fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
ふかふかのソファに沈み込む、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトの純白のランジェリー姿。
アストルフォの熱い指先が、彼女の滑らかな肌を這い上がり、理性を焼き切るような甘い快感が脳髄を支配しかけていた。
「あぁぁっ!! ひっ、あ……っ! アストルフォ……っ!!」
誇り高きエーデルフェルトの当主候補が、一人の騎士の愛撫によって完全に陥落しようとしていた、その時だった。
(……わたくしは、何をしているの……?)
熱に浮かされたルヴィアの脳裏に、不意に、温室で彼のジャケットを羽織り、幸せそうに微笑んでいた義妹・桜の顔がフラッシュバックした。
『私、彼に会いに行きます。私はもう、空っぽではありませんから』
そう言って、自分の制止を振り切って彼の元へ通うようになった桜。
あの子は、遠坂から手放され、ずっと自分の殻に閉じこもっていた。そのあの子が、ようやく見つけた自分だけの「熱」と「居場所」。
それを、あろうことか姉である自分が、こんな安ホテルの部屋で奪い取ろうとしている?
「――っ、だめ!!」
ルヴィアの青い瞳に、凄まじい意志の光が宿った。
彼女はありったけの魔力を両腕に込め、自分に覆い被さっていたアストルフォの胸を思い切り突き飛ばした。
「わ、わっ!?」
油断していたアストルフォが、ソファから床へとゴロリと転げ落ちる。
その隙に、ルヴィアは床に落ちていた青いドレスをひったくるように拾い上げ、胸元を隠しながらソファの端へと後ずさった。
肩で激しく息をしながら、彼女の全身は小刻みに震えている。快感の余韻と、自分のしでかしかけた事への恐ろしさで。
「ルヴィア……? どうしたの、急に。痛いこと、しちゃった?」
「……近寄らないでっ!!」
アストルフォが心配そうに手を伸ばそうとするのを、ルヴィアは悲鳴のような声で制止した。
「わ、わたくしは……エーデルフェルトの当主ですわ! サクラの姉ですわ! 妹の大切な人を、こんな……こんな形で奪うような、破廉恥な真似は絶対にできませんっ!!」
「桜から奪う? なんで? ボクは桜のこともルヴィアのことも、どっちも大切にするって……」
「それがデタラメだと言っているのです!!」
ルヴィアの瞳から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「あなたは……あなたが思っている以上に、狂おしい熱を持っていますわ。それに触れてしまったら、わたくしは絶対に、蒼崎先生やサクラへの嫉妬で狂ってしまう。……わたくしは、あの子の笑顔を、二度と曇らせたくないのですっ!」
それは、ルヴィアが胸の奥底に秘めていた、桜に対するどこまでも深く、不器用な愛情の吐露だった。
完璧な姉であり続けるため。妹を傷つけないため。彼女は、自らの内に芽生えかけた激しい恋情を、文字通り血を吐くような思いでへし折ったのだ。
ルヴィアは濡れた金髪を振り乱し、ドレスを抱きかかえたまま、裸足でホテルの部屋を飛び出した。
「待って、ルヴィア! 外はまだ雨が……っ!」
アストルフォの静止の声も聞かず、ルヴィアは夜のロンドンの街へと逃げるように走り去っていった。
残されたアストルフォは、彼女を無理に追いかけることはしなかった。ただ、彼女が座っていたソファに残る微かな温もりと、上品な紅茶の香りを静かに見つめていた。
「……そっか。ルヴィアは、本当にすごく優しくて、強いお姉ちゃんなんだね。……でも」
アストルフォの紫水晶の瞳に、決意の光が宿る。
「強がって泣いてる女の子を放っておくなんて、騎士のすることじゃない。……待っててね、ルヴィア。キミのその重たすぎる鎧、ボクが絶対に、キミが笑顔で脱げるようにしてあげるから」
***
それから、三日が過ぎた。
時計塔の地下深く、魔術協会が管理する巨大な書庫区画のさらに奥。
一般の魔術師の立ち入りが厳しく制限された『禁書指定エリア』で、ルヴィアは激しい息を吐きながら、石造りの壁に背中を預けていた。
「……はぁっ、はぁ……っ! しつこいハイエナどもですわね……っ」
彼女の豪奢なドレスは所々が引き裂かれ、純白の肌にはいくつかの浅い切り傷が刻まれている。
先日の路地裏での襲撃は、ただの前哨戦に過ぎなかったのだ。
エーデルフェルトが近年申請した強力な魔術特許。それを青崎青子と交渉しているという事実が、時計塔内の保守派閥を完全に刺激してしまった。彼らはルヴィアを異端の魔女(青子)と結託した裏切り者とみなし、実力行使で特許を奪い、あわよくばエーデルフェルトの次期当主を闇に葬ろうと、協会暗部の『執行者』クラスの暗殺者を複数差し向けてきたのだ。
ルヴィアは、この窮地を誰にも相談しなかった。
桜に心配をかけたくない。それに、青崎青子や……あの騎士に頼ることは、先日のホテルでの出来事がある以上、絶対にできなかった。自分の意地と誇りが、それを許さなかったのだ。
「そこまでだ、エーデルフェルト。貴様のガンドの弾幕は厄介だが、この閉鎖空間では魔力の補充も追いつくまい」
暗闇の中から、異形の仮面を被った三人の魔術師が姿を現した。
彼らの手には、呪詛を纏った黒い刃が握られている。ルヴィアの魔力は、三日間の絶え間ない襲撃の対処で底をつきかけていた。指先に挟んだ宝石の輝きも、すでに鈍い。
(……ここまで、ですの? わたくしが死ねば、エーデルフェルトは……サクラは……っ)
絶望が、冷たい泥のようにルヴィアの足元から這い上がってくる。
死の恐怖よりも、妹を残して逝くことへの無念さが、彼女の心を激しく苛んだ。
「死ね、誇り高き小娘」
凶刃が、ルヴィアの心臓めがけて振り下ろされた。
ルヴィアは青い瞳を強く閉じ、最後の魔力を振り絞ろうとした。
――その時だった。
「キミたちさぁ!! 何度言ったらわかるの! 女の子をいじめるなって!!」
ドゴォォォォンッ!!!
時計塔の地下深くの分厚い石壁が、外側からまるで紙くずのように粉砕された。
舞い散る瓦礫と土埃。そして、地下にあるはずのない『強風』が吹き荒れる。
巻き起こった突風が暗殺者たちの身体を軽々と吹き飛ばし、石壁に叩きつけた。
「な、なんだ!? 壁を、物理的に破壊しただと!?」
「あり得ん! ここは時計塔の地下だぞ!!」
驚愕する暗殺者たちの前に、土埃を切り裂いて現れたのは、巨大な馬上槍(トラップ・オブ・アルガリア)を肩に担いだ、桜色の髪の騎士だった。
「ア、アストルフォ……!?」
ルヴィアは信じられないものを見るように、大きく目を見開いた。
なぜ彼がここにいるのか。どうやって時計塔の最深部を破壊して入ってきたのか。理屈は全くわからない。だが、彼の背中を見た瞬間、ルヴィアの張り詰めていた緊張の糸が、プツリと音を立てて切れた。
「ルヴィア! 迎えに来たよ!」
アストルフォは振り返り、満面の笑みでウィンクをした。
「……ば、馬鹿ですかあなたは! ここがどこだと……! それに、わたくしはあなたを拒絶したはずですわ!」
「拒絶されたからって、引き下がるボクじゃないよ! だって、ボクはルヴィアのこと、諦めるつもりなんて一ミリもないんだから!」
暗殺者たちが体勢を立て直し、再び襲いかかってこようとする。
しかし、アストルフォはルヴィアに背を向けたまま、馬上槍を軽々と振るった。
「触れると転倒! トラップ・オブ・アルガリア!!」
黄金の切っ先が暗殺者たちの武器に触れた瞬間、彼らの足元の重力法則が完全に狂い、三人は情けない悲鳴を上げて床に無様に転がった。
そのまま立ち上がれなくなった暗殺者たちを一瞥もせず、アストルフォは槍を消散させ、ルヴィアの元へと真っ直ぐに歩み寄った。
「ア、アストルフォ……っ、来ないで……っ」
ルヴィアは後ずさろうとしたが、壁に背中がぶつかり、逃げ場がない。
アストルフォは彼女の目の前で片膝をつき、傷だらけで泥にまみれた彼女の手を、両手でそっと包み込んだ。
「ルヴィア。キミは、桜を傷つけないために、自分を犠牲にしてる。キミのその優しさは、世界一綺麗だよ」
「……っ」
「でもね。キミが一人で傷ついて、一人で死んじゃったら、桜は絶対に泣くよ。青子だって、キミの覚悟を馬鹿にするような人じゃない」
アストルフォの親指が、ルヴィアの指先の冷たさを溶かすように、優しく撫でる。
「桜はね、昨日ボクに言ったんだ。『お義姉様を、一人ぼっちにしないでください』って」
「……サクラが?」
「うん。あの子は、キミが一人で背負い込んでることに気づいてる。そして、キミにも幸せになってほしいって、心から願ってるんだよ」
その言葉を聞いた瞬間。
ルヴィアの心に幾重にも巻き付いていた、当主としての鎖、姉としての呪縛、そして妹に対する過剰な罪悪感が、ガラガラと音を立てて崩れ去っていくのを感じた。
「だから、もう我慢しなくていい。……キミも、桜と一緒に、ボクの腕の中で幸せになればいいんだ」
アストルフォは立ち上がり、ルヴィアの華奢な身体を、壊れ物を扱うようにそっと抱き上げた。
お姫様抱っこ。今度は、抗う力など彼女には微塵も残っていなかった。ただ、彼から伝わってくる圧倒的な熱量と、彼が紡いだ『桜の願い』の言葉に、どうしようもなく涙が溢れ続けるだけだった。
「……ずるい、ですわ。そんなこと言われたら、わたくし……もう、意地なんて、張れません……っ」
「意地なんて張らなくていいよ。ボクの前では、ただの可愛い『ルヴィア』でいて」
アストルフォは、ルヴィアの涙で濡れた頬に優しくキスを落とすと、彼女を抱えたまま、自分が破壊した壁の穴へと向かった。
「さあ、帰ろう。青子も桜も、ホテルでキミの帰りを待ってるよ。……今夜は、みんなでゆっくり、温かいお茶でも飲もう」
時計塔の地下深くに開いた風穴から、一筋の月光が差し込んでいた。
ルヴィアはアストルフォの首に腕を回し、その熱い胸板に深く顔を埋めた。
もはや、一切の迷いはない。彼女の誇り高い孤独は、この規格外の騎士の底抜けの愛によって、完全に、そして最も美しい形で救済されたのだった。