドロドロとした『愛されたい』という本能が溢れ出してしまうのだ。
「主よ。この穏やかな午後に、これほどまでに淫らな疼きを未だに感じてしまう私を、どうかお許しください……っ」
少し離れた一人掛けのソファでは、黒い修道服を着崩したカレン・オルテンシアが、自身の太ももをきつく擦り合わせながら、熱い吐息を吐き出していた。彼女の黄金の瞳は、微睡むアストルフォの無防備な唇に釘付けになっている。
その後ろではバゼット・フラガ・マクレミッツが、「……カレン、貴女の気持ちは痛いほど分かりますが、今は彼を休ませてあげましょう。昨夜は、その……私たちも、随分と彼に無理を言って、搾り取ってしまいましたから……っ」と、顔を真っ赤にして自身の首筋のキスマークを隠していた。
シエルやノエルといった元教会の面々も、ホムンクルスの三人娘(セラ、リーゼリット、フィリア)たちも、それぞれがリビングの思い思いの場所でくつろぎながら、空間の中心にある『絶対的な太陽』の引力に、身も心も委ねきっていた。
誰もが、この平和で、極限まで甘く蕩けた日常が永遠に続くことを信じて疑わない。
そんな、熟成された愛の城の静寂を。
『――ピロリロリリンッ!』
リビングの巨大なモニターに接続された、通信用魔術礼装(兼、最新のビデオ通話システム)の軽快な着信音が切り裂いた。
「ん……? あ、電話だ!」
アストルフォがパチリと目を覚まし、ライネスとオルガマリーの柔らかな拘束から器用に抜け出して、モニターの通信ボタンを押した。
画面にパァッと映し出されたのは、極東の地・東京にある、とある病院の特別室の光景だった。
そして、画面のど真ん中で、満面の笑みで手を振っているのは。
『パパーッ! ママたちーっ! 生まれたよーっ!!』
ベッドの上に身を起こし、嬉しそうに声を弾ませる銀髪の乙女――イリヤスフィール(21歳)。
そして、彼女の腕の中で、すやすやと小さな寝息を立てている、桜色の髪を持った元気な赤ん坊の姿だった。
画面の端には、優しく微笑む美遊と、クロエの姿。そのそばで我がことのように喜んでいる藤村大河。そして、彼女たちの後ろで「本当に、イリヤも赤ん坊も無事でよかった……」と、心底安堵したように汗を拭っている誠実そうな男性――藤村士郎の姿があった。
「あっ……」
アストルフォの動きが、ピタリと止まった。
『お父様、無事にイリヤお姉様の出産が終わりました。母子ともに、とても健康です。士郎さんも、私たちも、ずっと付き添っていましたから、安心してください』
日本から、美遊が桜譲りのしっとりとした声で報告する。
『ちょっと難産だったけど、士郎がずっとイリヤの手を握ってくれてたからね! ほら、パパ、見てよ! すっごく元気な男の子よ!』
クロエが、カメラをイリヤの腕の中の赤ん坊へとズームさせる。
画面越しに伝わってくる、新しい命の圧倒的な輝き。
自分が愛した娘が、愛する男と結ばれ、そして自分の力で新しい命をこの世に産み落としたという、奇跡のような現実。
「あ……ああ……っ」
アストルフォの紫水晶の瞳から、ポロリ、ポロリと、大粒の涙が溢れ出した。
そして次の瞬間。
「うわぁぁぁぁぁぁんっ!! イリヤぁぁっ! 士郎くぅぅんっ!! よかった、本当によかったよぉぉぉっ!! 赤ちゃん、すっごく、すっごく小さくて可愛かったよぉぉぉっ!!」
かつて世界中の戦場を駆け抜け、無数の魔女たちを屈服させてきた無敵の騎士は。
画面の前で、顔をくしゃくしゃにして、子供のように声を上げて号泣し始めたのだ。
「あーあ。また始まったわね」
「よしよし、アストルフォ。……遠い極東から、娘さんたちの立派な姿を見ることができて、本当によかったですね。ふふっ、貴方もついに『お爺ちゃん』ですわね」
号泣してへたり込んだアストルフォを、優しく、慈愛に満ちた手つきで抱きしめたのは、イリヤの母親であるアイリスフィールだった。
アストルフォは、アイリスフィールの豊かな太ももに顔を埋め、彼女の柔らかな腹部にすりすりと頬を擦り付けながら、情けなく鼻をすする。
約20年前にイリヤを出産した頃から、アイリスフィールの美貌は全く衰えていない。それどころか、アストルフォのフェロモンを浴び続けたことで、細胞の奥底から活性化され、熟れた果実のようなむせ返る色香を永遠に保ち続けている。
しかし、その赤い瞳の奥には、確かな「母」そして「祖母」としての穏やかな成熟と、夫への底知れぬ愛が満ちていた。
「士郎くん、すっごくいい子だった! イリヤのこと本気で大切にしてくれてて……っ。でも、でもぉ! ボクの可愛いイリヤが、もう完全に『誰かの奥さん』になっちゃったんだって思ったら……うぅっ、寂しいよぉっ!」
「……まったく。普段は規格外のバケモノのくせに、娘のこととなると、普通の父親と全く同じような姿を見せるのね」
呆れたように笑いながら、遠坂凛がアストルフォの背中にそっと手を置いた。彼女の隣では、桜とルヴィアも、画面の向こうの娘たちに向かって優しく手を振っている。
「でも、安心したんでしょ? 娘たちが、自分たちの足で、ちゃんと幸せを見つけられたんだから」
凛の言葉に、アストルフォはアイリスフィールの膝の上で、何度も何度も力強く頷いた。
『パパ、泣きすぎだよー! でも、ありがとう! パパとママたちが、いっぱいいっぱい愛してくれたから、私、すっごく幸せなお母さんになれたよ!』
画面の向こうで、イリヤも嬉し泣きしながら笑っている。
「……うん……っ! イリヤ、士郎くん、本当におめでとう……っ! ボク、絶対すぐに冬木まで、孫の顔を見に行くからねーっ!」
アストルフォは、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を無理やり笑顔にして、画面の向こうの新しい家族に向かって、大きく大きく手を振った。
通話が切れ、リビングのモニターが暗くなっても、アストルフォの涙は止まらなかった。
アイリの膝の上で静かに泣き続ける彼を、凛、桜、ルヴィア、青子といった、彼が心から愛し抜いてきた妻たちが、優しく、ただひたすらに優しく囲んでいた。
彼女たちの肌は白く滑らかで、白髪もシワも、シミ一つない。アストルフォが注ぎ込み続けた純度百パーセントの熱量が、彼女たちの肉体を極上の「美魔女」としてこの世に留め続けている。
しかし、アストルフォは、涙に濡れた瞳で妻たちを見上げながら、同時にある残酷で優しい『真実』を静かに悟っていた。
(……みんな、すっごく綺麗だけど。でも、もう昔みたいに、ボクの熱を受け取って、新しい命(あかちゃん)を宿すことは……難しくなってるんだよね)
不老のシエルや、全能の愛歌、あるいは若い橙子(人形)といった一部の例外を除き。
長年連れ添ってきた凛や桜たちの肉体は、人間としての生物学的な『秋』を迎えていた。子供を産む能力は確実に減少し、彼女たちの身体の奥底の疼きも、かつての嵐のような発情から、暖炉の火のような静かな微睡みへと変化している。
そしてそれは、他ならぬアストルフォ自身も同じだった。
「……ボクの熱も、いつか」
アストルフォは、自身の大きな掌を見つめ、アイリの膝の上でぽつりと呟いた。
「永遠じゃないんだよね。今はまだ、みんなを温めてあげられるけど。……いつか、日が沈むみたいに、ボクのフェロモンも、体力も……少しずつ、しぼんでいく日が来るのかもしれない」
常に「今」を全力で肯定し続けてきた太陽の騎士の口から出た、初めての『終わりの予感』。
リビングの空気が、ふっと静まり返り――。