fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
冷たい雨の降るロンドンの路地裏。
アストルフォの顔が近づき、その熱い吐息がルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトの震える唇を掠めた。
しかし、二人の唇が重なる直前。
アストルフォは不意に動きを止め、ルヴィアの青い瞳を真っ直ぐに見つめ返した。そして、彼女の唇に触れる代わりに、涙と雨で濡れた彼女の冷たい頬に、ちゅっ、と優しく温かいキスを落としたのだ。
「……え?」
「ルヴィア、唇が真っ青だ。こんな冷たい雨の中で無理しちゃだめだよ。キミのすごく綺麗な金髪も、泥だらけになっちゃう」
アストルフォは自らの黒いシャツを脱ぐと、それをルヴィアの華奢な肩にふわりとかけた。彼の高い体温が染み込んだ布の感触に、ルヴィアの身体がビクッと跳ねる。
「さあ、ヒポグリフ! 安全で温かいところに避難しよう!」
アストルフォはルヴィアを軽々と「お姫様抱っこ」で抱き上げると、幻獣の背へと跳躍した。
「ひゃっ……! あ、あなた、何を……っ!」
「舌噛まないように、ボクにしっかりしがみついててね!」
強風が吹き荒れ、ヒポグリフが夜のロンドン上空へと一気に舞い上がる。
下界の泥沼のような陰謀も、彼女を縛り付けていた路地裏の結界も、すべてが眼下へと遠ざかっていく。ルヴィアは恐怖からではなく、アストルフォの胸から伝わってくる絶対的な『熱』を手放したくなくて、無意識に彼の首に強く腕を回していた。
***
数分後。
アストルフォがルヴィアを連れて飛び込んだのは、エーデルフェルトの本邸でもなく、青子たちが待つホテルでもない。時計塔の学生や魔術師たちが滅多に寄り付かない、ロンドン市内の高級ホテルの最上階スイートルームのバルコニーだった。
「ごめんね、勝手にこんなところに連れてきちゃって! ボク、青子たちに内緒でこっそりヒポグリフと休むための部屋をとってたんだ。ここなら結界も張ってないし、誰にも見つからないよ」
アストルフォはルヴィアをふかふかのソファに下ろすと、バスルームから何枚ものバスタオルを抱えて小走りで戻ってきた。
「ほら、風邪引いちゃうから、ちゃんと拭いて」
「……っ、わたくしは、子供ではありませんわ。これくらい……」
ルヴィアは強がってタオルを受け取ろうとしたが、極度の緊張の糸が切れたことと、魔力枯渇による悪寒で、指先がガタガタと震えてうまくタオルを掴めなかった。
そんな彼女の手を、アストルフォの大きな手が優しく包み込む。
「意地張らないの。今は、ボクがキミを甘やかしてあげる時間だって言ったでしょ?」
アストルフォはルヴィアの隣に座ると、バスタオルで彼女の濡れた金髪を、まるで壊れ物を扱うようにひどく丁寧に拭き始めた。
「あ……」
他人に髪を拭かれるなど、幼い頃にメイドにされて以来のことだ。次期当主として、常に他者の上に立ち、誰かを守り、導く存在でなければならなかった。ましてや、義妹の桜を迎えてからは、「完璧な姉」としての振る舞いを一日たりとも崩したことはない。
(どうして……わたくしは、この男にこんなに無防備な姿を晒しているのですの……?)
ルヴィアは、タオル越しに伝わってくるアストルフォの指の感触に、思考が甘く溶けていくのを感じていた。
「……どうして、わたくしを助けましたの」
静寂の部屋に、ルヴィアの微かに震える声が響いた。
それは、魔術師としての打算を探るものではなく、ただ純粋な一人の少女としての問いかけだった。
「どうしてって? キミが危なかったからに決まってるじゃないか」
「……それだけですの? わたくしは、あなたにひどい態度をとりましたわ。サクラを惑わし、あまつさえ蒼崎先生という方がいながら不誠実な振る舞いをするあなたを、時計塔から追い出そうとすら……」
「ルヴィア」
アストルフォの手が止まり、タオルの下から覗くルヴィアの青い瞳を、彼が真っ直ぐに覗き込んだ。
「ボクは、キミがどんな役職についてるかとか、どんな立派な家の当主かとか、そんなの全然気にしてないよ。……ボクが見てたのは、昼間、すごく無理をして『強いお姉ちゃん』の仮面を被って、一人でボロボロになりそうだった『ルヴィア』っていう女の子のことだけだ」
「……っ!」
アストルフォの手が、タオルを滑り落ちて、ルヴィアの冷たい頬に添えられた。
「キミは、桜を守るためにすごく頑張ってきたんだね。キミのその誇り高いところ、ボクはすっごく綺麗だと思うし、カッコいいと思う。……でも、一人で全部背負い込んでたら、いつか心がぺしゃんこに潰れちゃうよ」
「わたくしは……っ」
ルヴィアの瞳から、再び大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
当主としての責任。周囲からの嫉妬と陰謀。そして、遠坂からやってきた、心に深い空洞を抱えた妹・桜への不器用な愛情と、彼女を完璧に救えない自分への歯痒さ。
あの青崎青子のような絶対的な「個」としての力があれば、もっとうまくやれたかもしれない。そんな誰にも言えない劣等感を、この目の前の騎士は、言葉ではなくその圧倒的な『肯定』の熱で、すべて包み込んでしまったのだ。
「……怖かったですわ。わたくしが倒れれば、エーデルフェルトは、サクラは……。常に完璧でなければと、気を張って……誰も、信じられなくて……っ」
ぽつりぽつりと、ルヴィアの口から長年堰き止められていた本音が零れ落ちる。
アストルフォは何も言わず、ただ彼女の言葉に頷き、その背中を優しく撫で続けた。
「ルヴィアは偉いよ。すごく頑張ったね。……でも、ここはもう、時計塔でもエーデルフェルトの屋敷でもない。ボクとキミだけの秘密の部屋だ」
アストルフォの顔が、ルヴィアの顔のすぐ近くまで引き寄せられる。
彼から漂う、花のような甘さと、雨に濡れたオス特有の野性的な匂いが、ルヴィアの鼻腔をくすぐった。
「だから……もう、わかってるでしょ? キミのその重たい鎧、ボクの前でくらい、脱いだっていいんだよ」
「アストルフォ……っ」
ルヴィアは、彼を見上げる自らの瞳が、もはや「誇り高きハイエナ」のそれではなく、ただ恋と熱を乞う一人の「メス」のそれに成り果てていることを自覚した。
でも、もうどうでもよかった。この底なしに純粋で、恐ろしいほどに甘い熱の前では、どんな強がりも意味を成さない。
「……ええ。わたくしの負けですわ。あなたのそのデタラメな熱に……完全に、あてられてしまいましたわ」
ルヴィアは自らの両腕を、アストルフォの首にしっかりと回した。
「わたくしを……ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトを落としたのですから、相応の責任は取っていただきますわよ。……わたくしのこの空っぽになった心の中を、あなたの熱で、今すぐ満たしなさい……っ!」
それは、彼女らしい高慢な命令の形をとった、完全なる「降伏宣言」だった。
「うん! 任せて、ルヴィア。キミのこと、頭の中がボクのことでいっぱいになるまで、最高に甘やかしてあげる!」
極上の笑顔とともに、アストルフォの唇が、今度こそルヴィアの艶やかな唇を深く塞いだ。
「んんっ……!! ぁ……っ!」
泥まみれの路地裏ではなく、ふかふかのソファの上で交わされる、熱に浮かされたような深い口付け。
アストルフォの滑らかな舌がルヴィアの唇を割り、無防備な口腔内へと容赦なく侵入する。
「んちゅ……あっ、はぁっ……あ……っ」
上品なダージリンティーの香りがした彼女の吐息は、瞬く間にアストルフォの放つ濃密な熱気に塗り潰されていく。
息を継ぐ暇も与えられないほどの深い舌の絡み合いに、ルヴィアの脳髄が真っ白に明滅する。魔術回路を回す時の精密な計算などどこかへ吹き飛び、ただ粘膜から直接伝わってくる強烈な快楽に、彼女の身体はビクビクと小さく痙攣した。
「ルヴィア……キミ、すごく熱くなってる。さっきまであんなに冷たかったのに」
「はぁっ、んっ……あ、あなたの……せいですわ……っ! こんなに、激しく……っ」
唇がわずかに離れ、銀の糸が艶かしく引かれた。
潤んだ青い瞳で彼を睨むように見上げるルヴィアだが、その顔は限界まで朱に染まり、抗う力などどこにも残っていない。
「雨で濡れたドレス、冷たいでしょ? ……脱がせて、あげる」
アストルフォの大きな手が、ルヴィアの背中にあるドレスのファスナーへと伸びる。
ジリ、と小さな音を立てて、ロンドンの泥と雨にまみれた青いドレスが、彼女の滑らかな白い肌から滑り落ちた。
「あっ……だ、だめ……そんなに見ないで……っ」
「なんで? ルヴィアの素肌、雪みたいに真っ白で、すごく綺麗だよ。……それに、すごく柔らかそう」
露わになった純白のランジェリー姿。鍛え上げられたしなやかな筋肉と、女性特有の豊かな曲線が同居する彼女の肢体を、アストルフォの熱を帯びた紫水晶の瞳が舐め回すように見つめる。
彼の大きな手が、ルヴィアの滑らかな太ももから腰、そして豊かな胸元へとゆっくりと這い上がっていく。
「ひゃっ……! あ、あぁっ……!」
常人離れした高い体温を持つ彼の手のひらが、直接素肌に触れた瞬間。
ルヴィアの口から、今まで出したこともないような甘く、高い嬌声が弾けた。
温室で妹の桜が彼に触れられた時、どれほどの快楽の渦に呑み込まれていたのか。ルヴィアは今、それを自らの身体で痛いほどに理解していた。
「あ、熱い……ですわ……あなたの手……そこ、だめ……っ!」
「だめじゃないよ。ルヴィアも、ここ……こんなにドキドキしてる。ボクの手、すごく欲しがってるじゃないか」
意地悪く囁きながら、アストルフォの指先が、ランジェリー越しの敏感な頂を執拗に弾く。
「あぁぁっ!! ひっ、あ……っ! アストルフォ……っ!!」
ルヴィアの背中が弓なりに反り、彼女はたまらずソファのクッションを強く握りしめた。
誇り高きエーデルフェルトの当主候補が、一人の騎士の愛撫によって、完全にただの『メス』へと作り替えられていく。
スイートルームの静寂の中に、彼女の甘い喘ぎ声と、肌が擦れ合う淫らな水音だけが、どこまでも濃密に響き渡り始めていた――。